華の剣士

小夜時雨

文字の大きさ
205 / 221
四獣

孤独な神様 弐

しおりを挟む
「悪いことをしてないのに、隠さなきゃいけないの…?」

 ジイルはこの村の環境の厳しさを理解していた。寒さで耐え切れなかった作物は、税として納めることはできない。僅かに獲れた上質なものは村人には渡らず、ジイル達は味の落ちた少量の作物で冬を凌いでいた。
 そのため水を与えるだけで息を吹き返した花を見て、これを作物にもすれば、自身達はより良い生活ができるのだと考えたのだ。

「悪いことじゃないわ。けどね、あなた一人には重すぎるのよ。軽はずみに使えば、いつか後悔する日が来るかも知れない。わかったわね」

 いつもは優しい母が、そう念押ししてきたため、気圧されたジイルは頷いた。しかし、その言葉の本質を理解するにはまだ幼すぎたのだ。
 翌年、燐国は稀に見る寒波に見舞われた。北部に位置するジイルの村は特に酷く、今までにないほどの不作だった。このことから、年貢は減らして配給もあったが、元から貯蓄の少ない村のため、全く足りなかった。
 困窮に喘ぎ、領主に訴えたものの、群全体が不作であり、支援するにも何もかもが不足していた。
 以前から、なんとか食い繋いでいた村人達だったが、遂に限界を迎えた。寒波により薪の消費量も増え、食材の次は薪の備蓄も底をつき始めた。飢えと寒さは人々を確実に蝕んでいった。

「隣の家のギヨンさんが昨日の夜亡くなったそうだ…」
「そう…。でも私達もいつそうなるかわからないわね。」
「しっ、そんな事を言うんじゃない。」

 夜中に両親達がそう話しているのを、ジイルは微睡みながら聞いていた。きっと大丈夫だよ、と根拠もなく両親に言いたかったが眠気が勝っており、あの時言えたのか言えなかったのかは覚えていない。
 しかしその1週間後には、魔の手がジイルの母に手をかけていた。朝目覚めると、隣にいた母はいつのまにか冷たくなっていた。

「お母さん…?」

 ジイルが問いかけながら手を差し伸べると、母の手は以前からは考えられないほど氷のように冷たかった。そして、ずっと側にいたから気づかなかったのだろうか。彼女の顔は信じられないほど痩せこけていた。まるで石像に触れているかのようだった。

「ジイル…。」

 母の体を確認するように触れていると、父がおずおずと話しかけてくる。ジイルはこの状況を理解してはいたが受け入れたくなかった。そのため、父のこの先の言葉を聞きたくなかった。ジイルはこの事実から自身も母も守るかのようにきつく抱きしめる。

「お母さんはもう、長い眠りについたんだ」

 いやいや、とジイルは激しく首を振る。頬を伝う涙が千切れて飛び散った。

「そんな事ない!お母さんは生きてる!」
「ジイル。」

 父のその短い呼びかけで、ジイルの動きは止まった。普段は穏やかな父だが、嗜めるようなその一言は何よりも力を持っていた。ジイルはそっと母から離れた。
 母の葬儀は簡素なものだった。村人が次々と亡くなっているため、今日も母ともう一人の村人の葬儀が同時に取り行われた。
 神官が仰々しく、悲壮感に溢れた言葉を息を引き取った二人に並べ立てる。それを聴いて村人は静かに涙を流すが、ジイルには何の意味も持たなかった。風や虫の音と同じで、耳から耳へと通り抜け、何の印象にも残らなかった。
 そして、あとは二人の遺体を土葬するのみとなり、窪んだ二つの深い穴に棺は入れられた。村人が代わる代わる土をかけていく。ジイルは葬儀の間、何も考えないようにして耐えていたが、ついに限界を迎えた。

「やめて!こんなことしたらお母さん息が出来なくなっちゃう!」
(もしかしたら…!みんなの勘違いでまだ生きてるかもしれない…!それなのに土に埋めちゃったら取り返しがつかないよ…!)

 ジイルは冷たくなった母親の体に何度も触れていたが、やはり受け入れ難い事実だった。まだ母は生きている。そう信じたかった。

「ジイル…!」

 父の手をくぐり抜けて、母の棺に向かって滑り降りていく。まだ土はかけられ始めたばかりで、幼いジイルでも何とか棺を開けることができた。

「お母さん…」

 目覚めた時、朝日の中で母よりも、昼間の太陽が照らす母の方がますます青白く見えた。そっと手を取るが、冬の空気と変わりないほどに冷え切っていた。
 力なくジイルの動きになされるままの母の遺体を見て、ふとあることを思い出した。

(お母さんはまだ死んでない…!)
「ジイル、もう離れなさい。お母さんを休ませてあげないと」

 父がジイルを追って、穴に滑り降りてきた。そして、ジイルの肩に触れる。その手から伝わる温もりは、母親のものとは正反対だった。

「うんん、…お母さんは生きてるよ」

 その時、母の手を繋いでいたジイルの手のひらに、ある感触が伝わった。

「ほら…!」

 棺の中から、ゆっくり母親が身体を起こす。その信じられない光景に、皆は一斉に静まり返った。

「どう言うことだ…?気を失っていただけか?まさかそんな…」

 父は声を震わせながら母と視線を合わせるためにしゃがみ込む。

「気分が悪いとか、痛いとかないか…?」

 そして父は労るように母の体のあちこちに触れた。しかし、母は何の反応も示さなかった。ただ、黙って父のされるがままになっていた。その瞳は虚で、ジイルや父を映すことはなく、ただひたすらに中を見つめているのだった。


しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

【完結短編】ある公爵令嬢の結婚前日

のま
ファンタジー
クラリスはもうすぐ結婚式を控えた公爵令嬢。 ある日から人生が変わっていったことを思い出しながら自宅での最後のお茶会を楽しむ。

他国から来た王妃ですが、冷遇? 私にとっては厚遇すぎます!

七辻ゆゆ
ファンタジー
人質同然でやってきたというのに、出されるご飯は母国より美味しいし、嫌味な上司もいないから掃除洗濯毎日楽しいのですが!?

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

「『お前に書く手紙などない』と言った婚約者へ、私は7年間手紙を書き続けた——ただし、届け先は別の人でした」

歩人
ファンタジー
辺境伯令嬢リゼットは、婚約者に7年間手紙を書き続けた。返事は一度もなかった。 「お前に書く手紙などない。顔も覚えていない」——婚約破棄。しかしリゼットは 泣かなかった。手紙の本当の届け先は、最初から別にあったから。前世の情報分析 能力で辺境の異変を読み解き、暗号として織り込んだ7年分の手紙。それを受け取り 続けていたのは第一王子。リゼットは誰にも知られず、王国を守っていた。 婚約破棄の翌朝、王子からの手紙が届く。「7年間、ありがとう。迎えに行く」

ひめさまはおうちにかえりたい

あかね
ファンタジー
政略結婚と言えど、これはない。帰ろう。とヴァージニアは決めた。故郷の兄に気に入らなかったら潰して帰ってこいと言われ嫁いだお姫様が、王冠を手にするまでのお話。(おうちにかえりたい編) 王冠を手に入れたあとは、魔王退治!? 因縁の女神を殴るための策とは。(聖女と魔王と魔女編) 平和な女王様生活にやってきた手紙。いまさら、迎えに来たといわれても……。お帰りはあちらです、では済まないので撃退します(幼馴染襲来編)

弁えすぎた令嬢

ねこまんまときみどりのことり
ファンタジー
 元公爵令嬢のコロネ・ワッサンモフは、今は市井の食堂の2階に住む平民暮らしをしている。  発端は彼女の父親が行方不明となり、叔父である父の弟が公爵邸に乗り込んで来たこと。  何故か叔父一家が公爵家の資産に手を付け散財するが、祖父に相談してもコロネに任せると言って、手を貸してくれないのだ。  そもそも父の行方不明の原因は、出奔中の母を探す為だった。その母には出奔の理由があって…………。  残された次期後継者のコロネは、借金返済の為に事業を始めるのだ。  小説家になろうさん、カクヨムさんにも載せています。

旦那様、そんなに彼女が大切なら私は邸を出ていきます

おてんば松尾
恋愛
彼女は二十歳という若さで、領主の妻として領地と領民を守ってきた。二年後戦地から夫が戻ると、そこには見知らぬ女性の姿があった。連れ帰った親友の恋人とその子供の面倒を見続ける旦那様に、妻のソフィアはとうとう離婚届を突き付ける。 if 主人公の性格が変わります(元サヤ編になります) ※こちらの作品カクヨムにも掲載します

処理中です...