この満ち足りた匣庭の中で 一章―Demon of miniature garden―

至堂文斗

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Twelfth Chapter...7/30

二つの現場

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 家に帰り、両親に通知表を見せる。反応は上々だったが、五が一つもないことは残念そうだった。次は頑張るよ、と適当に返事をして、僕はさっさと用意された昼食を平らげた。
 双太さんに指定された午後三時までは、まだ時間がある。僕は一度、永射邸の調査に行こうと考えていた。昨日は早乙女さんの死体を間近で見たショックで、現場を調べることが出来なかったからだ。既に貴獅さんや牛牧さんは調べているだろうけど、僕も一応、自分の目で事件現場を見ておきたかった。ひょっとしたら、誰も発見していない何らかの痕跡があるかもしれない。
 夕方まで外出すると母さんに告げて、心配そうな視線を躱しつつ、僕は出発した。
 午後の陽射しはとても暑く、歩き始めるとすぐ、体中に汗が滲んでくるほどだ。ポケットからハンカチを取り出して、額を拭いながら、僕は北へ北へと歩いていく。
 昨日は大勢の野次馬が押し掛けていた永射邸も、今は人っ子一人いない。まるで忌避されているかのようだ。いや、事実そうなのだろう。鬼の祟りが街中で怖がられるようになってきている現状、ここへ来ることで、自分も祟られるかもしれないと思う人は多そうだった。

「……よし」

 胸に手を当ててゆっくり呼吸して、心を落ち着ける。そして僕は、欠け落ちた永射邸の中へ、足を踏み入れた。
 空が晴れているおかげで、昨日よりは視界が明るく、床に散乱する瓦礫や、壁の焦げ付きなどが鮮明に見える。調査が今日になったのは、むしろ正解かもしれない。
 一回、二回と廊下の角を曲がる。その先が、早乙女さんの倒れていた部屋だ。扉などはない。進めばすぐに、惨憺たる現場が目に飛び込んでくる。……僕はもう一度、心を落ち着ける努力をしてから、そろそろと部屋の中へ入った。

「……!」

 入るなり、僕は昨日気付けなかったある事実に目を奪われた。
 壁一面に飛び散っていると思われた血痕。それは、確かに血の痕ではあったのだが、正確に言えばそれだけではなかった。
 ……飛び散る血痕の中に、幾つも。べったりと、血の手形がついていたのだ。

「何だ、これ……」

 手形がついている高さは疎らで、とても規則性があるようには思えない。ただ猟奇性を高めるためだけに、付けられたような気がしてならなかった。ミステリなら、ガストン・ルルーの黄色い部屋に同様のシチュエーションがあるけれど、そんなミステリらしい意味など、この手形にはきっとない。
 だが……この手形は、とても重要な手掛かりだ。これが一体誰の手形なのか。もし早乙女さんのものでないなら、手形の主が犯人である可能性は極めて高い。警察が来てくれていれば、すぐにでも指紋の照合を行っただろうに、貴獅さんが連絡を取らなかったことが悔やまれる。
 まさか……それが嫌で警察を呼ばなかったわけでは、ないと思いたいけれど。

「……あんまり、状況だけで疑っちゃいけないな」

 僕はそう独り言を呟きながら、血の手形が付いた壁面へと近づいていった。
 やや抵抗はあるものの、一日以上経った血痕は既に固まっており、そこまで嫌な臭いはしない。勇気を振り絞って、顔を近づけて確認してみる。すると、手形に指紋のような線があるのが分かった。……手袋をした手で付けたわけではないようだ。犯人がこんなリスキーなことをするとは思えないし、やはりこれは早乙女さんの手を利用して付けられたものなのだろうか。
 無駄なことだが、僕はなるべく指紋の形を覚えられるように、しばらくの間手形をじっと見つめていた。けれどやはり、目を離してしまうとすぐに、模様は曖昧なものになって思い出せなくなってしまった。そう、どうせこんなものだ。
 他に、事件の手がかりはないものか。僕は慎重に、見落とさないように、じっくり現場を見て回る。燃え残った本を拾い上げ、倒れた椅子を起こし。そんな地道な作業を十分ほど続けて、最終的には何の結果も見出せなかった。

「……駄目か」

 猟奇的な、わざとらしい痕跡以外は残っていない。深夜に行われた犯行だろうから、証拠隠滅は図りやすかっただろう。手掛かりを見つけられるかもなんて、甘い考えだったか。
 ……他にあるものと言えば、大量の瓦礫くらいだ。それを除けるような力は僕にないし、この瓦礫の山は早乙女さんの殺害時に出来たものでなく、火事が起きたときに出来たものだ。多分、どうにか撤去したとしても、徒労に終わるだろう。
 現場の捜査は、そろそろ終わりにすべきだな。
 スマホを見る。時計はちゃんと機能しているので、現在の時刻が一時五十分なのが分かった。予定の時間まで、まだ一時間以上ある。真っ直ぐ病院へ向かったとしても、大体十五分くらい。かなり早めの到着になってしまいそうだ。
 ここまで来たついでに、土砂崩れが起きた道を見に行こうか、と僕は考えた。永射邸からなら、歩いて十分と掛からない場所のはずだ。北東にある、外界との唯一の繋がりだった道。それが今はどうなっているのか、まだ僕はこの目で確かめていない。

「思い立ったら、即行動だ」

 僕はすぐさま永射邸を後にして、北東にある土砂崩れ現場への道を歩き始めた。
 舗装されている道路で、一番綺麗なのがこの道だ。道幅も大きく、真っ直ぐに伸びる道。車が通るからという理由なのだろうが、もっと街が発展していけば、いずれは満生台にある全ての道路が、こんな感じに変わるのだろうか。

「……あっつい」

 アスファルトのせいで、照り返しが強く、さっきまでよりも暑く感じてしまう。体も丈夫な方ではないし、病院に着いたら水分補給をしっかりしよう、と思った。
 幅員は、少しずつ狭くなっていく。左側は斜面が近づき、右側は堤防が近づいてくる。満生台は海沿いの街なので、南側には青い海が広がっており、その前には堤防が作られているのだ。堤防は、人間の身長以上の高さがあるので、ある程度の水害には耐えられる作りになっている。過去に何度も地震が起きているから、二次的な災害となり得る津波対策を、こうしてしっかりとれているわけだ。
 やがて、山の斜面と堤防とが、道を挟んで限界まで近づいた辺りで、土砂崩れの現場が見えてくる。その状態を一目見てまず浮かんだ言葉は、予想以上、というものだった。
 山側の、かなり上層部から地面が抉れ、土砂だけでなく、周囲の木々も一緒くたになって、道路に雪崩れ込んでいる。それは最早、土砂というより突如出現した壁と言ってもおかしくないレベルだった。
 奥は見えないが、きっと十数メートル以上に渡って道路は塞がっているのだろう。津波を防ぐ堤防は、反対側の土砂に対してはむしろ悪影響を及ぼしており、堰き止められて海に落ちていかなかった土砂や木々が横に流れることで、被害規模が明らかに増しているのだった。
 無理をすれば、ここから誰かが乗り越えて、警察を呼びに行けるのではないかと考えたりもしていたが、実際の現場を見てみると、それは難しいように思えた。少なくとも、僕にはとても越えられそうにない。まあ、それは当たり前だけど。

「……待ってた方が賢明って感じか」

 早乙女さんの殺害事件が起きた今、それでいいのかどうかは悩むところだが、誰もここから出ようとしていないのだし、住民たちは土木業者による撤去作業を待った方がいいと思っているのだろう。
 ……ただ、その土木業者の姿はない。作業の音も、聞こえてくることはない。
 天気はとっくに回復しているので、事前に業者を呼んでいたなら、撤去作業が始まっているはずだ。僕が昨日抱いた疑念は、間違いではないのかもしれない。
 ……貴獅さんに、聞いてみなければいけないな。
 とりあえず、調べられることは全て調査出来た。時間も丁度いい頃合いだった。そろそろ病院へ行くことにしよう。双太さんから、色々と聞かなくては。
 今日はかなり疲れるな、と苦笑しつつ、僕は踵を返して、逃げ水の映る道路の上をまた歩き始めるのだった。
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