いつか、その想いを攫えたら

涼暮つき

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第7話

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 馴染みのタクシー会社に電話を掛け、タクシーが到着するまでの間、日南子を彼女のマンション近くの小さな交差点まで送る。
「ごめんねー、灰原くん。わざわざ送らせちゃって」
 日南子が少し前を歩きながら悪戯な表情で振り向いた。ふわと風に揺れる髪を無造作に抑える日南子の姿は真也より三つも年上なのにまるで少女のようだ。
「べつにいいですよ。たいした距離でもないですし」
「あはは! 口調はアレだけど……基本優しいよね、灰原くんは」
「普段は黒川さん送ってくれるんですか?」
「うん。ほら、この辺変な人出たりしてたでしょう? 巽さん、心配してくれて」
「でしょうね。青野さん一人だとなんか危なっかしいですもんね」
 何気なくそう言うと、日南子が心外だと言わんばかりの顔をした。
「え、なにそれ。酷いー!」
「ははっ」
 少なくとも日南子は男から見て守ってやりたくなるような存在である。
 身体も小さく、腕なんかは驚くほど細い。こんな華奢な女の子など男の手に掛かれば、どんなに抵抗しようとねじ伏せられてひとたまりもない。
「黒川さん厳ついし、一緒にいてくれれば安心でしょう」
「──うん!」
 隣を歩く日南子がほんのり頬を染め嬉しそうな顔をした。
 彼女のことを普通に可愛いな、とは思う。けれどそれは、やはり恋とか、そういった感情とは似て非なるもの。

  *  *  *

「お疲れさまです。お先っす!」
「おー、お疲れー」
 仕事を終えて事務所を出ると、生温かい風がじっとりと肌に纏わりつく。たった今エアコンの利き過ぎた部屋から出て来たばかりだというのに、すでに背中に汗が滲む。
「くそ、暑いな」
 真也は事務所の裏手にある従業員用の駐車場に向かい、自身の車に乗り込むとエンジンを掛けてエアコンの風量を最大にして息を吐いた。
 それとほぼ同時にスーツのポケットがブルルと震える。
 そういえば夕方の会議の際にマナーモードにしたままだったなと思い出し、スマホを取り出して画面を見つめた。一瞬電話に出るのを躊躇ったのは、その着信の主が数カ月前に別れた元恋人の友和だったからだ。
「……今更何だよ、マジで」
 そう呟いて着信を無視した。
 結婚するから、と言って真也を振っておきながら、結果結婚しても関係を続けたいなどと未だ何度も連絡を寄越して来るその神経が理解できない。
 元々遊びのはずだった。適当な相手と適当に付き合って、ほんの束の間でも心の隙間を埋められるのなら相手は誰でも良かったはずだ。なのに付き合いが長くなるにつれて次第に期待が大きくなった。
 もしかしたら、このままこんなふうにして一生一緒にいられるのではないか、と。
「バカだな、俺」
 自嘲気味に溜息をつくと、再び手にしたスマホがブルルと震えた。どうせまた友和からだろうとうんざりした口調で電話に出て言った。
「しつこいんだよ! 俺らもう終わってんだろ? おまえ結婚するんだろ? 彼女大事にしてやれよ!」
 真也の口から出た言葉は決して強がりなどではない。男に生まれて、ごく普通に女を愛せるのなら、その“普通”を選んだほうが生きやすいに決まっている。 
『──は? なに言ってんの灰原。もうどっかで一杯ひっかけてんのか?』
 電話越しに聞こえて来たのは、友和の声ではなかった。
 ハハハ、と電話越しに聞こえる笑い声は柔らかに響く赤松のもの。
「……あ、赤松さん!?」
『誰と間違えてんだよー? 電話出る前に相手の確認くらいしろや』
「あ。……いや」
 一瞬しまった、と思った──が、
『おまえ、今日このあと予定は? 暇ならちょい飲まねぇか?』
 と言葉を続けた赤松は特に何かに気づいた様子もなく真也に訊ねた。こうして赤松に誘われることもこれで何度目になるだろう。
 自分が普通ではないと自覚した思春期以降、人と深く付き合うことを避けて来た。もちろん人付き合いが悪いという意味ではない。友達づきあいもそれなりにしてきたし、職場の人間関係だってそれなりに円滑に努めて来た。
 けれど、特定の人間と距離を詰めるようなことはして来なかった。それは真也自身にも踏み込まれたくない領域と言うものがあったからだ。
 なのに、この男の誘いは何故だか嫌だとは思わなかった。
「……いいっすけど。俺ガッツリ飲みたい気分なんですよね」
 ある意味その誘いに救われた。
 すでに別れた相手だとしても、友和からの連絡に心が揺れないわけじゃない。
 このまま一緒に居られたら……そう期待してしまう程度に相手のことを好きだったのは事実。別れを切り出された夜、翌朝目が腫れるほどに泣き明かしたのもまた事実。
『へぇ、珍しい。おまえでもそういうときあるんだな?』
「……そりゃあるでしょうよ。人間ですから」
『意外だわー。ソークール灰原』
 またも電話の向こうで、はははと笑う赤松に力が抜けた。歳の割に見た目はそこそこイケてる部類のオッサンではあるが、中身はやはり歳相応か。
「何ですかそれ……ダッサイあだ名勝手に付けんでくださいよ」
『ガッツリ飲みたいなら、かしこまった店とかアレだよなー?』
 赤松の頭の中はすでに今から飲みに出る場所探しのことでいっぱいのようだ。
「俺の抗議はシカトですか?」 
 一応訊ねてみるも赤松は電話の向こうでブツブツと知った店の名前を呟きながらあーでもないこうでもないと真也の話をまるで聞いてはいない。
『じゃあ。ウチ来るか?』
 赤松がまるで名案を思いついたかのように声を弾ませて言った。
「──は?」
『店で飲むといろいろ面倒くせぇじゃん。明日土曜だし休みだろ? どうせ』
「はぁ」
『おまえ、車通勤だったろ? 帰るの面倒ならそのまま泊まってけばいいしな』
「……まぁ、それでもいいですけど」
 なんてうっかり返事を返してしまったことに自分が一番驚いた。
 自分の性癖を知らない特定の誰かと距離を詰めることは今までずっと避けて来た。特に酒の絡む席では。
 自身をコントロールできなくなることは、すなわち一歩間違えればそれは人間関係の破綻を招く危険もある。






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