東証バトルロワイヤル

人妻あず。

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第二章

絶対絶命!?知恵の実の代償

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――静寂。

 音が、消えた。

 目を開けると、そこは青白い世界だった。
 空も、地も、境目がわからない。まるで光の海の中に漂っているようだった。

「ここは……?」

 闘技場も、レイも、ロイ町長も――すべて消えていた。
 ただ、どこまでも透きとおるような空間が広がっている。

 すると、不意に声が響いた。
 姿は見えない。けれど、確かにあたしの頭の中に直接流れ込んでくる。

「ここは私。知恵の実の作り出した仮想世界……いらっしゃいませ、サキ・トウジョウさん」

 その声は、柔らかく、そして冷たかった。
 氷の上を滑る絹糸のような――そんな音色だった。

「あなたが……知恵の実」

「ええ。人は私を、そう呼びます」

 ふわり、と風が吹いた気がした。
 髪がゆらぎ、頬に冷たい光が触れる。
 なのに、不思議と心地いい。まるで優しい手に抱かれているようだった。

「あたし……強くなりたい」
 あたしは小さくつぶやいた。
「もう、誰にも傷つけられないように」

 一拍の静寂。
 やがて、光の中から声が返ってくる。

「……強い願い。聞き届けました」

 空間に、淡い紋様が浮かび上がる。
 それはチャートのようでもあり、魔法陣のようでもあった。

「あなたには、“チャート魔法陣解読”の才能を付与しましょう」

「チャート……魔法陣、解読?」

「ええ。この才能を使いこなせれば、誰もあなたを傷つけられません。
 戦いも、あなたの思うままに運ぶことができるでしょう」

 その言葉に、胸の奥が少しだけ熱くなった。
「ありがとう」

「いいえ、礼には及びませんよ」
 声が微かに笑った。
「――代償を頂きますから」

 ごくり、と喉が鳴る。
「……代償?」

「そうですねぇ……」
 思案するような間。
 次の瞬間、その声が甘く囁いた。

「あなたの家族との、楽しい思い出がいいでしょう」

「――え?」
 心臓が止まった気がした。

「待って、それは――」

 ぶわっ。
 風と光が一気に巻き上がる。

 あたしの視界に、父さんと母さん、弟のシュンの笑顔が浮かんだ。
 温かい食卓。三人で笑い合った夕暮れ。
 小さな手をつないで歩いた帰り道。

「待って、待って!それだけはやめて!」

 叫んでも、光は止まらない。
 思い出が、砂嵐みたいに崩れていく。
 声が、輪郭を失って、色だけが溶ける。

「全ての記憶を消すわけではないので、ご安心を……」
 知恵の実の声が、遠くで響いた。

「いや! 父さん! 母さん! シュン!」
 喉が裂けそうだった。
 涙が浮かぶ前に、光が全部を奪っていった。

「ご武運を……サキ・トウジョウさん」

 最後の声が消えた瞬間、視界が闇に呑まれる。

 目を開くと、そこは再び教団の地下闘技場だった。
 青白い光が消え、暗く湿った空気が肌を撫でる。
 レイも、ロイ町長も、すぐ目の前にいる。
 知恵の実を齧ってから――ほんの数秒しか経っていないようだった。

「サキ! 大丈夫か!」
 レイの声。息を詰めたような、焦りと優しさの混ざった声。

 あたしはゆっくり立ち上がる。
「……チャート魔法陣展開。チャートブレード、オン」

 ヴィィン。

 緑の光が走り、あたしの足元に魔法陣が展開される。
 光の紋様が脈打つたびに、空気が震える。
 手にしたチャートブレードは、さっきよりもずっと大きく、重く――まるで“意志”を持っているかのようだった。

「素晴らしい」
 ロイ町長が目を細めた。
 その笑みは、薄く、冷たい。どこか人ではないような笑みだった。


「サキ……」

 レイが悲しそうに、あたしを見つめる。
 その目に、あたしの胸の奥がざわめいた。

「そんな目で……こっち見るなぁぁぁ!!」

 叫びとともに、あたしは走った。
 緑に光るショートソードが、風を裂く。

 キィン!

 赤く輝くレイの大剣とぶつかり合う。火花が散った。
 息が荒い。視界が滲む。

「やめろサキ! お前を傷つけたくない!」

「もう十分傷ついてる! 家族の記憶も失って! これ以上どうやって傷つけっていうの!」

 叫びながら斬りかかる。
 悲しみと怒りと、空っぽになった心の奥で、何かが暴れていた。
悲しい、苦しい、寒い
 ――楽しかったころの記憶は、もうない。
 残っているのは、苦しみと喪失だけ。
 

「サキ……」
 レイが、名を呼ぶ。その声が、痛い。

 チャート魔法陣が、一瞬強く光った。
「あそこだ!」

 あたしはレイの手元を狙って剣を振り抜いた。
「うっ……!」
 レイの大剣が弾き飛ぶ。

 緑の紋様が足元で脈動する。
 今なら――いける。

「トドメ!」

 一閃。
 刃が、レイの首元をかすめた。赤い線が走り、血が一筋、流れ落ちる。

 でも――首は、落ちなかった。
 手が、止まった。

「どうして……なんで打ち込めないの……!」

 息が乱れる。
 目の前のレイは、逃げようとも、反撃しようともしない。
 ただ、あたしをまっすぐ見つめていた。

 レイは、静かに息を吐いた。
 そして、ほんの少しだけ、微笑んだ。

「……斬るなら斬れ。お前がそれで楽になるなら、俺はそれを止める権利なんてない」

 その言葉に、胸の奥が熱くなった。
 怒りなのか、悲しみなのか、自分でもわからない。
 ただ、涙が滲んだ。

 次の瞬間――
 レイの手が、そっとあたしの頭に触れた。

 指先が震えているのがわかる。
 優しく、恐る恐る、髪を撫でた。

「……サキ、ごめんな」

 その声は、父がいなくなったあの日、父が最後に残した言葉と重なって聞こえた。
 あたしの手が、完全に止まる。
 剣先がカランと音を立てて落ちた。

 涙が頬を伝い、床に落ちる。
 記憶を奪われたのに、痛みだけは消えなかった


 ――ぱち、ぱち、ぱち、ぱち。

 静寂を切り裂くように、ロイ町長の拍手が響く。

「サキさん。あなたは予想以上の逸材です」
 彼はゆっくりと歩み寄り、黒いローブを広げた。
 その動きは、滑るように静かで、どこか現実離れしていた。

 ふわり――ローブがあたしの肩を包み込む。
 生温い闇のような感触が、背中に貼りつく。

「てめぇ……サキに何をする気だ!」
 レイが叫ぶ。

「サキさんには、少し仕事をしてもらいましょう」
 ロイ町長の声は穏やかで、それでいて氷のように冷たかった。
「あなたは、あちらに」

 パチ、と指を鳴らす。
 闘技場の扉が開き、教団の信者たちがぞろぞろと入ってくる。
 彼らは無言でレイを取り囲み、拘束した。

「サキさんは……私と共に」
 ロイ町長がまた、あの薄い笑みを浮かべた。
 瞳の奥に、光はなかった。

ぱきん

 あたしの心の奥で、何かが、静かに壊れた音がした。
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