57 / 176
第二部【三神院幻想 ―Dawn comes to the girl―】
六話 黒き怪物(遠野真澄)
しおりを挟む
「もう陽も沈みかけているし……何だか、少し薄気味悪いな」
「そうね。暗くなる前に家に向かいましょ」
空が茜から藍色に変わる狭間。その中を、僕と彼女は歩いていく。
影は一つ分。その事実が、やはりこちら側とあちら側との隔たりを感じて物悲しいけれど。
「……そういえば、ここで湯越留美って子が事故にあったんだったっけ」
「そんな事件もあったわね」
「父親の湯越郁斗さんは、留美さんの死後に霧夏邸と呼ばれる屋敷で降霊術の実験を繰り返すようになって……その屋敷で三年くらい前、事件が起きた。今でも霧夏邸幻想なんて言われ方をされてる事件だね」
「ええ……」
あの事件は全国紙にも取り上げられるほどだったが、不思議と報道は日に日に下火になっていき、二週間も経つ頃にはパタリと続報が途絶えた。
事件が解決されたから、と言う見方もできるが、僕としては若干違和感の残る幕引きだったと思っている。
「君が現れたのも、降霊術だって言ったよね? ひょっとしてだけど、三年前の事件と関係があったりするのかい?」
「まあ、あると言えばあるけれど……降霊術が使われた、ということくらいじゃないかしら」
「はは。まあ、それはそうだろうさ……」
降霊術、か。眉唾なものではあるが、こうして霊となって帰ってきた彼女が言うのだから、間違いではないだろう。
この伍横町という比較的小さな町内で、二度も降霊術により霊が降臨するとは。……いやいや、ともすればもっと以前から、降霊術というものは行使されてきたのかもしれない。
いつの頃だったか、この伍横町というのはある種の気の流れのようなものがぶつかる場所というのを耳にしたこともあるし、あながち的外れな予想でもないのではなかろうか。
……そんな風に取り留めもないことを考えているうち、僕たちは町の大通りを外れ、光井家がある住宅地の細い道までやってきていた。
夕焼けの色は先ほどまでと変わりなかったが、初夏の日暮頃とは思えぬ薄ら寒さがいつの間にか辺りを満たしている。
「……何だろう、この感じ」
纏わりつくような気持ちの悪さに、僕はほとんど無意識にそう呟いたのだが、隣を歩く彼女は僕が感じる以上の何かを感じ取ったらしく、キョロキョロと周囲を見回していた。
そして、二回目に真後ろを向いたとき。
彼女の目が驚愕に見開かれた。
「……後ろだわ!」
「え――!?」
反射的に後方を振り返って。
ああ、振り返らなければ良かったという後悔がよぎった。
振り返らずに逃げていたなら。
こんなものを見ずに済んでいただろうという後悔――!
「な、何だこいつは……!」
それは、声ともつかぬ金属質な音を発した。
まるで激痛にもがき苦しむ者の悲鳴のようにも聞こえるそれは、僕の耳朶をキンキンと犯す。
吸い込まれそうな――ブラックホールのような漆黒をその中心に抱く、蜘蛛にも似た不可思議な存在。
赤黒い触手をぐにゃりとくねらせる、悍ましき存在……。
「逃げましょう! 家まで走って!」
「あ、ああ!」
目を背けるように体の向きを前に戻して、僕は思い切り駆け出す。
一秒でも遅れてしまえば、あの悪魔に絡め取られるという恐怖に寒気を感じながら。
そして、懐かしい輪郭が見えてくる。三井家……僕や僕の友人が何度も足を運んできた、思い出に溢れた家。
思い出が置き去りにされた家。
扉には鍵が掛かっていたが、流石は霊と言うべきか、彼女はするりと扉の向こうに抜けていき、内側から解錠してくれた。感謝もそこそこに僕は家内へと滑り込み、すぐさま扉を閉めてサムターンを回したのだった。
「……何とか逃げ切った、か」
「ええ。危なかったわ……」
僕は息を整えながら、彼女は髪を整えながら言葉を交わす。
どうやら、あの怪物は扉を破ってまで入ってきたりはしないようだった。
「今の怪物は、一体何だったんだい?」
「……さあ、私にも分からない。降霊術にあんな化け物を生み出すような力があるのかしら……もしあの子のせいだったとして、私は邪魔をしてるつもりはないし」
「え?」
その呟きが上手く聞き取れずに聞き返したのだが、彼女は緩々と首を振り、
「……いえ、何でもないわ。とにかく、家の中までは来ないみたいだし。二階の、いつもの部屋に来てくれるかしら?」
「あ、ああ。行ってみよう」
気にかかったが、これ以上聞いても答えてはくれないだろう。僕は彼女に従って「いつもの部屋」へ向かった。
「そうね。暗くなる前に家に向かいましょ」
空が茜から藍色に変わる狭間。その中を、僕と彼女は歩いていく。
影は一つ分。その事実が、やはりこちら側とあちら側との隔たりを感じて物悲しいけれど。
「……そういえば、ここで湯越留美って子が事故にあったんだったっけ」
「そんな事件もあったわね」
「父親の湯越郁斗さんは、留美さんの死後に霧夏邸と呼ばれる屋敷で降霊術の実験を繰り返すようになって……その屋敷で三年くらい前、事件が起きた。今でも霧夏邸幻想なんて言われ方をされてる事件だね」
「ええ……」
あの事件は全国紙にも取り上げられるほどだったが、不思議と報道は日に日に下火になっていき、二週間も経つ頃にはパタリと続報が途絶えた。
事件が解決されたから、と言う見方もできるが、僕としては若干違和感の残る幕引きだったと思っている。
「君が現れたのも、降霊術だって言ったよね? ひょっとしてだけど、三年前の事件と関係があったりするのかい?」
「まあ、あると言えばあるけれど……降霊術が使われた、ということくらいじゃないかしら」
「はは。まあ、それはそうだろうさ……」
降霊術、か。眉唾なものではあるが、こうして霊となって帰ってきた彼女が言うのだから、間違いではないだろう。
この伍横町という比較的小さな町内で、二度も降霊術により霊が降臨するとは。……いやいや、ともすればもっと以前から、降霊術というものは行使されてきたのかもしれない。
いつの頃だったか、この伍横町というのはある種の気の流れのようなものがぶつかる場所というのを耳にしたこともあるし、あながち的外れな予想でもないのではなかろうか。
……そんな風に取り留めもないことを考えているうち、僕たちは町の大通りを外れ、光井家がある住宅地の細い道までやってきていた。
夕焼けの色は先ほどまでと変わりなかったが、初夏の日暮頃とは思えぬ薄ら寒さがいつの間にか辺りを満たしている。
「……何だろう、この感じ」
纏わりつくような気持ちの悪さに、僕はほとんど無意識にそう呟いたのだが、隣を歩く彼女は僕が感じる以上の何かを感じ取ったらしく、キョロキョロと周囲を見回していた。
そして、二回目に真後ろを向いたとき。
彼女の目が驚愕に見開かれた。
「……後ろだわ!」
「え――!?」
反射的に後方を振り返って。
ああ、振り返らなければ良かったという後悔がよぎった。
振り返らずに逃げていたなら。
こんなものを見ずに済んでいただろうという後悔――!
「な、何だこいつは……!」
それは、声ともつかぬ金属質な音を発した。
まるで激痛にもがき苦しむ者の悲鳴のようにも聞こえるそれは、僕の耳朶をキンキンと犯す。
吸い込まれそうな――ブラックホールのような漆黒をその中心に抱く、蜘蛛にも似た不可思議な存在。
赤黒い触手をぐにゃりとくねらせる、悍ましき存在……。
「逃げましょう! 家まで走って!」
「あ、ああ!」
目を背けるように体の向きを前に戻して、僕は思い切り駆け出す。
一秒でも遅れてしまえば、あの悪魔に絡め取られるという恐怖に寒気を感じながら。
そして、懐かしい輪郭が見えてくる。三井家……僕や僕の友人が何度も足を運んできた、思い出に溢れた家。
思い出が置き去りにされた家。
扉には鍵が掛かっていたが、流石は霊と言うべきか、彼女はするりと扉の向こうに抜けていき、内側から解錠してくれた。感謝もそこそこに僕は家内へと滑り込み、すぐさま扉を閉めてサムターンを回したのだった。
「……何とか逃げ切った、か」
「ええ。危なかったわ……」
僕は息を整えながら、彼女は髪を整えながら言葉を交わす。
どうやら、あの怪物は扉を破ってまで入ってきたりはしないようだった。
「今の怪物は、一体何だったんだい?」
「……さあ、私にも分からない。降霊術にあんな化け物を生み出すような力があるのかしら……もしあの子のせいだったとして、私は邪魔をしてるつもりはないし」
「え?」
その呟きが上手く聞き取れずに聞き返したのだが、彼女は緩々と首を振り、
「……いえ、何でもないわ。とにかく、家の中までは来ないみたいだし。二階の、いつもの部屋に来てくれるかしら?」
「あ、ああ。行ってみよう」
気にかかったが、これ以上聞いても答えてはくれないだろう。僕は彼女に従って「いつもの部屋」へ向かった。
0
あなたにおすすめの小説
あやかし警察おとり捜査課
紫音みけ🐾書籍発売中
キャラ文芸
※第7回キャラ文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。
【あらすじ】
二十三歳にして童顔・低身長で小中学生に見間違われる青年・栗丘みつきは、出世の見込みのない落ちこぼれ警察官。
しかしその小さな身に秘められた身体能力と、この世ならざるもの(=あやかし)を認知する霊視能力を買われた彼は、あやかし退治を主とする部署・特例災害対策室に任命され、あやかしを誘き寄せるための囮捜査に挑む。
反りが合わない年下エリートの相棒と、狐面を被った怪しい上司と共に繰り広げる退魔ファンタジー。
紫の瞳の王女と緑の瞳の男爵令嬢
秋野 林檎
恋愛
「わ……私と結婚してください!」と叫んだのは、男爵令嬢ミーナ
プロポーズされたのは第一騎士団の団長、アークフリード・フェリックス・ブランドン公爵
アークフリードには、13年前に守りたいと思っていた紫の髪に紫の瞳をもつエリザベスを守ることができず死なせてしまったという辛い初恋の思い出があった。
そんなアークフリードの前に現れたのは、赤い髪に緑の瞳をもつミーナ
運命はふたりに不思議なめぐりあいの舞台を用意した。
⁂がついている章は性的な場面がありますので、ご注意ください。
「なろう」でも公開しておりますが、そちらではまだ改稿が進んでおりませんので、よろしければこちらでご覧ください。
【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜
上杉
歴史・時代
■歴史小説大賞奨励賞受賞しました!■
おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。
母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。
今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。
そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。
母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。
とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください!
※フィクションです。
※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。
皆さまご評価頂きありがとうございました。大変嬉しいです!
今後も精進してまいります!
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜
春日あざみ
キャラ文芸
<第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました!>
宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。
しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——?
「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!
聖者の愛はお前だけのもの
いちみりヒビキ
BL
スパダリ聖者とツンデレ王子の王道イチャラブファンタジー。
<あらすじ>
ツンデレ王子”ユリウス”の元に、希少な男性聖者”レオンハルト”がやってきた。
ユリウスは、魔法が使えないレオンハルトを偽聖者と罵るが、心の中ではレオンハルトのことが気になって仕方ない。
意地悪なのにとても優しいレオンハルト。そして、圧倒的な拳の破壊力で、数々の難題を解決していく姿に、ユリウスは惹かれ、次第に心を許していく……。
全年齢対象。
タイムリープ〜悪女の烙印を押された私はもう二度と失敗しない
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<もうあなた方の事は信じません>―私が二度目の人生を生きている事は誰にも内緒―
私の名前はアイリス・イリヤ。王太子の婚約者だった。2年越しにようやく迎えた婚約式の発表の日、何故か<私>は大観衆の中にいた。そして婚約者である王太子の側に立っていたのは彼に付きまとっていたクラスメイト。この国の国王陛下は告げた。
「アイリス・イリヤとの婚約を解消し、ここにいるタバサ・オルフェンを王太子の婚約者とする!」
その場で身に覚えの無い罪で悪女として捕らえられた私は島流しに遭い、寂しい晩年を迎えた・・・はずが、守護神の力で何故か婚約式発表の2年前に逆戻り。タイムリープの力ともう一つの力を手に入れた二度目の人生。目の前には私を騙した人達がいる。もう騙されない。同じ失敗は繰り返さないと私は心に誓った。
※カクヨム・小説家になろうにも掲載しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる