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涼暮つき

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第八章 黒川巽の場合

黒川巽の場合⑥

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「──明日も早く起きなきゃだし、そろそろ寝るか?」
 巽が訊ねると、日南子がコクンと頷きゆっくりと身体の向きを変えた。
 風呂上がりの少し上気した身体から香り立つシャンプーの香りが巽の理性に揺さぶりを掛ける。
 日南子がこちらを真っ直ぐ見つめながらそっと腕を伸ばし、巽の眼鏡に手を掛けた。少し震えるその指先で、静かに眼鏡を巽の顔から引き抜いた。
「……巽さん」
「ん?」
「触っていい……?」
 そう訊ねた日南子の手が、遠慮がちに伸びてそっと指が額、それから目尻、頬、唇に触れる。
「はは。青ちゃん、よく顔触るよな」
 こっちも緊張しているのか、癖で思わず名前でなく以前の呼び方で呼んでしまった。
「嫌、ですか?」
「や。そーじゃねぇけど、あんまされた事ねぇから」
「……変、ってことですか?」
「わかんねぇ」
 自分の顔の凹凸を確かめるようにそろそろと動く彼女の指がくすぐったい。
「なんでかな? 巽さんには、触りたいって思っちゃう」
 言いながら愛おしそうに自分を見つめる彼女の視線の行方を追い掛けると、当然その視線を掴まえることに成功する。
 クルクルと動く大きな瞳。長い睫毛が一瞬戸惑いがちに揺れる。
「──俺にも触らして」
「え?」
 彼女の答えを待つより先に触れた。指でなく。唇で。
 額に、瞼に、頬に。──それから唇に。日南子の手が自分の胸に宛がわれたが、押し返されたりしなかったのをいいことにもっと深く触れた。
 息継ぎの隙も与えず少し強引に唇を重ねると、日南子の指先がピクと動いてそれを必死に受け止める。その受け止め方がたどたどしいあたりにますます愛おしさが募る。 
「……んっ」
 日南子の膝の力が抜けるのを感じ、慌てて身体を受け止めた。そっと唇を離すと、彼女が顔を赤らめ、それこそいっぱいいっぱいの表情をこちらに向けた。それが一瞬彼女の怯えに見えた。
 失敗した、と思った。日南子を怖がらせてしまったかもしれないと思った。
「……巽さ」
「ごめん。調子乗り過ぎたな」
 日南子の身体を支え彼女がさっきまで眠っていたベッドに座らせてやってから、彼女の頬に手を添え、日南子を怖がらせないようそっと親指でその濡れた唇を拭った。
 歳も歳だし焦ってないよ、と彼女を待つ大人なふりをしながら、いざ触れてしまうと歯止めが利かなくなる自分自身に一瞬ひやっとした。
「もう寝よ。ベッドそっちでいい?」
「……」
「じゃあ俺、こっち寝るわ」
 そう言って日南子の座っているベッドと反対のベッドに腰を掛けた。
「……足元わかるように少しだけ明るくしとくな」
 ベッドサイドの照明を真っ暗の一歩手前限界まで落として、何事もなかったようにベッドにもぐりこむ。やがて日南子もおずおずと隣のベッドに横たわった。
「おやすみ」
「……おやすみなさい」
 お互いがベッドに横たわってどれくらい経っただろう。日南子が何度か身体の向きを変えていることで、眠っていないことを感じていたが、その日南子がモゾとベッドから起き上がってこちらを見た。
「……」
 何か言いたげなのは分かるが、何を言おうとしているのかその気もちを測りかねて、訊ねる。
「──どうした?」
「……うん」
 こんなとき、もっと察しの男なら日南子の気持ちを分かってやれるのだろうか。部屋の照明をギリギリまで落としてあるせいで彼女の表情までは読み取れない。
「眠れないなら、何か飲む?」
 起きあがってそう訊ねると、日南子が首を振った。
「じゃあ。何か話す? ……眠くなるまでつきあうぜ」
「──そうじゃなくて」
「ん?」
 首を傾げ日南子の様子を窺うと、彼女がベッドから抜け出してこちらに近づいて来た。
「……どうして一緒に寝てくれないの。私じゃそんな気になれない?」
 日南子の言葉に、巽は思わず唖然とした。その言葉の意味がわからないほど鈍くもない。彼女の唇が少し尖っているのは俺に対する不満やお願いを上手く口に出せない時だ。
「──なに言ってんだよ。そんな訳ないだろ。俺が普段からどんだけ理性働かせてっと思ってんだ」
「そんなのいらないのに。いつまでも腫れものに触るみたいに大事にしないで」
「──は?」
「私に経験がないから? ……だからいつまでも手出せないの?」
「──違っ」
 間違えていた。俺は好きな女に、一体何を言わせているのだろう。
「そうじゃない」
「じゃあ、何で? ……女の子だって考えるよ。好きな人とのそういう事」
「俺だって考えてるよ。日南子に会うたびいつも」
「……だったら、」
 正直に言おう。ここでカッコつけても意味がナイ。
「──確かに。日南子が初めてってんで、気ぃ使ってるのは認める。けど、男だって考えんだよ、好きな子のことは真剣に! ずっとしたかったよ。ふとした瞬間手ぇ出しちまいそうでヤバかったこと何度かあったよ。でも、好きな子の初めて大事にしたいだろうが! 今夜だって……。さっきキスしたとき、思ったんだよ。日南子が怖がってんじゃないかって──。心の準備できてないうちに、無理させんのは嫌だったんだよ……」
 洗いざらいぶちまけた。いい歳した大人がなにやってんだろ、と自分で自分が情けなくなる。
 それ自体を大事にしてたのは事実。日南子の気持ちを一番大事にと思ってたのも事実。
 けれど、日南子自身の本当の気持ちを確かめもしないで勝手に決めつけたのは、やはり彼女自身を見ようとしていなかったのか。
「……女の子だってしたいよ。好きな人に触れてもらいたいよ」
 日南子が恥ずかしそうに俯いたまま言った。
「怖くないって言ったら嘘だけど……巽さんだったら大丈夫って思ってるもの」
 彼女の偽りない本心を聞いて、迷いや遠慮が消えた。
 好きな相手を求めるのは男も女も同じ。たぶん、そういうことなんだよな。女側からそれを言いだすのはたぶん相当な勇気がいったはずだ。彼女のことを考えているつもりで、ちゃんと考えてやることができてなかった自分が不甲斐なく思える。
「ごめんな。……こっち来て日南子」
 そう言って日南子のほうに手を伸ばすと、彼女がおずおずと巽の手を掴んだ。そのまま腕を引き寄せると、日南子が目の前に立った。普段は見降ろす彼女の姿を見上げながら、その手をさらに引き寄せて手の甲に口づける。 
「ごめん」
「うん」
 何度も何度も手の甲にキスを落とし、そのたびにピクと動く日南子の指ひとつひとつにもキスをする。細く長い指。ほんのりヌード色がのせられた爪ひとつひとつにも唇を寄せると、日南子の顔がみるみる紅潮していく。
「……巽さ……ん、恥ずかし……」
 指を引っ込めようとする彼女の手を強く掴まえたまま、彼女をゆっくりとベッドに横たえた。
「こんなんで恥ずかしいとか言わない。これからすること、こんなもんじゃねぇから」
「……ぅ」
 日南子が戸惑いがちに巽を見つめる。少し潤んだ目がさらに欲情を煽る。
「あの……忘れないでね。私……初めて」
「分かってる。手ぇ震えてる」
「……怖いんじゃないの。……き、緊張してるだけで……っ」
「うん。精一杯優しくするけど、無理すんなよ? どーしても嫌ってなって、俺が止まんなかったら思いっきり蹴飛ばしていいから」
 そう言うと、日南子がようやく安心したように小さく笑った。
「……本当に?」
「ああ。ホントもホント。思いっきりしていいぞ」
 見つめあい、どちらからともなくキスをする。
 できるだけ優しくするけど。できるだけ希望をきくつもりだけど。
 できれば途中で蹴飛ばされることがなければいいなと思いながら、巽はそっと彼女の浴衣の帯に手を掛けた。

   *  *  *


 翌朝、目覚めるとベッドサイドの時計は六時少し前。隣で寝ている日南子はまだすやすやと気持ちよさそうな寝息を立てている。
「……っん」
 小さく動いた日南子の細い肩が布団から覗き、自分の下で甘い声を上げていた昨夜の姿を思い出し、慌てて彼女の肩に布団を掛け直した。
 直に触れた彼女の肌は、とてもなめらかで心地よく。自分の指が動くたびに、羞恥に顔を歪めるその表情が普段の彼女とはまるで違って見えた。
 恥ずかしさに顔を歪めながらも、時折吐く熱い息。途切れ途切れの甘い声は、巽の欲情を煽るのには十分で過ぎるほどで。精一杯優しくすると誓ったその決意もむなしく、実際のところ日南子にかなり無理をさせてしまったかもしれないと、いまになって反省してみるも遅し。
「……なぁにやってんだろうな、ほんと」
 結局、触れてしまったらその歯止めなどきくはずもなく。
 ただ自分に必死にしがみつきながら何度も何度も「……すき」と囁く日南子の声だけがまだ耳に残ったまま。
「……」
 そっと手を伸ばして日南子の髪に触れた。
 その瞬間、身体の奥からふつふつと湧き上がる愛しさと幸福感。
 もう一度布団にもぐりこんで、隣で眠る日南子の身体に手を伸ばした。
 彼女の気配、匂い、体温。そのすべてが俺を安心させる。
 彼女の裸の身体を包み込んで、もう一度目を閉じた。
 華奢な身体に少しばかり不吊りあいなふくよかな胸に触れ、指でその頂を弄ぶと、意識のないはずの彼女の身体がモゾと動く。
「……ん」
「信じらんねーくらい幸せだな……」
 眠ったままの彼女の耳元で囁いた。
 この声が、この想いが。夢の中の日南子にも届くといい。
 いつでも、どんなときも、彼女の頭の中を自分で埋め尽くせたらいい。そんなことを考えながら巽は日南子の髪に鼻先をうずめ再び深い眠りに落ちた。
 

 
  
 



 
 
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