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涼暮つき

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第五章 青野日南子の場合

青野日南子の場合③

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「青ちゃん、ここの祭り初めて?」
「はい。たまたま仕事の日が多くて……帰りに寄る頃には出店とかも閉まりかけてたり」
「ははっ。そりゃ残念だな。せっかくなら出店見たいもんな」
「はい」
「んじゃ、店見ながらぶらぶらすっか」
「とりあえず、お腹すきました」
 日南子が言うと、巽がフッと吹き出した。
「青ちゃんらしいな」
 せっかく浴衣を着て自分なりに女子力アップをしてきたつもりなのに、肝心なところで食い気優先の残念さを露呈するという初歩的ミスを犯したことに気づいて肩を落とす。
「青ちゃんのそーいうとこ、いいな」
 巽が楽しそうに笑いながら言った。
「俺も腹減った。まず腹ごしらえすっか!」
「ふふ。やった!」
 人混みの中、カランコロンと下駄の音を響かせながら巽の背中を追いかける。少し前を歩く巽が日南子を気にしながら振り返る。履き慣れない下駄のせいで歩調が遅くなる。
 やはり、私服でくればよかっただろうか、と少し後悔しかけたところで巽が日南子に向かって手を差し伸べた。
「え?」
「嫌じゃなきゃ、手ぇ貸す。慣れないと歩きづらいだろ?」
「……じゃない……です。むしろ……」
「ん?」
「なんでもない……」
 日南子は嬉しさを堪え切れずに巽の手をそっと握る。嫌な訳ない。嬉しいです。と、素直に言えたらいいのに……気持ちばかりが舞い上がって言葉にならないのがもどかしい。
 浴衣、着て来て良かった。巽の手は温かく、その手の温もりを感じるだけでドキドキがおさまらない。
「あー。美味しかった!」
 神社に着くまでに、私たちはそれぞれ出店で好きなものを買って空腹を満たした。神社でこのあと神事が行われたり、練りが始まったりするため、さらに人が増えて賑わっている。
 さんざん食べ歩いた後にも関わらず、日南子の片手にはかき氷のカップ。食後のデザートに、と巽が買ってきてくれたものだ。
「かき氷、うまい?」
「はい。練乳のとこ美味しいですよ」
「俺も一口食っていい?」
「もちろん」
 日南子がカップとスプーンを手渡すと、巽がそれを受け取って躊躇いもなくかき氷を口に運んだ。図らずも同じスプーンを共有した事実にドキドキとしているのはたぶん日南子だけ。
「んあ? どうかした?」
「あ。ううん? 何でもっ……」
 顔が火照る。たったこれだけの事が嬉しいとか、まるで中学生のようだ。この程度の事、大人ならサラリと意識せずともできるのだろうが、日南子の場合はこの程度で無駄に心臓が早くなる。
「腹ごしらえも済んだことだし、何か見たいのあるか?」
「……じゃあ、」
 そう言われて日南子はさっきから気になっている金魚すくいの屋台を見つめた。こんなのやりたいなどと言ったら子供っぽいと思われるだろうか、としばらく考えていると日南子の視線に気づいた巽が「やるか」と言って日南子を促した。
「おっちゃん! 二人分」
 巽が言うと、それぞれの手にポイとボウルを渡された。巽と並んで水槽の脇にしゃがみ込み、いざ!とポイを構える。
「私、子供の時、けっこう得意だったんですよ」
「マジで? 俺も。じゃ、勝負すっか?」
「ふふ。いいですよー」
 いざ勝負を始めて見るとそれに長けているのは圧倒的に巽のほうだった。日南子がほんの数秒でポイを破いて敗退するのに反して、巽は鮮やかな手さばきでボウルに金魚をすくっていく。気づけば、五匹、六匹……、周りにいた子供たちがわあ、と歓声を上げてその場に拍手が沸き起こる。
「おいおい……誰かさん、得意っつってなかったか?」
 巽が日南子の手元を見てニヤと笑った。日南子は恥ずかしさを誤魔化すようにわざと唇を尖らせる。
「得意だったのは子供の頃ですー! 久々だから腕が鈍ってるんですー!」
「まー、そういう事にしといてやるよ」
「あ。巽さん信じてないー!」
「ははっ」
 そんなやりとりをしながらも、楽しげに笑う巽の目尻の皺の優しげな様にその目が釘付けになったりする。この距離がもっと縮まればいい。そんな欲ばかりが大きくなる。
 そのあと巽に誘われやった射的は、なぜか日南子のほうが上手かった。むしろ子供の頃は苦手だったはずなのに、さっきの金魚すくいといい大人になると上手くできるようになることもあるらしい。
 ただ、楽しかった。すぐ傍で好きな人と笑いあえるこの時間が幸せだった。

   *
 
「そろそろ行くか?」 
 初日の祭も終盤に差し掛かり、一番盛り上がる練りを見物している中、すぐ真後ろに立っていた巽が日南子に顔を寄せながら言った。祭の喧騒の中、声が聞こえにくいと思っての事だろう。耳元で聞こえる声にドキンとする。
「最後まで見ないんですか?」
「ああ。やー、見てもいんだけどな、帰り道混むかと思って。浴衣って人混み歩き難いだろ?」
「……あ、そうですね」
 もう、終わりなんだと少し寂しい気持ちになるが、いつまでも付き合わせるわけにはいかないと思い小さく頷いた。
「ほら」
 巽が再び手を差し出し、日南子は彼の手にそっと手を添えた。この差し出された手に、深い意味なんてない。
 日南子が歩き難くないようにと、手を貸してくれているだけの事。それでもやはり嬉しいと思う。
「あー、すいません。通ります」
 巽が手を引いて人混みをかきわけるように歩いてくれるおかげで、随分と歩きやすい。大きな背中、揺れる髪。
 ただ後ろから見つめているだけで胸がギュッとなる。
「おー、黒川! 久々じゃん、元気かー?」
 目の前を歩いていた巽が、知り合いに声を掛けられふいに足を止めた。その瞬間、繋いでいた手がすっと離される。
「お。天野かよ? こっち帰って来てたのか!」
「去年まで転勤で離れてたんだけど、やっと戻って来れてな。おまえ、店継いだって聞いたけどマジか?」
「おお。マジマジ。よかったら今度顔出してくれよ」
 巽の友人と思われる男性は、小学生くらいの二人の子供を連れていて、いかにもお父さんという雰囲気だ。その男性が後ろにいる日南子に気づいて小さく頭を下げると再び巽を見た。
「おまえまだ結婚してなかったよな? なに、彼女?」
「や。うちの店の常連さん。祭見てみたいっつーから」
「こんばんは」
 日南子は男性にペコ、と頭を下げた。今更ではあるが“常連さん”と彼に一言で片づけられてしまう関係性に地味にへこむ。今だって、咄嗟に繋いだ手を離された。
「なんだよ、可愛い子じゃーん! てっきり若い彼女掴まえたのかと」
「コラ。そーいう言い方すんな。そんなんじゃねぇし」
「──だよなぁ。黒川にこんな可愛い子似合わねぇー!」
「それはそれで失礼だな。おめーは!」
「ははっ」
 気心の知れている友人なのだろう。砕けた物言いに仲のよさが伺える。
 羨ましいと思う。日南子の知らない巽の過去を知っている人たちの事を。過去に嫉妬するなど意味のない事だと分かっているのに。
「それじゃ、またな」
「おう。また」
 巽が友人に軽く手を挙げ、また歩き出す。さっきまで繋がれていた手は、彼のジーンズのポケットに引っ掛けられ、その後日南子の手を取ってくれることはなかった。
 カラン、コロン。カラン、コロン。
 人混みを抜けて歩き出すと、下駄の音がやけに大きく響く。さっきまで軽かった足取りが急に重くなるのはなぜだろう。
「……」
 一緒にいるところを見られて迷惑だったのだろうか。そんなことを考え始めたらどんどん嫌な考えに取り付かれていく。 ただの常連──、それ以上でも以下でもない薄っぺらな自分と巽の関係性を思い知って落ち込むとか、一体いつの間に彼をこんなに好きになっていたのだろう。
「──きゃっ、」
 道路の小さな段差に躓いて前につんのめった拍子に、ズザッ、と足をくじくような形でその場にしゃがみ込んだ。
「青ちゃん⁉」
 それに気付いた巽が振り返って慌てて日南子の傍に駆け寄ると、浴衣の裾を払いながら力強く日南子の身体を抱き起こした。
「どうした? 転んだのか?」
「……大丈夫です、躓いた拍子にちょっとくじいたくらいで」
「とりあえず、掴まって」
 言われるまま巽の腕に掴まると、巽が日南子の身体を支えるようにして近くの店先に出ていたベンチの傍に移動した。
「座って。ちょい、足見せてみ? くじいたの右?」
「はい……」
「ちょっとすりむけてるな」
 巽に促されるがままベンチに座ると、彼が日南子の右足の下駄を脱がせた。くるぶしの辺りがひりひりするのは、どうやらそこを擦り剥いたせいらしい。店先の明りを頼りに、日南子の足先を見つめ、親指と人差し指の間を指差した。鼻緒ずれをおこしているらしく指の間が赤くなっている。
「つーか、青ちゃん。こっちのが痛そうだぜ?」
「あ。下駄なんて滅多に履かないから……」
 日南子が答えると巽がシャツのポケットの中から、絆創膏を取り出した。日南子自身も鼻緒ずれを想定して用意してきたのだが、それよりも巽の準備のよさに驚いた。
「とりあえずの応急処置にしかなんねーけど、ないよりマシだろ」
 そう言って巽が手際よく日南子の足に絆創膏を貼りつける。そっと触れる彼の指。その手はとても優しく日南子の胸をときめかせる。正直、好きな人に足を触れられるなど羞恥でどうにかなってしまいそうだったが、気持ちのせめぎ合いに勝ったのは嬉しさだった。
 目の前でしゃがみこむ巽の頭に視線を移した。普段絶対にみることができない旋毛つむじに思わず手を伸ばしかけ、慌ててそれを引っ込めた。
「……」
 触れたい。
 自分から誰かに触れたくて堪らないなどと思う日が来るとは。
 こんな気持ちは知らなかった。触れたくて、でもできなくて。こんなにも胸が苦しくなるなんて──。
「ひねったのは平気か?」
「はい。歩けないほどじゃないから、全然……」
「そっか。じゃ、行くか」
「はい」
 巽が安心したように笑って、日南子の目の前に手を差し出した。
「またコケると危ねぇからな」
「……ん!」
 日南子は差し出された手をそっと握り返す。ぶっきらぼうな言い方ではあるが、それが巽の優しさ。
 そのまま手を繋いで歩き出した。
 カラン、コロン。足が痛いはずなのにさっきより足取りが軽い。こんな幸せな時間が続けばいいのに──そんなことを思いながら、真っ赤になる顔を片手で隠すように巽の背中を追いかけた。



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