王太子殿下はモブさえいればいい

星ふくろう

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第一部 冴えない婚約

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 それは一通の手紙から始まった。 
 国王陛下よりの勅書。
黄色の蜜蝋に、指輪の王家の家紋の印章で封がされているそれを、彼は少年に向かい差し出していた。
 その宛名に書かれた人物以外が開ければ即、死罪になるほどの重要機密書類。
宛名はなく、誰に渡すかは彼に委ねられているらしい。その人物は、少年の父親の腹心の部下、王国宰相のエンバス卿だった。
「国王陛下からの国書……?」
「さようでございます、アルバート様」
「ふうん、珍しいこともあるものだね、あの父上が。僕たち――双子の兄である僕と弟のアシュリーをこんな場に押し込めておいて‥‥‥」
「まあ、そう言われずに。中身を改めて下さいませ」
「エンバス、君も苦労人だね。こんなたった一枚の紙のために、大陸の端からここまでやってくるんだから。しかも、一国の宰相がだよ? 周囲が見れば何があったかと思うに違いないのに」
 示威行為とも映るこの行動が変な波紋をよばなければいいけど。
 そう思いながら、アルバートは手紙の封を卓上にあったペーパーナイフで開いてやる。
 案の定、そこに書かれてある勅令は、いま彼が席をおくこの天空大陸に大きな揺らぎをもたらす内容だった。
 大陸でも一、二を争う農業国家シェス王国の第一王子。
 そして、王位継承権争いに名を挙げた男。十三人の兄弟姉妹との王位争奪戦を行う長兄。
 それが、アルバート・デル・シェス。赤毛に緑の瞳の、強きで博愛に富んだ十六歳。
 どこか八方美人で誤解されやすく、仲間を失いやすい。それがたまに傷の心優しい少年だった。
「はっ、王太子殿下。国王様もそろそろ老齢の境にて殿下にも婚約者を、と。そう、望まれている次第でございます」
 エンバス卿はまだ四十代。
 王国の外交をつかさどる外務大臣として国王から厚い信認を置かれている人物だ。
「婚約‥‥‥正直、気が進まないね。確かに通例では貴族子弟子女の結婚は十三から十七が適齢期とはされているけど。どうにかならないかな、これ?」
「殿下‥‥‥このエンバスを困らせないでください」
「最近、君は白髪が多くなった気がするよ、エンバス宰相閣下殿。そうだね、僕もそんな年頃だから父上様が望まれるのも理解はするけど、でもねえ。これは頂けないよ」
「頂けないと申しますと? 殿下にはそちらの姫君以外に、誰か意中の御方でもおられるのですか?」
「さあ、それはどうだろうね? ただ、僕と同学年の竜大公国の公女エリス様など、もう旦那様を娶るなどと聞いていたから、そろそろだとは思っていたけどね。あと一年、そうこの学院を出るまで伸ばせないかなエンバス」 
 そう言う王太子に、エンバスの反応は鈍いものがあった。
 おや? と宰相の反応を見て、アルバートは不思議そうな顔をする。
「それは難しいかと思われます、殿下。いまや我が国シェスの周辺は騒がしくなりすぎております」
「やっぱりそうなるよね。しかし、父上はブランシェ辺境国がよほどお嫌いらしい。あそこは資源が豊富な国だからね」
 アルバートは脳裏に簡単な世界地図を描いてみた。
 いまアルバートは天空大陸と呼ばれるハグーン島に住んでいる。
 ここはその名の通り天空に浮かんでいて、東と西の大陸の境目を流れるシェス大河の真上に位置する。
 西のエゼア大陸は東西に長く、南北に狭い。
 大陸東部に多くの海運港と、大河沿いに豊かな農耕地をもつシェス王国だが、国内に埋蔵されている資源には乏しかった。
 このエゼア大陸、南西部に鉄や銅、金やミスリルなどの地下資源が多く存在する。しかし、北西部からは標高が雲をはるかに突き抜ける、ロア山脈が大陸を東西に横断しているため、シェス王国は大陸南部に手を伸ばせないでいた。ブランシェ辺境国はそのロア山脈のふもとに広く領地を持つ鉱山と林業の盛んな工業国。
 大河の運用権をかけて、両国は国教沿いでよく小競り合いを繰り返している。そんな仇敵の間柄だった。
「父上はあれかな? ブランシェよりもさらに西北よりに位置する、リベイエ王国の王女を僕の妃に、そう望んでいるのかい? それよりは大河を挟んだ西の大国、ルケード大公国の公女殿下を娶った方が、王国にはいいと思うけど?」
 アルバートはそうエンバスに問いかけてみる。
「はい、殿下。そのお考えも国王陛下は持たれているようです。しかし、ここは南方大陸の覇者、オルゲード竜公国との交易を盛んにしたいご様子。リベイエ王国は竜公国とは同盟国家。その一翼に、我が国も加わりたい、そういうお考えのようですな」

 ふーん、それはどうにも困ったねえと、アルバートは考えこむ。
 確かに竜族は偉大で、戦力も巨大で、シェスとは犬猿の仲であるブランシェ返境国との抑止力になるだろう。
 だけど、それを東のエベルング大陸の覇者、ルケード大公国が許すだろうか?
 ルケードは魔導大国としてその名をひろく知られている。
 西のエゼア大陸にはまだ、強大な軍事国家が存在していないから両国は虎視眈々とその地下資源や肥沃な土地を狙っている。
 まあ、ルケード大公国と竜公国――両国にひびが入らなければいいけど。
 アルバートはそう思うと、自分の悩みを一度引っ込めることにした。
「それで、僕の御相手はこの学院にいるわけだ。そりゃ、父上も手配がしやすいよね。ここにはあの、自意識過剰で聖女になりたがっている、リベイエ王国の王女メアリージュンがいるのだから」
 アルバートは嘆息した。
 周囲には良家の子女で慎み深く、礼儀正しく見せることが大好きな彼女。
 男性を立て、自分は後ろから歩く、数世紀ほど礼儀作法のずれたメアリージュン。
 修道院にながくその身をおき、聖女になるための作法を学んできた彼女は、それはそれは、理想の御姫様のようにこの学院では見られていた。
 ただし、アルバートは彼女の隠された側面を知っているから喜べない。
「あのさ、エンバス。君だから言うけど」
「なんでしょう、殿下」
「メアリージュン。あれは相当な権力欲が強い女性だよ? つまり、性格悪いよ?」
 それを聞いたエンバスの額に一筋の汗がはしる。
「と、言われますと‥‥‥?」
 まあ、言われるどうこうより見ていれば分かるのだけど、とアルバートは言葉を続けた。
「聖女ってさ、万人に等しく主の恩恵を与える、それが仕事だと思う? どうかな?」
 エンバス卿の中ではそれは満点の答えだった。
 しかし、アルバートは違うらしい。
「殿下、なにが違うのでしょうか?」
「うん、難しいんだけどね」
 そういい、アルバートはこの大陸近辺の地図を取り出す。
「まあ、うちのシェスとリベイエ王国。それに竜公国。この三国は龍王様を守護神にしているよね。でも、辺境国は大神を、ルケードは大地母神を奉っているでしょ? で、メアリージュンは龍王の聖女になりたいでしょ? 他の神の信徒なんの扱いを考えてみてよ。青龍王神教は‥‥‥唯一神だけを認める宗教で、異教徒は敵なんだよね」
 地図をいろいろと指差して講義するアルバートは、わかるかな? とエンバスを見ていた。
 宰相はこんな事情を見落としていたとは、と頭をひねっている。
 彼はこの宗教問題をうまく打破する案をもちあわせていないようだった。
「まさか宗教問題が絡んでくるとは‥‥‥」
「うん、だからね。僕としてはルケードの大地母神なら博愛で慈愛の神でさ。どんな異教徒も受け入れるからそこと血縁関係をね?」
 これはまためんどくさいことになってきたと、エンバス卿はしぶい顔をする。
「ちなみに殿下。ルケード大公国の姫君は、この学院には‥‥‥?」
 アルバートは首をふる。
「いないよ。公室関連の人はね。あそこは魔導の原典を公室の人間が身体に刻んでいるから、よほどのことがない限り城から外へは出さない。でも、末子というか。僕や弟のアシュリーと同じ大公様の庶子に当たる、下級貴族の子なら一人いる」
「それはどなたで?」
「シンギス男爵家第一令嬢エイシャ様。まあ、身分が違うとは言うけど。うちの王家は成立が二百年前。あちらの男爵家はすでに六百年の、辺境だけど家柄だけは古い貴族だから家柄的にはあちらが上、だね」
「家柄的には、ですか。では、殿下はどちらの方がお好みで?」
 それは困ったなと、アルバートは悩みを漏らした。
「国王陛下の御望みを生かすなら、もちろん、メアリージュンだけど。僕はあの物静かで男性顔負けに芯が強いエイシャ様が好きだよ。ただし、エイシャ様は第三王子にして四大公家出身である、弟の第三王子ルシアードと恋仲だから無理だけどね」
 と、アルバートはエバンスに告げたのだった。

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