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この約束を捧げるのはあなただけ。

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 人間――とくに女だけがそうなのかは定かではありませんが。
 一度、死といえるような体験をした者はそこに続きそうな未来に凄まじい恐怖感を抱くようです。
 まさに、それがその時の私でした。
 大事な存在に無用の長物と言われ、その心まで奪われたあの瞬間のドロドロとした墨色よりも濃い、夜の闇の中に映りだす自身の心を見てしまうこと。
 それは永遠に忘れられない悲しみと憎しみを背負わせるようです。
 そう、少なくともあの未来の再来だけは嫌でした。
 かなうなら、許されるなら逃げだしたい。
 
「お嬢様‥‥‥?
 どうなさいましたか??」
「えっ?
 いえ‥‥‥なんでもないわ」
「しかし、顔色が悪いですよ?
 先ほどとは打って変わって体調でも悪くされたのか、と」
「いいえ、何でもないのよ。
 何でもないの。
 でもね‥‥‥ルッカオ?
 カールがいなくなったとしても、その奴隷は、あらたにレビンの妻にもなるわけでしょ?
 彼女は伯爵家の当主の持ち物なのだから。
 それを忘れていないかしら」
「それは御当主様が御認めにならないのではないかと、愚考致しますが‥‥‥」
「あくまで、愚考だと思うわ。
 奴隷の身分から解放されれば、平民。
 平民から後宮に上がった王妃や側妃だって珍しくないもの。
 王都で知られて恥になるのであれば‥‥‥生涯、屋敷から出さないという方法だってあるわ。
 必要なのは愛する女性ではなく、子供を産める。
 男子を産める女ではないのかしら。
 間違ってる?」

 ルッカオはふうむ、とうめいて困り顔に。
 それはあるかもしれません、なんて言われれば私はもう、何も告げれなくなってしまっていました。
 自分が知る来たるべきその時は、何も変わらないと決まったのも同然なのですから。

「ですが、そのどれもが推測であり、憶測の域を出ませんな、お嬢様。
 そこまで悲観的になられることはないかと存じます」
「‥‥‥そう、ね。
 決められて変える自由を持たない女の気持ちがあなたには分からないわ。
 とりあえず、きちんと教えて頂戴。
 あなたが聞いてきた、その内容をね?」
「‥‥‥かしこまりました。
 なるべく、お嬢様の意に沿えるように努力致します。
 そこまで辛く思われていることも旦那様に、それとなくお伝えしておきましょう。
 どうなさるかは、判断が分かりませんが」
「お父様はお母様にお叱りを受けないように、それでいて自分の道が塞がれないように選ぶだけじゃないかしら?
 期待なんてできないわ」
「夢のない話をしてこの老体をいたぶるような真似はおやめください‥‥‥」

 誰が老体なのかしら。
 さっきまで鞭を打ち据えるなんて言っていたのは、どこの誰かと思いますが。
 まあ、ここはルッカオの報告次第で色々と考慮すべきなのでしょう。
 期待など持たずに私は静かに部屋に戻ることを選んだのでした。



「リドルを行かせようかと考えておる」
「え‥‥‥っ?」

 それは予想外の返事でした。
 お父様に呼び出されて伺った書斎での最初の一言がそれだったのですから。

「何を間の抜けた声をだしておる?
 これは伯爵様との話し合いの結果でもあるのだ。
 お前はどう思う?」
「なぜ、私に問われるのですか?
 女のこの身には答える権利などありませんのに‥‥‥」
「確かにな。
 これが跡継ぎ問題が無ければどうこう言う気は無い。
 しかし‥‥‥ふう‥‥‥まったく。
 カールめ、身重の奴隷など残しおって‥‥‥」
「身重?
 どういうことですか、お父様?
 その――私が所有権を持つ第二夫人の彼女が‥‥‥カールの子供を宿している、と?」

 重たくうなづくその行為が全てを物語っていました。
 カール‥‥‥あなたはどこまで愚かで情けない真似をして残されたみんなを苦しめるの?
 私は自分自身のことよりも、父親の気苦労を察すると悲しくなるとともに、彼に対する怒りすら覚えるほどでした。
 しかし、ここまであの夢の中で見た光景に近づいた今、私はどうなるのでしょうか?
 いえ、それよりもエバンス様との話し合いはどこに消えたのか‥‥‥

「まあ、宿しているというよりは――すでに産まれていたらしい。
 エバンス殿はそれも踏まえての伯爵家に対する何かの問題が裏であるのではないか、と動かれていた。
 しかし、伯爵様は家に入れることを拒んでおられる。
 それならば、リドルを行かせたほうが良いということになってな」
「お父様?
 産まれたと言われますが、それは男子‥‥‥ということですか?
 なぜ、そのまま伯爵家に嫁がせないのですか?
 その――奴隷の女性を」
「それがな、アミュエラ。
 彼女は子供を産んだあと、死んでしまったらしい。
 エバンス殿がこちらに来ている間にな」
「死んだっ!?
 では――何をどうされるおつもりなのですか‥‥‥?」
「うむ。
 そこだ。
 リドルをあちらのレビンの元に嫁がせる。
 それで伯爵家との縁はつながるだろう。
 子供は我が家で引き取ることにする。
 お前の養子としてな?
 カールが第二夫人に産ませた子供だけ優遇するわけにもいかん。
 しかし、お前をないがしろにするのも問題だ」
「では、私はどなたを夫に迎えるのですか?
 この家はその養子に継がせると?」
「いや、養子は建前だ。
 数年、屋敷で面倒を見た後にどこかに、新たに養子として出す。
 お前はその間に‥‥‥はあ。
 ルッカオがうるさかったぞ、アミュエラ。
 いまのリドルの年齢になるまでには夫を見つけるがいい。以上だ」
「‥‥‥失礼いたします」

 なんとも言い様の無い結末?
 それともいえ、もしかしたら自由を得れたのかもしれません。
 彼に捧げた約束を守り、女男爵として生きることもできるのですから。
 子供は姉夫婦の子供を迎えてもこの家は保たれます。
 死を与えられることもなく、でも、カールの愛は彼女、ステイシアに奪われたままで終わってしまいました。
 でも、この約束を捧げるのはあなただけ。
 その誓いを守ることができた気がします。
 こうして、私の人生に奇異の悲しみをもたらした数日は、幕を閉じたのでした。
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