インペリウム『皇国物語』

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episode2 『ユーロピア共栄圏』

50話 囚われの幼子

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 波に揺られてランタンがカランと音を立てて傾き、船体の軋む音と合わせて。ロゼットは一人牢の中で目の周りを真っ赤に腫らし、前髪がかかって表情が見え辛いが虚ろな目でボーっとしていた。

「へへへ…お嬢ちゃんこっち来なよ……」

 左隣の牢獄では海賊と同じよう容姿のゴロツキ達がロゼットに向かって近寄るように手を伸ばしてきている。右隣の牢獄から紫苑が心配そうにロゼットを見つめている。行商人共に手枷を付けられ、紫苑の跳躍力を恐れているのか右脚には鋼鉄の鉄球が付けられていた。

「ロゼット様…」

 行商人が船体にもたれながら紫苑の方を一瞥して彼らの関係に言及する。

「あんたら本当に主従関係なのか?」

「彼女は私の主君……。私が最も敬愛するお方です」

「貴族…というわけではないだろうな。ドラストニアの使者ということは―…王族か」

 行商人の察しの良さから彼がただの『行商人』ではないことはわかっていた。さしずめ大統領と近しい存在、諜報員だろうか。確信はないがそれに近い存在であるのは間違いないだろうと洞察する紫苑に彼は脱出する手立てを思案する。

「どうするよ、あんたの怪力ならそんな手枷壊せるんじゃねぇか?」

 冗談で彼は言ったつもりであるが紫苑は一言「ああ」と呟いてから、手枷の鎖を引きちぎって見せた。行商人は呆気に取られ、ロゼットに手を伸ばしていたゴロツキ達もギョッとした様子でこちらを見ている。

 涼しい表情で今度は行商人の鎖も引きちぎって外して見せるが流石に檻までは破壊できないようであった。

「少々時間も掛かる上、より強度な鋼鉄製のものだ。正直に話すと少々骨が折れる」

「あんたの場合はホントにで済んじまいそうで笑えないね」

 外の様子も分からない以上下手な行動はかえって危険。ロゼットもいる手前尚更慎重にならねばならない。紫苑は彼女のほうへと歩み寄り、檻越しで彼女の安否を確認する。

「ロゼット様…」

 彼女も紫苑のを方を向き、涙で赤く腫れた目元が痛々しく見える。虚ろだった目に光が戻り、紫苑の方に近付いてまた涙を流し始める。

 彼の手を握り、声を押し殺して泣く姿に優しい表情で彼女を慰めることしか出来ない。

「愛しの主を想いながら慰める騎士様か、良い絵面なことで。しかし状況は最悪というわけでもないぞ」

 二人は行商人のほうへと向きかえる。海賊と言えど取引が通じる相手であれば逃げ道はいくらでも作れると。ロゼットと紫苑のことはドラストニアの使者としか彼らは見ていない点。これは相手からして見てもいずれ弱点になりうる可能性も秘めている。

「考えてもみてくれ、レイティスへと向かったドラストニアの使者が彼らの国内で海賊の襲撃によって死んだなんてことになったら両国の関係はどうなる?」

 ロゼットは考え込んで紫苑の顔を見て伺う。察した紫苑が代わりに答えた。

「レイティスの安全保障の問題に直結し兼ねないでしょうね。私の命はともかくとしてロゼット様の身の危険があっては長老派は黙っていても、国王派は黙することなどありえません」

 紫苑の言葉にロゼットは手を強く握り、自分の命を軽く見ないで欲しいと彼に目で訴えかける。彼もそれに笑顔で答えていた。

「それで黙っていたら、とんだ腰抜け国家だろ」

 ドラストニアも一枚岩ではない。しかし事実上の王位継承者を失うことになれば長老派は国民からの支持も失え兼ねる。そうなれば重い腰も動かざるを得なくなる。

 レイティスとドラストニアとの間に亀裂が入れば両国間の緊張が高まる。かといって両国間での親交が深まれば軍事連携の強化が行なわれる可能性が非常に高い。海賊にとっては現状の関係が最もバランスが良く都合が良いのだ。

 図らずもそのドラストニアの使者を捕らえたことでむしろ彼らの方が自ら首を締め付けた結果を招いている。

「連中にとってあんたらは客人みたいなもんだ。この逃げ場のない海域でレイティスとドラストニアが一戦交えるなんてことになったら海賊も駆逐されかねない」

 逃げ場のない海域と聞いてロゼットは首を傾げた。

「逃げ場のないってどういう意味なんですか?」

 彼女はこの海域と地形を知らないためか彼らの言うことが分からなかった。行商人が軽く説明する限りでは海域は北にグレトン、東にドラストニア、西にレイティスと大陸に囲まれている。南に僅かにだけ開けた場所があるが向かい合った大陸同士は十里ほどの距離しかない。

 そこでロゼットは旅船襲撃のことを思い出し、目を丸くする。

「あの襲撃された場所。でもあそこは…」

「思い出したか? 南下して大海へ出ようもんなら魔物の待つ地獄の大海が待っている」

「あの『ジブラルタル』を越えるだけの戦力自体がないし。仮に出たとしてもレイティス、ドラストニアよりもヤバイ化け物の餌食になりに行くようなもの」

 海賊側の連日による襲撃の理由もここに来てようやく分かってくる。彼らには後がない。むしろ追い詰めているのは三つの国家のほうだ。海賊としても我々が連携を組み総力戦を仕掛けられるのは避けたいが国家間での激戦になることも望まない。その間に地盤となる地を手中に納めることこそ彼らの目的であるように思えてくる。

 だがこの程度の戦力で大規模な都市を攻略出来るのか?

 実際に近隣の小規模の港町でさえ支配にまでは至っていないが、今回あのような惨状をどのようにして生み出したのか疑問が残る。

 ロゼットはあの海賊船長の使っていた黒い煙を指す。確かに未知数ではあるが船長一人が強力な魔力や能力の類を持っていても攻略できる規模の都市ではない。都市内の各所でもそんな能力の片鱗さえ見られなかったのだ。

 そこでふと、ロゼットは気になったことを訊ねる。

「そういえば、逃げる途中の民家で急に爆発が起こったんですけど…」

「民家で?」

 大砲の音もなく突如として起こった爆発。彼女が通り過ぎた後だったために事なきを得たが、その後爆発の音を聞きつけて海賊に追われた経緯を話す。行商人は想像通り、といった様子で彼女に答えた。


 ◇

 翌朝、政庁にてシンシアがお茶が入ったと息抜きにセルバンデスを呼びにいく。応接室で彼は考え込むように都市の地図を覗いている。彼の様子を横で見ていたシェイドが被害が出た場所に関して言及している。

 被害規模は港から半径数キロにまで及び政庁から近い場所で起こっているものまである、襲撃を受けたのは精々二時間程度と思われる。範囲と襲撃各所も位置としてはバラバラで統一性がまるでない。

 だが共通しているものもあり、一番の被害を受けているのが防衛の要所とも言える駐屯地や資材置き場などだ。海賊の襲撃に殺傷、略奪行為ではなく爆破と炎上によるものだった。

「どう考えても動きが早すぎる」

「港町の襲撃の時もそうでしたがあまりに…上手く行き過ぎています」

 二人の考えが同じということ…。シンシアには理解しがたい話であった。彼女は二人にどういうことなのかと問うとシェイドが彼女の方へ向き直る。

「レイティスの前政権の政策は知ってるかい?」

「いえ…。そういうことには疎くて…」

 レイティス共和国は前大統領が移民政策に打って出たため移民者が倍以上に増え、それによって多くの人種が入り込んでくることとなり多様な文化が入り込んできた。

 本来移民者の受け入れを増やすのなら粗暴な人物、外国からの密偵、犯罪者等の入国を防ぐために入国審査は厳しくなるものである。

「けど前大統領はむしろ審査基準を緩めてしまったんだよ」

 シンシアは首を傾げながら彼に問う。

「なら取り締まりを強くしたらいいのでは?」

 彼女の問いに溜め息混じりで答える。

「それを反対してるのは何処の誰だっけ?」

 シンシアは言葉を詰まらせた。他ならぬあの大統領立候補者の勢力とそれを支持する層である。

「じゃあ彼らが今回の襲撃を…?」

「そこまでは言わないよ、ただ『出来過ぎ』ていないかなと疑問に思ってるだけだよ」

 彼らと海賊を結びつけるものがない以上言及は出来ない。シンシアと話しつつ彼はセルバンデスの様子を横目で見ていると報告が入り込んでくる。

「公爵、先ほど海賊が書簡を送ってきたようでどうもその内容が…」

「『ドラストニアの使者を人質にとった』。大方そんなものでしょ」

 セルバンデスとシンシアの表情が一変する。オルトも頷いて答えるに留まり大統領が緊急に会議を行なうとの事で彼らに伝えに来た。

「も…もしかしてヴェルちゃん…」

 シンシアが震える声で彼女の身を案じる。彼女はロゼットのおかげで逃げ延びたがあの後、彼女が捕まっていたのだとしたら自分のせいだと自責の念に駆られる。それをなだめるように彼らは口節に語るが、内心穏やかなものではない。

「書簡は大統領の元に?」

「ええ、すぐにでも始めるとのことです」

「急ぎましょう」

 一同は駆け足で閣議室へと向かう。セルバンデスは一抹の不安を抱えながら一同と共に閣議室へ入る。会議は既に行なわれており、送られてきた書簡の人質に関して話題に上げられている。彼らは場所を指定してきておりその地にて交渉したいとのことだ。

 大統領、政権側には便宜上ドラストニアの使者ということでロゼットのことは伝わっていたためかロブトンにもロゼットの正体は行き届いていない。彼もドラストニアの使者ということでセルバンデス以外の人物といえど重要な人材はいないはずだと首を傾げている。

「セルバンデス殿、この内容は事実と思われますか?」

「書簡どおりだとは思います。身柄が確認できないことには断定は出来ませんが…」

 彼女の正体を明かしていないためにレイティス側の高官らはあまり乗り気ではないらしく、むしろ腫れ物扱いという様子だがセルバンデスの様子を察した大統領は救出に乗り出す方針を打ち出す。

 それに同調するように大統領選挙立候補者のミシェルも進言。

「彼らの目的は不明でしょうが、交渉の余地はあるのではありませんか?」

「相手は海賊、こちらの常識が通じるとも思えません。別働隊を送り救援に向かう方が最良かと」

 ミシェルの進言に将官のパドックが危機感をあらわにする。彼らのほうが交渉をしてきているのに対してだまし討ちをすればそれこそ人質の命はないのではないかと彼女は切り返す。

 意見は割れ膠着した状態で先に進むことがないと判断した大統領は軍を動かしつつ自身が直接交渉に乗り出すと決める。高官らは騒然とし再考するように求められるも情報がない以上こちらから出向いて動くしかないと判断。

 セルバンデスら一行も追従するとの趣旨を伝え方針は固まる。会議終了後セルバンデスはパドックに溢す。

「将官殿、少しよろしいでしょうか」

 パドックは訝しげな表情で応じる。いくら恩人といえど他国民のために大統領自ら乗り出すとなると内心穏やかなものではないだろう。それはセルバンデスも当然理解している。

 彼に謝罪した後にロゼットの正体を明かした上で自身の憂慮している旨を話す。それは彼らにとって、いずれ『崩れ行く足元』ともなり兼ねない部分であった。
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