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涼暮つき

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第四章 黒川巽の場合

黒川巽の場合⑥

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「心配掛けて悪かったよ。もう平気だから、青ちゃんは帰んな」
「帰りません」
「マジ、平気だから。薬飲んで寝りゃすぐ治るし」
「薬、飲めます? 何か口に入れますか? おかゆとかなら食べられますか?」
「──や、マジでいいから。風邪うつるしな?」
「キッチン、使ってもいいですか?」
 巽の言葉を完全に無視して、日南子が厨房に入っていく。冷蔵庫の中を勝手に物色している姿がいつになく強引で、普段遠慮がちで控えめな日南子にこんな一面もあったのかと驚いて彼女を見つめる。
「コラ! 帰れっての──」
 気が気じゃない。これ以上遅くなる前に彼女を帰さないと──、彼女は以前危険な思いをしている。
「勝手な事してごめんなさい。……でも、こういう時は素直に甘えてください」
「……青ちゃん」
「約束します。これ作ったら、すぐ帰ります」
 強い意志を持った彼女の真っ直ぐな目につい負けてしまった。
「──分かったよ」
「できたら運ぶんで、部屋で休んでてください」
 ここで変に押し問答をするより、素直に言うことを聞いておいた方が時間的ロスも少ないと考え、大人しく頷いた。普段はふわふわした雰囲気の彼女だが、意外にもその意志は強く、譲らないところもあるらしい。
 知りあってもう三年近いが、付き合いが長いからといってすべてが分かるわけではない。
 巽が知っている日南子の姿など、彼女のほんのごく一部なのだ。
 ゆっくりと椅子から立ち上がり、ふらつく足取りで階段を昇る。
「巽さん、平気ですか?」
 日南子が心配そうに声を掛けたが「平気平気」と答え、部屋に向かった。
「……何やってんだろな」
 ボソ、と呟いてベッドにもぐりこむ。強引にでも帰してしまえばよかったのに、押しに負けるふりをして結局彼女の厚意を受け入れたいと思っている自分に戸惑いながらも目を閉じる。
 こういうときの人の優しさは、やけに心に沁み渡る。一瞬でも傍にいて欲しいと思い、それを彼女の強引さのせいにして自分を甘やかす。
 誰かを特別に思い惹かれていくことを恐れているくせに、その一番脅威な存在である彼女をこうして懐にいれているとは、なんとした矛盾だ。
「マジ、勘弁してくれよ」
 これ以上、近づいてはいけない。惹かれてはいけない。
 そう自分に言い聞かせながらもあっという間に眠りに落ちた。

   *

「──さん」
 遠くで声が聞こえる。
「──巽さん」
 次第に鮮明になる声と、意識の覚醒。ゆっくり目を開けると目の前には心配そうに自分を覗き込む青野日南子の顔。一瞬頭が混乱するも、目が覚めて来ると同時に流れ込んでくる記憶に、ああ…そうだったかと日南子を見つめた。
「食事出来たんですけど、少し起きられますか?」
「ああ。ほんと悪りぃな……」
 ベッドのヘッド部分に置かれたスマホで時刻を確認すると、あれから三十分ほど。短い時間ではあるが、随分と深く眠れたようだ。ゆっくりと身体を起こすと、日南子がお盆にのせた小さな土鍋をベッド脇に置いた。それから遠慮がちに手を伸ばして巽の額に触れる。
「まだ、すごく熱いです……。少しくらいなら食べられそうですか? 少しはお野菜も……って思って雑炊にしたんですけど。冷蔵庫の中のもの勝手に使っちゃいましたけどごめんなさい」
「いや……いいよ、そんなん」
 日南子が布巾を使って土鍋の蓋を開けると、モワと熱い湯気が立ち上ると同時に旨い出汁の匂いがした。しめじやエリンギの他に大根やこんにゃくも入った具だくさんの雑炊だ。
「……へぇ。青ちゃん、こういうの出来んだ」
「そりゃ……自炊もしますし。あ! でも巽さんみたいに上手なのは作れないんで期待しないで食べてください」
 そう言った日南子がレンゲで茶碗に出来たての雑炊をよそう。調理器具や食器の位置などもわからなかっただろうに、よくこれらを探し出せたなと思わず感心した。
 巽が茶碗を手にすると、日南子が急に背筋を伸ばして口を真一文字に結んでこちらの様子を窺う。
「そんな見られると緊張すんだけど……」
「私だって緊張してるんです! プロの人のお口に合うかと思って」
「ははっ。プロって……! 俺のは趣味に毛が生えた程度だからたいしたこたぁない」
「そんなことないですよー! 私、巽さんのご飯大好きですもん」
 ど直球な褒め言葉に無意識に顔がほころぶ。ふー、と一息吹きかけてそれを口に運んだ。
「……ん! これ、生姜か」
「はい。身体温まるから代謝にいいかと……風味もいいかなって」
「ああ。めちゃめちゃ旨い」
 巽の言葉に日南子が、パッと嬉しそうな顔をした。
「……よかった」
 ほっとしたように笑う日南子の笑顔に、胸の奥がジワと温かくなる。この優しく心地よい温かさはどうやら生姜だけのせいではないらしい。

 結局巽は彼女が作ってくれた雑炊の半分以上をたいらげた。食事を終えると日南子が絶妙なタイミングで薬と水を用意して戻ってきた。
「薬、これで良かったですか?」
「ああ。ちょうど切らしてたから助かった」
 実際、置き薬も切らしていて、彼女が買ってきてくれた薬をそのまま貰い受けることになった。平気だ、と言いながら結局は何から何まで彼女の世話になっている情けない現状。
「今度こそ、帰れな?」
「下片付けたら帰ります」
「裏口の鍵、レジの下の引き出しに入ってるから、それで閉めて出てってくれるか? 鍵はまた今度返してくれりゃいいから。とにかく気をつけて帰ってくれよ?」
 本当なら彼女をマンションまできちんと送ってやりたいところだが、この身体ではそうも行かず、彼女に気をつけるよう念を押す。
「はい。わかりました。……巽さん、ちゃんと寝てくださいね」
「分かってるよ。いろいろありがとな」
「いえ。……おやすみなさい」
 そう言うと、日南子が小さく手を振ってから階下へと降りて行った。
 はぁ……と小さく息を吐き、静かに目を閉じる。店のほうからかすかな水の音と、カチャカチャとした食器を片づける音が聞こえてくる。
 いつぶりだろう。誰かが店にいて、その気配を感じながらこうして眠りにつくのは。
 懐かしい音。小さな頃、この音を聞きながら眠りに落ちていたことを思い出す。
 ──温かい。誰かがそばにいてくれることは。
 こんな夜はどうにも人恋しくなる。

   *  *  *

 その夜、また夢を見た。
 寝苦しい夏の夜、頻繁に見るいつもの夢。
 目を覚ますと、汗びっしょりで、その暑さのあまり冷蔵庫から冷たい水を取り出してそれを一気に半分飲みほして。
 ぼんやりとした頭でテレビをつけると、あの時の事故のニュースが流れていて──。
 すぐにでも動き出したいのに動けない。
 電話を掛けようとしても手が震えて何をしようとしても上手く行かない。
 アナウンサーが淡々とした口調で亜紀の名前を告げ、手にしたペットボトルを床に落とし、その中身が床へと溢れ出る。
 足下が次第に冷たくなり、いつの間にか一面大きな海のような水に囲まれていて。その水がどんどん深さを増し、身体がその大水に飲み込まれる。動きたくても動けない。まるで身体が金縛りにあったかのように、とにかくもがいてもがいて……必死に手を伸ばしても、誰も助けてはくれない。
 ああ──、もうダメだ。そう思ったところで、いつもは目が覚めるのだが、なぜだか今回はそれが少し違っていた。必死に手を伸ばすと、誰かが巽の手を掴んだ。
 細く、どちらかといえば頼りないと思えるような手。でも、その手はとても温かく、巽の手を包み込む。
 どうしてだろう。いままでこんなことは一度もなかった。

 細く頼りない手は、それでも力強くギュッと巽の手を握りしめた。
 ただ、その手の温かさにに安心した──、そしてこの日は目覚めることはなかった。

   *  *  *

 かすかな鳥の囀りが聞こえ、うっすら目を開けた。
 周りが明るくなっていることから、もう朝なんだ……とぼんやりとした頭で考える。まだ頭が少し重いのは昨夜熱があったから。次第に昨夜の出来事が思い出される。
「……」
 そういえば、彼女は何事もなく家に帰れただろうか。そんな事を考えたとき身体に違和感を感じた。その違和感の正体を確かめようと身体を動かした瞬間、あまりの衝撃にうろたえた。
「……嘘、だろ」
 昨夜帰したはずの青野日南子がくく巽の手を握りしめて、巽の寝ているベッドに寄りかかるようにして静かな寝息を立てている。
 ちょっと待て。何がどうしてこうなった? 考えても考えても何がどうなったのか分からない。
 日南子を起こさないようにゆっくりと身体を起こし、ベッドにもたれたままの彼女を見つめた。彼女の手はなぜかしっかりと巽の右手を握りしめていて、ちょっとやそっとじゃほどけそうにない。
「何してんだよ、マジ……」
 帰るようにちゃんと言ったはずだった。裏口の鍵の位置だって教えて、それ預けるつもりで──。
 それより、なぜ彼女が自分の手をこんなにもギュッと掴んで離さないのか。
「……」
 白い透き通るような肌。長い睫毛。ぷるりとした形のいい唇。柔らかそうな焦茶色の髪が、その可愛らしい顔の一部を覆っている。彼女の顔にかかった髪を、巽はそっと左手の指で掬った。
 依然右手は彼女にしっかりと掴まれたままだ。
「……全く。うっかり変な気起こしそうになるだろ」
 警戒心のない無防備な寝顔。
 持ってはいけない感情を、心の奥底から掘り起こしてしまいそうで怖くなる。
 いけないと思っているのに血迷ったのか自然と彼女の方へ手が伸びてしまった。そっと腕を伸ばし、指の先で彼女の頬と、唇に触れる。
「……ん、」
 ピク、と彼女の眉と瞼が動き、巽は静かに手を引っ込めた。
「青ちゃん、起きて」
 今度は黙って触れたりせず、彼女に呼びかけた。ここで彼女に意識を取り戻して貰わなければ、自分が何かしでかしてしまいそうで怖い。

 

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