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四獣
孤独な神様 弐
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「悪いことをしてないのに、隠さなきゃいけないの…?」
ジイルはこの村の環境の厳しさを理解していた。寒さで耐え切れなかった作物は、税として納めることはできない。僅かに獲れた上質なものは村人には渡らず、ジイル達は味の落ちた少量の作物で冬を凌いでいた。
そのため水を与えるだけで息を吹き返した花を見て、これを作物にもすれば、自身達はより良い生活ができるのだと考えたのだ。
「悪いことじゃないわ。けどね、あなた一人には重すぎるのよ。軽はずみに使えば、いつか後悔する日が来るかも知れない。わかったわね」
いつもは優しい母が、そう念押ししてきたため、気圧されたジイルは頷いた。しかし、その言葉の本質を理解するにはまだ幼すぎたのだ。
翌年、燐国は稀に見る寒波に見舞われた。北部に位置するジイルの村は特に酷く、今までにないほどの不作だった。このことから、年貢は減らして配給もあったが、元から貯蓄の少ない村のため、全く足りなかった。
困窮に喘ぎ、領主に訴えたものの、群全体が不作であり、支援するにも何もかもが不足していた。
以前から、なんとか食い繋いでいた村人達だったが、遂に限界を迎えた。寒波により薪の消費量も増え、食材の次は薪の備蓄も底をつき始めた。飢えと寒さは人々を確実に蝕んでいった。
「隣の家のギヨンさんが昨日の夜亡くなったそうだ…」
「そう…。でも私達もいつそうなるかわからないわね。」
「しっ、そんな事を言うんじゃない。」
夜中に両親達がそう話しているのを、ジイルは微睡みながら聞いていた。きっと大丈夫だよ、と根拠もなく両親に言いたかったが眠気が勝っており、あの時言えたのか言えなかったのかは覚えていない。
しかしその1週間後には、魔の手がジイルの母に手をかけていた。朝目覚めると、隣にいた母はいつのまにか冷たくなっていた。
「お母さん…?」
ジイルが問いかけながら手を差し伸べると、母の手は以前からは考えられないほど氷のように冷たかった。そして、ずっと側にいたから気づかなかったのだろうか。彼女の顔は信じられないほど痩せこけていた。まるで石像に触れているかのようだった。
「ジイル…。」
母の体を確認するように触れていると、父がおずおずと話しかけてくる。ジイルはこの状況を理解してはいたが受け入れたくなかった。そのため、父のこの先の言葉を聞きたくなかった。ジイルはこの事実から自身も母も守るかのようにきつく抱きしめる。
「お母さんはもう、長い眠りについたんだ」
いやいや、とジイルは激しく首を振る。頬を伝う涙が千切れて飛び散った。
「そんな事ない!お母さんは生きてる!」
「ジイル。」
父のその短い呼びかけで、ジイルの動きは止まった。普段は穏やかな父だが、嗜めるようなその一言は何よりも力を持っていた。ジイルはそっと母から離れた。
母の葬儀は簡素なものだった。村人が次々と亡くなっているため、今日も母ともう一人の村人の葬儀が同時に取り行われた。
神官が仰々しく、悲壮感に溢れた言葉を息を引き取った二人に並べ立てる。それを聴いて村人は静かに涙を流すが、ジイルには何の意味も持たなかった。風や虫の音と同じで、耳から耳へと通り抜け、何の印象にも残らなかった。
そして、あとは二人の遺体を土葬するのみとなり、窪んだ二つの深い穴に棺は入れられた。村人が代わる代わる土をかけていく。ジイルは葬儀の間、何も考えないようにして耐えていたが、ついに限界を迎えた。
「やめて!こんなことしたらお母さん息が出来なくなっちゃう!」
(もしかしたら…!みんなの勘違いでまだ生きてるかもしれない…!それなのに土に埋めちゃったら取り返しがつかないよ…!)
ジイルは冷たくなった母親の体に何度も触れていたが、やはり受け入れ難い事実だった。まだ母は生きている。そう信じたかった。
「ジイル…!」
父の手をくぐり抜けて、母の棺に向かって滑り降りていく。まだ土はかけられ始めたばかりで、幼いジイルでも何とか棺を開けることができた。
「お母さん…」
目覚めた時、朝日の中で母よりも、昼間の太陽が照らす母の方がますます青白く見えた。そっと手を取るが、冬の空気と変わりないほどに冷え切っていた。
力なくジイルの動きになされるままの母の遺体を見て、ふとあることを思い出した。
(お母さんはまだ死んでない…!)
「ジイル、もう離れなさい。お母さんを休ませてあげないと」
父がジイルを追って、穴に滑り降りてきた。そして、ジイルの肩に触れる。その手から伝わる温もりは、母親のものとは正反対だった。
「うんん、…お母さんは生きてるよ」
その時、母の手を繋いでいたジイルの手のひらに、ある感触が伝わった。
「ほら…!」
棺の中から、ゆっくり母親が身体を起こす。その信じられない光景に、皆は一斉に静まり返った。
「どう言うことだ…?気を失っていただけか?まさかそんな…」
父は声を震わせながら母と視線を合わせるためにしゃがみ込む。
「気分が悪いとか、痛いとかないか…?」
そして父は労るように母の体のあちこちに触れた。しかし、母は何の反応も示さなかった。ただ、黙って父のされるがままになっていた。その瞳は虚で、ジイルや父を映すことはなく、ただひたすらに中を見つめているのだった。
ジイルはこの村の環境の厳しさを理解していた。寒さで耐え切れなかった作物は、税として納めることはできない。僅かに獲れた上質なものは村人には渡らず、ジイル達は味の落ちた少量の作物で冬を凌いでいた。
そのため水を与えるだけで息を吹き返した花を見て、これを作物にもすれば、自身達はより良い生活ができるのだと考えたのだ。
「悪いことじゃないわ。けどね、あなた一人には重すぎるのよ。軽はずみに使えば、いつか後悔する日が来るかも知れない。わかったわね」
いつもは優しい母が、そう念押ししてきたため、気圧されたジイルは頷いた。しかし、その言葉の本質を理解するにはまだ幼すぎたのだ。
翌年、燐国は稀に見る寒波に見舞われた。北部に位置するジイルの村は特に酷く、今までにないほどの不作だった。このことから、年貢は減らして配給もあったが、元から貯蓄の少ない村のため、全く足りなかった。
困窮に喘ぎ、領主に訴えたものの、群全体が不作であり、支援するにも何もかもが不足していた。
以前から、なんとか食い繋いでいた村人達だったが、遂に限界を迎えた。寒波により薪の消費量も増え、食材の次は薪の備蓄も底をつき始めた。飢えと寒さは人々を確実に蝕んでいった。
「隣の家のギヨンさんが昨日の夜亡くなったそうだ…」
「そう…。でも私達もいつそうなるかわからないわね。」
「しっ、そんな事を言うんじゃない。」
夜中に両親達がそう話しているのを、ジイルは微睡みながら聞いていた。きっと大丈夫だよ、と根拠もなく両親に言いたかったが眠気が勝っており、あの時言えたのか言えなかったのかは覚えていない。
しかしその1週間後には、魔の手がジイルの母に手をかけていた。朝目覚めると、隣にいた母はいつのまにか冷たくなっていた。
「お母さん…?」
ジイルが問いかけながら手を差し伸べると、母の手は以前からは考えられないほど氷のように冷たかった。そして、ずっと側にいたから気づかなかったのだろうか。彼女の顔は信じられないほど痩せこけていた。まるで石像に触れているかのようだった。
「ジイル…。」
母の体を確認するように触れていると、父がおずおずと話しかけてくる。ジイルはこの状況を理解してはいたが受け入れたくなかった。そのため、父のこの先の言葉を聞きたくなかった。ジイルはこの事実から自身も母も守るかのようにきつく抱きしめる。
「お母さんはもう、長い眠りについたんだ」
いやいや、とジイルは激しく首を振る。頬を伝う涙が千切れて飛び散った。
「そんな事ない!お母さんは生きてる!」
「ジイル。」
父のその短い呼びかけで、ジイルの動きは止まった。普段は穏やかな父だが、嗜めるようなその一言は何よりも力を持っていた。ジイルはそっと母から離れた。
母の葬儀は簡素なものだった。村人が次々と亡くなっているため、今日も母ともう一人の村人の葬儀が同時に取り行われた。
神官が仰々しく、悲壮感に溢れた言葉を息を引き取った二人に並べ立てる。それを聴いて村人は静かに涙を流すが、ジイルには何の意味も持たなかった。風や虫の音と同じで、耳から耳へと通り抜け、何の印象にも残らなかった。
そして、あとは二人の遺体を土葬するのみとなり、窪んだ二つの深い穴に棺は入れられた。村人が代わる代わる土をかけていく。ジイルは葬儀の間、何も考えないようにして耐えていたが、ついに限界を迎えた。
「やめて!こんなことしたらお母さん息が出来なくなっちゃう!」
(もしかしたら…!みんなの勘違いでまだ生きてるかもしれない…!それなのに土に埋めちゃったら取り返しがつかないよ…!)
ジイルは冷たくなった母親の体に何度も触れていたが、やはり受け入れ難い事実だった。まだ母は生きている。そう信じたかった。
「ジイル…!」
父の手をくぐり抜けて、母の棺に向かって滑り降りていく。まだ土はかけられ始めたばかりで、幼いジイルでも何とか棺を開けることができた。
「お母さん…」
目覚めた時、朝日の中で母よりも、昼間の太陽が照らす母の方がますます青白く見えた。そっと手を取るが、冬の空気と変わりないほどに冷え切っていた。
力なくジイルの動きになされるままの母の遺体を見て、ふとあることを思い出した。
(お母さんはまだ死んでない…!)
「ジイル、もう離れなさい。お母さんを休ませてあげないと」
父がジイルを追って、穴に滑り降りてきた。そして、ジイルの肩に触れる。その手から伝わる温もりは、母親のものとは正反対だった。
「うんん、…お母さんは生きてるよ」
その時、母の手を繋いでいたジイルの手のひらに、ある感触が伝わった。
「ほら…!」
棺の中から、ゆっくり母親が身体を起こす。その信じられない光景に、皆は一斉に静まり返った。
「どう言うことだ…?気を失っていただけか?まさかそんな…」
父は声を震わせながら母と視線を合わせるためにしゃがみ込む。
「気分が悪いとか、痛いとかないか…?」
そして父は労るように母の体のあちこちに触れた。しかし、母は何の反応も示さなかった。ただ、黙って父のされるがままになっていた。その瞳は虚で、ジイルや父を映すことはなく、ただひたすらに中を見つめているのだった。
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