華の剣士

小夜時雨

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孟の地へ

怪しげな老婆 弐

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「建国伝記には語られておらぬ部分が沢山あるということしか今のわしの口からは言えぬ…」

 老婆は頭を緩やかに左右にふった。乱れた長い白髪がばさばさと頭の動きに合わせて揺れる。

(この人は私たち以上に何かを知っている…。きっと建国の時のこと、魔物のこと、四獣のこと…)

 この国の伝承を密かに守ってきた語り部かたりべなのだろうか、とハヨンはちらりと考えがよぎる。
 一般的に平民たちの間では字の普及率は低い。そのため、この国の伝説や迷信などは、全て口伝えで行われることが多い。年老いた語り部たちは豊富な知識を持っており、人々からも尊敬される。老婆の情報は、民間でひっそりと伝えられてきたことの可能性も大いにある。
 貴族たちも、もちろん王や偉人、そして己の伝記を何者かに書かせることが多い。しかし、それは子孫たちにいかにその伝記の主人公が素晴らしかったのかを伝えるため、大袈裟に書かれていることも多い。そのため、民間の語り部の話の方が、より忠実であることも少なくない。

「…私はあなたを仲間に迎え入れたい。私たちが知らない多くのことをあなたは知っているようだ。私はそれを知りたい。」

 リョンヘは老婆に真剣な眼差しを注ぎながらそう言った。老婆はにやりと笑う。

「その見返りは何かあるのかい?」
「見返りな…」

 今のリョンヘの元には財もなく、忠義のみで残っている兵士ばかりだ。食料もこの孟の民が納めているものである。みな出来るだけ節約しようとあがいている。

「…見返りは私が城に戻った際に、あなたの地位を保証するというのは…」
「いいや、わしはもう上から人を見下ろすことに飽きているんだ。そんなものはいらないよ。」

 リョンヘが言い終える前に老婆は遮る。リョンヘは言葉に詰まってしまった。
 一方ハヨンはその老馬の言葉の真意を掴めなかった。それは彼女が以前、人々の上に立つ者であったと言うことか?あって初めに口走った、自身は王族の血筋にあたる、ということが本当でなかったにしろ、高貴な身分だったということか。それならば、彼女がぼろのようになっているが、庶民には到底手の届かない服を纏っていることにも説明がつく。

「こういう条件はどうだい?わしに国がすっかり元どおりに、いや違うね。民も豊かに笑顔で暮らせるような国を見させてくれるという約束をしてくれるならわしは引き受けるね。」
「わかった。約束しよう」

 ハヨンが考え込んでいるのをよそに、リョンヘが即答する。そして椅子から立ちあがり、老婆に握手を求める。
 老婆は立ちあがり、それに応えた。老婆とリョンヘの身長は大人と子供ほどもあり、老婆の腰が酷く曲がっていることがわかる。その状態であんなに速く歩いて部屋に入ってきていた老婆に、ハヨンは感服した。

(この人、不思議なことが沢山ある…)

 ハヨンはこの新しい仲間の不可解な点を知りたくてしょうがなかった。

「わしのことはチェヨンと呼んでおくれ。」

 そう老婆は名乗ったあと、リョンヘとここでどのように過ごすか、二言、三言話したあと、その場から退出する。

「リョンヘ様!どうしてあなたは…!!」

 セチャンは言いたいことが山積みのようだった。無理もない、彼が最も苦手とする、規律破りの怪しげな老婆が、この城に居座ることになったのだから。

「セチャン。お前の言いたいことはわかっている。しかし、城の情報を一切持たない我々は、何かしら知らなければならないことが沢山ある。彼女の知識は目新しいものばかりで、必要不可欠だ。—たしかに、あのチェヨンという者は不可解な点が多い。名前だって本当の名前かわからない。それこそチェヨンなんて、この国の女性の多くがこの名前なんだからな。」

 ハヨンが城にいたときに、生活していた女官の宮にもチェヨンという名前の女性は何人かいた。チェヨンは初代王の妻であり、王を支える献身的な女性として伝えられており、これにあやかって、子供が良い女性となれるように、チェヨンと名付ける親も多い。これが偽名な可能性は十分にありえる。

「ならどうして…!」
「我々はいつまでもここで腰を据えているわけにもいかない。新たに動き出すには情報がいる。闇雲に動き回ってもしょうがないだろう?とりあえず今は老婆の言う魔物の説を元に探ってみたい。」
「…確かにそれも一理ありますね…。」

 承知いたしました。と少し不服そうにセチャンは呟く。

「これから少しハヨンと二人で話がしたい。セチャン、退席してもらってもよいだろうか。」

 セチャンも退席したあと、部屋にいるのはハヨンとリョンヘの二人になった。
ハヨンは控えていた部屋の脇から、リョンヘの正面に移動し跪く。

「ご用件は何でございましょうか。」
「顔をあげてくれ。聞きたいことがあるんだ。」

 ハヨンはその彼の話し方に、少し懐かしさを感じる。城の頃の慌しくも楽しい時間に戻りたいと思ってしまった。



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