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第二部【三神院幻想 ―Dawn comes to the girl―】
五話 救済の太陽(遠野真澄)
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夕焼けが、最後の抵抗とばかりに紅い光を町へ落としている。
雑踏もどこか遠くへ消え去り、ともすれば全てが死に絶えたような静寂が満ちていた。
半分だけカーテンの開かれた窓から、射し込む紅をぼんやりと眺めながら、少年は短く息を吐いた。
「……もう夕方か。今日は帰ろうかな」
彼は組んでいた足を戻しておもむろに立ち上がると、同室していたもう一人に視線を投げかける。
「また明日、ね」
……しかし、その返事も、或いは見つめ返す視線すらも、相手から得られる事はないのだ。
この小さな病室のベッドで、少女はもう長い時間を眠り続けていた。
「いつになったら、彼女は目を覚ましてくれるんだろうな」
もう何度目かの自問。それを口にする度に心は揺らぐ。
だから考えるべきではないと分かりつつも、極めて自然にその問いは浮かんできてしまうのだ。
いつになったら、僕は彼女と再会できるのか。
「……駄目だ、彼女にはもう僕しかいない。僕しか、彼女を見舞う人はいなくなってしまったんだから……」
あまりにも残酷な悲劇の連鎖。
その鎖は彼女だけでなく、彼女に関わる多くの者たちを貫いていったのだ。
「明日こそ……そう思い続けていれば、きっといつか目を覚ましてくれる。そう信じていよう」
無理やりに自分へ言い聞かせると、僕――遠野真澄は、ふらりと病室を後にするのだった。
入院患者たちの個室が並ぶこの廊下は、どうしても見た目以上に薄暗く思えた。それは、今の自分の気持ちが重なり合っているからであろうことはなんとなく理解しているのだが。
陰鬱な気持ちはいつの日も晴れることなく、むしろ次第にその重さを増していくようだった。
長い廊下。そこにようやく下り階段が現れたとき。
僕は突如として前方に生じた眩い光に呑まれ、思わず目を瞑ってしまった。
夕陽の反射加減かとも思ったのだが、光は暗がりからふいに発生した。
ならば、誰かがライトでも投げ入れたかとすら妄想したのだけど。
……事実は小説よりも奇なり、とはよく言ったものだ。
光が収まったとき、僕の目の前には半透明の人影が、確かに存在していた。
「え――?」
普通の思考では到底理解の及ばぬ光景に、僕は口をポカンと開けたまま黙り込んでしまう。
それをおかしいと感じたのか、目の前の彼女はくすりと笑った。
「き、君は……」
「ふふ、良かった。私のことが見えるみたいで」
何かの冗談ではないのか、と未だに思考は空転を続ける。
しかし、何度瞬きをしても、やはり半透明の彼女が消え去ることはなかった。
「まさか、こんな奇跡みたいなことが起きるとは思わなかったわ……久しぶりね、マスミくん」
「こ、これは一体、どういう……」
あり得ない再会。
あり得ない対話が、確かに成立していて。
これは悪い……いや、良い夢なのかと疑ってしまいそうだ。
頬を抓りたくなるような気持ちにすらなったが、流石にそれは止めておいた。
「信じられないだろうけど、マスミくん。私は今、魂だけの存在になってしまっているの。ある人物が行った降霊術の効果で、この三神院に……というか、伍横町に現れることができたのよ」
「こ、降霊……」
「こんなことになるなんて、私も想像していなかったわ」
あのときと変わらぬ屈託ない笑みで、彼女は話す。
「……本当に、君なのか?」
「もちろん。ただ、少し事情があって。私はとある役目を担うためこうして現れたの」
「役目?」
ええ、と彼女は頷く。
「……私は、救済のために来たの。ずっと待ち続けなければいけない苦痛から、あなたたちを救いに」
救済。そんなもの、もう訪れることなどないのではと内心では諦めかけていた。
しかし……現実にこんな、起こり得ぬ奇跡が起きているのだから、その言葉にも不思議な現実味が感じられるのだった。
「はは……そんな希望、本音を言えばもう消えかけていたんだけど。最後の最後でようやく願いが届いたってことかな。……どうすればいい? 僕はどうすれば、あの子の眠りを覚ますことができるんだい?」
「すぐに信じてくれて、嬉しいわ。流石はマスミくんね」
愛しき女性は、小悪魔的なウインクをこちらに投げかけた。
昔のように、僕の心はドキリと高鳴る。
「……あの体に魂が戻らないのは、まだ魂が完全に回復していないからなの。だから、ボロボロになった魂を治してあげないといけない。あの子の精神世界でもこっちへ戻るために頑張っているみたいだけれど、その手助けをしてあげたいのよ」
「……抽象的すぎて、その説明は掴み辛いな。まあ、君がこうして現れたように、その治す作業とやらを実際に見れば理解できるんだろうけど」
「すぐに信じてもらえるかは分からないけれど、これからマスミくんにも手伝ってもらいたいの。お願いマスミくん。……あの子のためにも協力してほしい」
「そりゃあもちろん。他でもない君の頼みなんだから」
愛する人のために。残された人を救う。
それはとても当たり前のことだと思えた。
「ふふ……ありがと。もうすぐ日が暮れる時間なのに申し訳ないけど、早速行ってもらえるかしら?」
「何処へかな?」
何となくの予想を抱きつつ、僕は彼女に訊ねる。
彼女が返す口の動きは、その予想と違わぬものだった。
「最も思い出の詰まった場所――光井家に、よ」
雑踏もどこか遠くへ消え去り、ともすれば全てが死に絶えたような静寂が満ちていた。
半分だけカーテンの開かれた窓から、射し込む紅をぼんやりと眺めながら、少年は短く息を吐いた。
「……もう夕方か。今日は帰ろうかな」
彼は組んでいた足を戻しておもむろに立ち上がると、同室していたもう一人に視線を投げかける。
「また明日、ね」
……しかし、その返事も、或いは見つめ返す視線すらも、相手から得られる事はないのだ。
この小さな病室のベッドで、少女はもう長い時間を眠り続けていた。
「いつになったら、彼女は目を覚ましてくれるんだろうな」
もう何度目かの自問。それを口にする度に心は揺らぐ。
だから考えるべきではないと分かりつつも、極めて自然にその問いは浮かんできてしまうのだ。
いつになったら、僕は彼女と再会できるのか。
「……駄目だ、彼女にはもう僕しかいない。僕しか、彼女を見舞う人はいなくなってしまったんだから……」
あまりにも残酷な悲劇の連鎖。
その鎖は彼女だけでなく、彼女に関わる多くの者たちを貫いていったのだ。
「明日こそ……そう思い続けていれば、きっといつか目を覚ましてくれる。そう信じていよう」
無理やりに自分へ言い聞かせると、僕――遠野真澄は、ふらりと病室を後にするのだった。
入院患者たちの個室が並ぶこの廊下は、どうしても見た目以上に薄暗く思えた。それは、今の自分の気持ちが重なり合っているからであろうことはなんとなく理解しているのだが。
陰鬱な気持ちはいつの日も晴れることなく、むしろ次第にその重さを増していくようだった。
長い廊下。そこにようやく下り階段が現れたとき。
僕は突如として前方に生じた眩い光に呑まれ、思わず目を瞑ってしまった。
夕陽の反射加減かとも思ったのだが、光は暗がりからふいに発生した。
ならば、誰かがライトでも投げ入れたかとすら妄想したのだけど。
……事実は小説よりも奇なり、とはよく言ったものだ。
光が収まったとき、僕の目の前には半透明の人影が、確かに存在していた。
「え――?」
普通の思考では到底理解の及ばぬ光景に、僕は口をポカンと開けたまま黙り込んでしまう。
それをおかしいと感じたのか、目の前の彼女はくすりと笑った。
「き、君は……」
「ふふ、良かった。私のことが見えるみたいで」
何かの冗談ではないのか、と未だに思考は空転を続ける。
しかし、何度瞬きをしても、やはり半透明の彼女が消え去ることはなかった。
「まさか、こんな奇跡みたいなことが起きるとは思わなかったわ……久しぶりね、マスミくん」
「こ、これは一体、どういう……」
あり得ない再会。
あり得ない対話が、確かに成立していて。
これは悪い……いや、良い夢なのかと疑ってしまいそうだ。
頬を抓りたくなるような気持ちにすらなったが、流石にそれは止めておいた。
「信じられないだろうけど、マスミくん。私は今、魂だけの存在になってしまっているの。ある人物が行った降霊術の効果で、この三神院に……というか、伍横町に現れることができたのよ」
「こ、降霊……」
「こんなことになるなんて、私も想像していなかったわ」
あのときと変わらぬ屈託ない笑みで、彼女は話す。
「……本当に、君なのか?」
「もちろん。ただ、少し事情があって。私はとある役目を担うためこうして現れたの」
「役目?」
ええ、と彼女は頷く。
「……私は、救済のために来たの。ずっと待ち続けなければいけない苦痛から、あなたたちを救いに」
救済。そんなもの、もう訪れることなどないのではと内心では諦めかけていた。
しかし……現実にこんな、起こり得ぬ奇跡が起きているのだから、その言葉にも不思議な現実味が感じられるのだった。
「はは……そんな希望、本音を言えばもう消えかけていたんだけど。最後の最後でようやく願いが届いたってことかな。……どうすればいい? 僕はどうすれば、あの子の眠りを覚ますことができるんだい?」
「すぐに信じてくれて、嬉しいわ。流石はマスミくんね」
愛しき女性は、小悪魔的なウインクをこちらに投げかけた。
昔のように、僕の心はドキリと高鳴る。
「……あの体に魂が戻らないのは、まだ魂が完全に回復していないからなの。だから、ボロボロになった魂を治してあげないといけない。あの子の精神世界でもこっちへ戻るために頑張っているみたいだけれど、その手助けをしてあげたいのよ」
「……抽象的すぎて、その説明は掴み辛いな。まあ、君がこうして現れたように、その治す作業とやらを実際に見れば理解できるんだろうけど」
「すぐに信じてもらえるかは分からないけれど、これからマスミくんにも手伝ってもらいたいの。お願いマスミくん。……あの子のためにも協力してほしい」
「そりゃあもちろん。他でもない君の頼みなんだから」
愛する人のために。残された人を救う。
それはとても当たり前のことだと思えた。
「ふふ……ありがと。もうすぐ日が暮れる時間なのに申し訳ないけど、早速行ってもらえるかしら?」
「何処へかな?」
何となくの予想を抱きつつ、僕は彼女に訊ねる。
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