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第三章 たった一人の隣人
屍人の渇望
しおりを挟むその夜。
不安なのか、自分の傍らを離れようとしないラナとラグに両腕を占領されて、死霊術師は困っていた。
戻らない魂と、それでも生きていると実感している彼女たちには生前どころか、死ぬ寸前と蘇生した後の記憶すらうっすらとあるのだから‥‥‥。
あなたたちは屍人なのよと、イライアに言われても納得できないようだった。
「魂がないからと言って、神聖魔法で葬魂の儀式をするわけにもいかない。かといって悪霊払いも、屍人に有効とされる光系の魔法も、死を司るはずの多くの神々の力を借りた神聖魔法も効かない。おまけに確認してみたら、生きている存在と同じように心臓も動いているし、精神的にも不安定なものはないし‥‥‥あなたの死霊術はどうなっているの、アーチャー??」
「さあ? どうなっているのかな、ハイエルフ? マスター・ラーズはどうだい? 女神フォンテーヌの魔法も効力がなかったかい、マスター・ラーズ?」
「残念ながら。彼女たちは紛れもなく、生きているとしか言えないですよ、死霊術師殿。その奇跡の御業はまさしく――古代より寿命に限りある種族が追い求める不老不死をもたらすものかと。そう、疑って誤った希望を持ちたくなってしまうほどだ‥‥‥」
「だそうだ、イライア? 俺は魂の返還を求めたのにあれだけ意気揚々と出かけたわりには、肝心のお使いがこなせない年増だったな?」
「大した嫌味だわ‥‥‥このクソガキ」
「褒め言葉だな。シェニアの話はもういいぞ。あいつはあいつの思いがある。俺たちにもう立ち入るな」
「何よ‥‥‥いじめる口実がなくなったじゃないの」
つまらないの、そうイライアは口を尖らせると、とりあえずは威嚇する双子を見て苦笑する。
「あなたたち、彼はあなたたちを見殺しにしようとしたのよ? 実際は助けられたのにしなかった。そして、あなたたちは死んだの。生き返らせて貰ったとしても、恨みはないの?」
ラナとラグは顔を見合わせた。
ちょっとつらそうに。
それでいて、安心し、安堵し、でも諦めた表情で姉のラグが口を開く。
「アーチャーを御主人様と呼ぶのは奴隷だからではありません。二度と、死にたくないから‥‥‥彼はわたしたちを好きにできる。命も、心も。それは、わたしたちが一番よく分かってる。だから――そう呼ぶの」
「そう‥‥‥。生殺与奪の権利を握られて、弱味をつかまれているからなんだ? 酷い男ね、アーチャーは」
「違うの」
「違う? どう違うの?」
「‥‥‥リーファの魔法は、呪い。わたしとラナはもう少しで死んでいた。もし、スケルドラゴンを退治できたとしてもそれは変わらない」
「だから??」
「リーファ、アーレン、レズロ。三人にとってわたしたちは道具。生きた単なるおもちゃと同じ。アーチャーはそうは思っていない。わたしたちを――生きた獣人として自由にしたい。そう願っている。わかるから‥‥‥恨んでいても、怒れないし。あの時、助けられたら、逆に死んでいたと思います」
あっ、とイライアは理解してしまった。
リーファの魔法は呪い。
発動し、しくじれば。もしくは最後までその役目を果たさなければこの双子の命はどちらにしても削られていた。聞いただけの状況でしか判断できないが、術は発動していた。
どう転んでも、彼女たちの寿命は削られてしまったのだ、と。
イライアはねえ、とアーチャーを見ていた。
「あなたがもし死んだら、この子たちはどうなるの? 既存の死霊術のように理性を失い屍人になるの? それとも??」
「どうにもならないし、俺が術を解呪しても二人はそのままだ。つながっている薄い糸が切れても何も起きない。数十年生きて、老いて死ぬだけだ。肉体の寿命は生まれつき決まっているからな」
「あなたねえ‥‥‥術についての詳しい報告はないの?」
「ないよ、イライア。あなたの好奇心、ハイエルフ特有の知識欲には感心するがそれを満たすものは提供できない。
これは俺が編み出した、俺だけの秘密。誰にも教える気は無い」
「つまんないの。タダ働きだわ‥‥‥。あなたどうして魔人様が魂を取り戻せないって言っても落胆しないの?」
「落胆? だって押し付ける相手がいるじゃないか。どこまでもお人好しのハイエルフに、教会の宣教師。この子たちに地下世界は相応しくない」
「呆れた。最初からそのつもりだったのね!?」
まさか。
そう言い、アーチャーは笑ってしまう。
そっちと違いこっちは行き当たりばったりだった。
ラナとラグを連れて地下世界の領地の果てにある、領主の城までの横断も考えていたほどだ。
どんな危険があるかも分からない。そして、薄汚い自分の欲望に付き合わせることに罪悪感を感じてしまう。
巻き込むのはもう――アーチャーには耐えられなかった。
「最初からそんなつもりじゃない。ただ、保険を掛けたんだよ。イライアなら‥‥‥大丈夫だって思えたんだ」
「その理由は私も知りたいね、アーチャー。教えてくれないか? 教会で預かることに異論はない。人手はいくらあっても足りないほどだ。二人が望むなら‥‥‥そうだな、シスターになるための育ててもいい」
「シスターに? だが、誰が教えるんだ?マスターはまだ若いだろう?」
「私が直接教えるんだよ。妻もそうやってシスター見習いから始め、いまでは立派な宣教師だ」
「宣教師は一つの教会に一人だけじゃなかったか‥‥‥?? 奥様はどこに??」
「単身赴任だ。アルザスの私の教会を任せている‥‥‥」
どこか暗い影を残して落ち込むマスターを見て、聞いて悪かったなとアーチャーは心で謝っていた。
地上世界には行きたくない。
そう声を上げる双子を抱き寄せ、アーチャーは優しくささやいていた。
お前たちに剣と魔法の世界はまだ早いんだよ、と。
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