恋して、愛して、変になる

まなづるるい

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第二章 千変万化

疑心暗鬼

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    ◇


 私の彼氏はえーぶい男優だ。会うのは毎回私のお部屋で、私と彼氏の間に性的な行為は一切ない。もとい、私と彼氏の間に性的な行為は一切なかった。ついこの間までは。

 私がお姉さんと関係を持ってから、それが彼氏にばれて、その時に一度だけ。

 最初はそういう性癖なのかなと思った。彼氏が私の前で射精して、私にも触れてきて。

 だけどよくよく考えてみたら、お姉さんと私の関係がばれるはずがないんだよね。だってそんなの、お姉さんと彼氏に何か接点でもない限り無理でしょう。

 だからやっぱり、彼氏が此処にいるってことは、お姉さんと彼氏になんらかの接点があると思っていいんだよね?

「……なにやってんの、お前」

 たった今、いるはずのない人がそこにいて、こちらに軽蔑の眼差しを向けている。

 どうして貴方が此処にいるの。どうして私が此処にいるって分かったの。こんなの言い訳できないよ。今度こそ振られちゃう。ごめんなさいごめんなさい。お願いだから嫌いにならないで。

「そ……奏太くん……っ」

 夢ならどうか、醒めてほしい。

 頭の中が真っ白になって冷静な判断ができずにいると、奏太くんが小さな声で「きも」と呟いた。

 きもって何。気持ち悪いってこと?

 誰が?

 私が?

 どうして?

 ねえ、嘘って言ってよ。今ならまだ笑って許してあげるから。

 分かった。二人はお友達なんでしょう。そうやって二人して私を揶揄ってるんだ。

 もういいよ、充分だよ。充分、私は驚いたよ。もういいから。そういうの、いいから。

 自分の中で、なんとかこの状況を飲み込もうとした。

 この問題は対処できる。

 そう思い込もうとした。

 沈黙が苦しい。そろそろ何か話してほしい。

 お姉さんもどうしてずっと黙ってるの?

 こっちはドッキリ宣言待ちなのに、奏太くんが踵を返して帰ろうとする。

「ま、待って!」

 せめて何か言ってほしかった。黙って帰るとかまじなやつじゃん。

 違うでしょう。ドッキリだって、言わないと。怒りもしないで帰るなんて……駄目。

 私は奏太くんの腕を掴んだ。掴んだはいいけど、その先の言葉が出てこない。

 何か、何か言わないと。奏太くんが私を見てる。

「……ごめん、ちょっと考えさせて」

 先に口を開いたのは奏太くんだった。

 だけど、考えさせてって何?

 いったい何を考えるの?

 考えることなんて何もないよ。だからお願い、帰らないで。

 頭の中ではずっと発信してるのに、私はなにひとつそれを言葉にできずにいた。

 奏太くんの背中を見送りながら、私はただ呆然とそこに立ち尽くしてしまう。

「奏太……くん……」

 私、もしかして奏太くんに振られるのかな。このまま連絡がこなかったらどうしよう。私、奏太くんの家すら知らないのに。

 何も、何も知らない。私、奏太くんのこと、何も。

 着拒されてしまえば最後。偶然会える瞬間がくるのを一生待つことしかできなくなるの。

「由乃ちゃん、私、帰るね」
「え」
「なんか白けちゃったし。また連絡するよ」

 なんか白けちゃったし?

 は?

 この期に及んで何を言ってるの?

 お姉さんが奏太くんを此処に呼んだんじゃないの?

 一部始終を黙って見ておいて、白けちゃったから帰る?

 え、分かんない。意味分かんない 。どうしよう、分かんない。

 いくら考えても答えに辿り着けなくて、家に帰ってからもずっとスマホばかり眺めてしまう。むしろ、あそこからどうやって家に帰ってきたのか記憶がない。

『奏太くん、ごめんなさい』

 文字を打っては消しての繰り返し。だって何を言えばいいのか分かんない。どうするのが正解なのか、いくら考えたって分かんないよ。




 結局何も言えないまま、時間ばかりが過ぎていく。

 一日、二日、一週間。ようやくスマホが光ったと思えば、お姉さんからだった。

『由乃ちゃん、生きてる?』

 そういえば、連絡するって言ってたような。

 本当は見なかったことにしたかったけど、うっかり既読を付けてしまったので、スルーするわけにはいかないだろう。

『生きてますよ』

 私は深い溜息をついた。こんなことになってもまだ、お姉さんとの繋がりを切れずにいる自分に嫌気が差す。

『まだ彼氏から連絡こないの?』

 そうだよ。いったい誰の所為だと思ってるの。

 そう返したくなる気持ちをグッと堪えて『そうですね』と当たり障りのない返信をする。

 どうして私はお姉さんに強く言えないんだろう。

 嫌われるのが怖いから?

『可哀想に。返信くらいしてあげればいいのにね』

 可哀想?

 誰が?

 まさか私のことじゃないよねぇ。

 私は違うじゃん。可哀想なんかじゃないじゃん。こうなる種を撒いておいて、他人事みたく言わないでよ。

 もやもやとした気持ちのまま返信できずにいると、お姉さんからまたラインがくる。

『彼氏と直接話したい?』
『話したいよね』
『いいよ』
『今、私の隣にいるから』

「……は?」

 時が止まる音がした。

 今、私の隣にいるから?

 は?

 どうして奏太くんがお姉さんといるの?

 やっぱり二人は知り合いなの?

 かつてない程のどす黒いもやもやが、私の心に降り積もっていく。

 もし二人がそういう関係だったらどうしよう。二人が実は付き合っていて、私の方が遊びだったとしたら。

 悪い考えばかりが頭の中をグルグルと駆け巡ってしまう。そんなドラマみたいな話が現実にあるはずないと、分かっていても。

 スマホを手に持ったまま硬直していると、着信音が鳴り響いた。

 お姉さんからだ。

 私は恐る恐る電話に出た。

『……もしもし』
『あ、由乃ちゃん♡ 今、電話しても大丈夫?』
『はい』
『じゃ、由乃ちゃんの彼氏に代わるから』
『え、ま、待って』

 どうして二人が一緒にいるの?

 聞きたかったのに声が張り付いたように出なかった。

 スマホを耳に当てたまま、沈黙の時間が流れる。

 もしかして奏太くん?

 今、私が何か言えば、奏太くんに聞こえるの?

 期待と不安が入り交じった声で、私は電話の向こう側にいるであろう人物に声を掛けた。

『奏太、くん?』

 もしドッキリだったらどうしよう。実は奏太くんは隣にいなくて、お姉さんが私を揶揄うの。由乃ちゃんまじばかじゃん! ウケるー! って。

 それならそれでいいよ。ううん、そっちの方がずっといい。

 それなのに。

『……なに』

 嘘。そっちの方がずっといいって言ったじゃん。

 どうして奏太くんがお姉さんと一緒にいるの?

 二人はどういう関係なの?

 怒鳴りつけちゃ駄目、怒鳴りつけちゃ駄目。

 冷静になろうとするけど、どうしたって声が震えちゃう。

『どう、して……奏太くんがお姉さんと、いるの?』
『あー……うん』

 どうして即答しないんだろう。即答できないような関係なの?

 駄目だよちゃんと話を聞かなくちゃ。

 だけど、だけど、もし本当にそういう関係だったらどうするの?

 だったら邪魔なのは、私だ。

『実は』

 あ、私、最低だ。奏太くんが何か言おうとしたのに切っちゃった。

 どうしよう。自分から掛け直すのも格好悪いし、また向こうから掛けてきてくれないかな。なんてもう無理か。ああもう何をやってるの。

 だって、だって、怖かった。答えを聞くのが怖かった。その言葉の重みに耐えられる自信がなかったの。だから切った。

 このまま自然消滅したりして。きっとそう。そんな気がする。そんな時だった。また私のスマホが光っている。

 もしかしてお姉さん?

 それとも奏太くん?

 ドキドキしながらスマホを手に取ると、愛子からのラインと分かって落胆する。

 落胆なんて酷いな、私。駄目だ、相当参ってる。

『由乃、ビックニュースだよ。私、奏太くんと会った。奏太くんの家に行って、奏太くんとえっちした』

 ああ、ああ、あああああああ。

 どうして、どうして、どうして!

 どうして次から次へと私をどん底へと突き落とすの!

 そりゃ、奏太くんを愛子に紹介したのは私だけどさ。でもそれはたんに奏太くんを自慢したかったからで、それで愛子が奏太くんにムラムラしたとして、まさか奏太くんの家に行ってまでそんなことするなんて思わないじゃん。

 もう、もう、どうしてよ。どうして愛子までそんなこと。

 私は頭を抱えていた。なんなら涙だって出てきた。

 こんなのキャパオーバーだよ。無理。もう優しくなんてできない。

「……セクシャルハラスメント、性的暴行罪、痴女」

 思い付く言葉を口にしては、自分で自分の首を絞めていた。

 実際にではない。こんなのは比喩表現だ。

 だけど私はそれを愛子に送り付けた。そうしなければ、私が壊れてしまうと思ったから。

 ごめんね愛子。これ以上、私を壊さないで。多分、愛子に会っても優しくできない。そしたら愛子もきっと私から離れていく。

 どうして今なの。今じゃなければ、もう少し気持ちに余裕が持てたかもしれないのに。

 ううん、私の心が狭いんだ。だから心が乱れちゃう。

 ちゃんと現実を受け止めなきゃ。私は嫌われるのが怖くて奏太くんから逃げたの。愛子が奏太くんとするなんて、夢にも思わなかったから吃驚したの。

 私は大きく深呼吸をする。心臓の音はまだ、煩い。




 次の日学校で愛子に会った時。愛子は普通に「おはよう」って声を掛けてくれたのに、私は一度無視してしまった。

 そのあと愛子から直接奏太くんとのことを話してくれたのに、私の口はまた余計なことを言う。

「……愛子、そういうのって、ストーカーって言うんだよ?」
「は?」

 ほらね、やっぱり愛子に優しくできない。

 確かに愛子の行動は、仮に奏太くんが私の彼氏じゃなかったとしても行き過ぎた行動だと思う。

 思うけど、そんな愛子の行動を私が正してあげなくちゃ、みたいな聖人君子になるつもりは微塵もない。だからこれはただの八つ当たり……に、なるはずだった。

「嫉妬?」
「は?」
「由乃ってば、もしかして嫉妬してるの?」
「どうしてそう思うの?」
「自分のお気に入りが私に盗られて嫉妬してるんだ」

 愛子の想定外の反応に私の脳が混乱する。

 どうしてそんな思考になるの?

 愛子ってこんな子だったっけ?

 感情が現実においてけぼりにされている。

 私は今、いったいどれ程間抜けな顔してる?

「嫉妬っていうか……ストーカー云々は抜きにしても、そういう関係ってセフレって言うんじゃないの?」
「セフレって身体の関係だけでしょ? 私と奏太くんは身体だけじゃなくて、心も繋がってるんだけど」
「え……今の話の何処が心も繋がってるって?」
「奏太くん、私のこと、愛子って」

 愛子って、何?

 まさかそれだけの理由で心と身体が繋がっているとでも思ったの?

 だとしたらどんだけ頭がお花畑なのよ。奏太くんに沼りすぎて、思考回路が変になっちゃった?

「えっちの時しか呼んでくれないけど、それは奏太くんが恥ずかしがり屋さんだからで、ほんとはいつも心の中では私を愛子って呼んでるんだよ」

 こちらが聞いてもいないことを誇らしげに語る愛子を見て、私は心底気持ち悪いと思った。

 だっておかしいよ。これじゃ本当にストーカーみたいじゃない。今まで普通だったのに、恋は盲目とは言うけれど、それにしたってこれは変わりすぎだ。

 私の知ってる愛子はこんな子じゃなかった。私の目の前にいるこの子は、あまりにも……そう、あまりにも気持ち悪くて、反吐が出る。

 だから私は言ってやったのだ。ううん、ううん。そうじゃない。これは勝手に私の口から零れ落ちただけ。私が本音を抑えることができなかっただけ。

 お願い愛子、傷付かないで。私から離れていかないで。愛子に嫌われたら私、うっかり死んでしまうかも。

 頭ではそう思うのに、どうしたって止められないんだ。
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