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奴隷姫の奏でるbig willie blues
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1. 老紳士の語らい
「では今度はテダー先生、どのようなお話を聞かせていただけますか?」
老紳士は優しくほほえんだ。
「わたしはこの人生を世間様でいうところの、平和、とは無縁の生き方をしてきました」
彼はそう言った。
年のころは60歳前後。背筋はきちんと伸び、英国紳士らしく夏のこの場に堅苦しさを持ち込まない程度の洒落た服装に身を包んでいる。
いまこの場(新しく営業を開始した美術画廊のパーティ)にいるものの中で、彼の過去が血と銃弾の飛び交う戦場で語られることが多いとは、誰も予想しないだろう。
彼はそれほど、英国紳士然としていた。
唯一、皺にかくれた笑顔の奥に潜む、射るような視線を除いては。
「わたしの生涯でこの場にふさわしい話題をもちだすのは、逆に難しいのですが」
彼は手にしたカップから紅茶をすすり、何か思い出すようなしぐさをした。
「ご婦人方の一時の楽しみになるようであれば‥‥‥」
そう言って彼は不思議な、信じがたい物語を語り始めた。
「忘れもしないあれはいまから40年近く前。わたしは一介の傭兵として船に乗っておりました」
彼は言葉を続けた。
「当時、この大英帝国はアメリカ連合国とアメリカ合衆国の戦争に介入しておりました。
わたしは20代前半で、ロンドンの下町に生まれた単なる男でした。このー」
そういい、彼はカップを掲げた。
「いまはティーを頂く身ですが、当時は客船から降りた旅行客の荷物の担ぎ手(ポーター)をしたり、賭け事のポーカーなどのカードを楽しみながら生きていたのです」
懐かしいものを見る目で、彼の視線は壁の一点、はるかな過去を見ていた。
「その場所はジュフロワとました。
砂と岩に囲まれた小さな村で、地域はどこでしょう?
そう、著名なところで言えばエジプトのような気候と見た目をしていました。
一面の砂漠に吹く風は熱く、陽射しは肌を焼き、息をするのも苦しいほどの砂塵に溢れた村でした」
老人は深くため息をついた。
それは後悔と少しの懐かしさの混じった寂しそうな余韻をその場にいた全員に与えた。
夫人の一人が彼に問いかける
「なぜ、ポーターをされていた先生が、傭兵となり異邦の地に行かれたのですか?」
深い藍色の瞳と長く濃い茶色の髪を後ろで結いあげた彼女はまだ20代前半だった。
「パードン夫人」
テダーは彼女を懐かしいものを見るように視線をやった。
「この数十年で世界の常識は大きく変わりました」
老紳士は続ける。
「あなたは奴隷制度、というものをご存知ですか?」
この会場にいる富裕層にはあまりなじみのない言葉をアリス・パードンは耳にして一瞬だが、好機の表情をした。
ほう‥‥‥
そうテダーは心の中で呟いた。
彼女もまた、満たされた者の一人なのだ、と。
「人が人を牛馬のように物として売買していた旧時代の遺物、と私は聞いています。
先生は奴隷を買われていたのですか?」
知らない知識を埋めようとするその問いかけに、まだ世間を知らない無邪気さが見てとれた。
「そうですね、パードン夫人。
買っていたわけではありません。
私はそれを売買する商人に、商品を運搬するあいだの護衛として雇われたのです」
「私は祖父から聞いた事があります」
ミュゼ子爵嬢の名前を持つ黒髪の女性が話に入ってきた。
「アフリカ大陸から大勢の黒人を奴隷としてアメリカに輸入し、そこで労働力として働かせた、と」
「子爵嬢。よくご存知ですね。
そうです、奴隷というのははるかローマ時代からあり、我々の祖先もまたローマの奴隷としてこの地にきた者たちも多くいたのです」
子爵嬢やその他の話を聞いていた数人は、その言葉に嫌なものを見た顔した。
彼らはいまでは貴族や富裕層であり、彼らの祖先は偉大なる存在として語られているからだ。
「先生、そのお言葉はあまり受けたいものではありません」
服裾の黒髪を指先ではらい、ミュゼ子爵嬢は不快感をあらわにする。
まあ、それは当然だろう。
この国で、はるか過去の事柄を語ることは、英雄譚か何かの戒めとして語られるのが彼ら、富める者の常識だからだ。
「これは失礼。では話を戻しましょう。
あれは奇妙な体験でした」
「奇妙?」
アリスが問い返す。
「そう、奇妙な体験です。
奴隷とはあなたたちの様に、宝石や上等の服を身にまとい、優雅な帽子など与えられない物です」
そう、この場にいる女性の大半が縁が広く、大振りの色彩豊かな鳥の尾羽をつけていた。
奴隷の次にアメリカ連合国をその連邦国として支配下においた大英帝国は、これまでにない富を手にしていたからだ。
老紳士は続ける。
「わたしがポーターをしていたある日。
求人を載せる掲示板に一枚の求人の紙が貼られていました。
そこには、ロンドンからアメリカ連合国の港チャールストンへのーー
定期航路を走る軍用艦とそれが護衛する商船に乗る傭兵の募集がされていたのです」
「なぜ、傭兵を募集したのでしょう?
軍艦には軍人がいるのではありませんか?」
ミュゼ子爵嬢が良くわからないといった顔をした。
「当時の軍艦は軍人しか乗れず、商船の護衛をするのは船であって人ではなかったからですよ、ミュゼ子爵嬢」
ダッフル氏が横から口から知恵を与えた。
彼は若い27、8歳ほどの長身の若者だった。
大陸からの金貿易で身を起こした苦労人であり、この界隈での人気者だった。
「エレン。あなたはお詳しいのですね」
ミュゼ子爵嬢が相槌を打つ。
彼女はこの少し年上の青年をエレンと呼ぶ。
好意をのせたその返事に、テダーは内心微笑ましくなった。
自分もその瞬間があったからだ。
「そうです、ダッフル君。
当時の軍人の多くは貴族の子弟でした。
商船に乗るには身分が違うため好ましくなかったのです」
老紳士は会話に加わった一同を見回した。
「そして私はその求人に書かれていた、面接の場所へ行きました。
当時、わたしはペアナックルの試合に出るなどして腕に自信がありました。
幾つかの面接官との口頭での質問と、供託金を積むことで私は採用されることになりました」
「傭兵になるために、お金を預けるのですか?」
今度はアリスが好奇心旺盛な顔をして質問を挟む。
「傭兵になる条件は3つあったのです。」
老紳士は語りだす。
「一つは身分を保証すること(出来なければ資金を預けることで身分の保証とすること)
一つはそれまでに相応しい経歴を持っていること(戦歴ともいう)
一つはこれまでに船乗りとして外洋を回った経験がないこと」
最後の条件をアリスは奇妙な要求だと思った。
商戦で傭兵をするのに、船乗りの経験が要らないとは。
まるで、少々の戦った経験があり、金があれば誰でもいいようではないか。
老紳士はアリスに微笑みかける。
「そう。マクスウェル商会は誰でも良かったのです。
金を預け、少々喧嘩ができ、船を操れない者ならば誰でも良かったのですよ」
アリスを始め、ダッフル氏も子爵嬢も。
その場にいた全員が不思議な顔をした。
と同時にこの老人にからかわれている。そんな嫌な気分になった者もいた。
「先生、お話しに矛盾があるように。。。」
その場を代表してダッフル氏が口を開いた。
「そう。最初から矛盾だらけの求人であり、不可思議な航海でした。
あの砂漠の村も、宝石も、あの巨人も。
すべてが不可思議で幻の様な。そんな数週間でした」
テダーの視線は今度こそ、遠い過去を見つめていた。
2. 奇妙な広告
テダーは老いた脳に記憶を遡らせた。
あの日は霧が濃い朝だった。
フランスからの客船が昨夜遅くに港にはいり、それは予定より半日ほど遅れていた。
日が暮れ、ガス灯が路面を照らすなか、テダーは同じポーター仲間のバルタックの来訪を受けたのだ。
テダーはその日、午前中の荷役を追わらせてポーター(アルコール度数6%近いビール)を飲み。
日当から出したタバコを紙に巻いて火をつけ、紫煙をくゆらせていたところだった。
ポーターの日当は安くはない。
1日働けば3日は暮らせるだけの額はある。それだけ重労働であり、体を痛めて辞める者も多い仕事だ。
体力があって金が欲しかった。
テダーは少年のころからこの仕事が好きだった。働けばその場で賃金がもらえるからだ。
いつかはこの下町の片隅からはい出したい。
そうやって10数年。この仕事を続けていた。
バルタックはそんな一日の労をねぎらっていたテダーの部屋のドアを叩いた。
「ルガー。まだ起きてるよな。親方が呼んでる。
ご来訪だとさ」
バルタック。テダーより年長の彼は長身で赤毛の同僚だ。
祖先が東ローマからやってきたというくらい、その体格はよく風貌はいかつかった。
「バル。もう今夜はいいだろ?
朝から貨物1杯の荷物を背負ったばかりじゃないか?」
当時、旅行客は現代よりも数倍多い手荷物を抱えていた。
バック一つ二つではなく、タンス何個にもなる荷が一人の乗客のものだったのだ。
ポーターの仕事はきつい。
だが、新大陸(アメリカ大陸)開拓とそこで財をなした者、これから財をなそうとする者。
そんな人間たちでロンドンは賑わい、仕事にあぶれることがないほどだった。
「今夜のはフランスからの貴族様たちだそうだ。
給金は倍払うとよ。な、行こうぜ?」
ルガー。
‥‥‥テダーは家名だ。
ルガー・テダー。
誰がつけたともわからない、語呂の悪い名をテダーは愛していた。
「分かったよ、バル。行こう。
行って済ませたら、アリシアのとこにしけこもう」
バルタックは皮肉気な笑みを浮かべた。
この男は口数が少ない。その代わりに、乏しい表情で気分を表すのだ。
テダーとバルタックは荷運びをし、作業は明け方まで続いた。
ようやく朝から作業に入った連中と交代を済ませ、親方から給金をもらった時。
ロンドン塔の時計は8時を指していた。
アリシアの館は夕方から日が明けるまでだ。
今から行っても寝ている彼女たちに相手にはされないだろう。
「たまにはシェリーに会えると思ったんだがなあ。。。」
場末の立ち飲み酒場でバルタックはぼやいた。
アリシアの館は娼館であり、シェリーは彼のお気に入りの娼婦だった。
日当を10日分ほど貯めてようやく通える。そんな高級娼婦館に若き日のテダーもまた、世話になることもあった。
「バル、今から行ったとこでアリシアににらまれるだけだ。
今夜行けばいい。それより、貯まったのか?」
シェリーはバルのお気に入りだ。
それ以上に、二人は想いあっていた。
シェリーが家族の口減らしとその代金欲しさにアリシアの館に売られてきたのは、まだ15歳の時だった。
今から数年前だ。
バルタックは2年程前から彼女を気に入り、身請けする代金をアリシアに定期的に支払っていた。
「まあ、全部じゃないがな。
アリシアはもう数回支払いを出来れば、通いにしてもいいと言ってくれてる。
あと数か月はかかるが、それでもあいつと過ごす時間が増えれば俺はいいさ」
「そんなもんかね・・・」
テダーは呆れた声を出した。
親に売られたとはいえ、相手は娼婦なのだ。このロンドンで暮らすには、いい噂は立たないだろう。
「そんなにいいのか、彼女?
お前、ここで生きてくには肩身狭くなるぞ。」
「いいさ。」
バルタックはポーターをあおりながら言う。
「それでもいいと思うんだ。ま、昼間からする話じゃないけどな」
「そうか」
こうやって仲間は去っていき、新しい仲間が来る。
十数年、慣れた光景だ。
「そういや、えらく美人なのいたな‥‥‥」
思い出したようにバルタックが言う。
確かに、あれは美人揃いのアリシアの館でも見かけない程の上玉だった。
「あれでマクスウェルの物なんだからなあ。いくらするんだか」
船には2つの出入口がある。
貴族様用と従僕用だ。
その美人は豪奢な衣服を身にまとい、艶やかな雰囲気をかもしだしていた。
素顔を薄いベールで覆っていたが港に吹く風はこの時期は強い。
風が薄く拾い上げたベールの奥には、思わず見惚れるほどの美しい女性がいた。
「ああーーいい女だった」
そんな女性が従僕用の出口から、貴族様の荷物を運ぶ従僕たちと一緒に出てくることはまずありえないことだった。
「間違えたんだろな、降り口」
それだとしたらあまりにもお粗末な話だが、商品だとしたらアリシアの館に卸されるだろう。
今夜行ってみよう、そんな話をして二人は帰路についた。
港から自宅までの帰途でテダーは必ず寄る場所がある。
テダーたちポーターと港の荷受け業者との間を仲介する、商会(会社のようなもの)の事務所だ。
そこは現代でいえば、人材派遣会社の営業所、そんなとこだ。
掲示板に様々な職業(港湾での)が書かれた紙が貼られていて、説明員が詳細を話してくれる。
この時間は人が多くて、掲示板前には説明員が6名も常駐していた。
説明を受けて気に入れば紹介する事務員がいるカウンターにいき紹介状を書いてもらう。
字が読める人間はまだまだ少ない時代だった。
テダーは下町生まれだが、両親は裁縫店を営んでいた。
最低限の読み書きはしこまれていた。
最初に目を引いたのは、ポーターの仕事。次に荷受けの仕事。最後にー
「傭兵?」
眼を疑った。
なんで傭兵?
商船の護衛艦なら軍艦がつくし、準軍人扱いになる傭兵の斡旋が海軍の仕事だ。
条件がいくつか書かれていて、そして給金は普段の日当のー
「2年分‥‥‥」
上等だ。
この人生を変えれるかもしれない。
ここに出た求人が管轄違いでなければ、テダーはその条件を満たしていた。
唯一、身元を保証する人物がいない点を除けば。
そこにはこう書かれていた
ロンドン-アメリカ間の航海(往復)をえて商船で働く護衛者募集。
年齢、人種は問わず。
条件
一 身分を保証すること(もしくは供託金を積むこと)
一 それまでに相応しい経歴を持っていること
一 これまでに船乗りとして外洋を回った経験がないこと
説明員が供託金を積む(金を預けることで)身元保証とする旨を教えてくれた。
身分が怪しいやつは金を出せ。無事に仕事が終われば賃金は払ってやる。
それまでは出した金が人質というわけだ。
募集先はマクスウェル商会。
「奴隷商人マクスウェル。黒のマクスウェルか」
いい噂は聞かない。
この国は表向き、身分制度があるが奴隷制度はない。
だから国外で奴隷を買い、国内を経由して国外で売りつける。
表向き奴隷という形では入国させないから、着飾る必要がある。
それでも、出入口は従僕専用だ。
だから朝方見た彼女もまた、そうなのだろうとテダーは一人納得して紹介状を貰う。
酔いが冷めやらない頭で帰宅した。
目を覚ましたのは夕刻‥‥‥日が陰り始めたころだ。
バルタックとの待ち合わせにアリシアの館を指定していたから、適当な時間に間に合うように家をでた。
アリシアの館に繋がる街路に近付いたとき、すこし早く着きそうなことに気づいた。
「ここを曲がればー‥‥‥」
そこにはロンドン市内で良い噂を聞かないマクスウェル商会の会館がある。
いまは店が閉じている時間だろうが。
明日、仕事の面接を受けることを思うとその表姿だけでも見ておこうという気になった。
大きい通りのためガス灯がともす街路は明るく、人の往来がまだある時間だから賑わいはあった。
4階建てのレンガ作りの建物。
立派な看板と豪華なオーク材のドア。
広いウィンドウは店内で作業を済まそうとする従業員か下僕の姿を透かせて見せた。
往来は馬車は数台行き来し、テダーはその一台の進路をふさぎそうになったため、進路を譲るように道端に下がった。
その時だ、商会の最上階の部屋の一室に灯りがともっていることに気づいた。
そして、その部屋の借りの住人が窓によりそうのを、見上げる形で見てしまった。
「参ったね‥‥‥」
それしか声がでなかった。
見まちがいではなく港でみかけたあの女性がそこにいた。
これだけの遠目と薄明かりの中でも映える白い肌。
瞬間、テダーは見とれてしまい大多数の男たちが考えることを心に思った。
そう、いい女だと。
結局、彼女が窓際にいたのは数舜だった。
そしてテダーはバルタックとの約束の時間を思い出し、その場を離れた。
その夜、テダーアリシアの館に宿をとった。
バルタックはシェリーと愛を語らい、テダーは馴染みのアリシアと床を共にした。
幾ばくかの申し訳ない気持ちを伴って、テダーはアリシアと瞬間的な夜を過ごした。
心にあの、窓際の美人を思い描きながら。
3.束の間幸せ
「ねえ、どうしたの?」
とはアリシアは言わない。
ただ、事が終わったあとにほほえみながら冷たい視線を少し投げて寄こす。
女は凄い。
少しのほころびでも見つければ、冷静に答えを求めようとする。
アリシアとはこれまで何度も愛し合った仲だし、そんなにすげなくした気はなかった。
彼女のこんな視線を受けたこともこれまでなかったからかもしれない。
肩までの揺らした髪をかきあげながら、巷で著名な名探偵のようにそっとテダーに迫って言った。
「必要なければ、わたしはいいのよ」
その一言にテダーは逆らえない。
「そんなことはないよ」
アリシアを抱き寄せながらテダーは言う。
「ただ、しばらく来れなくなるかもしれない。」
「そう」
アリシアはこれまで見送った男たちと同じように、同じ返事をした。
金があれば訪れ、金がなければ去る。
それがここのルールだ。
「また寄ってね。私が若いうちに」
それでも彼女にしては思い切った言葉を告げたかもしれない。
バルタックは幸福そうなそれでいて不自然な笑顔を。
テダーは何か切れてはいけないものを無くした感覚で。
朝方、アリシアの館を後にした。
帰路に近い道でバルタックに傭兵を受けることを伝えた。
多分、相方も同じ道を歩む気がしたからだ。
その昼、二人はマクスウェル商会の扉を叩くことになった。
3つの条件のうち、経歴は問題なかった。
何が問題ないかというと、テダーはベアナックルの試合で何度も勝利を挙げていた(現代でいうボクシング)
バルタックにおいては数年のアフガンでの従軍経験があった。
資金は二人ともあったし、バルタックは陸軍兵卒であり海軍ではなかった。
テダーは数年だけポーターの仕事以外にとある政府高官の従僕として海外を回った経験があったが‥‥‥
伏せることにした。世の中、言わなくてもいいことはたくさんあるもんだ、とテダーは心の中で呟いた。
バルタックに直接会うことはもちろんなく、恰幅のいい焦げ茶色の髪を撫でつけた、ヒゲをたくわえた執事の様な人物との会話のあと、二人は翌週からアメリカ連合国に向けて出港するヴェールヌイ号に乗船を許可された。
二人のあまりにも奇妙な体験はここから始まる。
出港する日の前日。
まず、第一の奇妙なことが起こった。
マクスウェル商会からあらかじめ、支度金が支給されていた。
それとは別に、報酬の半分が届けられたのだ。
「なんだこりゃ」
二人はその大金を前に頭を捻るしかなかった。
「おい、あんたー」
テダーは帰ろうとする金を届けた人物を呼び止めた。
「これはなんだ?」
「それはあなたーーテダーさん?
テダーさんの前払いの報酬です。そう申し上げたはずですが?」
まだ若いスーツを着こなした税理士風の男はそう告げた。
「それは聞いたよ。
こんな大金。俺が持ち逃げしたらどうする気だ?」
嫌味気に笑ってやる。
この税理士は返事に困るだろう。
ところが、彼は簡単に告げた。
「そうなればあなたは契約不履行となり、司法制度にのっとって裁かれるでしょう。もしくは‥‥‥」
税理士は更にテダー以上に陰険な笑顔を見せた。
「わたくし共の主は契約が成立しないことを非常に嫌います。
テダーさん、あなたが闘われたベアナックルの賭け試合。あの胴元とも我が主は懇意です。」
ニコリと微笑み、被っていたハットの裾をずらす挨拶をして税理士はドアの向こうに消えた。
「生命か契約か。ってことか」
この街の裏世界を取り仕切る存在が、税理士がいった胴元と同じ存在だ。
「こいつは、参ったね」
テダーの諦めにもにた言葉が、朝の霧の中に消えて行った。
客人はバルタックのところにも訪れた。
同じような問答をやりとりし、バルタックもまた呟く羽目になった。
「クソったれ」
と。
翌朝、ポート(船の繋ぎ場)に現れたマクスウェル商会の雇った傭兵は20人弱。
東洋人風の短刀を腰にした六人組、南米辺りの植民地から流れてきたであろうロカ(スペイン人とメキシコ人のハーフの呼び名、悪名)の一団は八名、あとは二人から三人組のテダーたちと同じイギリス人の労働者風の男たち。
「妙な組み合わせだな。
あのイエニー(東洋人)もロカも嫌な目付きをしてるぜ」
バルダックが元軍人としての勘からだろうか、なるべく近づくな、とテダーに耳打ちをする。
「皆さん、どうやら欠けることなく集まられたようで」
昨日、テダーやバルダックを訪れた例の税理士風の若者がステッキで床を軽く叩いた。
「まず、お手数ですがこちらの商品を船内に運んで頂きます。
まあ、力仕事ですが、40数個ですので……」
見ると桟橋前に2メートルはいかないであろう木箱、いや棺桶クラスのものがどっさりと用意されていた。
「全部か。
ま、やろうや」
慣れているテダーたち以外は渋い顔をしたが、そこは他のポーターたちも手伝い一人一個運ぶかどうかという程殿労働だったが、これが重かった。
「何がはいってんだこりゃ」
力自慢のバルダックですら額に汗を溜めながら運んでいた。
重量は百キロは軽く越えるだろう。
まあ、普段から運んでいる荷に比べて多少、重い程度だ。
それはどうでも良かったが、中身は布や食糧という感触ではなかった。
言うなれば、石像でも運んでいるようなそんな感触を背にずしりと受けながら荷は運ばれ続けた。
東洋人の一団はテダーたちより頭一つ背が低く、ずんぐりむっくりとしていた。
無口で眼光が鋭い。
初めは何か嫌そうな感じも受けたが、テダーの印象では彼らが一番、その場において働き者だった。
ただ、黙って不平不満を押し殺し荷を一人二往復はして運んでいた。
凄いな。
ポーター歴十数年のテダーが思うのだからかれらはよほどの働き者だった。
ロカの一団は二人で一つを運び、その足取りはイエニーに比べていささか不安定だった。
税理士風の男(後から彼の名前はジャックだとわかったが)も不満気に早くしろと手ぶりで示していた。
そんな中だ。
ロカの一人が木箱の重みに耐えかねて、桟橋の上に落としてしまった。
もう片方も、足を木箱に踏み抜かれてはたまらないと慌てて飛びのいてしまう。
勢いよく床に叩きつけられた木箱は中身の硬さもあいまってその一部が打ち付けてあった釘ごと蓋を開かせ中身をのぞかせてしまう。
何重にも巻かれた布地と緩衝材の藁の合間から姿の一部をさらしたのは新品に近いライフル銃の束だった。
「おいおい……」
幾隻もの軍艦に護衛され、傭兵まで雇って運ぶ荷の正体は、銃弾などの武器の数々。
アメリカ大陸でくすぶっている南北での戦線への輸送であろう商品がこの箱すべてだというわけだ。
「はやくしまいなさい!」
税理士風の男-ジャックーが忌々しいとでもいうような顔つきをしてロカたちをせき立てる。
違法ではないが積み荷を知って俺たちは無事に帰路をたどれるのだろうか?
テダーとバルダックは思わず顔を見合わせて航海の無事を神に祈った。
その日から数週間かけて船は外洋にでて予定の航路を辿った。
途中幾つかの港を経由し、商船一隻に軍艦3隻という異様な船団がそこにあった。
「では今度はテダー先生、どのようなお話を聞かせていただけますか?」
老紳士は優しくほほえんだ。
「わたしはこの人生を世間様でいうところの、平和、とは無縁の生き方をしてきました」
彼はそう言った。
年のころは60歳前後。背筋はきちんと伸び、英国紳士らしく夏のこの場に堅苦しさを持ち込まない程度の洒落た服装に身を包んでいる。
いまこの場(新しく営業を開始した美術画廊のパーティ)にいるものの中で、彼の過去が血と銃弾の飛び交う戦場で語られることが多いとは、誰も予想しないだろう。
彼はそれほど、英国紳士然としていた。
唯一、皺にかくれた笑顔の奥に潜む、射るような視線を除いては。
「わたしの生涯でこの場にふさわしい話題をもちだすのは、逆に難しいのですが」
彼は手にしたカップから紅茶をすすり、何か思い出すようなしぐさをした。
「ご婦人方の一時の楽しみになるようであれば‥‥‥」
そう言って彼は不思議な、信じがたい物語を語り始めた。
「忘れもしないあれはいまから40年近く前。わたしは一介の傭兵として船に乗っておりました」
彼は言葉を続けた。
「当時、この大英帝国はアメリカ連合国とアメリカ合衆国の戦争に介入しておりました。
わたしは20代前半で、ロンドンの下町に生まれた単なる男でした。このー」
そういい、彼はカップを掲げた。
「いまはティーを頂く身ですが、当時は客船から降りた旅行客の荷物の担ぎ手(ポーター)をしたり、賭け事のポーカーなどのカードを楽しみながら生きていたのです」
懐かしいものを見る目で、彼の視線は壁の一点、はるかな過去を見ていた。
「その場所はジュフロワとました。
砂と岩に囲まれた小さな村で、地域はどこでしょう?
そう、著名なところで言えばエジプトのような気候と見た目をしていました。
一面の砂漠に吹く風は熱く、陽射しは肌を焼き、息をするのも苦しいほどの砂塵に溢れた村でした」
老人は深くため息をついた。
それは後悔と少しの懐かしさの混じった寂しそうな余韻をその場にいた全員に与えた。
夫人の一人が彼に問いかける
「なぜ、ポーターをされていた先生が、傭兵となり異邦の地に行かれたのですか?」
深い藍色の瞳と長く濃い茶色の髪を後ろで結いあげた彼女はまだ20代前半だった。
「パードン夫人」
テダーは彼女を懐かしいものを見るように視線をやった。
「この数十年で世界の常識は大きく変わりました」
老紳士は続ける。
「あなたは奴隷制度、というものをご存知ですか?」
この会場にいる富裕層にはあまりなじみのない言葉をアリス・パードンは耳にして一瞬だが、好機の表情をした。
ほう‥‥‥
そうテダーは心の中で呟いた。
彼女もまた、満たされた者の一人なのだ、と。
「人が人を牛馬のように物として売買していた旧時代の遺物、と私は聞いています。
先生は奴隷を買われていたのですか?」
知らない知識を埋めようとするその問いかけに、まだ世間を知らない無邪気さが見てとれた。
「そうですね、パードン夫人。
買っていたわけではありません。
私はそれを売買する商人に、商品を運搬するあいだの護衛として雇われたのです」
「私は祖父から聞いた事があります」
ミュゼ子爵嬢の名前を持つ黒髪の女性が話に入ってきた。
「アフリカ大陸から大勢の黒人を奴隷としてアメリカに輸入し、そこで労働力として働かせた、と」
「子爵嬢。よくご存知ですね。
そうです、奴隷というのははるかローマ時代からあり、我々の祖先もまたローマの奴隷としてこの地にきた者たちも多くいたのです」
子爵嬢やその他の話を聞いていた数人は、その言葉に嫌なものを見た顔した。
彼らはいまでは貴族や富裕層であり、彼らの祖先は偉大なる存在として語られているからだ。
「先生、そのお言葉はあまり受けたいものではありません」
服裾の黒髪を指先ではらい、ミュゼ子爵嬢は不快感をあらわにする。
まあ、それは当然だろう。
この国で、はるか過去の事柄を語ることは、英雄譚か何かの戒めとして語られるのが彼ら、富める者の常識だからだ。
「これは失礼。では話を戻しましょう。
あれは奇妙な体験でした」
「奇妙?」
アリスが問い返す。
「そう、奇妙な体験です。
奴隷とはあなたたちの様に、宝石や上等の服を身にまとい、優雅な帽子など与えられない物です」
そう、この場にいる女性の大半が縁が広く、大振りの色彩豊かな鳥の尾羽をつけていた。
奴隷の次にアメリカ連合国をその連邦国として支配下においた大英帝国は、これまでにない富を手にしていたからだ。
老紳士は続ける。
「わたしがポーターをしていたある日。
求人を載せる掲示板に一枚の求人の紙が貼られていました。
そこには、ロンドンからアメリカ連合国の港チャールストンへのーー
定期航路を走る軍用艦とそれが護衛する商船に乗る傭兵の募集がされていたのです」
「なぜ、傭兵を募集したのでしょう?
軍艦には軍人がいるのではありませんか?」
ミュゼ子爵嬢が良くわからないといった顔をした。
「当時の軍艦は軍人しか乗れず、商船の護衛をするのは船であって人ではなかったからですよ、ミュゼ子爵嬢」
ダッフル氏が横から口から知恵を与えた。
彼は若い27、8歳ほどの長身の若者だった。
大陸からの金貿易で身を起こした苦労人であり、この界隈での人気者だった。
「エレン。あなたはお詳しいのですね」
ミュゼ子爵嬢が相槌を打つ。
彼女はこの少し年上の青年をエレンと呼ぶ。
好意をのせたその返事に、テダーは内心微笑ましくなった。
自分もその瞬間があったからだ。
「そうです、ダッフル君。
当時の軍人の多くは貴族の子弟でした。
商船に乗るには身分が違うため好ましくなかったのです」
老紳士は会話に加わった一同を見回した。
「そして私はその求人に書かれていた、面接の場所へ行きました。
当時、わたしはペアナックルの試合に出るなどして腕に自信がありました。
幾つかの面接官との口頭での質問と、供託金を積むことで私は採用されることになりました」
「傭兵になるために、お金を預けるのですか?」
今度はアリスが好奇心旺盛な顔をして質問を挟む。
「傭兵になる条件は3つあったのです。」
老紳士は語りだす。
「一つは身分を保証すること(出来なければ資金を預けることで身分の保証とすること)
一つはそれまでに相応しい経歴を持っていること(戦歴ともいう)
一つはこれまでに船乗りとして外洋を回った経験がないこと」
最後の条件をアリスは奇妙な要求だと思った。
商戦で傭兵をするのに、船乗りの経験が要らないとは。
まるで、少々の戦った経験があり、金があれば誰でもいいようではないか。
老紳士はアリスに微笑みかける。
「そう。マクスウェル商会は誰でも良かったのです。
金を預け、少々喧嘩ができ、船を操れない者ならば誰でも良かったのですよ」
アリスを始め、ダッフル氏も子爵嬢も。
その場にいた全員が不思議な顔をした。
と同時にこの老人にからかわれている。そんな嫌な気分になった者もいた。
「先生、お話しに矛盾があるように。。。」
その場を代表してダッフル氏が口を開いた。
「そう。最初から矛盾だらけの求人であり、不可思議な航海でした。
あの砂漠の村も、宝石も、あの巨人も。
すべてが不可思議で幻の様な。そんな数週間でした」
テダーの視線は今度こそ、遠い過去を見つめていた。
2. 奇妙な広告
テダーは老いた脳に記憶を遡らせた。
あの日は霧が濃い朝だった。
フランスからの客船が昨夜遅くに港にはいり、それは予定より半日ほど遅れていた。
日が暮れ、ガス灯が路面を照らすなか、テダーは同じポーター仲間のバルタックの来訪を受けたのだ。
テダーはその日、午前中の荷役を追わらせてポーター(アルコール度数6%近いビール)を飲み。
日当から出したタバコを紙に巻いて火をつけ、紫煙をくゆらせていたところだった。
ポーターの日当は安くはない。
1日働けば3日は暮らせるだけの額はある。それだけ重労働であり、体を痛めて辞める者も多い仕事だ。
体力があって金が欲しかった。
テダーは少年のころからこの仕事が好きだった。働けばその場で賃金がもらえるからだ。
いつかはこの下町の片隅からはい出したい。
そうやって10数年。この仕事を続けていた。
バルタックはそんな一日の労をねぎらっていたテダーの部屋のドアを叩いた。
「ルガー。まだ起きてるよな。親方が呼んでる。
ご来訪だとさ」
バルタック。テダーより年長の彼は長身で赤毛の同僚だ。
祖先が東ローマからやってきたというくらい、その体格はよく風貌はいかつかった。
「バル。もう今夜はいいだろ?
朝から貨物1杯の荷物を背負ったばかりじゃないか?」
当時、旅行客は現代よりも数倍多い手荷物を抱えていた。
バック一つ二つではなく、タンス何個にもなる荷が一人の乗客のものだったのだ。
ポーターの仕事はきつい。
だが、新大陸(アメリカ大陸)開拓とそこで財をなした者、これから財をなそうとする者。
そんな人間たちでロンドンは賑わい、仕事にあぶれることがないほどだった。
「今夜のはフランスからの貴族様たちだそうだ。
給金は倍払うとよ。な、行こうぜ?」
ルガー。
‥‥‥テダーは家名だ。
ルガー・テダー。
誰がつけたともわからない、語呂の悪い名をテダーは愛していた。
「分かったよ、バル。行こう。
行って済ませたら、アリシアのとこにしけこもう」
バルタックは皮肉気な笑みを浮かべた。
この男は口数が少ない。その代わりに、乏しい表情で気分を表すのだ。
テダーとバルタックは荷運びをし、作業は明け方まで続いた。
ようやく朝から作業に入った連中と交代を済ませ、親方から給金をもらった時。
ロンドン塔の時計は8時を指していた。
アリシアの館は夕方から日が明けるまでだ。
今から行っても寝ている彼女たちに相手にはされないだろう。
「たまにはシェリーに会えると思ったんだがなあ。。。」
場末の立ち飲み酒場でバルタックはぼやいた。
アリシアの館は娼館であり、シェリーは彼のお気に入りの娼婦だった。
日当を10日分ほど貯めてようやく通える。そんな高級娼婦館に若き日のテダーもまた、世話になることもあった。
「バル、今から行ったとこでアリシアににらまれるだけだ。
今夜行けばいい。それより、貯まったのか?」
シェリーはバルのお気に入りだ。
それ以上に、二人は想いあっていた。
シェリーが家族の口減らしとその代金欲しさにアリシアの館に売られてきたのは、まだ15歳の時だった。
今から数年前だ。
バルタックは2年程前から彼女を気に入り、身請けする代金をアリシアに定期的に支払っていた。
「まあ、全部じゃないがな。
アリシアはもう数回支払いを出来れば、通いにしてもいいと言ってくれてる。
あと数か月はかかるが、それでもあいつと過ごす時間が増えれば俺はいいさ」
「そんなもんかね・・・」
テダーは呆れた声を出した。
親に売られたとはいえ、相手は娼婦なのだ。このロンドンで暮らすには、いい噂は立たないだろう。
「そんなにいいのか、彼女?
お前、ここで生きてくには肩身狭くなるぞ。」
「いいさ。」
バルタックはポーターをあおりながら言う。
「それでもいいと思うんだ。ま、昼間からする話じゃないけどな」
「そうか」
こうやって仲間は去っていき、新しい仲間が来る。
十数年、慣れた光景だ。
「そういや、えらく美人なのいたな‥‥‥」
思い出したようにバルタックが言う。
確かに、あれは美人揃いのアリシアの館でも見かけない程の上玉だった。
「あれでマクスウェルの物なんだからなあ。いくらするんだか」
船には2つの出入口がある。
貴族様用と従僕用だ。
その美人は豪奢な衣服を身にまとい、艶やかな雰囲気をかもしだしていた。
素顔を薄いベールで覆っていたが港に吹く風はこの時期は強い。
風が薄く拾い上げたベールの奥には、思わず見惚れるほどの美しい女性がいた。
「ああーーいい女だった」
そんな女性が従僕用の出口から、貴族様の荷物を運ぶ従僕たちと一緒に出てくることはまずありえないことだった。
「間違えたんだろな、降り口」
それだとしたらあまりにもお粗末な話だが、商品だとしたらアリシアの館に卸されるだろう。
今夜行ってみよう、そんな話をして二人は帰路についた。
港から自宅までの帰途でテダーは必ず寄る場所がある。
テダーたちポーターと港の荷受け業者との間を仲介する、商会(会社のようなもの)の事務所だ。
そこは現代でいえば、人材派遣会社の営業所、そんなとこだ。
掲示板に様々な職業(港湾での)が書かれた紙が貼られていて、説明員が詳細を話してくれる。
この時間は人が多くて、掲示板前には説明員が6名も常駐していた。
説明を受けて気に入れば紹介する事務員がいるカウンターにいき紹介状を書いてもらう。
字が読める人間はまだまだ少ない時代だった。
テダーは下町生まれだが、両親は裁縫店を営んでいた。
最低限の読み書きはしこまれていた。
最初に目を引いたのは、ポーターの仕事。次に荷受けの仕事。最後にー
「傭兵?」
眼を疑った。
なんで傭兵?
商船の護衛艦なら軍艦がつくし、準軍人扱いになる傭兵の斡旋が海軍の仕事だ。
条件がいくつか書かれていて、そして給金は普段の日当のー
「2年分‥‥‥」
上等だ。
この人生を変えれるかもしれない。
ここに出た求人が管轄違いでなければ、テダーはその条件を満たしていた。
唯一、身元を保証する人物がいない点を除けば。
そこにはこう書かれていた
ロンドン-アメリカ間の航海(往復)をえて商船で働く護衛者募集。
年齢、人種は問わず。
条件
一 身分を保証すること(もしくは供託金を積むこと)
一 それまでに相応しい経歴を持っていること
一 これまでに船乗りとして外洋を回った経験がないこと
説明員が供託金を積む(金を預けることで)身元保証とする旨を教えてくれた。
身分が怪しいやつは金を出せ。無事に仕事が終われば賃金は払ってやる。
それまでは出した金が人質というわけだ。
募集先はマクスウェル商会。
「奴隷商人マクスウェル。黒のマクスウェルか」
いい噂は聞かない。
この国は表向き、身分制度があるが奴隷制度はない。
だから国外で奴隷を買い、国内を経由して国外で売りつける。
表向き奴隷という形では入国させないから、着飾る必要がある。
それでも、出入口は従僕専用だ。
だから朝方見た彼女もまた、そうなのだろうとテダーは一人納得して紹介状を貰う。
酔いが冷めやらない頭で帰宅した。
目を覚ましたのは夕刻‥‥‥日が陰り始めたころだ。
バルタックとの待ち合わせにアリシアの館を指定していたから、適当な時間に間に合うように家をでた。
アリシアの館に繋がる街路に近付いたとき、すこし早く着きそうなことに気づいた。
「ここを曲がればー‥‥‥」
そこにはロンドン市内で良い噂を聞かないマクスウェル商会の会館がある。
いまは店が閉じている時間だろうが。
明日、仕事の面接を受けることを思うとその表姿だけでも見ておこうという気になった。
大きい通りのためガス灯がともす街路は明るく、人の往来がまだある時間だから賑わいはあった。
4階建てのレンガ作りの建物。
立派な看板と豪華なオーク材のドア。
広いウィンドウは店内で作業を済まそうとする従業員か下僕の姿を透かせて見せた。
往来は馬車は数台行き来し、テダーはその一台の進路をふさぎそうになったため、進路を譲るように道端に下がった。
その時だ、商会の最上階の部屋の一室に灯りがともっていることに気づいた。
そして、その部屋の借りの住人が窓によりそうのを、見上げる形で見てしまった。
「参ったね‥‥‥」
それしか声がでなかった。
見まちがいではなく港でみかけたあの女性がそこにいた。
これだけの遠目と薄明かりの中でも映える白い肌。
瞬間、テダーは見とれてしまい大多数の男たちが考えることを心に思った。
そう、いい女だと。
結局、彼女が窓際にいたのは数舜だった。
そしてテダーはバルタックとの約束の時間を思い出し、その場を離れた。
その夜、テダーアリシアの館に宿をとった。
バルタックはシェリーと愛を語らい、テダーは馴染みのアリシアと床を共にした。
幾ばくかの申し訳ない気持ちを伴って、テダーはアリシアと瞬間的な夜を過ごした。
心にあの、窓際の美人を思い描きながら。
3.束の間幸せ
「ねえ、どうしたの?」
とはアリシアは言わない。
ただ、事が終わったあとにほほえみながら冷たい視線を少し投げて寄こす。
女は凄い。
少しのほころびでも見つければ、冷静に答えを求めようとする。
アリシアとはこれまで何度も愛し合った仲だし、そんなにすげなくした気はなかった。
彼女のこんな視線を受けたこともこれまでなかったからかもしれない。
肩までの揺らした髪をかきあげながら、巷で著名な名探偵のようにそっとテダーに迫って言った。
「必要なければ、わたしはいいのよ」
その一言にテダーは逆らえない。
「そんなことはないよ」
アリシアを抱き寄せながらテダーは言う。
「ただ、しばらく来れなくなるかもしれない。」
「そう」
アリシアはこれまで見送った男たちと同じように、同じ返事をした。
金があれば訪れ、金がなければ去る。
それがここのルールだ。
「また寄ってね。私が若いうちに」
それでも彼女にしては思い切った言葉を告げたかもしれない。
バルタックは幸福そうなそれでいて不自然な笑顔を。
テダーは何か切れてはいけないものを無くした感覚で。
朝方、アリシアの館を後にした。
帰路に近い道でバルタックに傭兵を受けることを伝えた。
多分、相方も同じ道を歩む気がしたからだ。
その昼、二人はマクスウェル商会の扉を叩くことになった。
3つの条件のうち、経歴は問題なかった。
何が問題ないかというと、テダーはベアナックルの試合で何度も勝利を挙げていた(現代でいうボクシング)
バルタックにおいては数年のアフガンでの従軍経験があった。
資金は二人ともあったし、バルタックは陸軍兵卒であり海軍ではなかった。
テダーは数年だけポーターの仕事以外にとある政府高官の従僕として海外を回った経験があったが‥‥‥
伏せることにした。世の中、言わなくてもいいことはたくさんあるもんだ、とテダーは心の中で呟いた。
バルタックに直接会うことはもちろんなく、恰幅のいい焦げ茶色の髪を撫でつけた、ヒゲをたくわえた執事の様な人物との会話のあと、二人は翌週からアメリカ連合国に向けて出港するヴェールヌイ号に乗船を許可された。
二人のあまりにも奇妙な体験はここから始まる。
出港する日の前日。
まず、第一の奇妙なことが起こった。
マクスウェル商会からあらかじめ、支度金が支給されていた。
それとは別に、報酬の半分が届けられたのだ。
「なんだこりゃ」
二人はその大金を前に頭を捻るしかなかった。
「おい、あんたー」
テダーは帰ろうとする金を届けた人物を呼び止めた。
「これはなんだ?」
「それはあなたーーテダーさん?
テダーさんの前払いの報酬です。そう申し上げたはずですが?」
まだ若いスーツを着こなした税理士風の男はそう告げた。
「それは聞いたよ。
こんな大金。俺が持ち逃げしたらどうする気だ?」
嫌味気に笑ってやる。
この税理士は返事に困るだろう。
ところが、彼は簡単に告げた。
「そうなればあなたは契約不履行となり、司法制度にのっとって裁かれるでしょう。もしくは‥‥‥」
税理士は更にテダー以上に陰険な笑顔を見せた。
「わたくし共の主は契約が成立しないことを非常に嫌います。
テダーさん、あなたが闘われたベアナックルの賭け試合。あの胴元とも我が主は懇意です。」
ニコリと微笑み、被っていたハットの裾をずらす挨拶をして税理士はドアの向こうに消えた。
「生命か契約か。ってことか」
この街の裏世界を取り仕切る存在が、税理士がいった胴元と同じ存在だ。
「こいつは、参ったね」
テダーの諦めにもにた言葉が、朝の霧の中に消えて行った。
客人はバルタックのところにも訪れた。
同じような問答をやりとりし、バルタックもまた呟く羽目になった。
「クソったれ」
と。
翌朝、ポート(船の繋ぎ場)に現れたマクスウェル商会の雇った傭兵は20人弱。
東洋人風の短刀を腰にした六人組、南米辺りの植民地から流れてきたであろうロカ(スペイン人とメキシコ人のハーフの呼び名、悪名)の一団は八名、あとは二人から三人組のテダーたちと同じイギリス人の労働者風の男たち。
「妙な組み合わせだな。
あのイエニー(東洋人)もロカも嫌な目付きをしてるぜ」
バルダックが元軍人としての勘からだろうか、なるべく近づくな、とテダーに耳打ちをする。
「皆さん、どうやら欠けることなく集まられたようで」
昨日、テダーやバルダックを訪れた例の税理士風の若者がステッキで床を軽く叩いた。
「まず、お手数ですがこちらの商品を船内に運んで頂きます。
まあ、力仕事ですが、40数個ですので……」
見ると桟橋前に2メートルはいかないであろう木箱、いや棺桶クラスのものがどっさりと用意されていた。
「全部か。
ま、やろうや」
慣れているテダーたち以外は渋い顔をしたが、そこは他のポーターたちも手伝い一人一個運ぶかどうかという程殿労働だったが、これが重かった。
「何がはいってんだこりゃ」
力自慢のバルダックですら額に汗を溜めながら運んでいた。
重量は百キロは軽く越えるだろう。
まあ、普段から運んでいる荷に比べて多少、重い程度だ。
それはどうでも良かったが、中身は布や食糧という感触ではなかった。
言うなれば、石像でも運んでいるようなそんな感触を背にずしりと受けながら荷は運ばれ続けた。
東洋人の一団はテダーたちより頭一つ背が低く、ずんぐりむっくりとしていた。
無口で眼光が鋭い。
初めは何か嫌そうな感じも受けたが、テダーの印象では彼らが一番、その場において働き者だった。
ただ、黙って不平不満を押し殺し荷を一人二往復はして運んでいた。
凄いな。
ポーター歴十数年のテダーが思うのだからかれらはよほどの働き者だった。
ロカの一団は二人で一つを運び、その足取りはイエニーに比べていささか不安定だった。
税理士風の男(後から彼の名前はジャックだとわかったが)も不満気に早くしろと手ぶりで示していた。
そんな中だ。
ロカの一人が木箱の重みに耐えかねて、桟橋の上に落としてしまった。
もう片方も、足を木箱に踏み抜かれてはたまらないと慌てて飛びのいてしまう。
勢いよく床に叩きつけられた木箱は中身の硬さもあいまってその一部が打ち付けてあった釘ごと蓋を開かせ中身をのぞかせてしまう。
何重にも巻かれた布地と緩衝材の藁の合間から姿の一部をさらしたのは新品に近いライフル銃の束だった。
「おいおい……」
幾隻もの軍艦に護衛され、傭兵まで雇って運ぶ荷の正体は、銃弾などの武器の数々。
アメリカ大陸でくすぶっている南北での戦線への輸送であろう商品がこの箱すべてだというわけだ。
「はやくしまいなさい!」
税理士風の男-ジャックーが忌々しいとでもいうような顔つきをしてロカたちをせき立てる。
違法ではないが積み荷を知って俺たちは無事に帰路をたどれるのだろうか?
テダーとバルダックは思わず顔を見合わせて航海の無事を神に祈った。
その日から数週間かけて船は外洋にでて予定の航路を辿った。
途中幾つかの港を経由し、商船一隻に軍艦3隻という異様な船団がそこにあった。
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