遊羅々々うらら

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007話 黄昏は暗雲の下

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やがて会好も起きて、瑞々しい朝が花ひらく。
「じゃ、火奴羅。行こうか。」
「え、どこに。」
会好に連れられて行くと、村の真ん中、広場に着いた。森の中でもここだけは、開けて日が晴れやかに差している。
「わあ。」
村の者達が一堂に会して、なにやら忙しそう。
「あれは何を?」
「朝ごはんを作ってるよ。」
見ると、水を沸かす者、食材を切る者、椅子や机を拭く者。
(そうか、この村では皆が集まって食事をするのだな。)
会好と火奴羅が近づいてゆくと、昨日の奏、散星が一緒に飛んで来た。
「会好、おはよっ!」
「あら、火奴羅も一緒にいるのね。」
仲の良い少女は、朝から気のよい笑顔をする。
「うん、おはよう。」
「どうも、よい朝で。」
すると、そよ風と共に、甘く爽やかな香り。
「散星、奏、料理は。」
散星は腰を折って後ろを見た。
「うん、もうできると思うよ。」
「ふーん、そう…。」
会好は片手を握って小さな顎に当て、ちらと火奴羅を見た。彼女がにっと笑うと、火奴羅も同じように笑った。

やがて料理が出来たようで、会好と火奴羅がいくつかあるうちの一つの卓を囲んで座る。皿を二つずつ持った奏と散星が来て、その前に座り、皿を並べた。
「さあ、どうぞ。」
散星は火奴羅の隣にいた。
「わあ、ありがとう。」
火奴羅は手を合わせて笑った。
「ありがと、奏。」
奏は会好の隣にいた。
「どうかな?会好。これ私作ったの。」
4枚の皿に盛られたものは、なにやらすこし大きめの果実を二つに切ったその半分が、植物油で軽く火を通された料理だった。糖の焦げる、香ばしく濃厚な香りが、甘酸っぱい果物の香りに乗って、とてもおいしそう。
「いただきまーす。」
見渡すと、村の者達は各々好きなところに座って食事をしている。賑やか、まだ知らない顔もあって、ときめきを感じさせた。
「うん、美味しい!」
会好は元気に声をあげた。
「そういえば火奴羅ちゃんは、昨日は会好の家にいたの。」
奏は勢いよく料理を頬張りながら、一生懸命に話す。
「ええ。」
「へぇ、どんなこと話したの。」
散星は飲んでいた水を置いて一声。会好の身体が、またぴくりと動く。
「え、えっと…。」
「私の旅の話。」
会好ははっとして、火奴羅の方を見た。火奴羅はちらっと目を合わすだけ。
「えーっ、どんな話?」
「私も聞きたい!」
奏と散星の目がきらっと輝いた。

「そう、あれは確か、私が今の半分くらい、小さかったころ。」
火奴羅はゆっくりと話し始めた。
「私は今、この村の外、果てしなく広い大地にて暮らしています。ただ、かつて私はその大地の彼方、そのまたさらに遠くの、海を渡った別の大地にいたんであります。」
「うみを渡るって?」
散星が訪ねた。
「この村では、どこで水を採ります?」
「あそこだよ。」
奏が指差すと、その先、家と木々に遮られて見えにくかったが、かすかに湖のようなものが見える。
「あの池で取るの。」
「では、あの池は、この村の中にあるもの。」
「うん、そうだけど。」
「ただ、この大地は…、この世界には、実に巨大な水たまりがあって…。それはこの、果てなく見渡す程の広大な大地でさえも、小さく包んでしまうものなのです。…ちょっと大きすぎますね、規模が。」
会好、散星、奏は静かに聞き入っていた。
「そいで、その水のかたまりが、海。海を渡るとは、とてもとても遠くへ行くこと。別の大地へ行くこと。それは、別の世界へ行くこと、とでも云うべきことなんです。」
すこし間をあけた。
「そこでは流れる風が違います。暖かさも、昼の長さも違います。言葉も…、ま、大体は一緒ですけど、ちょっと違ったりします。…私は昔、こことは確かに違う世界にいました。」
木の葉が一枚卓に落ちた。見向きもされない。
「私は昔、修行のためにその場所に行きました。故郷が遠くて、世界が違くて…、私は云いようのない孤独を味わいました。」
火奴羅は料理を一口。そして続けた。
「そんで、ある日私は、ある一体の少年に出会いました。その少年も修行の途中。当然のように、私達は戦いを始めたわけです。強い男でした。地を駆け、空を舞って、何百、何千と拳を交わした。でも結局その日は彼を倒せませんでした。」
その目の澄まし具合は、話の中身と噛み合わない。
「その後も幾度となく戦って、それでも倒せなかった。どんなに自身を鍛えても、どんなに運が味方しても、寝ずに必勝法を考えても…、それでも奴は軽く超えてくる。何度も死に際まで追い込まれました。腕を折られ、体を焼かれ、顔をにじられました。悔しかった。悔しくても悔しくても、勝つことができなくて…、それが多分、一番悔しかった。」
彼は残った料理をささっとかき込んだ。
「結局、私は彼を倒すことが出来ず…、またここに帰ってきました。着いた日、夢を見たんです。奴の夢でした。同じ殴り合い蹴り合いの風景だった。次の日、私は切なくて泣いた。目の前に奴が居ないだけで、私は…。なんでしょうね。また逢いたいと思ってしまった。」
彼は残り水をすする。
「なんでしょ、だから…、違う世界で誰かに会うと云うのは、どんな形であれ…、素敵なことなのだなと、私は…。思ったのかも。」
少し考えたような口調をしたあと、火奴羅は袖深くして、悪戯に戯けて見せた。
「どう?ごはんのお供くらいにはなったでしょ?」
「はぇ、なんか…。不思議だね!」
「いろいろあるのねえ。」
散星と奏は目を輝かせた。会好も、同じ。

食事を終えた村の者たちは、一斉に池の方へと飛んで行った。
「いこ。私たちも。」
会好が火奴羅の手を引く。
やがて池というのが見えてきた。陽の光を反射しているのか、黄金色に輝いて広い。水面に波が煌めいて、春の夜の星の瞬きのよう。
「なんと…。」
池の中央、その上で素早く飛び交う二つの陰。
「火奴羅も行ってみたら。」
また会好は火奴羅の手を引いた。近づくと、芽果と秋河であった。
「芽果!秋河!」
会好が手を振ると、ぴたり、彼女達が止まってこちらを見た。
「よう!会好と火奴羅じゃないか。」
「現れやがったな、火奴羅!」
芽果は素手、秋河は先日背負っていた木の棒を、今度は手に握って居る。
「おはよございますっ。」
「芽果と秋河はいつもここで遊んでて、みんなが見に来るの。楽しいよ。」
「わー。たのしみ!」
「会好、どいてな!火奴羅!昨日の借り、今こそ返してくれる!」
「あら…。それでは、お相手致しましょ。」
「あたしもやるぜ!」
「火奴羅、頑張ってね。」
「はーい!」
かくして、三体の修羅バトルロイヤルの火蓋が切られた。

「いけーっ、秋河!」
「芽果、頑張れ!」
観客は、会好の他には、宴戯、灯楼。
「師匠!師匠ー!」
鳴夢。
「わーっ!火奴羅ちゃん速い!いけいけーっ!」
「芽果ぁ!やれやれ!」
そして奏、散星。
「であーっ!」
「だぁっ!」
本気で打ち合っている芽果と秋河。火奴羅は少しずつ腕を見せ始めた。
「はあっ!」
「やあっ!」
芽果と秋河の同時攻撃。火奴羅の目には少し遅い。見切り急上昇。まるで祝砲のよう。
「ああーっ!速いな!」
「いくぜーっ!」
もう一度彼女達の攻撃。火奴羅はぴたりと空中で止まった。
「とうっ!」
同時に手刀で素早く払う。そしてまた同時に、額を指突。
「うわっ!」
「あっ!」
瞬時に身体を翻して離れる。怯む両者。身体返して突撃の構え。
「火奴羅さん…。」
迫る気配。
「はいっ。」
火奴羅は瞬時に振り向いた。
「わっ!」
火奴羅の急な動作に驚いて声をあげたのは、揺陽。
「あ、ごめんなさい。」
「ひっ…、火奴羅さん。」
揺陽が来たのを見て、芽果と秋河もすこし止まった。
「火奴羅さん。ちょっと、こちらへ。」

揺陽は、自分の家に火奴羅を案内した。
「なんでしょう。」
「ちょっとお話が。」
卓を挟んで座る両者。先の喧騒とは無縁の、やはり穏やかな部屋である。
「火奴羅さん。昨晩はどこに?」
「ええ、会好の家です。」
「そうですか…。」
揺陽はティーカップに水を入れ、火奴羅に差し出した。
「あ、どうも。」
「火奴羅さん。今日は私の家に泊まりなさい。」
「えっ、はぁ…。」
火奴羅は戸惑ったような声をした。
(なにかいけなかったかしら…。)
「それじゃあ、私また外に行ってきます。」
「いいえ。」
揺陽の口調が強い。心なしか。
「長旅でお疲れでしょう。昼まではゆっくりして下さいな。」
「あ、はい…。」
窓の外は、きらめきの笑声が飛び交っていた。

「火奴羅さん。昼食の用意が出来たようです。行きましょうか。」
「はあい。」
朝とはまた違った良い香り。
火奴羅は料理を取る前に、ふらふらと少し彷徨った。
「あれ。会好が見当たらないな…。」
「火奴羅、さっきはどうした?」
上から秋河が降ってきた。
「いえ、ちょっと揺陽さんとお話を。…ところで会好の場所を知りませんか。」
「会好?知らないな。」
「そうですか…。」
「ま、いずれ来るだろ。なことよりさ、火奴羅、飯にしようぜ。」
「え、ええ…。」

「ふう、食った食った。」
秋河は食事を終えると、大きくあくびをする。
(会好来ないな。…揺陽も居ない。なんだろう。)
どやどやと後片付けの景色が、遠く見えた。
火奴羅は急ぎ皿を片付け、ひゅんと空に舞う。
(会好は…。あ、あれか。)
村のはずれ、森の中に会好を見つけて、急降下。
「おうい、会好。」
「あっ…。」
呼びかける火奴羅。対し驚く会好。そのはっとした顔に、頭が痛くなる。
「…!」
火奴羅が着地した頃には、会好の姿はもう無い。
「会好…。」
静かな森に、彼の声がふわっと溶けた。

(なんで…?)
池に戻ると、いくらか村の者たちは居たが、やはり会好は居なかった。
村に戻っても同じ。
(…分からない。でもあの目は確かに私を避けていた。)
火奴羅は村を出て、また池に向かった。散星と奏が遊んでいる。
「奏、散星。」
「ああ、火奴羅。」
「火奴羅ちゃん。あれ?どうしたの。」
変わり気ない顔。
「会好を知りませんか?」
「さあ、ここにはいないけど…。」
「火奴羅と一緒にいるもんだと思ってたわ。」
「見当たらないんです…。どうしよう。」
目が痛む。
「私、もう一度探しに行ってみます。」
(分からない。結局、私は…。)

それから火奴羅はまた池に行った。そして村に戻って、村中をくまなく探して、また池へ。くり返すこと、やがて日が暮れた。
(あー…。)
もう誰もいない池のほとりに、彼は一人腰掛けた。
(わからない。何も見えない。何も聴かない。嫌だ、嫌…。)
夕焼け、杏色の水面に、朝より強く光が反射して、きらきら、激しく瞬いた。その情景はいたいほどに澄んで美しい。
(やはり他人の気持ちなど…、知ったことではない。私には分からない。あー…。)
やがて空に青色が差し、再び、宵が来る。

村。ちょうど夕飯が出来ているようで、衆は既にちらほら席について居る。火奴羅は木々の中、枝葉に隠れるように村を伺った。
(…いないか。)
目を凝らすと、揺陽の姿。いくらかある卓のうちの、一つに座って居る。
(揺陽さん、昼からいなかったな。)
重く痛む頭を抑える火奴羅。
(…?何か知っているかしら。)
刺さる枝先知らず、火奴羅は落葉を纏いて直線に飛んだ。
「揺陽さん…!」
「ああ、火奴羅さん。」
揺陽は至極平然として居る。
「はい、どうぞ。」
「あ、どうも…。」
揺陽は火奴羅に皿を差し出した。受け取る火奴羅はどうするでもなく、正面に座る。
揺陽が料理を食べ始めたのをみて、火奴羅も少しずつ、料理を口に運んだ。
「揺陽さん…。」
自身の声の気のなさに、火奴羅はどきっとした。
「揺陽さん。会好がどこにいるか知りませんか?」
「会好なら、お家にいるみたいだよ。」
振り向くと、散星が居る。
「さっき会好の家に見に行ったの。」
「そうですか、ありがとう…。」
火奴羅は少しだけ微笑んだ。
「散星、奏が呼んでいますよ。」
「え?は、はーい。」
散星は去っていった。奏の姿は見えない。
「火奴羅さん。」
揺陽は深刻な面持ちでいた。
「会好は、実は無愛想で、臆病な子です。あまり関わらない方が良い。」
「え…。」
「誰かと関わるのが苦手なんです。だから…。」
哀願するような声。
「ええ、分かりました。」
火奴羅はさらりと云った。

夕食を終え、火奴羅は揺陽に連れられ家に向かって歩いた。
「ごめんなさいね、さっきは突拍子のないことを。」
「え、ええ。」
「でも、会好のために言ってるんです。わかってほしい…。」
「大丈夫ですよ。」
火奴羅は空を見上げてみせた。
「見てください。美しい夜空。」
揺陽はすこし驚いた顔をする。
「夜空がお好きなのですか。」
「ええ。…不思議ですか?」
「い、いえ…。」
「私、空を見に行ってきます。」
ふわっと、火奴羅は舞い上がった。
「私の家からも、見えますよ。」
「木の上から見る夜空は、より美しい。」
そして、彼方へ。

時を戻すように、火奴羅は森の入り口へ飛んだ。いつか寝たきのこの上。降り立って、そしてあの時のように、傘の上に横たわり、ゆったりと空を眺めた。
(ううん…。もうすこし…。)
月の光は明るく、もう少しで手が届く。
(合点がゆくまで、もうすこし。)
火奴羅は手を伸ばした。手は届かない。夜風はやはり爽やかである。
(そう、さっき会好が消えた時、揺陽さんも消えて、全てはあの時から。)
火奴羅は身体をゆすった。
(そして先程の、揺陽さんの発言。会好が無愛想だと云った。)
風が吹いて、森が火奴羅と共に揺れる。さらさら。
(会好と揺陽、何かあった。きっとそうだ。明日調べよう。)
火奴羅はもう少し揺れた。揺すればさらら、さらさらら。
(諦めるのは早い。会好は人ではない。嫌な思い出は…、取り敢えず置いておこう。)

(そろそろ帰ろ。今日はもう休んで…。)
火奴羅は身体を浮かせた。気配。
(ん。)
身を返して、傘の上にささと隠れた。すると、暗闇から、影が。
(会好!)
火奴羅は目を大きくした。月はやはり眩しい。暗がりに鮮やかすぎるほど、その姿ははっきりと見えた。火奴羅は胸の鼓動がいたく激しくなるのを感じた。
会好はやはりひどく浮かない顔で、ゆっくりと進んで居る。そして火奴羅の居るきのこの横に腰掛け、空を見上げた。
(!まずいな。)
火奴羅はさっと隠れる。
(行きたい…。行って会好と話したい!)
思い出した。昨日の料理の味。綿の寝心地。

(でも駄目…。今行っても、またさっきと同じ。)
火奴羅はそうっと傘に腰掛け、また横たわった。雲はない。星々は赤青緑と、より激しく、より煌びやかに騒がしくささやく。空は時計盤のように青く、いつか見た花火の夜のように、手をかざせば、影になった。
そよ風が冷たい。
火奴羅と会好は、少しの間そのまま、静かに夜空を見上げていた。

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