インペリウム『皇国物語』

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episode4 生ある者の縁

106話 海を見渡す街

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 暗い闇が広がる。本当に暗い空間だ。手を伸ばしても何も掴めない。自分の日常を取り戻せない、今の自分を見ているようだった。日常―?。そもそも私の日常って何?
 佳澄や昇くん、委員長のいる学校、セバスさんとの勉強会、シャーナルさんとの剣術の稽古。
 メイド長にしごかれながら、勤かうしむ仕事ー。
 澄華の相手をしている昼下がり、マディソンさん、アーガストさん、紫苑さんの訓練を眺める時間、イヴさんと星空を眺め清涼のひととき。

 そして、パパとママと過ごす我が家。
  
 私にとってはどれも当たり前の日常。ドラストニアで過ごす時間、訓練もお仕事も勉学も既に日常風景に変わっていた。じゃあ私は何を取り戻したかったの? 元の『世界』で過ごす日々だり戻したいの?
 ずっと取り戻したいと思っていた日常があって、けど既に持っている日常もある。私にとっては何が日常なのか。考えても答えは出てこない。わかってるはずなのに。私にとっての日常なんてパパとママ、学校のみんながいる時間に決まっている。
 それなのにー……。

『エンティア』なんて、危険だらけなだけじゃない。何度も死にかけて、したこともないような怪我まで負ったり。知らない間に魔法まで使うようになって、泣くようなことばかり。
 仕事だってヘトヘトになるまで働き詰め。人の顔色伺って毎日のように頭を下げなきゃいけない。誘拐されたり、魔物に襲われたり、大人に睨まれたり、良いことなんて全然ない。
 それなのにー……。それなのに、それなのに。

 これまで『エンティア』で過ごしてきた情景が甦る。消えては思い出して、また消えては思い出す。書き換える、塗り替えるというものでもない。フラッシュバックが繰り返されるような感じだ。段々と眩しく、光が強くなっていく。目が覚めたら今度は「どっち」なんだろう。自分が眠っていることも、目を覚ます場所も。怖さや不安、期待とも言えない。ただ目を覚ますという現実を受け入れるだけだった。

 ◇

 眩い光がロゼットを照らす。手で遮りながら、眉間にシワを寄せつつ、徐々に目を開く。目を擦りながら辺りを見回すと、船内の一室で寝かされていた。隣にはアーガストが座りながら静かに眠っている。彼が隣で眠っているということでこの船の安全性は確保されていた。少しホッとして胸を撫で下ろすロゼット。危険がないということだけでなく、戻ってきた場所が『実界』だったということにも安心していたのかもしれない。波で少し揺れ動いた後、到着を知らせる鐘が鳴り響いた。
 先ほどの外の光からもわかるように、嵐を越えておそらく港へ着いたと確信。表情に光を取り戻したロゼットは今度は目を輝かせながら、靴を履く。彼女の慌てる様子に気づいたアーガストが目を覚ます。彼女を気遣って声を掛けるが、それにも答えずロゼットは外へと駆け出していく。

「待たれよ、ロゼット嬢」

 彼女の快活な様子に笑みを溢しながら、慌てぬようにと促すアーガスト。少女はお構いなしにドタドタとお転婆な足音を立てて、扉を開ける。眩しい陽光と同時に潮の香りを乗せた風が流れてくる。そのままの勢いで甲板を走り抜け、彼女に気づいた乗組員たちが振り返っていた。溺れかけて眠っていたとは思えないほど、元気な姿に一様に驚きの表情を見せる。
 そして船首へとたどり着き、手すりの上に立つと、目の前に広がる光景に感嘆する。そこに広がるのは広大な港、多くの船着き場に停泊している船。その一つ一つが帆を上げた船ではなく、煙突のある蒸気船ばかり。船着き場からすぐ煉瓦造りの建物がズラリと立ち並ぶ。その奥にレイティスでも見た高層の建物がある。開発中の機械仕掛けの高層建築物が未だに発展を止めないことを物語っているようだった。都市内部では飛行船がいくつも飛び、彼らにとってはごく当たり前の交通手段のようだ。ここにはビレフにとっての日常があった。
 そしてロゼットにとっては見たこともない非日常の光景。彼女の横で見覚えのある顔が覗かせる。

「レイティスよりもデカいだろ? 海洋国家でも最大規模を誇る水の大都市。その港だけあって、船の出入りは激しい」

 聞き覚えのある、気だるい感じの混じった陽気な声。

「やっぱり!!」

 驚きつつも、見覚えのある船に心当たりがあった。魔の海域と呼ばれる海を渡るなどという無謀にも等しい行為。そんな無茶をやる人間、彼女の思いつく限りだと一握りである。
 ジャックスに抱えられ手すりから降ろされると頭を優しく叩かれる。熟睡出来たかどうかを訊ねられると軽く何度も頷いて答える。

「よし、良い顔だ。これから上陸だ、準備しろ野郎共」

 ジャックスの号令に呼応し、乗組員全員が声をあげる。入港を報せる鐘の音が鳴り響く。すっかり目の覚めた彼女にとって、心地のいい目覚ましのようであった。
 新天地での冒険の幕開けに不安だった心は早変わり。沸き上がる高揚感を抑えきれずにいた。
 船着き場へ到着し、乗組員達が積み荷を下ろしている最中、到着と同時に走り出すロゼット。目を輝かせながら、町の景観と行き交う人々を目で追いかけている。それに夢中になっていたため、人とぶつかってしまう。短い悲鳴を上げて転けながら謝るロゼット。

「お怪我はございませんか? レディ。港町は初めてでしたかな?」

 手を差し伸べるは紳士の風貌の男性。正装をし、口ひげを蓄えた声からしておそらく中年と思われるが、その割には若く見える。

「あ、ありがとうございます。ビレフに来たのが初めてで、レイティスとも違って大きいですよね」

「ほう、レイティスからわざわざお越しに」

 ドラストニアから来たと言おうとした時、ジャックスに口を塞がれ遮られる。彼の船の乗組員ということにされた。

「すみませんね。こいつまだ新入りで、一等航海士になりたいっていうもんで。見習いとして船に置いてるんですけどね。いつも問題を起こすんですよ」

 顔を膨らませてジャックスを見るロゼット。そんな彼女に合図を送る。

「こんな小さなレディを乗せて、まさか本当に船でやってくるとは……。しかし、それもあんな傭兵がいたら、海竜も逃げ帰りそうですね」

 紳士はアーガストを見て訊ねるように言う。ジャックスもそれに答え、アーガストは傭兵ということに留めた。アーガストも少し身構えていた。というのもビレフとベスパルティアでの一般的な宗教がクルス教と密接な関係にある。都市部ではないにしろ、田舎町までいけばクルス教徒のような過激な思想に染まる者も少なくはない。警戒するのも必然といえよう。

「積み荷に異常が無ければ特に」

 しかし、紳士は特に気にした様子を見せなかった。ただ、彼らが傭兵か否か、その事だけを気にしていたようだった。その様子に眠そうな目を少し開くジャックス。

「クルス教徒も多いはずなのに、ずいぶんと寛容なんだな」

「『エヴァン』と同じだとは考えないでほしい。クルスとはまた考え方が違います」

『クルス教』という言葉を聞いて身構えるロゼット。彼女にとってクルス教徒のことは忘れようにも忘れられない。ミスティアでのことでもはやトラウマのような存在にもなりつつあった。

「ミスティアでの一件はこちらでも聞いております。あそこまで残忍になれるのは如何なものか。魔物に対してならいざ知らず家畜さえも一緒くたするのは一部の過激派だけだ」

 紳士も彼らの異常なまでに歪んだ思想には同意しかねるようだ。魔物といえども友好的な存在には相応の敬意をもって接するべきとも持論を展開。彼の信仰する宗教も派生とはいえど、方針はまるで別物。ロゼットもあの「狂信者」達とは違うものを感じ取っていた。

(宗教家みたいだけど……。あの人達とは違うのかな)

 彼の落ち着いた立ち振舞いが安心感さえも抱かせる。そこに裏があるかは別にしても、話の通じる相手というだけで信用は出来る。ただジャックスはそれでも嫌味のように質問を続ける。

「教皇もそれを容認しているのでは?」

「ありえないでしょう。今の教皇は比較的穏健派とも聞きます」

 穏健派と言われても、実際に目にしたロゼットには疑問符が浮かぶ。

「あの人達のトップが穏健……?」

 思わず口に出てしまったことに気付き、途中で噤むロゼット。その様子にジャックスは笑みを溢す。積み荷を運び終えたエイハブが彼らの元へやって来て報告する。ついでにジャックスに今後の指示も仰いだ。

「俺達はどうすりゃいいんだ?」

 少し考えてから、ジャックスが返した言葉は「酒でも飲んでろ」とだけだった。

 ロゼットとアーガストは半目で呆れた様子。エイハブは軽く受け流す様子で返すが、思いがけない返事にすぐに真顔に変わる。

「……それだけか?」

「ああ、そうだ。他になんかあるか?」

 鬱陶しそうに訊ねるジャックス。どうやらこの場に似つかわしくないと判断され、追いやろうとしてるようだ。エイハブはジャックス達と顔を見合わせるが本人も妙に納得した様子。その場を立ち去る。少し拗ねた様子で乗組員に酒場へ向かうように号令をかけるエイハブ。なんだか気の毒に思いながら、ロゼットも目的のためにアーガストをお供に都市へ向かうのであった。



 ビレフの首都圏、広大な道路が綺麗に区画分けされており、美しい景観が映し出される。建築物は趣を残しつつ、巧みに仕上げられた街並みを作り出している。主な移動手段として、いくつもの馬車が行き交う中でレイティスでも見られた『自動車』も紛れていた。
 そんな美しい街並みに似つかわしくない巨大な飛空船が影を作り出し街を覆う。嵐を乗り越えた飛空船が無事帰還を果たした。巨大な船体の損傷は激しく、乗組員も半数近く死傷者が出る惨状。壊れた展望デッキでラインズがガラス片を拾い上げ、意味深に見つめている。 「ごめんなさい」とイヴは思い詰めた表情で呟く。ラインズは首を横に振って答えた。

「これだけの分厚いガラスをこうも簡単に割られたら、一緒にいたところでどうにもならねぇさ」

 ビレフ側は捜索にあたっていると伝える。イヴと紫苑は深刻に受け止めているが、ラインズはそれほど強く受け止めている様子ではない。ビレフ陣営にも受けた被害は決して軽微ではなく、他国の一『有識者』のことなど気にしていられるほどの余裕はなかった。

「ラインズ皇子殿下、エメラルダ王女殿下。わざわざ御足労頂いたにもかかわらず、このような事態に陥ったことを深くお詫び申し上げます。有識者の方と警護されていた方の行方は現在総力を上げて捜索しております」

「いえ、こちらも援護が行き届かず申し訳ない。お心遣い感謝いたします」

 彼らを迎えるのは大統領の『マクシム・グレゴワール』。年も他の高官よりも若く見え、若手の統率者という印象を持つ。表面上だけのやり取りを行い、ドラストニア陣営はビレフのもてなしを受ける。案内されるラインズの後に続く一行。その道中でイヴは紫苑に耳打つ。

「マディソン殿に黒龍で捜索するように促すべきでしょうか」

 イヴはロゼットとアーガストの救援要請を促す。

「どうでしょうか。あまりこちらの動揺は悟られまいと、敢えて気にしない素振りを殿下はされておられます。不明瞭ではありますが敵陣である以上、動くことは出来ません」

 紫苑に忠告されるイヴ。しかしながらロゼットの行方を知る術をどうにか思案し続ける。長旅の疲れを労うために食事の場を設けていた大統領は案内する。数名の高官達もその場に出席、その中にはモローの姿もあった。

「そういえばエメラルダ王女殿下は剣術の腕が素晴らしいとお聞きします。紫苑将軍も洗練された実力者とお見受けします」

「嗜む程度のものです。本職の紫苑将軍には私如きでは到底及びません」

 笑顔で返しつつ、イヴは謙遜する。紫苑も同じく謙遜して、イヴの実力を評していた。彼らの会話を逃さないように高官の一人が口を挟んだ。

「であるなら、「祭典」に出場なさってはいかがでしょうか。自国民でなければならないという規定もございませんし」

「祭典ですか?」

 数日後に行われる催し物であり、ビレフで毎年のように開かれているようであった。屈強な戦士たちがこぞって参加し、決闘、決戦形式で強さを高める目的で行われている。銃火器が主要な戦力へと移行し始めたが、元々は騎士、騎兵が強みであったビレフにおいてこれらの大会が強さの指標となっていた。そうして認められた者たちが前時代では重用されていた。その名残が今も残っており、国内でも騎士は多く存在しているようであった。

「なるほど、確かにそれは面白そうではありますが、我々が出場資格を持ってもよろしいのでしょうか」

 意外にもラインズが食いつく。リスクを避けて目立たぬ行動で慎重になるかと考えられたが、その逆を行く。ドラストニア側の高官達も笑ってはいるものの内心穏やかではない様子。そんな彼らを横に大統領とラインズは会話を弾ませている。

「皇子殿下も腕に自信があるとお聞きします。是非とも一度お手合わせの機会がございましたら」

「こちらこそ是非ともその時は宜しくお願いいたします」

 食事会は終始穏やかに事が進む。その後、一時的に宿泊先へと向かうための馬車へと乗り込む。大統領とは一旦別れることとなり、馬車の中でビレフの街並みを堪能することとなった。道中の馬車にて遂にイヴは溢した。

「結局動向は探れなかったわね」

「そうでもないさ、連中の中でもやっぱり俺達の存在が疎ましいと思うヤツはいた。それがわかっただけでも十分だよ」

 敢えて彼らの提案に乗っかるような素振りを見せてドラストニア側には困惑をさせる。実際にはこちらの腹を探られないための彼の常套句であった。イヴもそれに慣れてきたこともあり、彼の談笑に合わせていた。

「ただ大統領は本気のようにも見えたけど……大丈夫かしら?」

「俺達も大概だけど、あの人もかなり若そうだからな。大統領周辺の連中は案外一枚岩ではないらしい」

 少々呆れた様子のラインズ。だがイヴも彼のマイペースさに散々振り回されてきたこともあり、ジト目を向けていた。

「しかし、ロゼット様のことは如何致しますか」

 紫苑が彼らに訊ねる。せめて安否の確認だけでもと考えを巡らせるが連れてきた高官達のこともあって迂闊に動けない。紫苑も離れるわけにはいかない状況。袋小路で打つ手のない彼らの中でイヴがある提案を持ち掛ける。

「一ついいかしら?」

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