華の剣士

小夜時雨

文字の大きさ
157 / 221
番外編 ムニル過去編

碧色の鬼灯

しおりを挟む
 あの日やってきた少女は、瞬く間に妓館に溶け込んだ。少女の名前はシウと言い、どうやら没落した武家の娘らしい。年齢にそぐわぬ礼儀作法を身につけていた理由は、きっと武家の娘として恥じることのないように徹底的に叩き込まれたためだろう。彼女は堂々としており、妓館に売られてなお、誇り高く凛としていた。
 幼い頃に親に売られた少女たちは大抵心に傷を負う。しかしシウには擦れたようなところも、気を張り続けて疲弊しているような様子もない。そしてなにより、何者にも礼節を忘れずにいた。そんなシウに対して、ムニルは素直に感心していた。

「ねぇ、シウ。あなた、ここに来てまだ日が浅いけど、疲れていたりはしない?」
「はい!この通り元気ですよ。なんたって私の取り柄は健康と体力ですから。それに、ここは学ぶことが沢山あって張り合いがあります。」

 シウはそう言って笑顔を見せた。ムニルはそうやって自然に明るく笑えるシウが眩しかった。ムニルは客への愛想笑い以外、笑ったことがなかったのだ。

(この子は私には無いものをたくさん持っているんだわ…)

 シウと関わるたびに、己に足りないものを実感し、自身がなんとつまらなく空虚な者であるのかを知る。

「偉いわね。この生活が嫌だと思うことは無いの?」

 ムニルは無礼を承知でそう尋ねてしまった。己は生まれた頃からここにいる。逃れられる運命でも無いのだからと、ずっと諦めながら生きてきた。他の者はどう思っているのか。そう興味が湧いたのは初めてのことだった。

「嫌だと思うこと…。確かに、嫌なこともあります。でも、それは今の私には避けて通れないことです。だから、もっとその先のことを考えるんです。」
「もっと先のこと…?」
「はい。年季が明けて、妓女ではなく1人の女の子として生活することとか、誰かを好きになって、結婚することとか…。あとは大富豪の女商人になるとか」

 そう言って笑う彼女は、話している内容にそぐわぬ、年相応の表情にも見えた。おそらく、ムニルと話している中で一番の笑顔である。

「随分とたくさん夢があるのね。それに楽しそうだわ。」
「はい!何と言っても、年季さえ明ければ私達は自由なのですから!」
「私達…?」

 シウを微笑ましく見ていたムニルは、ぴくりと肩を揺らした。

「はい。ここにいらっしゃるお姉様方は皆、年季が明ければ妓女を辞めることができるのでしょう?」
「え、ええ。そうね」

 幸いこの妓館はこの花街の中で最も繁盛している。そのためか、年季が明ければ辞めることも可能であるし、その後の生活の足しに、上位の妓女であれば金銭を渡されることもあった。
 しかし、その一方で花街の外の生活に馴染めず、花街へ戻ってきた女たちのこともムニルは知っていた。
 その上、ムニルは花街の生まれである。そして何より、ムニルの母が背負っていた借金の肩代わりをしなければならない。その借金がどれほどのものなのか、正確には把握していない。そして、生まれてから一度も目にしたことのない母に大した情も持っていなかった。
 ただこの身に起きることを淡々と受け入れて、流されて来た。そして曲がりなりにもムニルを拾い、育てたのは妓主だ。そのため、そもそもムニルには年季があるのかどうかも定かではない。例によって、どうせ一生己は籠の鳥だと決めつけて、諦めていた。

(少しくらい、聞いてみても良かったのかもしれないわね)

 ムニルはこの花街の世界が己を縛っていると思っていたが、花街だけでなく、そこで育った自身でも縛っていたことに気がついた。皮肉な状況に、思わず笑いがこみあげそうになる。

「父上は亡くなって、母上とも離れることになってしまいましたが、私はいつかこの妓主一番の妓女になって母上を迎えに行くんです」

 そうはにかみながら話すシウは、豪商になると言っていた時とは打って変わり、やや低く、力強い声だった。

(きっとこれがこの子の本音だわ)

 ムニルは幼くもしたたかなその少女の横顔を眺めながら、そう考えた。

(この子は強い。私なんかよりもずっと。はっきりと生きることについて思い描いている…。)

 おそらく己が変わることを望まなければ、己の人生はこのままだろう。ムニルはやっとその事を理解した。例え多くのしがらみがあったとしても、それを断ち切るきっかけはあるはずだ。その一つが、夜明けともに妓館を飛び出し、堀の向こうを目指したあの日だった。諦め続けたムニルは、ムニル自身の願いをあの時に手放したのだ。

(なんて馬鹿なのかしら。そしてそれを教えてくれたのが私よりも幼い女の子だなんてね)

 ムニルは薄く笑みを浮かべながら、己に語りかける少女の話に耳を傾けるのだった。



 
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

【完結短編】ある公爵令嬢の結婚前日

のま
ファンタジー
クラリスはもうすぐ結婚式を控えた公爵令嬢。 ある日から人生が変わっていったことを思い出しながら自宅での最後のお茶会を楽しむ。

他国から来た王妃ですが、冷遇? 私にとっては厚遇すぎます!

七辻ゆゆ
ファンタジー
人質同然でやってきたというのに、出されるご飯は母国より美味しいし、嫌味な上司もいないから掃除洗濯毎日楽しいのですが!?

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

「『お前に書く手紙などない』と言った婚約者へ、私は7年間手紙を書き続けた——ただし、届け先は別の人でした」

歩人
ファンタジー
辺境伯令嬢リゼットは、婚約者に7年間手紙を書き続けた。返事は一度もなかった。 「お前に書く手紙などない。顔も覚えていない」——婚約破棄。しかしリゼットは 泣かなかった。手紙の本当の届け先は、最初から別にあったから。前世の情報分析 能力で辺境の異変を読み解き、暗号として織り込んだ7年分の手紙。それを受け取り 続けていたのは第一王子。リゼットは誰にも知られず、王国を守っていた。 婚約破棄の翌朝、王子からの手紙が届く。「7年間、ありがとう。迎えに行く」

ひめさまはおうちにかえりたい

あかね
ファンタジー
政略結婚と言えど、これはない。帰ろう。とヴァージニアは決めた。故郷の兄に気に入らなかったら潰して帰ってこいと言われ嫁いだお姫様が、王冠を手にするまでのお話。(おうちにかえりたい編) 王冠を手に入れたあとは、魔王退治!? 因縁の女神を殴るための策とは。(聖女と魔王と魔女編) 平和な女王様生活にやってきた手紙。いまさら、迎えに来たといわれても……。お帰りはあちらです、では済まないので撃退します(幼馴染襲来編)

弁えすぎた令嬢

ねこまんまときみどりのことり
ファンタジー
 元公爵令嬢のコロネ・ワッサンモフは、今は市井の食堂の2階に住む平民暮らしをしている。  発端は彼女の父親が行方不明となり、叔父である父の弟が公爵邸に乗り込んで来たこと。  何故か叔父一家が公爵家の資産に手を付け散財するが、祖父に相談してもコロネに任せると言って、手を貸してくれないのだ。  そもそも父の行方不明の原因は、出奔中の母を探す為だった。その母には出奔の理由があって…………。  残された次期後継者のコロネは、借金返済の為に事業を始めるのだ。  小説家になろうさん、カクヨムさんにも載せています。

旦那様、そんなに彼女が大切なら私は邸を出ていきます

おてんば松尾
恋愛
彼女は二十歳という若さで、領主の妻として領地と領民を守ってきた。二年後戦地から夫が戻ると、そこには見知らぬ女性の姿があった。連れ帰った親友の恋人とその子供の面倒を見続ける旦那様に、妻のソフィアはとうとう離婚届を突き付ける。 if 主人公の性格が変わります(元サヤ編になります) ※こちらの作品カクヨムにも掲載します

処理中です...