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第四章 アーシャ

第四章 アーシャ 3

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「こ、子供?!」
 驚きすぎて俺は声が裏返ってしまっていた。
 俺の腕の中でニコニコと笑っている、元幼竜の女の子、アーシャ・ライム。
 羽毛のようにふんわりとした、銀色に近い薄い金色の髪は短く、嬉しそうに笑いかけてきてくれるその瞳は、黄金色に輝いていた。
 たまに可愛らしいけど、概ね大人の女性の雰囲気を漂わせるトール、何を考えてるのかわらないし、表情から感情を読み取ることもできないが、ひとつふたつ年下の手のかかる妹っぽい感じのあるラキと違い、アーシャは背格好は七、八歳くらいだ。
 少女と言うにはまだ幼くて、でもしっかりと女の子だと主張を始めている身体をした、アーシャ。
「うんっ! ボクはね、タクトさんと子供をつくって、ボクの竜族を増やしたいんだっ。いっぱい、いっぱい子供つくろうねっ」
「いや、あの……、ね?」
 俺の身体にしがみついて、胸に自分の顔をすりすりとこすりつけてくるアーシャ。
 まだ幼すぎて、愛でるにはいいけど、ガチな感情を向けるにはあと何年か後でないと難しそうな彼女だけど、そんなんでも可愛らしい女の子から子供をつくりたい――つまり、男女のあれをいっぱいしたい、なんて言われたら、嬉しいとか恥ずかしいとかの前に、思考が止まる。
 助けを求めるためにトールの方を見てみたけど、顔を真っ赤にした彼女は、口をぱくぱくさせたまま硬直していて、役に立ちそうにはない。
「でもゴメンね、タクトさん。ボクの身体はまだ子供をつくれるくらい大きくなってないんだーっ。だからあとちょっとだけ、待っててね!」
「……そうか」
 ちょっと舌っ足らずで、「タクトさん」と言ってるのが微妙に「タクトしゃん」と聞こえるような滑舌で言ってくるアーシャは、俺にぎゅっと抱きついてきた。
「……というか、えぇっと、大丈夫なの? その……、いまのアーシャが俺と……、竜族を増やすとかって」
「うんー。大丈夫だよー。どうにかなるよー」
「本当に?」
「んーーーっ。うんっ、たぶん」
 いまひとつ自身がなさそうなアーシャに、俺は彼女が勢いで言ってるだけなんじゃないかと思えてきた。
「おそらく大丈夫だと思います。竜族の繁殖頻度は非常に低いのですが、なんと言えば良いのか……。繁殖対象となる生物の範囲は、他の生物と隔絶したものがあるのです」
「どういうこと?」
 胸に手を当て大きく深呼吸をし、どうにか復活したトールがそう教えてくれる。
「本当にどこまでの範囲なのか確認した者はいないと思いますが、竜族は形態的に繁殖が可能なあらゆる生き物と子供をつくることができると言われています」
「あらゆる生き物と?」
「はい。竜族の中でも、神の分神であり、高い知能と知性を持った上級竜では、人間族や妖精族、巨人族と子供をつくったという話は聞きますし、神の分神ではなく知能の低い下級竜はまさに獣なのですが、性欲に任せて馬やトカゲ、果ては虫に近い生き物とされるサンドワームなどと子供をつくることができるという話です」
「凄まじいな、竜族……」
 卵生なのか胎生なのか関係なく子供をつくることができるっぽい竜族の繁殖範囲は、俺の知る生物の範囲を大きく逸脱している。
 身体にぎゅっとしがみつき、可愛らしい笑顔を向けてくるアーシャのことが、俺はよくわからなくなってきた。
「上級竜との子供は、生まれたときの形状はともかく、成長の過程で完全に竜族になるそうです。……つまり、アーシャとタクトで、子供をつくり、ライム竜族を復活させることは、可能です……」
 顔をだんだんとうつむかせ、表情が見えないくらい下を向きながらトールは言う。
 そんな彼女に、興味本位で訊いてみる。
「ちなみに下級竜の場合は?」
「いろいろのようです。竜として成長していく場合が多いようですが、性質の混じった生物になることもあるようです」
「性質が混じる?」
「はい。例えばサンドワームと混じった場合、頭がドラゴンの巨大なミミズ、ドラゴンワームになるそうですし、それに翼が生えたワイアームになることもあるようです。種族として繁殖し、存続している場合もあり、ペガサスは羽毛竜と馬の、ワイバーンは翼竜種とトカゲの混血が血脈として続いていると言われています。似てはいますが、ユニコーンは妖精由来の動物のようですが」
「なるほど……」
 この世界の竜がどんな生き物であるかは、アーシャしか見たことがないからよくわからないが、繁殖については凄いことはわかった。
 確かにペガサスとかワイバーンとかの、自然には生まれそうにない動物がドラゴンとの混血と聞くと、納得できるものがある。
 ――それはともかく、アーシャのことはどうするか……。
 たぶん、俺とも子供をつくって、竜を生むことができるらしいアーシャ。
 いくら本人が望んでいるからって、少なくとも外見年齢的には一七歳の俺より一〇歳くらい年下に見えるアーシャと子供をつくるなんていまのところ考えられないし、可愛い女の子は幼い子でも好きではあるが、現実に性的な意味でと言われるとさすがに問題を感じる。
 ――まぁ、まだ何年か先の話っぽいし、いまは考えないでおこう。
 アーシャの言う通りなら、子供がつくれるようになるまであと数年かかるようだし、俺は考えるのをやめた。
 ニコニコと可愛らしい笑みを見せてくれているアーシャが、あと一〇年と言わず、五年くらい後、どれくらい綺麗な女の子に成長しているかと考えたら、そのときのことはいまの俺じゃ想像もできないけど。
 そしてそれくらい後、俺が彼女にどんな目を向けていることになるかは、とりあえずいまは考えたくない。
「約束だよー、タクトさんっ」
「いや……、あのぅ……」
 どう答えて良いのかわからないアーシャの言葉に、俺は言葉を濁す。
 トールが向けてくる視線が、突き刺さるように鋭くて、そっちの方も気になっていたが。
「邪魔するぞ、タクト」
 ノックと同時に姫の声が聞こえてきて、返事を待たずに扉が開けられる。
 さっと身体を硬くし、俺の腕の中で小さくなるアーシャ。
 それでもこっそりと後ろを振り返って、誰が入ってきたのかを確認した彼女は、姫とリディさんの顔を見た後、その後ろに着いてきていた兵士の男性ふたりを見、俺の胸に顔を押しつけてきた。
 ――かなり、怖がってるな。
 身体を震わせ、奥歯がカタカタと鳴るほど怖がっているアーシャに、俺は彼女がゴローによってそれだけの恐怖を植えつけられていることを知った。
「目が醒めたか。よかった」
「うん。この子はアーシャ・ライム。……でもいまは、ちょっと」
 俺が兵士に飛ばした視線とアーシャの様子を察してくれたんだろう。「わかった」と答えた姫は、部屋の外に出る。
「少々トールを借りたいのだが、良いか?」
「あ、うん。いいけど?」
「うむ。少しばかり相談だ。後でちゃんと返すから安心しろ」
「そういう心配はしてない。トール、ここは大丈夫だから」
「……わかりました。念のためラキにこちらに来るよう声をかけておきます」
「うん、ありがとう」
 そんなやりとりをして、トールは姫とともに部屋を出て扉を閉めた。
 静かになった部屋の中で、身体の震えは止まったけれど、まだ顔が恐怖に硬直したままのアーシャを見つめる。
 俺はそんな彼女の髪を、優しく撫でてやることしかできなかった。
「……ボクは、勇気がほしい」
「勇気?」
「うん」
 涙を目にいっぱいに溜め、顔を上げたアーシャは言う。
「竜は、この世界で最強の生き物なの。神の一部をその身に宿して、大型の巨人よりも、妖精王や大魔王より強くなれる身体なの」
「そうなんだ」
「ライム竜族の最後の生き残りのボクは、未来の竜王。それなのに、ボクは魔王と戦うことができなかった。殴られて、蹴られて、刺されて、悲鳴を上げることしかできなかった……。ボクの竜族が、スイミーの魔群と戦ってるときもそうだった。小さくてもライム竜族のボクが戦わないといけなかったのに、小さくなって隠れてるだけだった……」
「……」
 こぼれそうなほどの涙を溜め、それでも強い視線で俺の瞳を見つめてくるアーシャは、言う。
「ボクは勇気がほしい。最強の生き物としての、ライムの竜王としての、勇気が。魔王とも戦える、勝てる勇気が、ほしい……」
 ぽろぽろと涙を流し始めたアーシャの顔を、俺は自分の胸に抱き寄せた。
 最強の生物であり、未来の竜王というアーシャの自負は、それだけ強いものなんだろうと感じる。
 だから俺は、まだ幼い彼女に言葉をかける。
「わかった。俺も手伝うよ。たいしたことはできないと思うけど、アーシャを支えるよ」
「うん……、うんっ。タクトさん、ありがとう……。ボクを生かしてくれた上に、そんなことまで……。ボクはずっと、たくとさんと一緒にいるよ。ボクはタクトさんと、ずっと一緒にいたいんだ」
「うん。これからよろしくな、アーシャ」
「……うんっ!」
 まだ涙を流しながらも、笑顔を見せてくれたアーシャは、本当に可愛らしい女の子だった。


            *


「済まないな、トール」
「いえ」
 姫とリディとともに執務室に入ったトールは、勧められた椅子に座り、丸テーブルに振る舞われた紅茶のカップを傾けて、少し乾いた喉を潤した。
「それよりも、わざわざわたしに何か用でしょうか?」
 デザインはいつも少しずつ違うが、いつも通り黒い服を着ているカエデは正面の椅子に座り、白いエプロン以外はトールが着ているのと同じ形の黒いワンピースのリディは、彼女の後ろに控えて立つ。
 力ならばこの屋敷の誰よりも大きく、戦いについては負けない自信はあったが、タクトと違い無能だと自覚のあるトールは、改めて話と言われても、その内容が推測できなかった。
「それほどたいしたことではない。もし知っていればと思ってな。……スイミーの、ことについてだ」
「スイミー、ですか?」
「あぁ。どうやらずいぶん昔で、記憶も曖昧なようだが、お前はスイミーと面識があるようだ。だからわかるようなら聞きたいことがある」
「なるほど……。あまり役には立たないと思いますが」
 オルグだったときも、その前のトロールだったときの記憶も、いまではそれほどはっきりしているわけではない。
 しかし確かに、トールは自分の中にスイミーに関する記憶があることは知っていた。
 うつむき目を細めたトールは、決して明確ではないスイミーに関する記憶を、あまり回りの良くない頭でできるだけ思い出そうとする。
「スイミーというのは、誇り高い魔族だと思います」
「というと?」
「魔族というのは概ね己の力を信じていて、尊大です。実際ほとんどの魔族は強大であり、尊大になるに足る力を持っています」
「確かにそうだな。魔族はその多くが尊大で、強大だ」
「はい。ですがスイミーには、気高い誇りを感じたんです。いつ、どこで、そんな話をしたのかまでは思い出せませんが、そんな印象が残っています。同時にスイミーは優しく、残虐な魔人であるとも感じました」
「そのふたつは相反するものではないのか?」
 小首を傾げて疑問の言葉をなげかけてくるカエデに、顔を上げたトールははっきりと答える。
 スイミーのことは具体的なことは何も思い出すことはできない。しかしながら、その印象だけは強く残っていた。
「いいえ。スイミーについてはその価値観は相反していませんでした。確かにスイミーは、仲間と認めた相手に対し優しく、寛大で、しかしながら切り捨てるときには情けも容赦もなく、残虐とも言えるほどにあっさりと見捨てる性格をしていた、……と思います」
「なるほど。見切りが早い、か……」
「はい。それ以上となると、あまり憶えていません」
「そうか。わかった。それよりもいま聞きたかったのは、あのガルドという側近についてだ」
「側近のガルド、ですか」
 眉を顰めたトールは、うなり声を上げながら深く、深く考え込む。
 昨日対面したときには、まるで人間の執事のような格好をしていたガルド。
 爪と耳さえどうにかすれば人間と見まごうばかりの彼のことは、ほとんど印象にも残っていない。
 ただそれでも、わかることがあった。
「ガルドのことは、正直なにも憶えていません。スイミーとともに会っていたような憶えはあります。ですが、彼と話したり、彼が何かをしたりといった憶えが、まったくないんです。ですが――」
 顔を上げたトールは、カエデから向けられる視線をしっかりと受け止める。
「ガルドはスイミーの忠実な配下です。スイミーを逆らうようなことは、絶対にありません」
「なるほど。だとしたらおかしなことだな」
「おかしい?」
「うむ」
 腕を組み唇を尖らせながらうなり声を上げ始めたカエデ。
 彼女の言うおかしいという印象は、トールもまた持っていた。そのおかしさがどこから来るものなのかまでは、わからなかったが。
「トール、お前のときはともかくとして、ラキのときは違う。キラーアーマーをタクトの権能で対処したことは、気づいていないはずがない。直接目で見ていなくても、タクトがジョーカーの使徒であることは奴らにも伝わったはずだ。であれば、キラーアーマーの対処にタクトの権能を使ったことは推測がつくはず」
「……確かに、そうですね」
「であるなら、アーシャをここに連れてくれば、何らかの形で対処し、もしかしたら戦力として取り込む可能性も考えられたはずだ。それなのに、だ」
 眉根に険しくシワを寄せ、カエデはトールのことを睨みつけるように見つめてくる。
「死にかけのアーシャを、何故ガルドはわざわざここに連れてきた? 竜族とは言え、あの時点でアーシャは死にかけていたのだ。オルグやハウリングウルフなどの妖魔のエサにするでも、見えない場所に埋めるでもできたはずだ。あえてあやつがアーシャをここに連れてきた理由は、なんだと思う?」
 問われてトールは顎に指を当てて考え込む。
 先日キラーアーマーを連れてきた際は、タクトの権能は魔王にはまだ伝わっていない。
 しかしもし、感知に長けた魔族がいたとしたら、ラキが元々キラーアーマーであることに気づいてもおかしくはない。妖魔であったときのソウルコアはなくなっていても、根本である魂は同一なのだから、キラーアーマーとラキを同一の存在であると理解する可能性は充分にある。
 もちろん感知に長けた魔族がいないのであれば気づいていないのかも知れないが、気づいていた上でアーシャを連れてきたのだとしたら、それは魔王に対する反逆に値する行為だと言える。
 ――けれど、わたしの中にある印象では……。
「ガルドは、ゴローに、魔王に反逆の意思でもあると思うか?」
「……わかりません。いいえ、少なくともわたしが感じている限りでは――」
 うつむいていた顔を上げ、カエデが向けてくる視線を受け止め、トールは言う。
「ガルドがスイミーを裏切る可能性は、絶対にない。それだけは確かです」
「そうか。わかった」
 口元に笑みを浮かべたカエデは、張り詰めていた緊張を和らげた。
「だとしたらやはりわからぬな。ガルドはどうしてアーシャをわざわざここに連れてきたかは」
「そうですね。判断するには何かが、足りていない気がします。それが何かはわかりませんし、魔族の考えがわたしやカエデと同じであるという確証もありませんが」
「うむ。しかし、参考になった」
 椅子から立ち上がり、背後にある窓に身体を向けたカエデは、首だけ振り向かせてトールのことを見つめる。
「しかしトール。お前は自分のことを無能と言うが――」
 そこまで言ったところで言葉を止め、どこかあらぬ方向に視線を飛ばしたカエデ。
 それからリディと見つめ合い、ふたりで頷き合う。
「まぁ、これは言うまい。誰よりも言ってほしい人が、お前にはいるだろうからな」
「何のことです?」
「さぁな」
 肩を竦めて見せるカエデが何を言おうとしたのか、トールにはさっぱりわからなかった。
 何故かニヤニヤと笑っているカエデに、トールは首を傾げるしかなかった。
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