いつか、その想いを攫えたら

涼暮つき

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第5話

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「お疲れさん」
「あ。ども……あざっす」
 ガヤガヤと騒がしい週末の居酒屋でカチンと互いのグラスを鳴らした。目の前にはスーツのジャケットを脱ぎリラックスした様子の赤松が座っている。
 端から見たらどう見ても上司と部下の図だが、実際は上司でも部下でもなく、ましてや友達でもないただの顔見知りという関係だ。
 先日、酔い潰れた赤松を部屋に送り届けてやったお礼にと、飲みに誘われこの現状。
 隣では大学生らしき男女のグループが賑やかにいわゆる合コンという名の飲み会の真っ最中。
「おまえも、ああいうのしたの?」
 赤松がグラスを傾けながら、その視線を騒がしい隣の席へと向けた。
「そりゃ、しましたよ。学生のお約束でしょう、ああいうの」
「おまえ、ルックスいいし、モテたろうな?」
「まぁ。それなりに」
 先に運ばれてきていたお通しに箸を付けながら答えると、赤松がふっと笑った。笑うと目尻に深い皺が寄るのが、年齢の割になんとも愛嬌がある。
「否定しねぇのかよ」
「事実ですから」
 女の子からモテたのは事実。
 優しい! カッコイイ! などとチヤホヤされるのはそりゃあ悪い気はしなかったが、嬉しいかと言われればそれはまた微妙な話で。
 思春期を迎える頃、男にしか性的興奮を覚えないと自覚した真也には最早、異性にモテるモテないはどうでもいいことだった。
 当然だ。例えばごく普通に女の子を恋愛対象にする男が、同じ同性の男に好きだと言われても嬉しくないように、女を恋愛対象としない真也が、女の子に好きだと言われたところで心が動くはずもない。
「そーいや。おまえ恋人は?」
「今はいません。つい最近別れたばかりなんで」
「……ああ、その口の悪さが原因?」
「何ですか、それ」
「灰原気づいてねぇのか? 黒川とかにはそうでもないのに、最近俺だけ扱いがぞんざい」
 そう言われて首を傾げた。
 あまり口の上品な方ではないという自覚はあるが、上司や先輩にはそれなりに気を使うし、そこを褒められることはあるが、こんな思いもよらない指摘をされた事はない。
「……そうすかね」
「まぁ。俺は嫌いじゃないけどな。おまえみたいな生意気なやつ」
「……」
 生意気とか、ある程度心を許している友達になら言われたことがないこともないが──。
「あ。仕事絡んでないからっすかね? 俺と赤松さんには仕事上の利害関係がないんで、わりと素でいれてるのかも。気に入られる必要もないし、関係が悪化したからってどうこうなるっていうわけでもないし」
 そう思ったまま答えると赤松が、ああ…と納得したように頷いた。
「はは。おまえ、本人目の前にはっきり言うなぁ」
「……そうでもないですよ。別れた恋人には肝心なこと何も言えなかったですし」
「口悪りぃのに?」
「そこ、掘り下げます?」
「はは」
 白い歯を見せて笑う赤松のほんのり酒気を帯びた顔。オッサンだけど悪くないな、と真也はグラスに少し残ったビールをそのまま一気に飲み干した。

 テーブルの上には灰で底が見えなくなった灰皿、ほとんど空になった皿やグラスが溢れている。週末と言うことで店は混み合い、店員は料理を出すのに手一杯で、特に注文が入らない限りは空の皿を下げに来る余裕すらないようだ。
「へぇ。奥さん、浮気なんすか」
「そう言うと聞こえ悪いけど、そうさせたの俺……」
 いつの間にか酒も進み、こんな突っ込んだ話もできる雰囲気になった。
 べつに赤松がその妻と別れた原因を問いただしたい訳じゃない。興味本位と言われればそれを否定する気はないが、知りたいと思ったのだ。将来を誓い合い、共に過ごしてきた夫婦がなぜそれを終わりにするに至ったのかを。
「……俺が悪いんだよ。あいつが子供欲しいっつった時、それを渋ってズルズルと。そりゃな、出産にはリミットあるから俺を見切ったのも分かんなくはない」
「なんで、子供渋ったんすか?」
 そう訊ねた瞬間、赤松の顔が強張った。
 しまった。踏み込み過ぎたかと思ったが、時既に遅し。
「……」
「彼女も俺も仕事が忙しい時期ではあったんだ。いろいろ理由つけて問題を先送りにして──なんか今更怖くなったんだよ。こんな気持ちのまま大事な彼女との間に子供なんか作っていいのか、って」
「赤松さん、子供嫌いなんすか?」
「いや。好きだよ。姪がいるんだが、兄貴に引かれるくらい溺愛してる」
「だったら──」
「彼女の望みに応えてやれなかった俺が悪いんだ」
 赤松の言葉は正直よく理解らなかった。
 子供の好き嫌いじゃないとしたら、夫婦の間に何か問題があったのか──問題とは何だったのか。
 誰にだって訊かれてうまく答えられない事もある。真也もそれ以上のことは訊ねなかった。





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