『無頼勇者の破王譚』〜無能社員だった青年は、異世界で精鋭部隊を率いる~

八雲水経・陰

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第九章 反逆の狼牙編

EP266 今、やるべき事 <☆>

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「…………///」

「…………///」

 手を繋ぎ、無言のまま歩む。

「何か……話そ?」

「あっ……うん……///」

「…………///」

 頬を赤らめた花が、恥ずかしそうに身を寄せた。
 征夜の方が、か弱い女子のように返事をすると、花はまた黙ってしまう。

「まだドキドキする?」

「君は違うのかい?」

「それはその……///」

 一生懸命に花が話しかけると、征夜の何気ない切り返しによって、返り討ちに遭う。なかなかガードが崩せない。

「思ったより、上手に出来ないね……。」

「迫力が凄いから、そのまま流されると思った……。」

「迫力だけだよ……///
 すごく緊張しちゃった……。」

 イヤらしい女だと思われている。
 その認識を肯定も否定もしないまま、頬を赤らめるばかりだ。

「もう少し……密着しても良いよね?」

「……良いけど。」

「……えぃっ!……ぁ、やっぱりダメかも……///」

「…………///」

 ニットの胸元が、二の腕に押し当てられる。
 女児のように覇気の無い征夜と、右往左往するばかりの花。交際1年を超えた成人済みの男女とは思えない、情けない姿だった。

「…………元気になれっ。」

「やめてくれ花……///」

「…………元気になった?」

「もうなってる……!」

「そぅかなぁ……。」

「…………。」

 ジーッと、花はゆったり目を細める。
 「あやしー」と言わんばかりに、征夜を見つめている。その表情は可愛いが、侮れない威力も持っていた。

「本当にこれで良いのかなって……思ってさ。
 今するべき事って、こんなふうに休む事なのかな。 
 今この瞬間も、何か出来ることがあって……それをしないと、置いて行かれる気がする。」

「誰に置いて行かれるの? 誰もアナタを置いて行ったりしないわ。」

「それは……。」

 花は――急に
 征夜が迷った時、花はいつも道を示す。
 正しい道へと、必死にエスコートしてくれる。

「成るべき姿……とか。」

「成るべき姿?」

「説明は難しいけど……レースゲームの、タイムアタックみたいなイメージかも。
 最速の残像を追って、みんなタイムを縮めていく。 それなのに僕は今、コースを外れているような」

「それは錯覚だよ。」

「錯覚?」

「征夜はこのままで良いって、もう決めたじゃない。」

「っ。」

 たしかに、その話はもう終わった。
 征夜にとっても花にとっても、それはもう過去の話題だった。

「けど僕は、やっぱり違和感がある……のかもしれない。 花……もしかしたら僕は、もっと他に……。」

「考えすぎだよ。 征夜は真面目だから……」

「ぅん……そうかも……でも……」

「でも、じゃないよ? そう言うところが真面目すぎて」

 何を言っても、花の優秀な頭脳には及ばない。それは分かっている。
 それでも理解したい何かがある、そんな違和感を征夜は吐露した。

「どけぇ"! お前らぁ"!!!」

「ッ!?」

 ――しかし、間の悪いことに。周回遅れの思考すら粉砕する何かが、乱入してきたのだ。

「……脱獄か!!!」

 監獄棟と寄宿舎を繋ぐ通路から、怒鳴り声がする。
 会話を切り上げ視線を向けると、男たちがゾロゾロと飛び出して来た。身に纏う白と黒の服が、彼らを囚人の身分だと示していた。

 よく目を凝らして見てみれば、それは先刻征夜が捕らえた男たちである。
 懲りる事なく脱獄し、声を張り上げ暴れている。その姿に反省の色は見えない。

 そんな彼らにも、身一つで逃げ出さない程度の知能はある。身分保証の盾となる人質を、抜け目なく確保していた。

「リリアナ!」

「す、すみません……捕まってしまいました……んぎゅ"……ぅ!」

 羽交締めにされ、首を絞められている。
 殺される雰囲気ではないが、解放される気配も無い。

「待っててリリアナさん! すぐに人を、ッ!」

 助けを呼ぼうと駆け出した花の背後で、凶悪な気配が立ち昇った。
 憎悪と憤怒、暴力の塊のような何かが、琥珀色の目を血走らせて立っている。その正体が恋人だと気付くまで、花は一瞬戸惑った。

「待って…………征夜ッ! ダメッ!」

 制止を無視し、征夜は飛び出した。
 刀を抜く事すらせずに、花の頭上を跳んで超え、壁と天井を蹴り進み、あっという間に囚人群へと到達する。

 人質の身が危ない、盾にされて傷つけられる。
 人質を盾にして、この場を切り抜ける。
 花と脱獄者の間で一致していた状況認識、その判断が肉体に届くよりも速く憤怒の拳が炸裂する。

「ごぼぉ"ッ!!!」

 脱獄の主犯が、血を吐きながら吹っ飛んだ。
 みぞおちにめり込んだ拳の圧に押し出され、廊下の突き当たりに叩き付けられる。
 上司の敗北を察した部下が、慌てて凶刃を振り上げる。リリアナの首を狙う一閃が、刹那の軌道を描き――直撃の寸前で阻まれた。

 盾を失った罪人たちに、容赦の無い制裁が打ち込まれていく。

 飛び蹴り、回し蹴り、背負い投げ、殴打、殴打、殴打、殴打、殴打……。
 華麗から乱雑へ、次第に変貌する征夜の攻撃。しまいには単調な殴打が繰り返され、その姿は正義の執行よりも悪鬼のに近かった。

「この……ッ! この"……ッ! ごの"……ッ! ごぉ"……ッ! ごっ"ぉ"……! ぉ"お"……ッ! ぉ"お"……ッ!」

 「この野郎」と言いかけた声帯が、怒気で膨張した血管に遮られ、最後まで音を吐き出せない。
 次第に泥が混じっていき、最後には狂犬の嘔吐にも似た、極めて醜悪な音声に変わった。もはや、人間の口から吐き出される言葉とは言えない。奇声ですらない。

 頭の中がチカチカして、とにかく腹が立って仕方が無い。征夜自身、何に怒っているのか分からなかった。
 目の前にいるのは間違いなく悪人だ。なら、殴って良い。奴である。勝手に動く体の方に、後から理屈を付けていた。

「征夜ッ! やめてっ!!! 死んじゃうわ!!!」

「ぁ"…………!?」

「征夜……そんな目をしないで……。」

 馬乗りになって殴るその姿に、花は気圧された。
 上体を起こし、首だけを回して振り向くと、不気味な声しか出て来ない。

 涙目になって憐れむ花の視線は、征夜をようやく正気に戻した。

「はぁ……はぁ"……はぁ……はぁ"……!!!」

 荒くなった息遣いに混じって、シュラララララと肺から空気が抜ける音。
 正常な呼吸が保てないほど上気した、怒髪天。血走った眼と加速した心拍、握り締めた親指の爪が食い込んで出血した掌。アドレナリンで誤魔化されていた痛覚と不快感が、一気にのしかかって来る。

「ぅ"……ぐぅ"……ぉ"え"っ……。」

 興奮と酸欠で胃が痙攣し、中身が逆流する。
 廊下の隅に吐瀉物を漏らす征夜の背を、花は優しく撫で摩った。

「はぁ……はぁ……ごめん……落ち着いた……。」

「大丈夫……大丈夫……私がいるから……。」

 花は、すっかり元の花に戻っていた。
 征夜の歳上の花。頼り甲斐のある花。――に、戻っていた。

「怪我は無い? リリアナさん。」

「大丈夫です。 助かりました……。」

 息も絶え絶えなリリアナを介抱し、怪我の有無を急いで確認する。
 流石は医療従事者だと、もう何度目かも分からない感心を征夜は抱いた。

「人を呼んだわ。 貴方達はまた逮捕される
 これに懲りたら、知ってることは全て喋りなさい。」

 血を流して倒れる男たちに、花は毅然と言い放つ。先ほどとは打って変わって、その姿は限りなく頼もしい。

「なんだか……少し……スッキリしたよ。」

「人を殴って、心が落ち着いたの?」

「…………そうじゃないと、思いたいけど。
 でも、アイツらを倒すのは悪いことじゃないだろ?」

「それは……。」

 征夜は、頭のモヤが晴れたように爽快な気分だった。
 しかし傍らで見る限り、むしろ真逆。脳が破壊衝動に侵されていたとしか思えない。
 花はそれが心配だった。

「悪い奴を倒すと、自分が肯定されるような気がする。 これは正しい事なんだって、自信が持てて……安心した。」

「きっと、疲れているのね。……たくさん、酷い目にあったから。 たらい回しにされて、迷うことに疲れてしまったのよ。」

「そう……かもね。」

 何が正しいのか分からない。そんな経験が多すぎた。
 選択の度に間違えて、考えるのが嫌になった。だから、絶対に正しいと思える事をしたかった。
 征夜自身、自分が強い事は分かっていた。力を発揮して悪を罰している時だけは、自分を肯定できるのだ。

「おいで。」

「うん……。」

「もう寝ましょう。……これ以上、ここにいるべきじゃないわ。」

 ギュっと抱き寄せられて花の胸で深呼吸すると、心の底から安心した。
 抱かれる方も、抱く方も、何も恥ずかしくない。ごく普通の行為として受け入れている、その安定感が嬉しかった。

「アナタは今、とにかく休むべきよ。……分かった?」

「ぅん……。」

 やはり花は大人で、自分よりずっと成熟した女性なのだ。――この数時間の違和感が「気のせい」なのだと分かって、征夜は安堵した。
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