魔王さまの婚約者

まあや

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第一章 魔王誘惑作戦

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 先代の魔王は、人間の妻を愛していた。
 愛しすぎていた。
 魔王は、人間の弱さを理解していなかった。
 だから彼の妻が流行病に侵されて命を落とした時、彼はその事実を受け入れられなかった。
 訃報が彼の耳に届いたのは、遠方へ長期視察へ行っていた頃。病に罹ったことは便りで聞き、心配こそしていたが、それほど重篤だとは思ってもみなかったのだ。
 まだ瞬間移動の魔法陣が現代ほど普及していなかった時代だ。馬を急き立て、魔法を使い、尋常じゃない速さで帰還した彼を迎えたのは、冷たくなった妻の身体。
 気が狂ったように泣き叫んだのち、彼は妻を蘇らせる方法を探し求めた。
 魔法で時を止め、腐ることのない妻の死体に、彼は何度も語りかける。
「……待っていろ。すぐに生き返らせてやる……そしたら、俺を抱きしめてくれ」
 父の虚ろな目は、息子のルーカスを捉えることはなかった。彼が見ているのは妻だけだった。
 そんなある日、彼は創造神オーレンに妻の蘇生を願った。
 全てを創り出した神なら、できるはず――そんな思いも虚しく、返事は否だった。
 ルーカスは当時を思い返して沈痛な面持ちをしていた。
「詳しいことは知らないのだが、母はその時既に転生していて、魂があの世になかったらしい」
 魂がないのに生き返らせるのは不可能。そして創造神でさえ無理なら――他に手立てがあるはずもない。
 微かな希望が潰えた。
「父の哀しみは、世界への憎しみに変わった」
 願いを叶えられないと告げた創造神も、妻の命を奪った病も、何もかも、全てを憎み、壊そうとした。
 たった一人の愛しい人間の死が、数え切れないほどの犠牲を招いたのだ。
「俺はそれが怖い。俺も、いつか同じことをしてしまうのではないかと思うと……」
 ミリアは首を傾げた。
「ですが、お話しに聞く限りルーカスさまはお父さまと性格も違うみたいですし、大丈夫なのでは?」
 ルーカスは唇を歪めた。
「……どうだかな。お前が傷ついたら、傷つけた奴を塵にしてしまいたいと思う俺がいる」
 ルーカスの自嘲とは裏腹に、ミリアは輝かんばかりの喜色を浮かべた。
「まぁ! ルーカスさまったら、そんなにわたしのことを……」
「喜ぶところか⁉︎ お前が死んだら、世界がまた破滅に向かうかもしれないということだぞ!」
 ミリアは笑みを引っ込めて真面目な表情をしてみせた。
「ルーカスさま、歴史を学ぶ意義は知っていますか?」
 藪から棒に全く関係のない質問をされて、ルーカスはすぐに答えが出ない。
 ミリアは物分かりの悪い生徒を見守るような慈愛の目でルーカスを見つめる。
「過ちを繰り返さないために、過去から教訓を得て、より良い未来を創るために、わたしたちは歴史を学ぶんです。ルーカスさまはお父さまと同じ轍を踏みたくないんでしょう?」
「……だから誰も愛さないようにしてたんじゃないか」
 不貞腐れたようなルーカスの頭を撫でる。
「それはもう、わたしと出会ってしまったからしょうがないんです。だから他の対処法を考えましょう」
「……例えば?」
「わたしが思うに、ルーカスさまのご両親は話し合いが足りなかったんだと思います」
「話し合い?」
「だって、お父さまは生き返らせてまで一緒にいたかったのに、お母さまはさっさと転生してしまったんですよね? 二人で落とし所を見つければ大ごとにはならなかったのに」
「誰だって死んだ後の相談なんて早々しないだろ」
「しませんね。でもするべきです」
 ミリアはふと立ち上がり、向かいに座っていたルーカスの膝の上に座った。
 ルーカスは突然のミリアの行動に固まる。
「何でそこに座るんだ!」
「大事な約束をするんだから、近くにいる方がいいと思いまして」
 ミリアは上目遣いでルーカスを見上げる。
 その可愛らしさに、ルーカスはもはや文句を言う気力を失ってしまった。
 細い小指がそっと差し出される。
「わたしも寿命が短い人間ですから、約束しておくに越したことはありません」
「……わかった」
 ルーカスの小指が絡む。
 まるで子守唄のように優しい声音で、ミリアは約束を述べていく。
「わたしが死んでしまっても、世界を壊しちゃだめですよ」
「……万が一、お前が誰かに――」
「その時はその人を潰してもいいですけど、そうなる前にわたしを守ってくださいな」
「……あぁ、絶対守る」
「次は……後追い自殺とかやめてくださいね、ちゃんと天寿を全うしてください」
「………………あぁ」
 危ない。するつもりだったらしい。
 魔王の愛する者への執着に、ミリアは少しだけ引いた。
「わたしたちの子供ができたら、その子たちが立派に独り立ちするまで見守ってください」
 子供、という言葉に、ルーカスの耳が赤くなる。かわいいな、とミリアも笑みをこぼす。
「あとは……」
 長い長い約束をひとしきり伝えると、ミリアは苦笑した。
「なんだかわたしからの要望ばっかりになっちゃいましたね」
「……構わない。的を射たものばかりだったから」
 ミリアは絡めた小指に力を込めた。
「ルーカスさまが全部守れたら……わたしはあなたが亡くなるまで、あなたを待ってあの世にいます」
 ルーカスの目が大きく見開かれた。
 罪を犯すことなく命を終えた亡者は、転生かあの世で過ごすかを選ぶことができるのだ。あの世での生活にも飽きて、転生するものは後を絶たない。
「いいのか? 俺の寿命は恐らく、いや間違いなくとんでもなく長いが……」
「いいんです」
 ミリアはぎゅっとルーカスを抱き締めた。
「わたしがあなたと一緒にいたいんですから」
 ルーカスはミリアの顔をくいっと上向かせる。
 整った顔が近づいて――ミリアは目を閉じはせず、指で唇を押しとどめた。
 非常に不服そうなルーカスの表情がとても愉快だ。
「口づけは、まだだめです」
「どうして」
「……名前を呼んでくれない人とはしません」
 ルーカスはその言葉に、まだ一度もミリアを名前で呼んだことがないことに気がついた。
「み……」
 改めて呼ぼうとすると、気恥ずかしさに襲われる。
 そのまま口をぱくぱくさせるルーカスに、ミリアは少し呆れた顔をする。
「口づけまでしようとした方が、どうして名前を呼ぶくらいでそんなに恥ずかしがるんですか」
「あれは勢いで――!」
 ルーカスは自分の行動を思い出し、また恥ずかしさに悶絶した。
 結局その夜、ルーカスはミリアの名前を呼ぶことができなかった。
(いったい、いつになったら呼んでもらえるのかしら)
 ミリアは自分よりずっと年上だけど、初心で恥ずかしがり屋な婚約者の成長を楽しみにすることにした。
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