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恐怖心
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スマホを捨てた。捨てたというか、水没した。故意に。
だっておかしいの。アプリをアンインストールしたはずなのに、勝手にインストールされているんだもん。なんか怖いよ。
浴槽に沈むスマホを見つめながら、私は今度こそ伊織とさようならをした。
伊織のことは好きだけど、私の安寧を壊さないで。
「スマホを水没させたぁ? やだぁもうー、笑かせないでよ瑞穂おー」
「だって怖かったんだもん。それに瑛麻が壊せって言ったんだよ?」
学校に行くと、スマホを水没させたことを瑛麻に笑われた。
樹くんも隣でひいひい笑っている。
「ちょーウケる。瑞穂、行動力ありすぎ」
『ひいひい』
「樹くんもひいひい言ってないで瑛麻を止めてよ。あんまり笑われるといやだよ」
『ごめんごめん。瑛麻が笑うとオレも笑っちゃうからさー』
つられ笑いしないでほしい。私はほっぺたをぷうと膨らませた。
ふと、樹くんの爪がきらきらしていることに気がつく。
「あれ、樹くんもしかしてネイルしてる?」
『ああ、うんしてるー。オレ、ネイルが趣味なんだ』
樹くんはそう言いながら得意げに爪を見せてくれる。
「へー。女子力高いんだねえ」
「樹は美意識高いからねー。あたしも見習わなきゃ」
そういえば、髪も艶々だしほんのり化粧もしているような。
私はまじまじと樹くんを見てしまう。
すると流石に見すぎたのか、樹くんの頬が赤く染まった。
『も、もうー。瑞穂ってば見すぎだから!』
「ごめんごめん。見れば見るほど綺麗だからつい」
『ばーか!』
あ、今ほんの少し樹くんの良さがわかったかもしれない。
今のはちょっとドキッとした。
照れながら、笑いながら、罵倒されるのが好きなのかしら。なんちゃって。
「瑞穂お、苺の次は樹なのお?」
「はっ、ち、違うから。今のは違うから!」
危なかった。また瑛麻にばかばか連呼されるところだった。
私にそのつもりがなくても、行動には気をつけないと。
「でもさ、スマホないと不便じゃない?」
「そうだね。放課後スマホ見に行こうかな。いいのがあるといいんだけど」
「ならあたしとお揃いにするう? 写真の画質いいし、色もかわいいよ♡」
「流石にもうその機種は売ってないんじゃない?」
「あう」
放課後。新しいスマホを迎え入れるために、携帯ショップへと足を運ぶ。
だが、どれも似たような機能と値段で、なかなかこれといった機種が見つからない。
するとさっきから何十分も吟味する私に痺れを切らした店員さんが、私におすすめの機種を勧めてきた。
「うーん。すいません、またきます」
結局何も手にしないまま店を出てきてしまった。
一日くらいならなくても平気だが、早いとこ新しいのを買わないとな。
家に着き部屋に入った私は、机の上にあるものに目を奪われた。
「へ」
どうして私のスマホがここにあるのだろうか。心臓が騒ぎだす。水没させたスマホはジッパーに入れて、机の引き出しにしまったはず。
なのにジッパーはなく、スマホも濡れていない。
まさかと思いながら電源ボタンを長押しすると、電源が入った。
水没させた時は電源が入らなかった。
見慣れたホーム画面に、これが私のスマホだと思い知らされる。
そして。
「……もう、やだぁ……っ」
あのアプリのアイコンがそこにあった。
いったいどうして。これは都市伝説か何かなの?
頭の中が急速に混乱する。きっと呪いのアプリなんだ。こんなことならインストールなんてするんじゃなかった。
一度アプリをインストールしたら、アンインストールなんてできない。
仮にアンインストールしたとしても、翌日にはホーム画面に現れる。
こんなの聞いてないよ。いくら無課金だからって悪質すぎる。
「スマホ……解約しなきゃ……」
私は追われるように携帯ショップに駆け込むと、スマホを解約した。
新しいスマホを手に入れた私は、スマホの電源を入れる。
ホーム画面には見慣れたアイコン。
「う、嘘」
こんなの、インストールしてないのに。勝手にインストールしないでよ。
家に帰るとスマホとできるだけ距離をとった。
アプリは起動したくない。きっとまた、伊織が嫌味を言ってくる。
今、伊織の顔を見たら、私の精神ぐちゃぐちゃになる。
私はベットの上で身体を小さくして蹲っていた。
「たすけて瑛麻、たすけて」
呪文のように何度も瑛麻に助けを求めては、自分の心臓の音を聞いていた。
もうどのくらい時間が経過しただろうか。外はすっかり暗くなっている。
お腹が空いたし喉も渇いた。
私はふらふらと立ち上がると、キッチンへと向かった。
冷蔵庫を開けて水の入ったペットボトルを手にすると、そのままがぶがぶ飲む。喉が潤う音がした。
食べ物はコンビニで買ったお弁当でいいや。レンジでチンするだけの簡単なやつ。
部屋にいるのも怖いので、キッチンでもそもそと食べる。味はしなかった。当たり前だ。疲弊している。
明日になれば瑛麻に会える。瑛麻に会って、ちゃんと話そう。
瑛麻だっていずれは困るはず。こんな呪われたアプリ、消したいって思うはず。
その日の夜はなんだか温かい夢を見た気がした。
多分、樹くんだ。
樹くんのきらきらとした爪を見た気がする。苺くんと違って、優しい空気。
私もどうせなら樹くんを選べばよかった。
いいなあ、樹くん。いいなあ。
朝になった。私は床で寝ていたらしい。身体が痛い。だけど不思議と心は穏やかになっていた。きっといい夢を見たのだろう。
朝の身支度を済ませると、スマホを手にして家を出る。
教室で瑛麻の後ろ姿を見た瞬間、私は安堵した。
「瑛麻」
「おはよー、瑞穂。って、なんだか顔色悪くない?」
「え、瑛麻ぁ……」
私はぽろぽろと涙を零していた。突然のことに動揺した瑛麻は、凄く私を心配してくれた。
教室を出て一通りの少ない場所まで行くと、階段に腰を下ろす。
「もう、どうしたぁ?」
「新しいスマホ、買えなくて、ひっく、家に帰ったらスマホがあって、こわくなって、ひっく、新しいスマホ、買ったんだけど、ひっく、勝手にアプリが入ってて、うう~~~……」
「んと、よくわからないんだけど。家にあったらスマホがあってってのは?」
「わ、私のスマホ、ジッパーに入れて、机の引き出しにしまったの。だけど、帰ってきたら、机の上にあって、電源が入ったの」
「うわまじか。それでスマホ新しくしたのにアプリが最初から入ってたんだ?」
私は何度も首を縦に振る。
瑛麻は暫くの間、何かを考える仕草をすると、自分のスマホをスカートのポケットから出した。
「樹、知ってたら答えて。一度アプリをインストールしたら、絶対にアンインストールできないの?」
『うーん、どうだろうね。そのキャラクターの主への執着度にもよるんじゃない?』
「執着度?」
『伊織はさ、瑞穂のことが大好きで離れたくないんだよ。だからいつまでも追いかけてくるの』
「それってストーカーじゃん」
『そうだよ。同じキャラでも個体差はあって、伊織はきっと、かなり執着度が高いんだね。しかもそれって多分、瑞穂の所為』
「私の?」
『うん。瑞穂はさ、最初にオレの恥ずかしい場面を見てるでしょ。それに苺とも。だからじゃないかな。伊織だって、最初はそこまでじゃなかったと思う。だけど瑞穂が他でそういう浮気みたいなことするから、俺にも構え! って拗ねてるんだよ』
それにしたって拗ね方がえぐい。
だけどそうか。それなら納得がいく。
「なら私が伊織にちゃんと謝って、仲直りしたらいいのかな」
『そだねー』
「許してくれるかな」
『それは伊織次第だけど』
私は瑛麻と樹くんが見守る中でアプリを起動した。そこには伊織がいて、今日も本を読んでいる。見た目からは、とても怒っているように思えなかった。
「い、伊織」
伊織を呼ぶ声が震える。もしシカトされたらどうしよう。私の話を聞いてくれなかったらと思うと、心臓が抉られたように痛む。
『瑞穂、おはよう』
やっぱりこの伊織は私の伊織なんだ。スマホを新しくしたのにも関わらず、最初から当たり前のようにここにいて、私がアプリを起動するのを待っていた。
「伊織、あの、ごめんなさい。私、沢山伊織に酷いことした」
伊織は黙って私の話を聞いている。
「私、伊織にちゃんと謝りたいの。伊織とちゃんと仲直りして、それで」
それで私は伊織とどうなりたいのだろう。
私、こんなことがあって、まだ伊織と一緒にいたいの?
違うよね。だって私、今、伊織に最低なこと言おうとした。仲直りしたいとか言って、伊織に最低なこと言おうとした。
私、伊織にちゃんと謝りたいの。伊織とちゃんと仲直りして、それで。
それで、アプリをアンインストールしたいの。
「それで……えと……その……」
「瑞穂? 大丈夫?」
最低だ、私。最低、さいてー、さいてい。
だけど、こわいの。もう伊織が怖くて仕方がないの。
だってきっと仲直りしたってまた喧嘩すればこうなるじゃん。
もう伊織の顔も見たくない。声も聞きたくない。同じ空間にいたくない。今だってこんなに心臓ばくばくして、冷や汗が止まらないの。
「ねえ瑞穂、ねえってば」
「うっ」
心配してくれる瑛麻の前で、私は軽く嘔吐した。
極度の緊張やストレスからくるものだろう。私はすぐに保健室に運ばれて、ベットで眠ることになった。
そういえば昨日いつ寝たんだっけ。睡眠不足だったのかも。
結局伊織とは話せなかった。目の前で嘔吐する私を見て、伊織はどう思ったのかな。
ちょっとでいいから心配してくれてたらいいなあ。
伊織の顔を見る余裕なんてなかったから、あのあと伊織がどんな顔をしていたのかわからない。
私の頭の中を見透かしたりしてないよね。見透かさないでね、お願いよ。
「あれ、伊織? 伊織どこー?」
ベットの下、カーテンの裏、トイレ、お風呂、キッチン。家中どこを探しても伊織は見つからない。
いったいどこに行っちゃったんだろう。考えているとチリンと鈴の音がした。
「伊織?」
チリン、チリン。
鈴の音がこっちだよと囁いている。
キッチンの戸棚、ごみ箱の中、冷蔵庫、冷凍庫、冷蔵庫の下、押入れ。家中どこを探しても伊織は見つからない。
まさか外に出たりしてないよね。外なんて広すぎて、私だけじゃ探せないよ。
チリン、チリン。
また鈴の音が聞こえる。今度こそ居場所がわかった私は、急いで部屋へと戻っていった。
布団を捲るとそこに伊織がいて安堵する。
「もう、探したんだから」
私は伊織を抱っこする。真っ白な毛並みがとても綺麗で、いい匂い。
そうだ伊織は猫だった。私はどうして忘れていたんだろう。命よりも大切な家族のこと。大好きな伊織のこと。
「ごめんね伊織。もう忘れないから」
伊織を抱き締めながら思いだす。
私があの時、ドアを開けなければ。
ごめんね伊織。お外は怖いね。車は怖いね。私も怖いよ。外になんか出たくない。ずっとこうして、伊織と二人でいたい。
「伊織……私から、離れないで……」
鼻が詰まって息が苦しい。
ふと目を覚ますと知らない天井がそこにあった。私はどうしてここにいるんだっけ。
ゆっくりと上体を起こすと、自分の頬が濡れていることに気が付いた。
何か悲しい夢を見ていたような。
だけど思いだそうとすると頭が痛むので、私は考えることをやめた。
たしか、さっきまで瑛麻といて。そうだ、伊織。伊織に謝ろうと思ったんだ。
それで、ええと。途中で具合が悪くなって、吐いた。
私はベットから出ると、ようやくここが保健室だと気が付いた。
「あ、瑞穂」
「……瑛麻」
「よかった、目が覚めて。んもうびっくりしたんだからあ」
「うん。ごめんね瑛麻、もう大丈夫だから」
瑛麻がいてくれてよかった。私は心から安堵する。
「それで、さ。アプリの方は……どうする?」
「どうって」
「ん。やっぱり、消した方がいいよねえ?」
そうだった。伊織と仲直りできたとしても、一生監視され続けるなんて耐えられない。
やっぱりここはちゃんと伊織と話して綺麗な形でお別れしたい。
「瑞穂?」
「あ、うん。そうだね、消した方がいいと思う。正直、私も伊織のこと、怖いし」
なんていうか、顔が笑ってないんだよ。それにあの瞳。私の頭の中まで見透かされているみたいで、何を考えているのかわからなくて怖い。
そういえば、伊織の瞳の色って、どこかで見たことあるような。
「じゃあさ、とりあえずログインしないでおけばいいんじゃないかなあ?」
「そう、だね。それが一番安心かも」
そうだ、こちらからアプリを起動しなければいい。どうしてこんな簡単なことを思い付かなかったのだろう。
触らぬ神に祟りなし。ログインしなければ害はないのだ。これにて一件落着である。
それから私の日常は、ようやく落ち着きを取り戻した。
瑛麻と樹くんは相変わらず仲が良く、私は二人のやりとりを見て微笑ましく思う。そんな日々。
伊織のいない生活が寂しくないと言えば嘘になる。ただ、ひたすらに平和だった。穏やかで落ち着いていた。
こんな私を見て伊織はどう感じているのだろう。頭の片隅に過ぎることはあっても、私は伊織の話題を出さなくなった。最初からいなかったみたいに、私はまた。
……また?
まるで以前にもあったみたいな言い方にふと、疑問を感じる。
だけどそんなはずはなかった。伊織のような整った顔立ちを忘れるわけがない。それなのに、妙に引っかかるのはなぜだろう。私は何かを忘れている?
休日の午後。私は自室のベットの上で本を読んでいた。
そうしそうあい。伊織のお気に入りの本。
読んでみるとなんてことはなかった。なんというか、起承転結って言葉、知ってる? と問いたくなる。
まるで中身がない。アニメ化やドラマ化をするべきではない。盛り上がりに欠ける。そんな印象だ。
伊織はどうしてこの本がすきなんだろう。私にはよくわからなかった。
うん、なんか、だめだな。一人でいると伊織のことばかり考えている。頭の中が伊織に支配されているのかな。まるで禁断症状みたい。ふとスマホに手が伸びてしまう。
「だ、だめだめ。もうログインしないって決めたんだから」
スマホに伸ばしかけた手をもう片方の手で止める。このまま私がログインしなければ、伊織は諦めて私のスマホから出ていってくれるのだろうか。
いったいいつまでログインしなければいい。何日、何週間、何ヶ月、何年。途方もない挑戦に溜息が出る。
早く私の頭の中から伊織が消えてくれればいいのに。
膝を抱えて蹲る。もし一生消えてくれなかったらどうしよう。恐怖で頭がどうにかなってしまいそうだ。
ふと、インターフォンが鳴る。こんな時間に誰だろう。私は素足のまま廊下をぺたぺたと歩いた。
「はあい……どちら様ですかぁ?」
声は少し、震えていた。いつもならこんなことないのに、どうして私はドアを開けるのを躊躇っているの?
玄関までの距離が遠く感じる。早く出ないと帰っちゃうのに。動け私の足。動け、動け。
「はあっ、はあっ」
息が乱れる。どうして。私は何を恐れているの?
まずはドアのあの丸いところを覗くのよ。もしかしたらもう誰もいないかもしれないし、いなかったらいなかったで安心できる。
「は、はあっ、は……」
覗き穴を覗く。するとそこには誰もいなくて。
「は、……はぁ~~~……」
安堵した私はその場にぺたんと座り込む。
いったい何をそんなに恐れていたんだか。なんだか阿呆らしくなった私は、一人でへらへらと笑っていた。
だっておかしいの。アプリをアンインストールしたはずなのに、勝手にインストールされているんだもん。なんか怖いよ。
浴槽に沈むスマホを見つめながら、私は今度こそ伊織とさようならをした。
伊織のことは好きだけど、私の安寧を壊さないで。
「スマホを水没させたぁ? やだぁもうー、笑かせないでよ瑞穂おー」
「だって怖かったんだもん。それに瑛麻が壊せって言ったんだよ?」
学校に行くと、スマホを水没させたことを瑛麻に笑われた。
樹くんも隣でひいひい笑っている。
「ちょーウケる。瑞穂、行動力ありすぎ」
『ひいひい』
「樹くんもひいひい言ってないで瑛麻を止めてよ。あんまり笑われるといやだよ」
『ごめんごめん。瑛麻が笑うとオレも笑っちゃうからさー』
つられ笑いしないでほしい。私はほっぺたをぷうと膨らませた。
ふと、樹くんの爪がきらきらしていることに気がつく。
「あれ、樹くんもしかしてネイルしてる?」
『ああ、うんしてるー。オレ、ネイルが趣味なんだ』
樹くんはそう言いながら得意げに爪を見せてくれる。
「へー。女子力高いんだねえ」
「樹は美意識高いからねー。あたしも見習わなきゃ」
そういえば、髪も艶々だしほんのり化粧もしているような。
私はまじまじと樹くんを見てしまう。
すると流石に見すぎたのか、樹くんの頬が赤く染まった。
『も、もうー。瑞穂ってば見すぎだから!』
「ごめんごめん。見れば見るほど綺麗だからつい」
『ばーか!』
あ、今ほんの少し樹くんの良さがわかったかもしれない。
今のはちょっとドキッとした。
照れながら、笑いながら、罵倒されるのが好きなのかしら。なんちゃって。
「瑞穂お、苺の次は樹なのお?」
「はっ、ち、違うから。今のは違うから!」
危なかった。また瑛麻にばかばか連呼されるところだった。
私にそのつもりがなくても、行動には気をつけないと。
「でもさ、スマホないと不便じゃない?」
「そうだね。放課後スマホ見に行こうかな。いいのがあるといいんだけど」
「ならあたしとお揃いにするう? 写真の画質いいし、色もかわいいよ♡」
「流石にもうその機種は売ってないんじゃない?」
「あう」
放課後。新しいスマホを迎え入れるために、携帯ショップへと足を運ぶ。
だが、どれも似たような機能と値段で、なかなかこれといった機種が見つからない。
するとさっきから何十分も吟味する私に痺れを切らした店員さんが、私におすすめの機種を勧めてきた。
「うーん。すいません、またきます」
結局何も手にしないまま店を出てきてしまった。
一日くらいならなくても平気だが、早いとこ新しいのを買わないとな。
家に着き部屋に入った私は、机の上にあるものに目を奪われた。
「へ」
どうして私のスマホがここにあるのだろうか。心臓が騒ぎだす。水没させたスマホはジッパーに入れて、机の引き出しにしまったはず。
なのにジッパーはなく、スマホも濡れていない。
まさかと思いながら電源ボタンを長押しすると、電源が入った。
水没させた時は電源が入らなかった。
見慣れたホーム画面に、これが私のスマホだと思い知らされる。
そして。
「……もう、やだぁ……っ」
あのアプリのアイコンがそこにあった。
いったいどうして。これは都市伝説か何かなの?
頭の中が急速に混乱する。きっと呪いのアプリなんだ。こんなことならインストールなんてするんじゃなかった。
一度アプリをインストールしたら、アンインストールなんてできない。
仮にアンインストールしたとしても、翌日にはホーム画面に現れる。
こんなの聞いてないよ。いくら無課金だからって悪質すぎる。
「スマホ……解約しなきゃ……」
私は追われるように携帯ショップに駆け込むと、スマホを解約した。
新しいスマホを手に入れた私は、スマホの電源を入れる。
ホーム画面には見慣れたアイコン。
「う、嘘」
こんなの、インストールしてないのに。勝手にインストールしないでよ。
家に帰るとスマホとできるだけ距離をとった。
アプリは起動したくない。きっとまた、伊織が嫌味を言ってくる。
今、伊織の顔を見たら、私の精神ぐちゃぐちゃになる。
私はベットの上で身体を小さくして蹲っていた。
「たすけて瑛麻、たすけて」
呪文のように何度も瑛麻に助けを求めては、自分の心臓の音を聞いていた。
もうどのくらい時間が経過しただろうか。外はすっかり暗くなっている。
お腹が空いたし喉も渇いた。
私はふらふらと立ち上がると、キッチンへと向かった。
冷蔵庫を開けて水の入ったペットボトルを手にすると、そのままがぶがぶ飲む。喉が潤う音がした。
食べ物はコンビニで買ったお弁当でいいや。レンジでチンするだけの簡単なやつ。
部屋にいるのも怖いので、キッチンでもそもそと食べる。味はしなかった。当たり前だ。疲弊している。
明日になれば瑛麻に会える。瑛麻に会って、ちゃんと話そう。
瑛麻だっていずれは困るはず。こんな呪われたアプリ、消したいって思うはず。
その日の夜はなんだか温かい夢を見た気がした。
多分、樹くんだ。
樹くんのきらきらとした爪を見た気がする。苺くんと違って、優しい空気。
私もどうせなら樹くんを選べばよかった。
いいなあ、樹くん。いいなあ。
朝になった。私は床で寝ていたらしい。身体が痛い。だけど不思議と心は穏やかになっていた。きっといい夢を見たのだろう。
朝の身支度を済ませると、スマホを手にして家を出る。
教室で瑛麻の後ろ姿を見た瞬間、私は安堵した。
「瑛麻」
「おはよー、瑞穂。って、なんだか顔色悪くない?」
「え、瑛麻ぁ……」
私はぽろぽろと涙を零していた。突然のことに動揺した瑛麻は、凄く私を心配してくれた。
教室を出て一通りの少ない場所まで行くと、階段に腰を下ろす。
「もう、どうしたぁ?」
「新しいスマホ、買えなくて、ひっく、家に帰ったらスマホがあって、こわくなって、ひっく、新しいスマホ、買ったんだけど、ひっく、勝手にアプリが入ってて、うう~~~……」
「んと、よくわからないんだけど。家にあったらスマホがあってってのは?」
「わ、私のスマホ、ジッパーに入れて、机の引き出しにしまったの。だけど、帰ってきたら、机の上にあって、電源が入ったの」
「うわまじか。それでスマホ新しくしたのにアプリが最初から入ってたんだ?」
私は何度も首を縦に振る。
瑛麻は暫くの間、何かを考える仕草をすると、自分のスマホをスカートのポケットから出した。
「樹、知ってたら答えて。一度アプリをインストールしたら、絶対にアンインストールできないの?」
『うーん、どうだろうね。そのキャラクターの主への執着度にもよるんじゃない?』
「執着度?」
『伊織はさ、瑞穂のことが大好きで離れたくないんだよ。だからいつまでも追いかけてくるの』
「それってストーカーじゃん」
『そうだよ。同じキャラでも個体差はあって、伊織はきっと、かなり執着度が高いんだね。しかもそれって多分、瑞穂の所為』
「私の?」
『うん。瑞穂はさ、最初にオレの恥ずかしい場面を見てるでしょ。それに苺とも。だからじゃないかな。伊織だって、最初はそこまでじゃなかったと思う。だけど瑞穂が他でそういう浮気みたいなことするから、俺にも構え! って拗ねてるんだよ』
それにしたって拗ね方がえぐい。
だけどそうか。それなら納得がいく。
「なら私が伊織にちゃんと謝って、仲直りしたらいいのかな」
『そだねー』
「許してくれるかな」
『それは伊織次第だけど』
私は瑛麻と樹くんが見守る中でアプリを起動した。そこには伊織がいて、今日も本を読んでいる。見た目からは、とても怒っているように思えなかった。
「い、伊織」
伊織を呼ぶ声が震える。もしシカトされたらどうしよう。私の話を聞いてくれなかったらと思うと、心臓が抉られたように痛む。
『瑞穂、おはよう』
やっぱりこの伊織は私の伊織なんだ。スマホを新しくしたのにも関わらず、最初から当たり前のようにここにいて、私がアプリを起動するのを待っていた。
「伊織、あの、ごめんなさい。私、沢山伊織に酷いことした」
伊織は黙って私の話を聞いている。
「私、伊織にちゃんと謝りたいの。伊織とちゃんと仲直りして、それで」
それで私は伊織とどうなりたいのだろう。
私、こんなことがあって、まだ伊織と一緒にいたいの?
違うよね。だって私、今、伊織に最低なこと言おうとした。仲直りしたいとか言って、伊織に最低なこと言おうとした。
私、伊織にちゃんと謝りたいの。伊織とちゃんと仲直りして、それで。
それで、アプリをアンインストールしたいの。
「それで……えと……その……」
「瑞穂? 大丈夫?」
最低だ、私。最低、さいてー、さいてい。
だけど、こわいの。もう伊織が怖くて仕方がないの。
だってきっと仲直りしたってまた喧嘩すればこうなるじゃん。
もう伊織の顔も見たくない。声も聞きたくない。同じ空間にいたくない。今だってこんなに心臓ばくばくして、冷や汗が止まらないの。
「ねえ瑞穂、ねえってば」
「うっ」
心配してくれる瑛麻の前で、私は軽く嘔吐した。
極度の緊張やストレスからくるものだろう。私はすぐに保健室に運ばれて、ベットで眠ることになった。
そういえば昨日いつ寝たんだっけ。睡眠不足だったのかも。
結局伊織とは話せなかった。目の前で嘔吐する私を見て、伊織はどう思ったのかな。
ちょっとでいいから心配してくれてたらいいなあ。
伊織の顔を見る余裕なんてなかったから、あのあと伊織がどんな顔をしていたのかわからない。
私の頭の中を見透かしたりしてないよね。見透かさないでね、お願いよ。
「あれ、伊織? 伊織どこー?」
ベットの下、カーテンの裏、トイレ、お風呂、キッチン。家中どこを探しても伊織は見つからない。
いったいどこに行っちゃったんだろう。考えているとチリンと鈴の音がした。
「伊織?」
チリン、チリン。
鈴の音がこっちだよと囁いている。
キッチンの戸棚、ごみ箱の中、冷蔵庫、冷凍庫、冷蔵庫の下、押入れ。家中どこを探しても伊織は見つからない。
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何か悲しい夢を見ていたような。
だけど思いだそうとすると頭が痛むので、私は考えることをやめた。
たしか、さっきまで瑛麻といて。そうだ、伊織。伊織に謝ろうと思ったんだ。
それで、ええと。途中で具合が悪くなって、吐いた。
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「あ、瑞穂」
「……瑛麻」
「よかった、目が覚めて。んもうびっくりしたんだからあ」
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「どうって」
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「瑞穂?」
「あ、うん。そうだね、消した方がいいと思う。正直、私も伊織のこと、怖いし」
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そういえば、伊織の瞳の色って、どこかで見たことあるような。
「じゃあさ、とりあえずログインしないでおけばいいんじゃないかなあ?」
「そう、だね。それが一番安心かも」
そうだ、こちらからアプリを起動しなければいい。どうしてこんな簡単なことを思い付かなかったのだろう。
触らぬ神に祟りなし。ログインしなければ害はないのだ。これにて一件落着である。
それから私の日常は、ようやく落ち着きを取り戻した。
瑛麻と樹くんは相変わらず仲が良く、私は二人のやりとりを見て微笑ましく思う。そんな日々。
伊織のいない生活が寂しくないと言えば嘘になる。ただ、ひたすらに平和だった。穏やかで落ち着いていた。
こんな私を見て伊織はどう感じているのだろう。頭の片隅に過ぎることはあっても、私は伊織の話題を出さなくなった。最初からいなかったみたいに、私はまた。
……また?
まるで以前にもあったみたいな言い方にふと、疑問を感じる。
だけどそんなはずはなかった。伊織のような整った顔立ちを忘れるわけがない。それなのに、妙に引っかかるのはなぜだろう。私は何かを忘れている?
休日の午後。私は自室のベットの上で本を読んでいた。
そうしそうあい。伊織のお気に入りの本。
読んでみるとなんてことはなかった。なんというか、起承転結って言葉、知ってる? と問いたくなる。
まるで中身がない。アニメ化やドラマ化をするべきではない。盛り上がりに欠ける。そんな印象だ。
伊織はどうしてこの本がすきなんだろう。私にはよくわからなかった。
うん、なんか、だめだな。一人でいると伊織のことばかり考えている。頭の中が伊織に支配されているのかな。まるで禁断症状みたい。ふとスマホに手が伸びてしまう。
「だ、だめだめ。もうログインしないって決めたんだから」
スマホに伸ばしかけた手をもう片方の手で止める。このまま私がログインしなければ、伊織は諦めて私のスマホから出ていってくれるのだろうか。
いったいいつまでログインしなければいい。何日、何週間、何ヶ月、何年。途方もない挑戦に溜息が出る。
早く私の頭の中から伊織が消えてくれればいいのに。
膝を抱えて蹲る。もし一生消えてくれなかったらどうしよう。恐怖で頭がどうにかなってしまいそうだ。
ふと、インターフォンが鳴る。こんな時間に誰だろう。私は素足のまま廊下をぺたぺたと歩いた。
「はあい……どちら様ですかぁ?」
声は少し、震えていた。いつもならこんなことないのに、どうして私はドアを開けるのを躊躇っているの?
玄関までの距離が遠く感じる。早く出ないと帰っちゃうのに。動け私の足。動け、動け。
「はあっ、はあっ」
息が乱れる。どうして。私は何を恐れているの?
まずはドアのあの丸いところを覗くのよ。もしかしたらもう誰もいないかもしれないし、いなかったらいなかったで安心できる。
「は、はあっ、は……」
覗き穴を覗く。するとそこには誰もいなくて。
「は、……はぁ~~~……」
安堵した私はその場にぺたんと座り込む。
いったい何をそんなに恐れていたんだか。なんだか阿呆らしくなった私は、一人でへらへらと笑っていた。
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