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ニ 静寂(せいじゃく)
静寂
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菅原旅館の敷地内に入り、玄関へと進んで行く。庭はさほど広いわけではないが、和風の庭となっている。ただ、手入れが行き届いているとは言えず、少し荒れている印象がある。それが何か怪しい雰囲気を醸し出している。もしかしたら演出なのかもしれない。
玄関を入ると、昔ながらの旅館らしくホールは狭い。二人掛けのソファーが一つやっと置いてあるだけである。左手に受付カウンター、右手に三畳程度の狭い狭いお土産コーナー。
正面の壁にはこの旅館の古ぼけた写真が掛けてある。今の建物と同じように見えるので建物はそのままなのだろう。注釈を見ると一八九一年(明治二十四年)とある。ということで百年以上の老舗ということになる。はて、その時代には写真は一般的になっていたのだろうか。後で調べたら一応コダックから写真機は発売されていたが、どの程度普及していたのだろうか。もしかしたら精緻に描かれた絵なのかもしれない。写真か絵かもわからないくらい古ぼけている。
私の前には一組の老夫婦がチェックインを行っているが、まだそれほど混んではいないようだ。
職業柄どうしてもこういうときには下調べをして、現地取材をしてしまう。この旅館が創業したのは先ほどの写真の少し前、一八八八年(明治二十一年)。当初は一般的な旅館だったようだが、大正時代のころから座敷童子が見られるようになったという。ここで子どもが亡くなったというようなことはなく、なぜ現れるようになったかは不明とのことだ。宿泊部屋は一階に十室ほど、二階に二十室ほどある。そのうち、座敷童子がよく見られる部屋が二部屋あるらしいのだが、こちらで選ぶことはできないそうだ。
チェックインを済ますと、私の部屋は二階になるようだ。残念ながら座敷童子がよく現れる部屋ではなかった。古い旅館なので当然エレベーターはなく、玄関ホールから少し入ったところにある階段で上っていく。階段を上ると廊下の端になり、すぐ脇に共用のトイレがある。各部屋にはトイレはないようだ。廊下を進むと両側に部屋が並んでいて、私の部屋は右側の二番目の二一九号室である。
まずは荷物を置くために部屋に入る。玄関ドアを開けると半畳ほどの狭い下足場となっていて、またすぐ部屋への開き戸があり、直接部屋の中が見えないようになっている。開き戸を開けて部屋に入る。部屋は八畳の畳敷きで三畳ほどの広縁もある。それだけ聞くと一人ではかなり広いように感じるだろうが、実際はものすごく狭く感じた。
なぜなら、片側の壁にびっしりとぬいぐるみやおもちゃが敷き詰められていたからである。この異様な光景を見ると怖がりの人だったら逃げ出してしまうかもしれない。この部屋で寝られるだろうか、いや、酒を飲んで電気を消してしまえばどこでも寝られるだろう。私の図太さは折り紙付きだ、この程度では負けない自信がある。あとで聞いたところどこの部屋もだいたいこのような感じだそうだ。たまにギブアップして泊まらずに帰る客もいるそうだ。
さて、荷物を置いて、まずは館内探索に出かけよう。といってもさほど大きな旅館ではない。全て回っても五分とかからなかった。
二階は客室二十室と共用トイレのみである。
一階はというと、前述した玄関ホールと客室十室、その他は共用トイレ、共用浴場、宴会場がある。
共用浴場は当然男女別で、それぞれ五、六人入れるくらいの大きさだ。温泉ではなく通常の沸かし湯である。
基本的に素泊まりのみの宿で食事は出ないのだが、宴会場だけ備えている。今は個人客しか取っていないそうだが、昔は団体の慰安旅行や忘年会などを受けたことがあり、その際に使用したことがあるそうだ。今では全く使っていないようである。ふすまを外して通しにすると六十畳ほどもあるので使っていないのはもったいない気がする。
館内散策があっという間に終わってしまったし、まだ夕食という時間でもないので先にひとっ風呂浴びてこよう。
温泉ではないが、やはり大きな湯船で手足を伸ばせるのはいいものだ。まだ宿泊客もほとんどいないようで、この時間は貸し切り状態だった。
小一時間ほどゆったり入って、上がってきた。
時間は五時半になった。そんなに腹も減ってないし、ちょっと時間も早いが、することもないので夕食に出かけるとするか。やっぱりちょっとは飲みたいから車ではなく歩いて行けるところにしたい。
「ここから歩いて行けるところで食事できるところはありますか?」
「歩いて行けるのは焼肉屋だけですかね。この前の道を左にまっすぐ行ったところにあります。」
旅館の人に聞いたところ近くにあるのは焼肉屋一択だそうなので、そこに行くことにする。ちょうど肉の気分だった、あ、朝も昼も肉だったんだ、まあいいか。
歩いて五分ほどでその焼肉屋に着いた。外観は普通の一軒家で、焼肉屋というよりは大衆食堂のような雰囲気となっている。
中に入っても大衆食堂の雰囲気そのままで、各テーブルに鉄板がなければ焼肉屋だとは思わない。換気扇も各テーブルに付いているのではなく、部屋の壁に一つ付いているだけなので煙でもうもうとなるだろうが、まだ時間が早いのでそこまででもない。
焼肉といったら何といってもビール。
「とりあえず、生っ!」
そういえばどこかの居酒屋で「とりあえず」っていうメニュー作ってあこぎな商売してるところあったな。この店ではそういうことはなく、ビールとお通しが普通に出てきた。
肉の注文も面倒なので、一通り揃っているセット(カルビ、ロース、タン、野菜)を注文して、そこに含まれていないホルモンだけ単品で注文する。
部屋の隅の天井付近に置かれているテレビでは夕方のニュースが流れていて、それを何の気なしで眺めながら、食べ、飲み、を繰り返す。
途中で入ってきたのは地元のファミリーらしき四人組だけで、ここでも経営の心配をすることに。味は全然悪くないし、雰囲気も良いお店なんだが、やはり周辺人口の問題なのだろうか。
店から出るとすっかり日は落ちて、気温も一気に下がってきたようだ。やはり三月上旬はまだ朝晩は冷える。ビール二杯飲んでほろ酔いだったが、旅館に戻るまでにはすっかり覚めた。というわけで部屋飲みもするべく、コンビニに買い出しに行こう。焼肉屋への道にはコンビニはなかったが、車で来る途中で近くにコンビニがあったのはチェック済みであった。
コンビニではハイボールをニ缶と乾きもののつまみをいくつか買った。
旅館の自分の部屋に戻るとちゃんと布団が敷いてあった。しかし、改めて見ても落ち着かない部屋だ。ぬいぐるみとおもちゃに囲まれて寝る経験はさすがにない。
まだ寝るには早いので、テレビを見ながら買ってきた酒とつまみにしばらく興じる。ゴールデンタイムは地元と同じバラエティ番組がやっているので助かる。いつもの番組を見ながらあーでもない。、こーでもない、と突っ込みながら見るのだ。
そうこうしていると、まもなく十時になろうとしている。酔いもだいぶいい感じになってきた。風呂も入ったし、飯も食ったし、酒も飲んだし、後は寝るだけ。ちょっと早いけど、朝も早かったし、まあ寝られるでしょう。
寝る前にトイレだけ行っておこう。この時間になると部屋はほとんど埋まっているようで、風呂に行く感じの人たちと多くすれ違う。先に入っといて正解だったな。
「さーて、寝るぞ、寝るぞ。」
豆電気をつけるかどうか迷ったが、完全に消すことにした。といっても今宵は月明りがだいぶ明るいので完全な暗闇ではない。眼鏡はテーブルの上に置いてと。
酔いも手伝って布団に入って目を閉じると、ひつじを数えるまでもなく、すうっと眠りの世界へと滑り込んで行った。
玄関を入ると、昔ながらの旅館らしくホールは狭い。二人掛けのソファーが一つやっと置いてあるだけである。左手に受付カウンター、右手に三畳程度の狭い狭いお土産コーナー。
正面の壁にはこの旅館の古ぼけた写真が掛けてある。今の建物と同じように見えるので建物はそのままなのだろう。注釈を見ると一八九一年(明治二十四年)とある。ということで百年以上の老舗ということになる。はて、その時代には写真は一般的になっていたのだろうか。後で調べたら一応コダックから写真機は発売されていたが、どの程度普及していたのだろうか。もしかしたら精緻に描かれた絵なのかもしれない。写真か絵かもわからないくらい古ぼけている。
私の前には一組の老夫婦がチェックインを行っているが、まだそれほど混んではいないようだ。
職業柄どうしてもこういうときには下調べをして、現地取材をしてしまう。この旅館が創業したのは先ほどの写真の少し前、一八八八年(明治二十一年)。当初は一般的な旅館だったようだが、大正時代のころから座敷童子が見られるようになったという。ここで子どもが亡くなったというようなことはなく、なぜ現れるようになったかは不明とのことだ。宿泊部屋は一階に十室ほど、二階に二十室ほどある。そのうち、座敷童子がよく見られる部屋が二部屋あるらしいのだが、こちらで選ぶことはできないそうだ。
チェックインを済ますと、私の部屋は二階になるようだ。残念ながら座敷童子がよく現れる部屋ではなかった。古い旅館なので当然エレベーターはなく、玄関ホールから少し入ったところにある階段で上っていく。階段を上ると廊下の端になり、すぐ脇に共用のトイレがある。各部屋にはトイレはないようだ。廊下を進むと両側に部屋が並んでいて、私の部屋は右側の二番目の二一九号室である。
まずは荷物を置くために部屋に入る。玄関ドアを開けると半畳ほどの狭い下足場となっていて、またすぐ部屋への開き戸があり、直接部屋の中が見えないようになっている。開き戸を開けて部屋に入る。部屋は八畳の畳敷きで三畳ほどの広縁もある。それだけ聞くと一人ではかなり広いように感じるだろうが、実際はものすごく狭く感じた。
なぜなら、片側の壁にびっしりとぬいぐるみやおもちゃが敷き詰められていたからである。この異様な光景を見ると怖がりの人だったら逃げ出してしまうかもしれない。この部屋で寝られるだろうか、いや、酒を飲んで電気を消してしまえばどこでも寝られるだろう。私の図太さは折り紙付きだ、この程度では負けない自信がある。あとで聞いたところどこの部屋もだいたいこのような感じだそうだ。たまにギブアップして泊まらずに帰る客もいるそうだ。
さて、荷物を置いて、まずは館内探索に出かけよう。といってもさほど大きな旅館ではない。全て回っても五分とかからなかった。
二階は客室二十室と共用トイレのみである。
一階はというと、前述した玄関ホールと客室十室、その他は共用トイレ、共用浴場、宴会場がある。
共用浴場は当然男女別で、それぞれ五、六人入れるくらいの大きさだ。温泉ではなく通常の沸かし湯である。
基本的に素泊まりのみの宿で食事は出ないのだが、宴会場だけ備えている。今は個人客しか取っていないそうだが、昔は団体の慰安旅行や忘年会などを受けたことがあり、その際に使用したことがあるそうだ。今では全く使っていないようである。ふすまを外して通しにすると六十畳ほどもあるので使っていないのはもったいない気がする。
館内散策があっという間に終わってしまったし、まだ夕食という時間でもないので先にひとっ風呂浴びてこよう。
温泉ではないが、やはり大きな湯船で手足を伸ばせるのはいいものだ。まだ宿泊客もほとんどいないようで、この時間は貸し切り状態だった。
小一時間ほどゆったり入って、上がってきた。
時間は五時半になった。そんなに腹も減ってないし、ちょっと時間も早いが、することもないので夕食に出かけるとするか。やっぱりちょっとは飲みたいから車ではなく歩いて行けるところにしたい。
「ここから歩いて行けるところで食事できるところはありますか?」
「歩いて行けるのは焼肉屋だけですかね。この前の道を左にまっすぐ行ったところにあります。」
旅館の人に聞いたところ近くにあるのは焼肉屋一択だそうなので、そこに行くことにする。ちょうど肉の気分だった、あ、朝も昼も肉だったんだ、まあいいか。
歩いて五分ほどでその焼肉屋に着いた。外観は普通の一軒家で、焼肉屋というよりは大衆食堂のような雰囲気となっている。
中に入っても大衆食堂の雰囲気そのままで、各テーブルに鉄板がなければ焼肉屋だとは思わない。換気扇も各テーブルに付いているのではなく、部屋の壁に一つ付いているだけなので煙でもうもうとなるだろうが、まだ時間が早いのでそこまででもない。
焼肉といったら何といってもビール。
「とりあえず、生っ!」
そういえばどこかの居酒屋で「とりあえず」っていうメニュー作ってあこぎな商売してるところあったな。この店ではそういうことはなく、ビールとお通しが普通に出てきた。
肉の注文も面倒なので、一通り揃っているセット(カルビ、ロース、タン、野菜)を注文して、そこに含まれていないホルモンだけ単品で注文する。
部屋の隅の天井付近に置かれているテレビでは夕方のニュースが流れていて、それを何の気なしで眺めながら、食べ、飲み、を繰り返す。
途中で入ってきたのは地元のファミリーらしき四人組だけで、ここでも経営の心配をすることに。味は全然悪くないし、雰囲気も良いお店なんだが、やはり周辺人口の問題なのだろうか。
店から出るとすっかり日は落ちて、気温も一気に下がってきたようだ。やはり三月上旬はまだ朝晩は冷える。ビール二杯飲んでほろ酔いだったが、旅館に戻るまでにはすっかり覚めた。というわけで部屋飲みもするべく、コンビニに買い出しに行こう。焼肉屋への道にはコンビニはなかったが、車で来る途中で近くにコンビニがあったのはチェック済みであった。
コンビニではハイボールをニ缶と乾きもののつまみをいくつか買った。
旅館の自分の部屋に戻るとちゃんと布団が敷いてあった。しかし、改めて見ても落ち着かない部屋だ。ぬいぐるみとおもちゃに囲まれて寝る経験はさすがにない。
まだ寝るには早いので、テレビを見ながら買ってきた酒とつまみにしばらく興じる。ゴールデンタイムは地元と同じバラエティ番組がやっているので助かる。いつもの番組を見ながらあーでもない。、こーでもない、と突っ込みながら見るのだ。
そうこうしていると、まもなく十時になろうとしている。酔いもだいぶいい感じになってきた。風呂も入ったし、飯も食ったし、酒も飲んだし、後は寝るだけ。ちょっと早いけど、朝も早かったし、まあ寝られるでしょう。
寝る前にトイレだけ行っておこう。この時間になると部屋はほとんど埋まっているようで、風呂に行く感じの人たちと多くすれ違う。先に入っといて正解だったな。
「さーて、寝るぞ、寝るぞ。」
豆電気をつけるかどうか迷ったが、完全に消すことにした。といっても今宵は月明りがだいぶ明るいので完全な暗闇ではない。眼鏡はテーブルの上に置いてと。
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