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episode3 人と魔の狭間に
68話 混色の朝
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深夜の鉄道、ミスティア行きの列車をベンチに座りただ一人待つイヴ。街灯によって照らされる彼女の美しさはどんな時でも変わる事はなかったがその背中はいつになく小さなものだった。
彼女の意思とは裏腹に行き先は南方の都市ミスティアでガザレリアじゃない。『ホールズ一派』が動き出したことで本来であるならば自分達フローゼル側の人間が取るべき責任だった…―がそうはならなかった。ラインズとは約束を交わしたものの彼らが守るかどうか、その真意はわからないまま。信用はしているが信頼は寄せていないと言ったところだろうか、彼女の表情が全てを物語る。
「今の私には選択できるほどの『力』なんてないものね…」
自身の愛剣に手をかけながら呟く。まさに鳥籠の中―…。でも自身に出来る事がないからいって成すべき事を投げ出すつもりも、模索せずに待っているつもりもない。とにかく何か自分自身にも出来うることを考えたかった。
俯いていた顔を上げて暗闇に包まれた天井を見上げる。地下施設として建設されているこの鉄道の在り方は流石はユーロピア大陸の中でも有数の産業発展国と言ったところか。地上に建設すれば場所を大きく使ってしまい、騒音などの問題で近隣住民も反発があったと思われる。そういった問題も起こらない対策として地下に建設し、王都から離れた場所から線路が地上へと昇っていく仕組みに作られている。
フローゼルにおいては異なり、居住区から離れた市場を中心とした場所に主軸となる駅が存在している。物流の面から考えてもその位置が良いと考えてのことであったがそうも上手くいっているわけでもない。常に近辺は混雑していたために現在では旅行客向けの駅とは別に分けて建設されたことで混雑を多少緩和出来たのだがその開発に使われた費用の捻出にも頭を抱えていた。
そんな中でグレトンからの金の貸付の話が舞い込んできた。
その他にも問題を抱えていたフローゼルは彼らの貸付に縋りつくしかなかった。ドラストニアでは内戦も起こりフローゼルも吸収されて王家滅亡もありえた話だ。
「ドラストニアの内戦のせいになんて出来ないわ…。フローゼルの問題そのものは私達自身での問題だもの」
国家を運営することの難しさに虚ろな目で天井の暗闇を真っ直ぐと見ている。まるで答えのない問題を解決していくような、闇の中を明かりもなしにただ歩き続けるような感覚。
「普通の…女だったら―…私はどうしてたんだろう」
今頃何処かへ嫁いで、子供を設けて平凡な生活をしていたのだろうか。それともただひたすら目的地も決めずに自由気ままに旅をしていたのだろうか。肩にずっしりとのしかかるように感じる王女という位。好きで王家に生まれたわけでもないだろうが、それは約束された『責務』。彼女が生きるうえで果たさなければならないものだった。
自由気ままに旅をする自身を思い描き、蒸気を噴出しながらやって来た列車に想像を映しこむ。
呼吸を整えていざ列車へと乗り込む覚悟を決めると、彼女のほうへ誰かが駆け寄ってくる。
「ラインズ皇子?」
「良かった、間に合ったな。渡しそびれたものがあったよ」
ラインズ皇子がわざわざ王宮から彼女の見送りも兼ねて、渡しそびれたと言った二つの書簡を差し出す。何故二つあるのか訊ねると、一つは向こうの『地主』に渡すか『執事長』に渡して欲しいと彼は頼み込んだ。
「最悪、ロゼットにでも構わない」
なぜロゼットなのかは分からなかったが、彼はそれだけを伝えると今度はもう一つの書簡について話す。今度は魔物の討伐部隊の編成が決まり、なにかしらの『動き』があったときに開けて欲しいとのことだ。つまりもう一通はイヴ自身に宛てたものだった。
「なぜそのタイミングで?」
怪訝な表情で訊ねるイヴ。彼女宛であれば別にどのタイミングで開けようとも対して変わらないのではないのではないだろうか。けれどもラインズはそのタイミングで開けることを徹底して欲しいとだけしか返事をしなかった。なにやら目論みがあるのだろうが彼の真意がわからない以上それに従う他ない。他に何か必要なことはないか訊ね、一通りの確認を終えたので列車へと乗り込イヴ。
先に兵力はミスティアへ送ってあるため、自身が到着する頃には魔物討伐のための部隊編成と都市の地主と役人、有識者との間で会合を開き行動が開始される手筈になっている。ラインズと挨拶を交わした後、列車の奥へと向かっていくが―。
途中でラインズに手を取られる。
少し驚いてイヴは振り返るとそこにいつものにやけた顔はなく、少し真剣な表情でこう言った。
「俺が言えた義理じゃないんだが……その…ロゼットを頼む」
彼の目は真剣そのもの。魔物の動きが活発化している地域とはいえ、たかだか自国の都市へメイドとして送り込んだだけである。妙な話、彼自身も王位継承者であるにもかかわらず彼は彼女の存在を消そうとするどころか彼女を育成しようと考えている。いい加減な王位継承者が他の者にその地位を投げ渡すような話は珍しい話ではないが本気で国政を考えていながらその地位に就こうとせずになぜ先代国王の遺言を実直に守り続けるのだろうか。彼自身にはその力は十分に備わっているのに、あえて彼女を育て上げようとわざわざ手間のかかる事をするのだろうか―?
彼自身の巧妙さや動き方を見ていれば何か裏があるとどうしても勘ぐってしまう。ここで彼に聞いてもその答えが返ってくることはないのは分かっている。彼女は口に言いかけたその言葉を飲み込み代わりにその頼みに対する返事をした。
「わかったわ。リズのことは私が責任を持ってドラストニアへ連れて帰る」
イヴが答えると「そんな大袈裟なものじゃなくていい」といつもの笑いを含んだ表情へと変わった。どちらにしても彼女はロゼットの身は守るつもりでいた。今ドラストニアで彼女を失えば再び内乱も起きかねないし国同士の関係性を無視しても『イヴ・エメラルダ』個人として彼女を妹のように大切に想うが故のこと。
彼女の想いと決意に答えるように列車は汽笛を鳴らして闇夜の線路を走り抜けて行く。先の見えない答えも探すかのようにただ走るだけだった。
◇
「ヴェルちゃんもう朝だよ、集合時間になっちゃうよ」
慣れない土地での朝を迎え、シンシアに起こされるロゼット。むくりと身体を起こし、目を擦りながらまだぼやけてる頭を起こそうとのそのそと着替えを行なう。シンシアにも急ぐように言われながら手伝ってもらい覚めきっていない身体を引っ張られて集合場所へと向かう。
集合場所では既に他の新人も集まっており、執事長のミカルが軽い挨拶と指示を行なう。屋敷のハウスキーパー達も同じく集合しており、そこには昨晩ロゼットと出会った少女達もいた。
昨晩のこと――あの『泣き声』のことがどうしても頭から離れずにいる。
そのせいもあってか昨夜も眠りに中々就けずに寝具の上で遅くまで悶々としていた。あの泣き声の正体が気になる。あの時はあんな話を聞いたばかりだったから恐ろしく思えたが冷静になった今、もしかしたら深夜に少女が出歩いて怪我でもしてしまったのではないか、魔物に襲われでもしたらと思うと少し罪悪感が湧いてきた。そんな考えを巡らせていると不意に背後から声を掛けられ変な声を上げて驚くロゼット。
振り返ると昨日の少女を含めたこの屋敷に住まう熟達のハウスキーパー数名がいた。
「ではヴェルクドロールさん、私達が指導を任されたからこれからよろしくね」
「あ、は、はいっ。よろしくお願いします」
彼女達が屋敷内でのロゼットの先輩となりこれから指導を行なっていくようであった。昨晩食堂で出会った十五歳くらいに見えるハウスキーパーの一人が彼女と同班となり、互いに見合わせて軽く会釈する。てっきり昨日の件でも耳打ちされるかと思っていたが彼女もそこには触れなかった。深夜に出歩くこと事態が問題視されるのでロゼットとしても二つの意味で触れたくはなかったので互いに別の話題で逸らす。
屋敷の食堂では地主のケネットが遅い朝食を摂っており、新聞のような紙を広げて読み漁っていた。彼は毎日欠かすことなくこの情報紙を読んでは外国へと赴いた際には情報交換を行なっている。
彼の仕事はもっぱら商社、貿易関係での仕事上必須でもあるためだ。ミスティアも土地柄、南には産業貿易国家の『ビレフ』にすぐ東側には『ガザレリア』と拠点防衛の観点から見ても非常に重要な立ち位置に属する。肥沃な土地でもありながら各所の国境近辺でもあるため必然的に産業都市として大きく発展。都市部でこそ建設や加工技術による道具や馬車、鉄道部品などのインフラ設備、武器兵器の輸出が急速に伸びつつある。レイティスやフローゼルとの関係改善で加工できる鉱物やそれらの技術も入ってきているのだ。
それとは対照的に彼らの屋敷近辺は牧畜や農業を重視し、一面が牧畜と田畑で広がっている風景がまた面白い。執事長のミカルとロゼット達がが入室ししてくる。周辺の装飾品の掃除と彼の食べ終わった食器の
跡片付けを指示され、ミカルは彼のカップに珈琲を注ぐ。ラインズと同じく彼も珈琲の愛好家なのだろう、パンと一緒に口の中へと含みよく味わう。ロゼットも作業片手に彼らの話に少しだけ耳を傾けていた。
「魔物と家畜の買い付けは終わっている。都市部からの運送業者が来るから対応しておいてくれ」
「かしこまりました。今回は一週間ほどですか?」
「ああ、ビレフで市場をもう少し開拓したくてな。あと飛行艇技術もなんとしても手に入れておきたい」
ミスティアも産業都市としてその名を知られているが、産業国家であるビレフの持つ技術力は比較にならないほど高度。飛行艇という言葉に少し反応してロゼットもその名を呟く。文字通り空を飛ぶ船というものを想像してみるが船にプロペラがくっ付いたような異様な姿形しか少女の頭の中では思い浮かばなかった。彼女にとっての身近で想像しやすい飛行物といえば飛行機くらいのものだろう。現代飛行能力を持つ航空機とまだ見た事のない飛行艇のどちらが早いのだろうなんて想像を膨らませながら鼓動が少し高鳴った。
彼らの会話からもわかるようにそんな技術を有するほどビレフは産業の大きく発展した国家。同盟国は存在せず海洋に面し、自国の防衛力だけで独立しているようだ。同じ一面を持つレイティスとは異なり海軍ではなく独自の技術の結晶でもある『飛行艇』を発展させた空軍が主戦力のようである。ドラストニアにも引けを取らない軍事力も保有し、外交面では貿易所として異国の物品の出入りが激しいため商人達にとっても大きな存在。
「王都の方針もビレフとの国交を結びたいという理由があるのなら頷ける。フローゼルに責任を負わせることのためだけじゃないだろう」
「フローゼルからの亡命者の話ですか…。たかだか数名のためにガザレリアもそこまで愚かとは思えませんが」
「人間よりも魔物の方が優先される国家なんて法以前の問題だろう。あれでは宗教国家だ」
確かにそんな国家がすぐ南に存在しているとなるとラインズやシャーナルなら国交を結ぼうと考えるのではないだろうか。そのための四カ国での首脳会談だったのかとロゼットは作業を片手に耳を傾けているがガザレリアの話も気になっていた。
「人間よりも魔物を優先…?」
当主のケネットの言った言葉、その意味がよく理解できなかった。魔物が国家運営でも行なっているのだろうか、人間と魔物の立場が逆転でもして人間が使役されているのかと想像を働かせる。
「主の話を盗み聞くなんて良い趣味とは言えないな」
と彼女のすぐ隣から声を掛けられ、驚きのあまり身体が思わず跳び上がる。次期当主で息子のポットンが彼女の隣で笑みを浮かべて壁にもたれかかっていたのだが声を掛けられるまで全く彼女は気づいていなかった。ロゼットは慌ててすぐさま謝り仕事に戻ろうとしたが、ドタドタと音を立てて嵐のように騒がしい人物がやって来る。アデラ婦人は入室するや否やハウスキーパーを何名か供回りに連れていくと一方的に告げてきたために対応する当主は呆れ気味の様子。
「またか…これで何度目だ。昨日も豪遊してきたばかりだろう? もっと生産性のあることをしろ」
「婦人会の中には王宮に通じる人間もいるのよ? 今後のことを考えれば彼等とコネを持っておかないでどうするというの?」
「またその話か。それとお前の金物が増えるのと何の関係があるんだ?」
「大ありよ、ポットン適当に見栄えの良い娘を選んでおきなさい。そうね―…そこの白いの」
妙な呼ばれ方をして自分かと振り返るロゼット。出発の準備をするように言いつけられ彼女の買い物に付き合わされることとなった。
「ツイてないね君。まぁ、君見た目は他のメイドと一線を画するくらいの美形だし母上に選ばれたのはむしろ光栄なことだと思って良いと思うよ」
ポットンもそう言って婦人に追従していくが素直に喜べないのか複雑な表情のロゼットだった。溜め息をつきつつ当主も朝食を後にして立ち去り、ロゼットも出かける準備をするために先輩ハウスキーパーに許をもらい自室へと戻ろうとするがミカル執事長に呼び止められる。
「ロゼット殿、準備が出来ましたら正面玄関でお待ちしております。預かったものを一度お返しいたします」
一応彼女が王都の要人という扱い自体は変わりない。屋敷での扱いはともかく外出するとなれば話は別、もし彼女の身に何かあればドラストニアの王家からの信頼を失いかねないための措置だろう。
ロゼット自身はそんなこと考えに至らなかったが愛剣を返してもらえるということはそれだけ危険もあることなのだと少し身構えていた。
準備は済み、屋敷の玄関へと向かうと既に何名ものハウスキーパー達が婦人たちを待っていた。みんな綺麗な人ばかりが厳選されたのが露骨にわかる。
(うわぁ…わかりやすいなぁ。でもなんで綺麗な人ばかり?)
ロゼットがやってきたことに集められたハウスキーパーも驚き、互いに耳打ちして見合っている。一人の背の高めの成人女性が彼女に声をかけて呼ばれたのかと訊ねられ答えると今度はなにやら悲しいものを見るような目で見られる。彼女達の考えが分からずに頭の中で疑問を浮かべていると派手な装飾品を身に纏ったアデラ婦人達もやって来た。服装も胸元を開けて長いスカートにもスリットが入っているのか歩く度に太ももが見え隠れする、シャーナルと趣味が似ているのか分からないが彼女だったら年齢も相まって似合う事もある。
しかし婦人は見た目は綺麗には見えるが年齢よりもという意味である。高校生くらいの子供がいる母親がそんな格好をしているというのを想像してみるとわかるように貴婦人というよりも少々下品な印象を与えるのではないだろうか。
彼女らが出かけようとしたと扉に手をかけたと同時に、訪問客を知らせるベルが鳴った。
「失礼します。奥様来客です」
ミカル執事長がそう言って手招きした人物は身なりはは整っているが剃り残しの髭がある短髪の男性。かれを見た瞬間、婦人の顔つきが変わり表情は笑っているが目つきが明らかに敵意を向けるような視線だ。
「ご無沙汰しておりますブレジステン婦人。次期当主も本日は揃ってお出かけですか?」
「『卓上役人』がわざわざこんな辺境にくるなんてよほど暇なのかしらね」
「暇でもなければこちらに伺うことなんて出来ませんでしたよ」
いきなりやって来た役人と呼ばれる男に対して嫌味な態度を示す婦人。突然やって来たこの男のふてぶてしい態度にもロゼットは難色を示すが敵意とも取れるほどの辛辣な婦人の態度にも悪意を感じていた。この国の地位ある人物達はこうした憎まれ口を叩き合う会話が日常のようだった。ラインズやシャーナルとのやりとりでも慣れているのもあってか一歩退いて見つめる事ができるほどに少女には余裕が出来ていた。
「それはそれはご足労でしたわね。もてなすほどのものもございませんので、お時間があるのならお好きにどうぞ」
婦人は役人へもてなしもままならない状態で彼の横を素通りし出かけようとしたが一瞬だけなにやら役人に耳打ちしているのをロゼットは見逃さなかった。役人も彼女の言葉に返すように都市部での一件を話し始めた。話の最中でハウスキーパー達は互いに顔を見合いながら不安を不安の声を漏らし、ロゼットにも緊張が走る。その上で彼女達の昨晩の行動について訊ねる。
「昨晩はどちらに? 都市部へいつものようにいらしたのでは?」
「さぁ? 都市部で起こったことと辺境に住む私共と何の関係があるのかしら?」
嫌味な物言いをする婦人の答えを軽く往なすように別の言い方で彼は質問を続けた。
「ここ以外で魔物の使役は行なわれておりますかな?」
「他の地域でもやってますよ、隣町もやってるし、都市部でも売買してるのでしょうしそちらもあたられてはどうです」
役人の質問に横槍で突くように答えたポットン。彼にも同様の質問を行なったがポットンは屋敷にいたと淡々と答える。彼の在宅は執事長ミカルが証明できるため、役人は核心を突くような質問は行なわなかった。それではむしろ尋問になりかねない。立ち去っていく婦人を見送りつつ、屋敷の奥に当主がいるかどうかミカルに確認するように指差しのような仕草を見せ、ミカルは軽い会釈で答える。ハウスキーパー達は婦人達に続いて屋敷を出て行きロゼットはミカルから愛剣を受け取る。
「何かございました時までは極力抜くことは控えてください」
彼に耳打ちされ、ロゼットも軽く頷いてみせる。役人を尻目にそのまま立ち去っていく。役人の方はむしろ何かを思ったのか彼女を二度見する。銀色の長い髪と白い素肌が印象的でやはり誰の目にも残るのだろう。
「beautiful『見事なもんだ』」
短い口笛を吹いた後に感嘆な感情をそのまま口にしていた。
彼女の意思とは裏腹に行き先は南方の都市ミスティアでガザレリアじゃない。『ホールズ一派』が動き出したことで本来であるならば自分達フローゼル側の人間が取るべき責任だった…―がそうはならなかった。ラインズとは約束を交わしたものの彼らが守るかどうか、その真意はわからないまま。信用はしているが信頼は寄せていないと言ったところだろうか、彼女の表情が全てを物語る。
「今の私には選択できるほどの『力』なんてないものね…」
自身の愛剣に手をかけながら呟く。まさに鳥籠の中―…。でも自身に出来る事がないからいって成すべき事を投げ出すつもりも、模索せずに待っているつもりもない。とにかく何か自分自身にも出来うることを考えたかった。
俯いていた顔を上げて暗闇に包まれた天井を見上げる。地下施設として建設されているこの鉄道の在り方は流石はユーロピア大陸の中でも有数の産業発展国と言ったところか。地上に建設すれば場所を大きく使ってしまい、騒音などの問題で近隣住民も反発があったと思われる。そういった問題も起こらない対策として地下に建設し、王都から離れた場所から線路が地上へと昇っていく仕組みに作られている。
フローゼルにおいては異なり、居住区から離れた市場を中心とした場所に主軸となる駅が存在している。物流の面から考えてもその位置が良いと考えてのことであったがそうも上手くいっているわけでもない。常に近辺は混雑していたために現在では旅行客向けの駅とは別に分けて建設されたことで混雑を多少緩和出来たのだがその開発に使われた費用の捻出にも頭を抱えていた。
そんな中でグレトンからの金の貸付の話が舞い込んできた。
その他にも問題を抱えていたフローゼルは彼らの貸付に縋りつくしかなかった。ドラストニアでは内戦も起こりフローゼルも吸収されて王家滅亡もありえた話だ。
「ドラストニアの内戦のせいになんて出来ないわ…。フローゼルの問題そのものは私達自身での問題だもの」
国家を運営することの難しさに虚ろな目で天井の暗闇を真っ直ぐと見ている。まるで答えのない問題を解決していくような、闇の中を明かりもなしにただ歩き続けるような感覚。
「普通の…女だったら―…私はどうしてたんだろう」
今頃何処かへ嫁いで、子供を設けて平凡な生活をしていたのだろうか。それともただひたすら目的地も決めずに自由気ままに旅をしていたのだろうか。肩にずっしりとのしかかるように感じる王女という位。好きで王家に生まれたわけでもないだろうが、それは約束された『責務』。彼女が生きるうえで果たさなければならないものだった。
自由気ままに旅をする自身を思い描き、蒸気を噴出しながらやって来た列車に想像を映しこむ。
呼吸を整えていざ列車へと乗り込む覚悟を決めると、彼女のほうへ誰かが駆け寄ってくる。
「ラインズ皇子?」
「良かった、間に合ったな。渡しそびれたものがあったよ」
ラインズ皇子がわざわざ王宮から彼女の見送りも兼ねて、渡しそびれたと言った二つの書簡を差し出す。何故二つあるのか訊ねると、一つは向こうの『地主』に渡すか『執事長』に渡して欲しいと彼は頼み込んだ。
「最悪、ロゼットにでも構わない」
なぜロゼットなのかは分からなかったが、彼はそれだけを伝えると今度はもう一つの書簡について話す。今度は魔物の討伐部隊の編成が決まり、なにかしらの『動き』があったときに開けて欲しいとのことだ。つまりもう一通はイヴ自身に宛てたものだった。
「なぜそのタイミングで?」
怪訝な表情で訊ねるイヴ。彼女宛であれば別にどのタイミングで開けようとも対して変わらないのではないのではないだろうか。けれどもラインズはそのタイミングで開けることを徹底して欲しいとだけしか返事をしなかった。なにやら目論みがあるのだろうが彼の真意がわからない以上それに従う他ない。他に何か必要なことはないか訊ね、一通りの確認を終えたので列車へと乗り込イヴ。
先に兵力はミスティアへ送ってあるため、自身が到着する頃には魔物討伐のための部隊編成と都市の地主と役人、有識者との間で会合を開き行動が開始される手筈になっている。ラインズと挨拶を交わした後、列車の奥へと向かっていくが―。
途中でラインズに手を取られる。
少し驚いてイヴは振り返るとそこにいつものにやけた顔はなく、少し真剣な表情でこう言った。
「俺が言えた義理じゃないんだが……その…ロゼットを頼む」
彼の目は真剣そのもの。魔物の動きが活発化している地域とはいえ、たかだか自国の都市へメイドとして送り込んだだけである。妙な話、彼自身も王位継承者であるにもかかわらず彼は彼女の存在を消そうとするどころか彼女を育成しようと考えている。いい加減な王位継承者が他の者にその地位を投げ渡すような話は珍しい話ではないが本気で国政を考えていながらその地位に就こうとせずになぜ先代国王の遺言を実直に守り続けるのだろうか。彼自身にはその力は十分に備わっているのに、あえて彼女を育て上げようとわざわざ手間のかかる事をするのだろうか―?
彼自身の巧妙さや動き方を見ていれば何か裏があるとどうしても勘ぐってしまう。ここで彼に聞いてもその答えが返ってくることはないのは分かっている。彼女は口に言いかけたその言葉を飲み込み代わりにその頼みに対する返事をした。
「わかったわ。リズのことは私が責任を持ってドラストニアへ連れて帰る」
イヴが答えると「そんな大袈裟なものじゃなくていい」といつもの笑いを含んだ表情へと変わった。どちらにしても彼女はロゼットの身は守るつもりでいた。今ドラストニアで彼女を失えば再び内乱も起きかねないし国同士の関係性を無視しても『イヴ・エメラルダ』個人として彼女を妹のように大切に想うが故のこと。
彼女の想いと決意に答えるように列車は汽笛を鳴らして闇夜の線路を走り抜けて行く。先の見えない答えも探すかのようにただ走るだけだった。
◇
「ヴェルちゃんもう朝だよ、集合時間になっちゃうよ」
慣れない土地での朝を迎え、シンシアに起こされるロゼット。むくりと身体を起こし、目を擦りながらまだぼやけてる頭を起こそうとのそのそと着替えを行なう。シンシアにも急ぐように言われながら手伝ってもらい覚めきっていない身体を引っ張られて集合場所へと向かう。
集合場所では既に他の新人も集まっており、執事長のミカルが軽い挨拶と指示を行なう。屋敷のハウスキーパー達も同じく集合しており、そこには昨晩ロゼットと出会った少女達もいた。
昨晩のこと――あの『泣き声』のことがどうしても頭から離れずにいる。
そのせいもあってか昨夜も眠りに中々就けずに寝具の上で遅くまで悶々としていた。あの泣き声の正体が気になる。あの時はあんな話を聞いたばかりだったから恐ろしく思えたが冷静になった今、もしかしたら深夜に少女が出歩いて怪我でもしてしまったのではないか、魔物に襲われでもしたらと思うと少し罪悪感が湧いてきた。そんな考えを巡らせていると不意に背後から声を掛けられ変な声を上げて驚くロゼット。
振り返ると昨日の少女を含めたこの屋敷に住まう熟達のハウスキーパー数名がいた。
「ではヴェルクドロールさん、私達が指導を任されたからこれからよろしくね」
「あ、は、はいっ。よろしくお願いします」
彼女達が屋敷内でのロゼットの先輩となりこれから指導を行なっていくようであった。昨晩食堂で出会った十五歳くらいに見えるハウスキーパーの一人が彼女と同班となり、互いに見合わせて軽く会釈する。てっきり昨日の件でも耳打ちされるかと思っていたが彼女もそこには触れなかった。深夜に出歩くこと事態が問題視されるのでロゼットとしても二つの意味で触れたくはなかったので互いに別の話題で逸らす。
屋敷の食堂では地主のケネットが遅い朝食を摂っており、新聞のような紙を広げて読み漁っていた。彼は毎日欠かすことなくこの情報紙を読んでは外国へと赴いた際には情報交換を行なっている。
彼の仕事はもっぱら商社、貿易関係での仕事上必須でもあるためだ。ミスティアも土地柄、南には産業貿易国家の『ビレフ』にすぐ東側には『ガザレリア』と拠点防衛の観点から見ても非常に重要な立ち位置に属する。肥沃な土地でもありながら各所の国境近辺でもあるため必然的に産業都市として大きく発展。都市部でこそ建設や加工技術による道具や馬車、鉄道部品などのインフラ設備、武器兵器の輸出が急速に伸びつつある。レイティスやフローゼルとの関係改善で加工できる鉱物やそれらの技術も入ってきているのだ。
それとは対照的に彼らの屋敷近辺は牧畜や農業を重視し、一面が牧畜と田畑で広がっている風景がまた面白い。執事長のミカルとロゼット達がが入室ししてくる。周辺の装飾品の掃除と彼の食べ終わった食器の
跡片付けを指示され、ミカルは彼のカップに珈琲を注ぐ。ラインズと同じく彼も珈琲の愛好家なのだろう、パンと一緒に口の中へと含みよく味わう。ロゼットも作業片手に彼らの話に少しだけ耳を傾けていた。
「魔物と家畜の買い付けは終わっている。都市部からの運送業者が来るから対応しておいてくれ」
「かしこまりました。今回は一週間ほどですか?」
「ああ、ビレフで市場をもう少し開拓したくてな。あと飛行艇技術もなんとしても手に入れておきたい」
ミスティアも産業都市としてその名を知られているが、産業国家であるビレフの持つ技術力は比較にならないほど高度。飛行艇という言葉に少し反応してロゼットもその名を呟く。文字通り空を飛ぶ船というものを想像してみるが船にプロペラがくっ付いたような異様な姿形しか少女の頭の中では思い浮かばなかった。彼女にとっての身近で想像しやすい飛行物といえば飛行機くらいのものだろう。現代飛行能力を持つ航空機とまだ見た事のない飛行艇のどちらが早いのだろうなんて想像を膨らませながら鼓動が少し高鳴った。
彼らの会話からもわかるようにそんな技術を有するほどビレフは産業の大きく発展した国家。同盟国は存在せず海洋に面し、自国の防衛力だけで独立しているようだ。同じ一面を持つレイティスとは異なり海軍ではなく独自の技術の結晶でもある『飛行艇』を発展させた空軍が主戦力のようである。ドラストニアにも引けを取らない軍事力も保有し、外交面では貿易所として異国の物品の出入りが激しいため商人達にとっても大きな存在。
「王都の方針もビレフとの国交を結びたいという理由があるのなら頷ける。フローゼルに責任を負わせることのためだけじゃないだろう」
「フローゼルからの亡命者の話ですか…。たかだか数名のためにガザレリアもそこまで愚かとは思えませんが」
「人間よりも魔物の方が優先される国家なんて法以前の問題だろう。あれでは宗教国家だ」
確かにそんな国家がすぐ南に存在しているとなるとラインズやシャーナルなら国交を結ぼうと考えるのではないだろうか。そのための四カ国での首脳会談だったのかとロゼットは作業を片手に耳を傾けているがガザレリアの話も気になっていた。
「人間よりも魔物を優先…?」
当主のケネットの言った言葉、その意味がよく理解できなかった。魔物が国家運営でも行なっているのだろうか、人間と魔物の立場が逆転でもして人間が使役されているのかと想像を働かせる。
「主の話を盗み聞くなんて良い趣味とは言えないな」
と彼女のすぐ隣から声を掛けられ、驚きのあまり身体が思わず跳び上がる。次期当主で息子のポットンが彼女の隣で笑みを浮かべて壁にもたれかかっていたのだが声を掛けられるまで全く彼女は気づいていなかった。ロゼットは慌ててすぐさま謝り仕事に戻ろうとしたが、ドタドタと音を立てて嵐のように騒がしい人物がやって来る。アデラ婦人は入室するや否やハウスキーパーを何名か供回りに連れていくと一方的に告げてきたために対応する当主は呆れ気味の様子。
「またか…これで何度目だ。昨日も豪遊してきたばかりだろう? もっと生産性のあることをしろ」
「婦人会の中には王宮に通じる人間もいるのよ? 今後のことを考えれば彼等とコネを持っておかないでどうするというの?」
「またその話か。それとお前の金物が増えるのと何の関係があるんだ?」
「大ありよ、ポットン適当に見栄えの良い娘を選んでおきなさい。そうね―…そこの白いの」
妙な呼ばれ方をして自分かと振り返るロゼット。出発の準備をするように言いつけられ彼女の買い物に付き合わされることとなった。
「ツイてないね君。まぁ、君見た目は他のメイドと一線を画するくらいの美形だし母上に選ばれたのはむしろ光栄なことだと思って良いと思うよ」
ポットンもそう言って婦人に追従していくが素直に喜べないのか複雑な表情のロゼットだった。溜め息をつきつつ当主も朝食を後にして立ち去り、ロゼットも出かける準備をするために先輩ハウスキーパーに許をもらい自室へと戻ろうとするがミカル執事長に呼び止められる。
「ロゼット殿、準備が出来ましたら正面玄関でお待ちしております。預かったものを一度お返しいたします」
一応彼女が王都の要人という扱い自体は変わりない。屋敷での扱いはともかく外出するとなれば話は別、もし彼女の身に何かあればドラストニアの王家からの信頼を失いかねないための措置だろう。
ロゼット自身はそんなこと考えに至らなかったが愛剣を返してもらえるということはそれだけ危険もあることなのだと少し身構えていた。
準備は済み、屋敷の玄関へと向かうと既に何名ものハウスキーパー達が婦人たちを待っていた。みんな綺麗な人ばかりが厳選されたのが露骨にわかる。
(うわぁ…わかりやすいなぁ。でもなんで綺麗な人ばかり?)
ロゼットがやってきたことに集められたハウスキーパーも驚き、互いに耳打ちして見合っている。一人の背の高めの成人女性が彼女に声をかけて呼ばれたのかと訊ねられ答えると今度はなにやら悲しいものを見るような目で見られる。彼女達の考えが分からずに頭の中で疑問を浮かべていると派手な装飾品を身に纏ったアデラ婦人達もやって来た。服装も胸元を開けて長いスカートにもスリットが入っているのか歩く度に太ももが見え隠れする、シャーナルと趣味が似ているのか分からないが彼女だったら年齢も相まって似合う事もある。
しかし婦人は見た目は綺麗には見えるが年齢よりもという意味である。高校生くらいの子供がいる母親がそんな格好をしているというのを想像してみるとわかるように貴婦人というよりも少々下品な印象を与えるのではないだろうか。
彼女らが出かけようとしたと扉に手をかけたと同時に、訪問客を知らせるベルが鳴った。
「失礼します。奥様来客です」
ミカル執事長がそう言って手招きした人物は身なりはは整っているが剃り残しの髭がある短髪の男性。かれを見た瞬間、婦人の顔つきが変わり表情は笑っているが目つきが明らかに敵意を向けるような視線だ。
「ご無沙汰しておりますブレジステン婦人。次期当主も本日は揃ってお出かけですか?」
「『卓上役人』がわざわざこんな辺境にくるなんてよほど暇なのかしらね」
「暇でもなければこちらに伺うことなんて出来ませんでしたよ」
いきなりやって来た役人と呼ばれる男に対して嫌味な態度を示す婦人。突然やって来たこの男のふてぶてしい態度にもロゼットは難色を示すが敵意とも取れるほどの辛辣な婦人の態度にも悪意を感じていた。この国の地位ある人物達はこうした憎まれ口を叩き合う会話が日常のようだった。ラインズやシャーナルとのやりとりでも慣れているのもあってか一歩退いて見つめる事ができるほどに少女には余裕が出来ていた。
「それはそれはご足労でしたわね。もてなすほどのものもございませんので、お時間があるのならお好きにどうぞ」
婦人は役人へもてなしもままならない状態で彼の横を素通りし出かけようとしたが一瞬だけなにやら役人に耳打ちしているのをロゼットは見逃さなかった。役人も彼女の言葉に返すように都市部での一件を話し始めた。話の最中でハウスキーパー達は互いに顔を見合いながら不安を不安の声を漏らし、ロゼットにも緊張が走る。その上で彼女達の昨晩の行動について訊ねる。
「昨晩はどちらに? 都市部へいつものようにいらしたのでは?」
「さぁ? 都市部で起こったことと辺境に住む私共と何の関係があるのかしら?」
嫌味な物言いをする婦人の答えを軽く往なすように別の言い方で彼は質問を続けた。
「ここ以外で魔物の使役は行なわれておりますかな?」
「他の地域でもやってますよ、隣町もやってるし、都市部でも売買してるのでしょうしそちらもあたられてはどうです」
役人の質問に横槍で突くように答えたポットン。彼にも同様の質問を行なったがポットンは屋敷にいたと淡々と答える。彼の在宅は執事長ミカルが証明できるため、役人は核心を突くような質問は行なわなかった。それではむしろ尋問になりかねない。立ち去っていく婦人を見送りつつ、屋敷の奥に当主がいるかどうかミカルに確認するように指差しのような仕草を見せ、ミカルは軽い会釈で答える。ハウスキーパー達は婦人達に続いて屋敷を出て行きロゼットはミカルから愛剣を受け取る。
「何かございました時までは極力抜くことは控えてください」
彼に耳打ちされ、ロゼットも軽く頷いてみせる。役人を尻目にそのまま立ち去っていく。役人の方はむしろ何かを思ったのか彼女を二度見する。銀色の長い髪と白い素肌が印象的でやはり誰の目にも残るのだろう。
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