遊羅々々うらら

H.sark-9

文字の大きさ
上 下
10 / 23

009話 次は、美し丘・広々平野・麗し山

しおりを挟む

眩い光が弾ける。
「眩しいっ…!」
「出口だ!」
そして、歌がふっと消えた。同時に、辺りの光も、一瞬星屑のように散って、消えた。
気づくと、火奴羅はきのこの輪の上に立っていた。輪の中は淡く光っていたが、やがてその光も、消えた。
「会好!着いたよ!…あら?」
火奴羅はぎくっとした。腕の感触が、異様に軽い。
恐る恐る、火奴羅は腕の中を覗いてみる。すると会好の叫び声。
「わあ!火奴羅!?」
火奴羅も会好を見た。
「わ、わ、わ!!会好!」
見ると、会好が小さくなっていた。火奴羅とさして変わらない身長の会好が、今は彼の腕の中に丁度収まる程になっている。
「火奴羅が!大きくなってる!」
「いや会好が小さく!…あれ?どっちだ?」
動揺する火奴羅。そして困ったように笑って見せた。
「ま、まあ、どっちでもいいか、はは…。」

小さくなった会好を抱え、ふわりふわりと洞窟を進む。そして洞窟を抜けると、夜明けの薄暗い青空が、その穏やかな色に染まって柔らかく流れる草原が、果てしなくどこまでも広がってゆくように、火奴羅と、会好の景色をいっぱいに満たした。
会好は、目を大きく見開いた。そしてゆらゆらと飛んで、火奴羅の頭の上で、手をついた。はっと口を開いて、そしてゆっくりと、それは笑顔に代わってゆく。
「ああ…!すごい…!」
火奴羅は膝に手をついて腰を折り、会好を後ろから眺めた。するとその先、遥か向こうの地平線が、きらり、輝いた。朝日。ぱあっと、光が空を鮮烈に彩ってゆく。
(わあ…。すごい。会好の光みたいだ。)

会好は振り返って、ゆっくりと飛んで進んだ。火奴羅も、彼女に続いた。
少しすると、会好がぴたっと止まった。そして振り向いた。
「うん?どうしたの。」
火奴羅は会好を見上げた。
「みて!」
溢れるほどの笑顔が、その顔を満たしていた。
火奴羅の瞳が、一瞬、きらっと輝いた。火奴羅はすこし俯き、睫毛を指でさらりと撫でて、そして、顔を上げた。
「うわあ…。」
火奴羅は目を丸くした。
目を下ろすと、果てなく下る坂。そしてその先に、すこし藍が差した白の岩が点在する、大草原が広がっていた。
「綺麗…。どうして…?」
陽の下は、いつも静かである。
「…ね、会好。」
「なあに?」
火奴羅は手頃な大きさの青い落ち葉を拾って、足元に敷いた。
「楽しいこと。しよ?」
「はえ、なんだろ。」
会好は、口に手を当てて、少し目を大きくした。
「…やる!」
「よしっ。いくよ!」
火奴羅は胸元に会好を抱いて、片足で地面を蹴った。落ち葉は坂に乗り、少しずつ、地を進んでゆく。火奴羅は葉の上、身体を横に構えた。そして視線を前に据えると、葉の舟は一気に加速、急降下。風に揺れて、草の海を流れてゆく。
「わーっ!」
会好のまき髪はお魚のように激しくはためき、火奴羅の長髪は龍のように踊った。
「あら。」
火奴羅の胸元、会好が動いた。襟元を掴んで、顔を入れようとしている。
火奴羅は襟を持って伸ばした。会好は彼の衣装の中に潜って、襟元からちょんと顔を出す。
「うわ、すごい風!」
会好はまた、顔を半分程、その襟元に隠した。

そして葉舟は大草原に乗り出した。火奴羅は胸を張り、爪先で器用に舟を遊ばせつつ、土煙の上で滑らかに流してゆく。
会好は、そっと目を開け、また顔を出した。ふと、不思議な草の、豊かな蒼い香り。暖かく、顔いっぱいに広がった。会好はほのかに甘い風を、腕を広げて受け止めた。
「あ、慣れてきたね。」
火奴羅は会好を見下ろして微笑んだ。
「ん!!」
ご機嫌に頷いた会好の髪が、風に乱れてはたりと、楽しげに踊った。
すると何やら遠くに、いくつか赤黒い点が。不気味に揺れて、近づいてくる。
「あれ?顔色変えた。どしたの。」
火奴羅はまだ微笑んでいた。
「え、いや…。」
うねるような動きだった。暗い色の細長い身体に、真っ赤な一つ目。真っ直ぐこちらに迫ってくる。もう、すぐ目の前に。
「わああ!前!前!!」
会好は思わず顔を火奴羅の襟元に隠した。

火奴羅の襟の中、会好はぎゅっと彼の服を掴んで丸まっていた。とん、とんと、火奴羅の胸の鼓動。暖かい火奴羅の身体が、少し、会好の肩の力を解いた。
ゆらりゆらりと、火奴羅がかすかに動いているようだった。会好も水の中の心地、たゆゆと揺れて、泡のよう。
会好は恐る恐る、その襟元に手をかけ、少しだけ顔を出した。外は晴れやかに広がるだけの、静かな草原である。
「大丈夫、もういないよ。」
火奴羅がまた、こちらを向いて笑っている。
「え、さっきのは…。」
「あれは、カザネ。」
「かざね。」
会好は身を乗り出して、覗き込むように前を見た。
「泳ぐように空に群れて、生き物の肉を狙ってる、ちょっと怖い生き物で…。」
火奴羅がすっと腰を折った。黒い、細長い何かが、その横を瞬時に追い越してゆく。
「こういう晴れた日にっ、よく現れっ、わ、あっ、あらら…。」
火奴羅は避けること、一二の三。話す隙もない。
次々と現れる、不穏な影。火奴羅は葉の舟を爪先で、くるりと回して止めた。見渡せば、先程の不気味な赤い目が、無数にゆらめいて、こちらを覗いている。
「火奴羅…。」
「来るか。」
会好は火奴羅の胸元、少しづつ熱くなってゆくのを感じた。火奴羅の腕から、不思議な風が流れた。そしてその腕が、ぼうっと光りだしてゆく。
「はっ。」
会好は言いようのない不安を感じて、彼の襟元を掴んだ。 火奴羅は、楽団の指揮者のように、演奏開始の合図のように、高らかに腕を掲げた。
「キアアアァァーッッ!」
その中の一匹が、身をよじりながら、皮が千切れるような叫びを上げた。そしてカザネの群れが、一気に火奴羅に襲い掛かってくる。
目にも止まらぬ速さで、火奴羅は目の前の空を突いた。溢れる光が水のように、肩から指先へ流れて、光の弾となって次々敵を穿ってゆく。
晴れやかな空の下、陽の光に負けない程の力。青く、暖かく照らされる筈の草原が、いつぞやの夜の事のように、寒桜色に染まった。

最後の一匹が、身体をうねらせながら光に呑まれてゆく。そして溶けるように、空に消えてなくなった。
「怪我、ないか?」
火奴羅はふわっと降り立った。何事もなかったかのように、空は青く、虚に澄んでいる。
「うん…。ね、火奴羅。」
「ん?」
「今のは?何で近づいて来たの?」
火奴羅ははたはたと袖を払った。
「あれは、私たちを食べにきたのよ。」

さらさらと、風が草を撫でる音。近くから、遠くから響いた。
「え…。」
すこし、長めの静けさ。そして会好は、溶けて消えてしまいそうな小さな声で、静かに、え、と呟いた。
「…会好?」
火奴羅はちらりと会好の顔を見た。
(…!)
明らかに怯えきった顔。
(そうだ、会好は知らなかった!肉食生物が殺して肉を食うこと!そういった戦いがあることを会好は…、知らなかった。)
「あ、あの…。会好。」
会好の顔が白くなってゆく。
「うわああーー!!」
会好は泣き出してしまった。

火奴羅は何もできず、茫然とするだけだった。やがて会好が泣き止み、眠ってしまうと、彼は彼女を抱いて、ゆったりと歩き始めた。
(…これからどうすればよいのだろう。)
火奴羅は憂鬱な、伏し目がちな表情で空を見上げた。
澄み切った青空。所々雲の欠片が、小舟が進むように、ゆったりと泳いでゆく。水を打ったような静けさ。そよ風が、まだきりりとして冷たかった。
(取り敢えず、昼食を調達しなくては。)
花弁が移ろうように、力無く火奴羅は飛び立った。そして広大な草原、遥か遠くの、木々の集まりを見た。
(あれは、ホナリの木。)
朽ちた椿のように、木々を目指して落ちてゆく。

空から見れば小さな木々も、目の前にすれば厳めしく巨大だった。
(うん、熟れているな。)
深みのある、甘い香り。細長い大きな黄色の果実が、十本程垂れ下がっている。
火奴羅は寝ている会好を近くの岩陰に隠し、木と対峙した。そして地を蹴るように、力強く木の域に踏み入った。
地が微かに揺れた。這いずるような音。次の瞬間、地を突き破って巨大な刺が現れた。火奴羅の何倍もある大きさ。色は暗く、まるで錆びた青銅のよう。毒々しい程びっしりと、小さな刺がその体を隙間なく覆っていた。
火奴羅は飛び上がった。刺が鞭のように、一振り、二振り。右へ左へ流して、火奴羅は素早く間を詰め、果実の花柄を一突き。戻る刺を避けると同時に、落ちる果実を掴み取り、くるり、宙を舞って飛び立った。刺は追ってこない。火奴羅は手に余る程の、大きな果実を手に入れた。

火奴羅は地に降り立って、会好を拾ってまた飛んだ。手ごろな丘を見つけて、その上に腰掛けた。見晴らしが良くて心地良い。
(これなら会好も喜ぶだろう。)
火奴羅は実を掲げ、日にかざした。すこし縁が透き通って、瑞々しく映った。
火奴羅はふと、息を呑んだ。
(そうだ。会好の好きな果物をひとつ手に入れるにも、この世界では…。)
とろりと甘くてすこしほろ苦い、豊かな香りと共に、先程の戦いが閃く。
(…帰ったほうが、いいのかな。)
鼓を打つような衝撃が胸を走った。
(…)
その胸に、眠る会好。安らかな顔。
(…行こう。)
火奴羅は立ち上がって、歩き始めた。向かうはあの洞窟。

気づけば、空の水色に珊瑚の色が差す日暮れ。先程の広い草原も、柱のように高く聳える白い岩も、ほのかに夕陽の色に染まって、懐かしい情緒を呈している。
歩を進めるごとに、空は真珠の如く、朱や牡丹、藤紫と色を溶かし、少しずつ夜の藍色に近づいて行く。目の前に雄大な崖が現れた頃には、夕空に透けて星空が微かに見えていた。
火奴羅は俯いたまま、崖を歩いた。背中がほのかに暖かい。上を見上げると、夢色の宇宙、そしてその前にぼうっと佇む、灰色の岩。その裏に、あの洞窟がある。
火奴羅の足取りも重くなる。一歩、また一歩。時折軽く目眩がする。
ようやくたどり着いた、岩の前。何気なく触れた。

岩に掛かった苔の衣。ベルベットの心地の中に、肌のような暖かさを感じる。胸が一つ、静かに鳴った。彼は振り向いて、思わず目を伏せた。
鮮烈な夕陽の赤。遥か遠くの星が、光で迫ってくるよう。大草原の所々に立つ岩の、長い影がその力強さを際立たせた。
あの時の記憶が蘇る。
(わあ…。すごい。会好の光みたいだ。)
腕の中の会好は、まだ眠っていた。暖かな光が強く包む中で、彼女が一番、暖かかった。
(ああ…!すごい…!)
火奴羅の心の中、会好の声が響く。
(この景色も、会好は喜んで見るのだろうか。)
火奴羅は手を翳して空を仰いだ。次々と現れる星屑達。
(…もう一度、会好に聞こう。)
少しだけ、火奴羅の心が和らいだ。

火奴羅は力強く飛び出した。遠くに見える、巨大な山を目指す。
そして、空の中へ。日が沈み、藍色が強くなる世界。そしていっぱいの星屑の中。移ろう景色の奥で、一切の揺らぎ無く、穏やかに輝き続けた。その様、水彩画のよう。
やがて空は瑠璃色に変わった。密集して、激しく光る星の数々。天の川は虹色に輝いて、少し眩しかった。
火奴羅は山を見下ろした。小さな山。その頂上に降り立つと、少し足元が冷えて心地良い。
彼は胸元から、青い小刀を取り出した。散りばめられた白銀の粒模様が、星達のように瞬く。手元で遊んで、冷たい木の実をさくりと、切った。
ぱあっと、強い香りが豊かに花開く。会好は目を覚ました。

「うう…。」
まだ、朧げな表情。
「あ、火奴羅…。」
会好と目が合う。少し驚いたような、怯えた顔をした。
「これ、どうぞ。」
火奴羅は目を閉じて、輪切りを一切れ会好に差し出した。
会好は小さな口で、少しずつ齧った。しかし少しすると、また涙。
「怖い…怖いよ…。」
火奴羅は袖で会好を包んで、目を閉じた。
(ただ、綺麗な世界を見たかっただけなのに…。)
体が震えた。俯くと、喉が痛む。
(何故会好は、こんなに苦しまなければならないのだろうな。)
彼の睫毛からも、大粒の滴。
「うぐうっ!」
稲妻の衝撃が火奴羅の胸を襲う。
(火奴羅…?)
会好はいつかのような風を感じた。しかし異様に強い。小さな体に見合わない巨大な力が、烈しく、荒く迫ってくる。
火奴羅が片膝をついて、胸を押さえていた。はぁ、はあと、声にならない激しい吐息が聞こえた。
「え…?」
会好は急いで彼の肩に寄った。
風が、大きな風が引いてゆく。火奴羅は黙ったままだった。そして、目頭を掌でぐぐっと押さえると、疲れきったように、大きくため息を一つ。
「…ごめんね、会好。心配かけたね。」
「どうしたの?大丈夫?」
会好は少し目が赤かった。もう涙はない。
「うん。」
火奴羅は座り直して、膝を払った。
「少し元気になった?」
会好はちょっと俯いた。手元には食べかけの果実。
「…いま、びっくりしたから、なんかもう大丈夫。」
彼女はそれを空に翳した。甘美な香りが降り注ぐ。
「ちょっとすっきりしたよ。多分さっきの出来事も、私がこれを食べるのと、おんなじような感じなんでしょう?」
「云いようによっては、そういうことになるかも。」
火奴羅も空を眺めた。
「…綺麗だと思う?」
「うん。見れてよかった。」
会好は微笑んだ。
「そう…。」
(もう少し、この世界にいさせていいかもしれない。)
「明日は、もっといいものを見せてあげる。」
強い風が吹いた。火奴羅は袖を余らせて、会好の体にかける。
「うん。」
会好は目を閉じた。火奴羅も本を閉じるように、心に毛布をかけて、ふわり、地面に倒れた。
(暫くは、戦いもおあずけとしよう。)
しおりを挟む

処理中です...