愛恋の呪縛

サラ

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第239話

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 その頃……。



「……えっ……」



 城の食堂では、日向と司雀が向かい合わせで椅子に座っていた。
 司雀は、まるで信じられないとでも言いたげな表情を浮かべて、用意したばかりのお茶を手にしたまま固まっている。
 そんな司雀の前にいる日向は、真剣な表情で司雀を見つめていた。



「あ、あの、日向様……もう一度、言っていただけますか……」



 司雀は躊躇いがちに、日向に尋ねた。
 すると日向は、冷静な雰囲気で答える。



「司雀……僕に、志柳へ行く許可をくれないか」

「っ……!?」



 日向から放たれた言葉に、司雀はドクッと胸が嫌な高鳴りをした。
 その言葉は、司雀が最初に聞いた言葉と同じ。
 聞き間違いなんかではなかった。
 司雀は1つ大きな咳払いをすると、珍しく焦った表情で日向に詰め寄る。



「……突然、何故っ……」

「司雀。お前の言いたいことは、分かってる。僕が志柳へ行くことは、あれだけ魁蓮にダメだって言われてたし」

「そう、ですよ……分かってるなら、どうしてっ」



 司雀の脳内は、酷く混乱していた。

 数分前のことだ。
 司雀が日向のことを心配しながらも食堂の片付けをしていると、日向が突然食堂にやってきた。
 そして日向は司雀に「話がある」と言い出して、今の言葉を伝えたのだ。
 先程泣いていた日向のことが気がかりだった司雀は、積み重なる不安感に襲われて、手が小さく震えていた。
 一体どうして、日向はそのようなことを口にしたのだろうかと。
 司雀は深呼吸をすると、戸惑いながらも日向に訴える。



「日向様、志柳……いえ、今は改名されて瑞杜みずとという土地ですが、そこへ行くことがどういうことか理解していますか……?何があるか分からない未知の世界に、私たちのように戦えない貴方が乗り込む……それはもう、ある意味死にに行くのと変わりません」

「……………………」

「魁蓮と共に行くという話ならば、私だって快く送り出すことが出来たでしょう。でも貴方が私に話を持ちかけてきたということは、そういうことではないのですよね?ならば、許可なんて到底出せません。
 それに、こんなこと魁蓮が許すはずがっ」

「うん……分かってる。だからお願いがあるんだ」

「……えっ?」



 日向が司雀の言葉を遮った、その時。





「あ、いた。日向ぁ~」

「っ?」





 食堂に響いた大きな声。
 日向と司雀が扉の方へと視線を向けると、そこには龍牙、虎珀、そして忌蛇がいた。
 どういうわけか、珍しく3人が一緒にいる。
 龍牙はいつものような笑みを浮かべ、忌蛇はその後ろから、ヒラヒラと日向に手を振っていた。
 その中でも虎珀は先程のことがあったのか、少し気まずそうに日向から目をそらしている。



 (そういや、謝ってなかった……)



 志柳のことで頭がいっぱいだった日向は、虎珀への謝罪を忘れていた。
 尚更、虎珀が気まずく感じるのも無理もない。
 そんな虎珀に気づいたのか、龍牙が虎珀の肩に腕を回すと、ニヤニヤしながら日向に声をかけた。



「日向ぁ~。虎がさぁ、日向のことすっげぇ心配してたぜ~?「俺が、何かやってしまったのかもしれない」って。あと少しでギャン泣きしそうになってたから、忌蛇と一緒に探してあげてたんだぁ~」

「なっ!だ、誰が泣きそうだっただと!?」

「え~?虎しかいないじゃん?それにほら、日向は全然元気そうだぜ。言ったろ?日向は大丈夫だってさ」

「っ…………」



 虎珀は、少し心配そうに日向を見つめる。
 きっと日向が虎珀から走り去った瞬間から、虎珀はずっと日向のことを心配していたのだろう。
 未だに日向を名前で呼ぶことはなく、どこか壁を感じてしまう彼だが、彼は魁蓮と同じようによく周りを見ている。
 ただ冷たいだけの男では無い、ちゃんと優しさがある妖魔なのだ。

 そしていつもなら、日向もここで有難いと感じるのだろうが……今の日向は、優先したいことがあった。



「ちょうど良かった。3人にも、聞いて欲しいんだ」

「「「???」」」



 3人は、いつもと違い真剣な表情で話す日向に、少しばかりの違和感を抱きながらも、耳を傾けた。
 そもそも、食堂に漂う張り詰めたような空気感から、2人がただの雑談をしている訳では無いことは、龍牙たちにも容易に理解出来ていた。

 そして日向は4人全員の視線が集まったのを確認すると、真っ直ぐに言葉をぶつけた。




「志柳で、調べたいことがあるんだ。出来れば、魁蓮がいない間に調べに行きたい。だから……。
 僕が1で志柳へ行って、それを確かめてくる。そしてこのことを、どうか魁蓮には黙ってて欲しい」





 日向の発言の後、食堂は酷く静まり返った。
 全員が目を見開いて、開いた口が塞がらない。
 今の言葉は幻聴だったのだろうか、そう思いたいほどには、受け止めきれない言葉だった。
 そしてその静寂は、すぐに破られる。



「……っ、人間っ!!!!!!!」



 最初に反応したのは、虎珀だった。
 虎珀は自分の肩に回っていた龍牙の腕を振り払うと、怒りを顕にした表情のまま日向に近づいて、ガシッと激しく日向の両肩を掴む。



「貴様っ、何を言っているんだ!?1人で志柳に行く……?冗談じゃない!!!魁蓮様の言葉を、忘れたのか!?」

「……忘れてない。修行も、志柳へ行くことも、全部禁止された。でも、行かなきゃいけないんだ。
 だから、魁蓮には内緒で行く」

「っ!?な、何だとっ……ふざけるのも大概にっ」



 その時。
 虎珀の怒声で我に返った龍牙が、目に涙を滲ませながら日向の元へと駆け寄ってきた。
 そして虎珀に乗っかるように、龍牙は優しく日向の肩に手を置いて、そして詰め寄る。



「待ってよ日向っ、どういうこと……?
 日向が今言ったこと、嘘だよねっ……?」

「………………」

「なんで、そんなこと言ったの……?
 ね、ねぇっ……ただの冗談だよねっ……?」



 龍牙は、酷く慌てていた。
 瞳がグラグラと揺れ動き、呼吸はどこか浅くなっている。
 やっと出来た守るべき存在である日向、そんな日向がこんなことを言い出してしまっては、いつもふざけてばかりの龍牙といえど、笑って流すようなことは出来ない。
 だがどう見ても混乱状態な龍牙が目の前にいたとしても、日向の考えが覆ることはない。



「理由は、上手く言えない……でも、これは僕にとって大切なことなんだ。行かないままでは終われない」



 日向は、自分の肩に置かれた2人の手をゆっくりと離すと、再び司雀に向き直る。
 魁蓮がいないこの場において、全ての最終的な判断は司雀が担っている。
 ならば、説得すべきは司雀だ。
 日向はゴクリと唾を飲み込むと、司雀を真っ直ぐに見つめて、そして告げた。





「司雀。僕は……知りたいんだ。全部。
 そして……助けたい」

「っ……」





 知りたい、全部……そして、助けたい。
 その言葉にどんな意味が込められているのか、ただ1人、司雀だけには伝わっていた。

 日向が言った、全部知りたい。という言葉。
 その言葉には、主に魁蓮のことが含まれていた。
 彼に関する全てのこと、そしてそれらに繋がっているであろう、天花寺雅という存在。
 彼らの過去に何があったのか、この国では何が起きたのか、魁蓮は何を求めていたのか。
 魁蓮は、一体どんな風に生きてきたのか。

 魁蓮の記憶喪失の、本当の原因は何か……。
 日向は、それがちゃんと知りたかった。
 そして、魁蓮の悩みを解決してあげたかった。



「っ…………」



 その時、司雀の脳内に、過去の会話が蘇る。
 苦痛の記憶の中で最も鮮明で、おそらく全ての分岐点になったであろう会話。

 魁蓮との、会話が。


















【全て、消し去ってきた】

【……えっ……】

【この国にはもう、黒神に関することはほとんど残されてはおらぬ。志柳を除いて、な】

【魁蓮。本当に、真実を明かすつもりは無いのですか】

【あぁ。その必要は無い】

【………………………………】

【……なんだ】

【……いえ、ただ……居た堪れないです……。
 私のように真実を知る側は、叫び出したいです】

【………………】

【私だけではありません、巴様だってっ】

【案ずるな、司雀。我には、お前と覇冥ハメイ……いや、ヤンがいる。それだけでも救われているのだ。
 まあ見ていろ、我はやり遂げてみせる。

 雅が思案した、鬼の王 魁蓮を……


















「……本当に、知りたいですか……?」



 日向を見つめ返す司雀から出てきたのは、震えたか細い声だった。
 胸の奥に広がる苦しい気持ちを押し殺しながらも、日向の考えを冷静に聞こうとする気持ちが混濁している。
 司雀は今、自分がどんな顔をしているのか分からない。
 そんなことを考える余裕だって、既に無い。
 だが……これは、何かのかもしれない。
 そう、思ったのだ。



「知りたい、ですか……の真実をっ……」

「っ……!」



 司雀の言葉に、日向は目を見開いた。
 彼ら……それはきっと、黒神・天花寺雅、そして魁蓮のことだろう。
 妖魔も、仙人も、全てが全盛の時代だった1000年以上前の花蓮国、そして史上最強の仙人と、鬼の王が同時に存在していた時代……。
 司雀の言葉からして、それらに関することが少なからず志柳に残されているのは、間違いなかった。
 日向はコクリと頷くと、少し切ない笑みを浮かべながら続ける。



「だって、僕には知る権利があると思うんだ。
 それに……アイツのこと、知らないままなのは嫌だから」

「っ……」

「ちゃんと知りたい、悲しいことも辛いことも。
 アイツだけが抱えてるもんを、少しでも軽くしてあげたい」



 誰だって、好きな人のことは知りたいだろう。
 好きなものは何なのか、嫌いなものは何なのか、趣味は何か、何が得意なのか。
 ほんの些細なことでも、くだらない事でも、相手のことを知れるのは嬉しいことだ。
 何一つ語らない相手なら、尚更。



「だからお願い、司雀。
 ちゃんと帰ってくるって、約束するから」



 真剣な、日向の眼差し。
 その熱意は、司雀に真っ直ぐ向けられていた。



 (あぁ……やっぱり貴方は、彼のっ……)



 長年、魁蓮を支え続けてきた司雀。
 魁蓮はいつも独りよがりで、壁を作って、何も話してくれなくて、ずっと孤独の中。
 独りにしたくないからと大きく両手を広げても、魁蓮がその中に入ってくることは1度もなかった。
 あの赤い瞳に、穏やかな光を宿すことも無く、ただ1人でこの世を歩き続けて。
 いつしか、彼に近寄ろうとする者はほとんど居なくなっていた。

 そんな中、1000年以上経った今の時代に、1人の少年が立ち上がってきた。
 種族も寿命も思考も、何もかも違う少年が、1000年以上孤独という名の殻に閉じこもる魁蓮に、その殻を破ってまで寄り添おうとしてくれている。
 その存在が、司雀にとってどれだけ偉大か。



 (……もう、良いですよね……魁蓮……)



 司雀はゆっくりと目を閉じ、届きもしない声で魁蓮に尋ねる。
 きっと、彼ならば「駄目だ」というだろう。
 任された使命を果たさなければいけないが……何も司雀は、私情を無理やり押さえ込んでまでするつもりはなかった。

 だから……もう、迷わない。





「……分かりました。志柳へ行くことを許しましょう」

「「「「っ!!!!!!!!」」」」





 司雀の答えは…………応だった。
 そしてこれは、司雀が初めて魁蓮との約束を、破った瞬間だった。
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