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Fur-zzy
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「今日は一緒に寝て欲しいな」
一体どうしたというのか、彼女はいつものように優しい口調の裏に、寂しい気持ちを隠すような、そんな雰囲気で呼びかけた。もうお互いにそれぞれのベッドに潜って寝よう、としていた時だったから、僕は少し驚いて、どうしたの、調子悪い?と思わず聞いてしまった。
「ううん、体調が悪いわけじゃないんだ。ただ、ちょっと今日は寂しいだけ、だめかな」
「いいよ、でも狭くない?大丈夫?」
大丈夫だよ、と彼女が言う。まだそんな狭くなったり、彼女も動きづらくなるような時期ではないのだが、彼女に従って同じ布団に包まると、やっぱり少し狭い。でも代わりに、彼女の温もりが伝わってくる。
「今日ね、しばらく留守にするから、職場の片づけをしてきたんだ。みんな優しく見送ってくれたけれど、なんだか、この10年近くやってきたことがすごく思い出されちゃって、変だよね、早ければ1年足らずで復帰できるのに」
「それで寂しくなっちゃったんだ」
下腹部に負担がかからないように注意しながら、彼女の身体を抱き寄せる。嗚咽とまではいかないが、少しの間、鼻をすする音が続いた。そういえば彼女自身が言っていたっけ、悲しいときに泣くのは人間だけ、だからどうあっても私たちが人間である証拠は、この涙なんだって。
「ありがとう、落ち着いた」
「こっちこそありがとう。無理させちゃってごめんね」
そう彼女に返す。彼女は僕の顎に額を擦り付けるように甘えて、幸せそうに微笑んでいる。
「昔した、化学進化の話って覚えてる?」
唐突に彼女が言った。僕は彼女を抱きしめたまま、忘れるわけないよ、と返す。
「プロポーズの直後だもん、何を言い出すのかなと思っちゃった。確か、生き物の原型になったものは、核酸とかタンパク質とか、色々説はあるけれど、細胞膜っていう境界を持たない、化学的な情報そのものだったのかもしれない、って話だよね」
「うん、だから世界と生命を分けるものは存在しなくって、生命と生命を分けるものも存在しなかった。一つが基本だったのだから、それからしばらく経って、猛毒の酸素の充満っていう危機に、一つになって生き残るのも、何も不思議なことはなかった」
プロポーズしたあの日と同じ。気恥ずかしい話だが、だから私たちは元々一つとも言えるんだよ、そう言われたっけ。同じ悩みを持って、ジャンルは違うけれども、外から見ると一緒くたにされることもある趣味を持って、色々あったけれど結ばれて、こうして幸せになって、彼女が総括しているのは、これからもっと色々起きるのを、予感しているからかもしれなかった。
「同僚の人がね、こっちが研究しているのは比較的若いグループなんだけれど、最近言ったんだ。自分たちはあれとこれが同じでこれとあれが違うって分けているけれど、本来だったらもっと緩やかに、曖昧に連続しているんだろうなって」
なんだかそれって、私たちみたいだね。
そう彼女は言った。僕の背後のハンガーにかけてある、僕がオーナーとなっている色鮮やかなオオカミの着ぐるみと、その横にある、彼女の描いたヤギのような自画像。お互いに、ジャンルは細かく違えど緩やかに、メンバーが被ったりイベントが被ったりもしながら、共存を続けている。そんな中で、彼女と僕は出会った。僕は彼女のイラストに釘付けになっていたし、彼女は着ぐるみの僕を見るたびに握手を求めてきた。お互いに細かく分けると違うジャンルだったけれど、こうして互いを許容することができて、今ここに至っている。そう思い返すと、彼女が凄く愛おしくなって、抱きしめる力が籠る。もっとも、僕より体格の大きい彼女からすれば、微々たるものだけれど。
生きとし生けるものは、虚構であっても現実であっても、もっと自他の境界が曖昧なものなのかもしれないな。
彼女が僕の角を撫でる。すべすべとした感触が好きなのか、彼女は一緒に寝るとここを触ってくることが多い。僕もお返しに彼女の尖った耳を触り、時々垂れる様子を楽しんだ。
ヤギを名乗るオオカミと、オオカミの皮を被ったヤギ、まるで童話の世界だが、僕たちにとってはそれこそが現実であり、また、曖昧に繋がった虚構でもあった。
彼女の下腹部に手を伸ばす。庇うように彼女の手が添えられていて、その上から、僕も手を当てる。
僕と一緒になってください。
もう一緒だと思うよ。
プロポーズの時のやり取りだが、彼女は自分の研究故に、なんとなく悟っていたのかもしれない。例え僕らが、人間に変身できるだけの別種、オオカミとヤギであろうとも、いつか、このように幸せになって、愛の証を残すことができるって。
さっきまで泣いていたのが響いたのか、彼女はいつの間にか眠ってしまっていた。僕は彼女を抱き寄せる、わけにはいかず、自分から彼女にくっつくと、眠りに落ちていった。
ああ、今日は満月だったっけ。
一体どうしたというのか、彼女はいつものように優しい口調の裏に、寂しい気持ちを隠すような、そんな雰囲気で呼びかけた。もうお互いにそれぞれのベッドに潜って寝よう、としていた時だったから、僕は少し驚いて、どうしたの、調子悪い?と思わず聞いてしまった。
「ううん、体調が悪いわけじゃないんだ。ただ、ちょっと今日は寂しいだけ、だめかな」
「いいよ、でも狭くない?大丈夫?」
大丈夫だよ、と彼女が言う。まだそんな狭くなったり、彼女も動きづらくなるような時期ではないのだが、彼女に従って同じ布団に包まると、やっぱり少し狭い。でも代わりに、彼女の温もりが伝わってくる。
「今日ね、しばらく留守にするから、職場の片づけをしてきたんだ。みんな優しく見送ってくれたけれど、なんだか、この10年近くやってきたことがすごく思い出されちゃって、変だよね、早ければ1年足らずで復帰できるのに」
「それで寂しくなっちゃったんだ」
下腹部に負担がかからないように注意しながら、彼女の身体を抱き寄せる。嗚咽とまではいかないが、少しの間、鼻をすする音が続いた。そういえば彼女自身が言っていたっけ、悲しいときに泣くのは人間だけ、だからどうあっても私たちが人間である証拠は、この涙なんだって。
「ありがとう、落ち着いた」
「こっちこそありがとう。無理させちゃってごめんね」
そう彼女に返す。彼女は僕の顎に額を擦り付けるように甘えて、幸せそうに微笑んでいる。
「昔した、化学進化の話って覚えてる?」
唐突に彼女が言った。僕は彼女を抱きしめたまま、忘れるわけないよ、と返す。
「プロポーズの直後だもん、何を言い出すのかなと思っちゃった。確か、生き物の原型になったものは、核酸とかタンパク質とか、色々説はあるけれど、細胞膜っていう境界を持たない、化学的な情報そのものだったのかもしれない、って話だよね」
「うん、だから世界と生命を分けるものは存在しなくって、生命と生命を分けるものも存在しなかった。一つが基本だったのだから、それからしばらく経って、猛毒の酸素の充満っていう危機に、一つになって生き残るのも、何も不思議なことはなかった」
プロポーズしたあの日と同じ。気恥ずかしい話だが、だから私たちは元々一つとも言えるんだよ、そう言われたっけ。同じ悩みを持って、ジャンルは違うけれども、外から見ると一緒くたにされることもある趣味を持って、色々あったけれど結ばれて、こうして幸せになって、彼女が総括しているのは、これからもっと色々起きるのを、予感しているからかもしれなかった。
「同僚の人がね、こっちが研究しているのは比較的若いグループなんだけれど、最近言ったんだ。自分たちはあれとこれが同じでこれとあれが違うって分けているけれど、本来だったらもっと緩やかに、曖昧に連続しているんだろうなって」
なんだかそれって、私たちみたいだね。
そう彼女は言った。僕の背後のハンガーにかけてある、僕がオーナーとなっている色鮮やかなオオカミの着ぐるみと、その横にある、彼女の描いたヤギのような自画像。お互いに、ジャンルは細かく違えど緩やかに、メンバーが被ったりイベントが被ったりもしながら、共存を続けている。そんな中で、彼女と僕は出会った。僕は彼女のイラストに釘付けになっていたし、彼女は着ぐるみの僕を見るたびに握手を求めてきた。お互いに細かく分けると違うジャンルだったけれど、こうして互いを許容することができて、今ここに至っている。そう思い返すと、彼女が凄く愛おしくなって、抱きしめる力が籠る。もっとも、僕より体格の大きい彼女からすれば、微々たるものだけれど。
生きとし生けるものは、虚構であっても現実であっても、もっと自他の境界が曖昧なものなのかもしれないな。
彼女が僕の角を撫でる。すべすべとした感触が好きなのか、彼女は一緒に寝るとここを触ってくることが多い。僕もお返しに彼女の尖った耳を触り、時々垂れる様子を楽しんだ。
ヤギを名乗るオオカミと、オオカミの皮を被ったヤギ、まるで童話の世界だが、僕たちにとってはそれこそが現実であり、また、曖昧に繋がった虚構でもあった。
彼女の下腹部に手を伸ばす。庇うように彼女の手が添えられていて、その上から、僕も手を当てる。
僕と一緒になってください。
もう一緒だと思うよ。
プロポーズの時のやり取りだが、彼女は自分の研究故に、なんとなく悟っていたのかもしれない。例え僕らが、人間に変身できるだけの別種、オオカミとヤギであろうとも、いつか、このように幸せになって、愛の証を残すことができるって。
さっきまで泣いていたのが響いたのか、彼女はいつの間にか眠ってしまっていた。僕は彼女を抱き寄せる、わけにはいかず、自分から彼女にくっつくと、眠りに落ちていった。
ああ、今日は満月だったっけ。
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