love*colors

涼暮つき

文字の大きさ
36 / 58
第五章 青野日南子の場合

青野日南子の場合⑧

しおりを挟む




「……いえ、具体的には何も。ただ、過去にあったことに今でも心を痛めていて……“忘れちゃいけない事だ”って。巽さん自身が話したくない事、赤松さんに聞くのはどうかと思うんですけど……私、どうしても知りたくて」
 そう一気に言ってからハッとして慌てて両手を胸の前で振った。
「あのっ! 決して興味本位とか、そういう軽い気持ちじゃなくてっ……!」
 思い切り否定したのは、本当に軽い気持ちで巽の過去を知りたいと言っているのではない事を赤松にも分かってもらいたかったから。それが伝わったのかどうかは分からないが、赤松が静かに言葉を続けた。
「黒川には、婚約者がいたんだよ」
 それを聞いた瞬間、胸がズキンと痛む──。
「亜紀は、職場の同僚で──よくある職場の飲み会の席で知りあって俺ら意気投合して。黒川と亜紀は特に気が合う感じだったから、距離が縮まるのも早くてね。けどお互い不器用だったからいろいろあって──。何年か付き合った後ようやく結婚って話になって、俺もようやく安心できると思ったらまさかあんなことになるなんて……」
 ひときわ声を落とした赤松が何かを思い出したかのように一瞬言葉を詰まらせた。
「三年前の夏だったよ。──亜紀が、事故で亡くなったのは」
 赤松の言葉に、日南子は驚いて目を見開いた。
「ちょうど、盆休みの頃で──亜紀の両親に結婚の挨拶に向かう矢先のことだった。本当は二人揃って挨拶に向かう予定だったらしいんだが、彼女のほうがたまたま地元の三宮で同窓会があって。当時、抱えてた仕事が押してた巽より二日ほど早めに夏休みに入り実家に帰ってたんだ。彼女、学生時代によく高速バス使って実家との間を行き来してて──あの時も」
 日南子にも朧気ではあるが記憶が残っている。たしか三年ほど前の夏、静岡発の高速バスが京都の辺りで死傷者を出す事故があった事を。ちょうどお盆休み中に起きた大事故ということで、全国ニュースでも大きく扱われていた。
 なにげなく流し見していた当時のニュース。
 あのとき、巽は最愛の女性を失っていたのだ──。
「……」
 どれほどの悲しみだったのだろう。愛する人を失ってしまうということは。
 心から愛した人に、二度と会うことができないという絶望感は。
 いま、恋をしているからこそ分かる。
 もし、突然巽が目の前からいなくなってしまったら。どんなに焦がれても二度と会えないのだとしたら。
 それほどの悲しみ、自分なら耐えられるかどうか分からない。
「青ちゃん……」
 そう声を掛けられて、日南子は自分が泣いていることに気づいた。頬を伝う温かな涙が顎に溜まり、それが雫となってスカートに染みを作る。
「……あ、やだ。すみません……」
 慌ててバックの中からハンカチを取り出してその涙を拭った。その様子を赤松がただ静かに見つめている。
「……ごめんなさい。私、この話聞いてしまってよかったんでしょうか?」
 自分から知りたいと言っておきながら、今更と思われるかもしれないが、やはり巽にとっては迂闊に他人に知られたくはない内容だったに違いない。
 窓の外を流れる夜の景色。時折、無機質な無線の声が車内に響く。
「俺はね。あいつにはまだ諦めて欲しくないんだよね」
「……」
「確かに、亜紀の事は辛かったと思うんだ。それをあいつが引きずってしまう気持ちも分からなくない。──けど、それに縛られてこの先誰も好きにならないとか、そういうのは違うと思う。人間は、生きてく限り同じとこに立ち止まってはいられない。深い悲しみさえ、何かに変えて生きていかなきゃなんないんだと思う」
 普段、店での巽と赤松のやり取りを見ている限りでは、伺い知ることのできない彼の図り知れない巽への友情を感じる。きっと彼も巽の幸せを願っているのだ。
「──怖いんだと」
「え?」
「あいつ、あんま弱音とか吐くタイプじゃないんだけど。一度だけ酒に酔って言ってたことがある。また誰かを好きになって──また失ってしまったらと思うと怖いって」
 だからなのか。初めて巽の気持ちが分かった気がした。
 相手が自分だからとかそうでないとかは関係なく、もしまた誰かを愛して、その人を再び失ってしまうかもしれないという恐怖が、未だ巽を苦しめているのだ。
 一度根付いた恐怖感は、そう簡単に拭いきれるものではない。
「青ちゃんは、黒川が好きなの?」
 ふいに赤松に訊かれて、日南子は驚いて手にしたハンカチを落とした。
「ははっ。わかりやす」
「……な、なんでっ!?」
「そりゃ分るよ。あんな黒川に懐いてるし、今だってあいつの事知りたいって、揚句泣くし──。どうでもいい男の過去なんて普通知りたいとは思わないだろ?」
 そう言われて、日南子は慌てて膝の上に落ちたハンカチを拾い上げ、顔を覆う。
 そんなに分かりやすいのだろうか。気持ちを自覚してからというもの、自分が自分でもよく分からない。ただ、どんなにこの気持ちに蓋をしようとしても、それを表に出ないよう制御するのはとても難しい。
「黒川の心、溶かしてやってよ」
「……え?」
「頑固なんだよ、あいつ。──辛い思いしたからこそ尚更、次こそは……って幸せに貪欲になったっていいのにな」

 きっと彼は巽の苦しみの一番の理解者なのだろう。赤松にとってもその亜紀さんと言う女性は大切な友人だったに違いない。だからこそ、彼女の死の悲しみを乗り越え、前を向いて歩いて欲しいと考えるのは友人として当然のことだ。
「──私、もう振られてるんです」
「は?」
「告白したら、いまのままでいたい──って」
 赤松が額に手を当てて小さく息を吐いた。
「それ。本心じゃないと思うよ」
「……」
「言ったろ? ただ怖がってんの」
「私、まだ全然諦められないんです。巽さんに何があったのか知りたかったのも、それを知ったら何か打開策が見つかるんじゃないかって……」
「──で? 見つかりそう?」
 赤松の問いに、日南子は自信なく首を振った。
「……ただ、もっと傍にいたいって気持ちだけは強くなりました」
 巽が過去に苦しめられているのなら、その手をそばにいて握ってあげたい。
 誰かを愛する勇気がでないなら、その勇気が持てるまでその手を引いてあげたい。
 大切な人を失う恐怖が消えないのなら、私が傍にいるよ。絶対にあなたの前から消えたりしないよって伝え続けたい。
「私、ダメなんです。巽さんじゃなきゃ……」
 彼の代わりになる人なんていない。
 その笑顔も、お料理も、掛けてくれる言葉も、触れる手も。
 欲しいと思うのは彼ただ一人。
 ふと気付くとタクシーは“くろかわ”を少し過ぎたところに停車し、チカチカとハザードランプを点滅させていた。
「青ちゃん、この辺だったよな? ここから一人で大丈夫?」
「はい。そこの道入ってすぐですから。……送ってくれてありがとうございます。これお代……」
 そう言って日南子が財布からお金を取り出すと、赤松が呆れたように笑った。
「こらこら。若い女の子が! そういうのは黙って奢られとけよ」
「や、でも……」
「こっちが無理矢理誘ったんだし、な?」
 赤松に言われて、日南子はその手を引っ込め礼を言った。
「それじゃ、気をつけてな。おやすみ」
「はい。おやすみなさい」
 タクシーを降りて、そのテールランプが見えなくなるまで見送ってから歩き出した。
 巽の過去を知ったいま、ますます強くなる想い。
 すぐにどうこうなんて言わない。好きになってなんて言わない。
 だけど、私は決してあなたの傍からいなくなったりしない。そう、伝え続けちゃダメですか──?
 なにげなく見上げた北の夜空に、カシオペア座を見つけた秋本番。

 


 

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

DEEP FRENCH KISS

名古屋ゆりあ
恋愛
一夜を過ごしたそのお相手は、 「君を食べちゃいたいよ」 就職先の社長でした 「私は食べ物じゃありません!」 再会したその日から、 社長の猛攻撃が止まりません!

俺様上司に今宵も激しく求められる。

美凪ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。 **2026.01.02start~2026.01.17end**

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

鬼隊長は元お隣女子には敵わない~猪はひよこを愛でる~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「ひなちゃん。 俺と結婚、しよ?」 兄の結婚式で昔、お隣に住んでいた憧れのお兄ちゃん・猪狩に再会した雛乃。 昔話をしているうちに結婚を迫られ、冗談だと思ったものの。 それから猪狩の猛追撃が!? 相変わらず格好いい猪狩に次第に惹かれていく雛乃。 でも、彼のとある事情で結婚には踏み切れない。 そんな折り、雛乃の勤めている銀行で事件が……。 愛川雛乃 あいかわひなの 26 ごく普通の地方銀行員 某着せ替え人形のような見た目で可愛い おかげで女性からは恨みを買いがちなのが悩み 真面目で努力家なのに、 なぜかよくない噂を立てられる苦労人 × 岡藤猪狩 おかふじいかり 36 警察官でSIT所属のエリート 泣く子も黙る突入部隊の鬼隊長 でも、雛乃には……?

処理中です...