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第六章 マリオネット教団編(征夜視点)

EP174 思い出せ、そして忘れるな

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「俺の体と・・・俺の武器・・・。」

「"武神"と凡庸な剣士では、勝負になるはずがない。だからこそハンデをやる。その上で、お前を上から捻り潰す。」

 征夜の姿をした男は、指先で刀身の裏を撫でた。
 その間合いを確認し、征夜に切り込む隙を窺う。

 しかし征夜にしてみれば、これはチャンスに思える。
 最大で24年間、鍛え始めた頃から数えても6ヶ月間を、この姿で過ごして来た。
 だからこそ誰よりも、自分の肉体を理解している自信がある。

「同じ体なら、俺が負けるはずない!」

「さて・・・どうかなっ!!!」

(来るっ!!!)

 征夜が刀を構えると、男は勢いよく突き込んで来た。
 ただ、その足は征夜とまるで違う。回転速度も踏み込む力も、おそらく段違いなのだろう。

(速いっ!!!)

 気を引き締めた彼を前に、間合いの直前で男は飛び上がった。頭上から斬り下ろす形で剣を振り、征夜と刃を交える。

 間一髪でそれを受け止めた征夜は、押し返そうと意識を向ける。しかし、同じ力で押し合っていれば、刀が動く事はない。

 いつまで続くか分からない押し合いを始めようと、両者は瞬時に睨み合った。そこで、先に力を緩めたのは男の方だった。

(よし!押し勝った!)

「甘いぞッ!!!」

「へっ?うごぁっ!!!」

 男の覇気に押された征夜は、少しだけ動揺した。いや、もしかすると油断したのかも知れない。
 そのコンマ1秒の隙をついて、男は回し蹴りを叩き込んだ。右の首筋に強烈な一撃を喰らい、征夜は左方向に吹き飛ばされる。

 民家の外壁に激突した征夜は、意識が朦朧とする。
 折れてはいないが、急所を蹴られた事に変わらないのだ。もはや、継戦は不可能かに思われたが――。

「まだ終わらせんぞ!」

「あ・・・・・・ハッ!」

 朦朧とした意識が、突如として覚醒した。
 そして直後に征夜は気が付いた。体の縁に沿うように、緑の粉が散っている事に。

「これは・・・!?」

「粉塵タイプの回復薬だ。一撃で終わっては、教育にもならんのでな。」

 驚く征夜をよそに、男は話を続ける。

「剣を振るだけが戦闘だと思うな。拳、足、時には頭を使ってでも、相手の急所を狙え。
 勝ちと負け。それが勝負であり、戦士の心だ。派手な技を使って倒すのは、"お嬢さんの戦い"だ。
 お前の場合は"お坊ちゃん"だろうが、それを卒業出来ないのでは、私のようには成れないだろう。」

「俺が・・・お坊ちゃんだと・・・!」

 男は征夜にとって最大のコンプレックスを刺激した。
 図星を突いても、人間の怒りは収まらない。むしろ、更なる逆上を煽る結果となる。

「力を見せつけて、人を小馬鹿にして!何が楽しいんだ!誰が!お前のようになるものか!!!」

「さぁ・・・どうだろうな。
 私はこれまで、多くの男と出会って来た。そして戦士が行き着く結論には、いつも"力への渇望"があった。
 今のお前に、私は理解できまい。だが、お前が望まずとも行き着く先は同じだ。」

「うるさい!!!」

 自分と、目の前の男が同じであるなど断じて認めない。
 力よりも大切な物は必ずある。そう信じている。だからこそ、認めるわけにはいかないのだ。

「力を否定する権利を持つのは、誰よりも力を追い求めた者にのみ許された特権だ。
 その点、お前は努力したか?お前が賭博に金と時間を注ぐ中でも、他の戦士は鍛錬を積んでいるぞ。
 一つでも技を覚え、一つでも技を極め、一つでも技を考える。それでこそ、最強に至る道は開かれる。お前には、その心構えが無い。」

「言わせておけば!」

 体が完全に回復した征夜は、勢いよく走り出した。
 彼の理屈を否定するには、自分の持つ最大の一撃を叩き込む他ない。肉体が人間であり、使える技も自分と同じ。それならば、今度こそ効くはずなのだ。

「食らえっ!!!」
<<<刹那氷転!!!>>>

 男の間合いに入った征夜は、再び亜音速の一閃を放った。
 生物を細胞から破壊し、確実に死滅させる技。これが直撃すれば、確実に人間を殺せる。

 たしかに、セレアには効かなかった。ただ、それは彼女が悪魔であったから。征夜は両親ともに人間であり、彼の肉体も人間だ。
 前回、男にこの技をキャンセルされたのは、背後から吹き出した突風が原因である。しかし自分には、あの技は使えない。

 ただし、この技を防ぐ方法が一つだけある。
 それはある意味で、征夜に出来る唯一の対抗策だ。

<<<刹那氷転>>>

 男は静かに呟いた。流れるように刀を振るい、流線形の軌道に斬撃を乗せる。
 同じ技をぶつけ、正反対に弾き合えば、技の直撃は回避出来る。これならば、征夜にも可能な回避方法だ。

 だが、征夜はそれすらも読んでいた――。

<<<秘剣・燕返し!!!>>>

 刀の軌道を直角に曲げ、男の首を狙う。
 鍔迫り合いになれば、負ける事を理解していた。何故なら、同じ体でも相手の方が上手く使えるからだ。
 だからこその変化球。最後の一押しとして、トオルに教わった奥義を込める。

 ある意味で、これは正攻法ではない。だが、征夜にはこれを躊躇う理由が無い。

(これが勝負なんだろ!アンタにとっては!!!)

 男が言ったのだ。勝つことが重要だと。決して卑怯では無い。これは一般的な戦術なのだ。
 男の鼻を明かす事が出来て、征夜は満足だ。これならば勝てる。そう思った。



「悪くない。だがやはり、鍛錬が足りんな。」

「えっ?」

ザシュッ!!!

 征夜の足元に鮮血が飛び散った。頸動脈からの出血が、地面を赤く染め上げる。

「うわぁぁぁぁぁッッッッッ!!!!!」

 激痛と恐怖で思わず声を上げる。
 勝利を確信した安堵との落差で、死の体感が木霊する。

「ぐあ”ぁ”ぁ”ぁ”ッッッ!!!!!!あ”ぁ”!!!」
(や、ヤバい!首!首がッ!!!首を斬られたッ!!!ま、マズい!マズいマズいっ!!!どうすれば良いんだ!!!???このままだと死ぬ!)

 冷や汗と出血が止まらず、完全なパニックに陥る。
 修行で瀕死に陥った事はあったが、実戦で死を実感したのはこれが初めてだ。

 何故、自分の首が切り裂かれているのか、征夜には分からなかった。しかし男には、そこに彼の弱点があると悟っていた。

「燕返しは素晴らしい技だ。刹那氷転から繋げるのも、決して悪くない。
 だが、今の斬撃は鈍すぎる。それだけの隙を晒すのは、敵に"斬って下さい"と望むようなものだ。」

 そう、どれほど速い技でも相手の方が速ければ意味が無い。"当たれば死ぬ"剣道で、"当たっても良いから"は存在しないのだ。
 その点は、鍔迫り合い以前の問題である。征夜は既に、認識からして男に負けていた。

「まだ終わらせんぞ。立て小僧、お前にはもっと痛い目に遭ってもらう。」

 男はそう言い、ザックリと切り裂かれた征夜の首に回復薬を振り掛けた。
 止めどなく溢れ出した血流を補完するように、温かい波動が全身に伝わる。

「はぁ・・・!はぁ・・・!お前の・・・目的はなんだ!俺を痛めつける事か!?」

「あぁ、そうだ。お前に、死にたくなるほどの恐怖と苦痛を与える事が、私の目的だ。」

 男は微塵も否定しなかった。自分の目的は征夜を嬲る事であり、そこに見当違いは存在しないと示している。
 だがそれ以上に、男は征夜に対して聞こうと思っている事があった。

「ところで、お前は何か気付かないか?」

「・・・何がだ!」

 怒り猛っている征夜は、大声で叫んだ。それに対し男は、少しも動じずに言葉をかける。

「お前、死んでないだろ。」

 それは、あまりにも突飛な発言だった。
 これに対して征夜は、溜め込んだ怒りを爆発させる。

「あぁ!お前が回復してくれるおかげでな!・・・・・・ハッ!?」

「気付いたか。」

 征夜は叫び終えてから気が付いた。この状況が、普通に考えてあり得ない事を。
 男は自分と同じ体で、同じ技を打った。それならば、明らかに矛盾している事象が発生している。

「お前は今、"刹那氷転を使えない"。」

 認めたくない事だが、紛れもない事実であった。
 そうして征夜は、自らが如何に弛んでいるかを、身を持って実感させられたのだ――。

「そ、そんな・・・!」

「お前の肉体は、明らかに劣化している。私ですら、お前を即死させられないほどにな。
 精神力や技量では補完出来ないほど、お前は弛んでいるのだ。」

 チクチクと心に刺さる言葉を、男は征夜に向けて乱射する。
 自分の技に圧倒的な自信があるからこそ、"即死技の直撃"を以ってしても、人間を殺せない現状の征夜を貶める事が出来るのだ。

「で、でも!アンタは!俺の体を上手く使えてないだけだ!」

「もう分かっているはずだ。同じ体でも、私の方がお前の何倍も強い。・・・そうだ、良いものを見せてやる。」

 男は当然だと言わんばかりの口調で言い切った。そして、それを証明する準備を始める。
 全身を使って深呼吸し、指を前方に突き出し、目を瞑って気合いを集中し始めた。

「何をする気だ?」

「お前の持つ本当の力。鍛錬を疎かにしたお前が、本来なら得ていたはずの力を見せてやる。」

(何だか分からないが、かなりヤバい!!!)

 征夜は男の周囲に集まる、明らかに異常な唸りを体感しながら、一目散に駆け出した。
 どんな技を使うのか、自分に何を見せるのか、それは微塵も想像できない。しかし、当たればマズい事は分かる。

「逃がさんぞ吹雪征夜。」

 男は征夜の方に向き直ると、逃げ出した彼の背に向けて照準を合わせる。人差し指の角度を調整し、これから放つ弾丸の軌道を補正する――。



<気導弾>

パァンッッッ!!!

(気導弾!?あの技は、威力が低すぎて・・・へっ?)

 軽快な炸裂音が響き、男の指先から高速の気圧弾が射出された。
 その技名は、明確に記憶している。つい先日も、ラースの狙撃に使用したのだ。ただ、威力が足りずにトドメを刺せなかった。

 しかし、今回は何かが違う。
 征夜の放った"フワフワとした玉"ではなく、"高速回転しながら迫る弾"が男の技だった。
 直線上の軌道をズレる事なく、無色透明な弾丸は加速する。そしてそれは、征夜の肩甲骨に着弾した。

「ぐぉ"ゔわ"ぁ"ぁ"ぁ"ッッッッッッ!!!!!!」

 風の弾丸は肩甲骨では防ぎ切れず、肩の中に潜り込んだ。肉を引き裂きながら内部へと侵入し、"右腕を縦巻きに貫通"する。
 血管はブチブチと千切れ飛び、内部から圧迫された腕は悲鳴を上げる。直後に右手首を貫通して飛び出した風圧は、地面に当たって弾けた。

「どうだ。これが、お前の持つ本当の力。お前が鍛錬を積んでいれば、使えたはずの技だ。」

 もはや、疑う余地は無い。男の方が圧倒的に、自分よりも器用な技を使う。
 だからこそ、刹那氷転を使えなくなった落ち度は、全て自分にある。

「み、認める・・・。」

「聞こえないぞ。回復して欲しいなら、もっと腹から声を出せ。」

 男は意地悪く言うと、つま先で征夜の顎を持ち上げた。
 屈辱と怒りに塗れた征夜は、激情を抑えながら叫ぶ。

「認めるさ!俺は修行をサボってた!だから、お前には勝てない!!!」

「よく言えたじゃないか。えらいぞ。」

 犬を扱うように征夜の頭を撫でると、男は炸裂した腕に回復薬を振りかけた。
 飛び散った肉片と血液が寄り集まって、元通りの腕になる。

「アンタ・・・何が目的だ・・・!」

「お前に天誅をくれてやろうと思ってな。」

「いいや違うな!そんなに俺を恨むのは、何か理由があるはずだ!答えろ!本当の目的は何だ!」

 征夜の思考はついに、現状の核心をついた。

 目の前に立つ男は、ただの剣士ではない。宇宙最強の剣士だ。
 だが、どうしてそんな男が自分に対し、これほどまで痛め付けるのか。ただの遊びとは思えないほど、一撃一撃に"怨念"が篭っている。

「言え!ここに来た理由は何だ!俺に何を求めてる!」

 征夜の叫びが暗い路地裏に響き、市街地を木霊した。
 見上げながら睨み付ける顔には、鏡合わせの怨嗟が映る。

「その程度の力で、楠木花を守れると思うか?」

 ポーカーフェイスな仮面が外れ、憎悪と言う名の本音が噴出した。静かな怒りが暴発し、征夜を矢のように突き刺す。
 男は征夜の襟を掴み上げ、右頬を全力で殴る。衝撃で吹き飛ばされた征夜は、石畳の地面に転がった。

「は・・・な・・・?」

 脳震盪を起こした征夜は、揺らぐ視界の中で反芻する。
 この男は確かに、花の名前を叫んだ。ならば、目的は花なのか。

 男は再び征夜に回復をかけ、再び嬲る準備を始める。
 その前になってようやく、男はその名を明かした。

「我が名は・・・""・・・。超神界を統べる者だ。」

~~~~~~~~~~

「オデュッ・・・セウス・・・?超神界・・・?」

 征夜には、どの言葉も理解できなかった。
 試しに口に出してみるが、聞いたことのない言葉だ。

「呼び方は自由だが、多くの者は"テセウス"と呼ぶ。
 神の名など、どれも同じような物だからな。」

 困惑する征夜をよそに、男もといテセウスは自己紹介を終えた。そして、淡々と自らの目的を語り出す。

「私の目的は"楽園"を作る事だ。そして、その為には"彼女"が必要不可欠だ。」

「彼女・・・花の事か!!!」

 征夜はようやく、話の筋が見えてきた。
 彼の目的は花であり、自分への説教はその過程に過ぎないのだと。

「いかにも。私の計画には、楠木花の存在が不可欠でね。」

 男は悪びれもせず肯定する。

「答えろ!花をどうする気だ!彼女を使って、何を企てている!!!」

 征夜は答えを書くよりも早く、刀を構えて走り出した。
 問答無用だ。彼女の事を利用する気なら、この身に代えても相手を殺す必要がある。

 死を恐れる気持ちも、勝負に勝つ気もない。
 ただ相手を殺し、花を守る。ただそれだけの為に、体が自然と動いた。

カッシャーンッ!!!

 鬼の形相で繰り出した斬撃は、テセウスによって阻まれる。だがすぐに、別の一閃を加えて追撃する。

「動きが良くなった。いや、本領を発揮したのか?」

 嬉しがっているのか、もしくは嘲笑っているのか、それは分からない。ただ分かるのは、満面の笑みを浮かべている事。
 テセウスには、まだまだ余裕がある。自分は軽くいなされている。そう思った時、征夜は本能で技を放った。

<<<雹狼神剣・金剛霜斬!!!>>>

 もはや、準備のための五段階は必要ない。
 空中で旋回しながら発動させた奥義は、既に完成形の形を取っている。
 四方八方に飛び散る氷柱と、合間を縫うようにして展開される水蒸気爆発。
 地面には大穴が開き、巻き上がる風の渦によって旗めいた街路樹が、その中央へと引き込まれる。

「食らえぇぇぇぇぇッッッッッ!!!!!」

 征夜の全身全霊が炸裂し、男を取り囲んだ。しかし男は、避ける素振りもない。
 テセウスは征夜の姿のまま。即ち、金剛霜斬が直撃すれば、致命傷は免れない。それなのに、その場から一歩も動かない。

 ただ一つやっている事。
 それは顔前に右手を出し、指と指を不思議な形に組み合わせる。ただ、それだけなのだ。

(行っけえぇぇぇッッッ!!!!!)

 征夜は心の中で、勝利を望む雄叫びを上げる。
 全身の血管を酷使し、金剛霜斬の威力を少しでも上げようと奮闘する。



 だが、それは僅か1秒で覆された――。



<<<時流之宮城しぐるのみやしろ>>>

 何が起こったのか。征夜には分からなかった。
 竜巻の勢いが収まり、大気の唸りが減速する。思考だけが暴走し、世界が取り残されている。

(これは一体!?)
「こ・・・れ・・・は・・・い・・・っ・・・た・・・い・・・!・・・?」

 発しようとした声と、言葉が伴っていない。
 まるでスローモーションになったように、音声が置き去りにされている。

「ようこそ、私の"世界"へ。」

 体がほとんど動かない征夜の元に、無表情なテセウスが歩み寄って来る。周囲に纏った竜巻は、もはやバリアの意味を成していない。

「き・・さ・・・ま・・・な・・・に・・・を・・・!」

「この世界の時間の流れを、4分の1にした。もっと遅くする事も可能だが、お前にはこれで十分だ。」

パチーンッ!

 テセウスが指を弾くと、征夜を守る竜巻が霧散した。
 重心のコントロールが効かなくなった征夜は、ゆっくりと尻もちをつく。

「この世界の住人は、現状に気付いてない。
 4分の1の流れを、4分の1の感覚で味わっているからな。時計の針を見ても、何の違和感もあるまい。」

 テセウスは尻もちをついた征夜を強引に立たせ、壁に向けて投げ付ける。
 だが、スローモーションで進んでいるので、すぐには激突しない。

「本当の世界を見ているのは、私とお前だけだ。
 ただし、"あの娼婦"は異変に気づくかもな。まぁ、気付いたところで出来る事など無いが。」

(セレアさんの事か!?)
「セ・・・レ・・・」

「あぁ、そうだ。時間のうねりを体験した人間は、無自覚にこの世界に入る事がある。
 特に悪魔は、奥義として時間操作を使えるからな。淫魔も例外じゃない。
 それ以外の人間には、私が"通常の4倍"で動くように見える。」

 男は淡々と話すが、征夜には理解できない。
 そして何より、これから何が起こるのか分からない。

(俺をどうする気だ!)
「お・・・」

「最後の仕上げだ。その体に焼き付けてやる。"宇宙最強の奥義"をな。」

 男はそう言うと、天に向けて刀を構えた。
 身動きを取らない征夜は、それを見つめる事しか出来ない。

「忘れるな。私の名前はオデュッセウス。
 思い出せ。私とここで出会った事を。」

 そして一呼吸を置いて、透き通るような声で魂に語り掛ける。

<思い出せ、そして忘れるな。お前の幸福は彼女と共にしかあり得ない。>

 テセウスの声は、魂の底に刻まれた。
 目を瞑ると笑っている花の顔が浮かび、耳を澄ますと彼女が笑っている気がする。

(あぁ・・・僕は・・・今まで何を・・・。)

 涙が自然と溢れてきた。
 コインゲームに興じ、トランプにハマり、酒を飲み、意味もなく初対面の男を敵視する。
 これまでの全ての愚行が、自分を好きになってくれた彼女に対する、許されざる冒涜な気がしてならない。

(やってくれ・・・。)

 征夜は手を広げ、まるで介錯を受けるかのような気分になった。
 恐らく、この技がこれまでで一番痛いだろう。だが、それを以って生まれ変わろう。
 もう一度、転生した頃のように純粋な気持ちで、鍛錬に励んでみようと思ったのだ。

<空間を絶ち、時を絶ち、理を絶つ・・・。>

 彼は静かに詠唱し、究極の奥義を発動させた――。



<<<三源斬みつみもとのぎり>>>
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