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【第一章】一度目のアレイル
ロッドエリアの使者③/マキアス、ダグラス視点
しおりを挟む罪の塔襲撃前――――
うっすらと埃が積もった机は、全体的に白っぽかった。
机の上を指でなぞると、白が割れる。掃除もろくに出来ていないのだろう。指が通って出来た線に、本来の木の色が現れた。すぐ隣に山と積まれた書類は、殆どが未処理である。
「この忙しい時に、団長はどこへ行っているんですかね」
不在にしている魔術師団団長の机を前に、マキアスは埃にまみれた指を叩いた。
きたる使者の対応に向けディアンが割かれ、ただでさえ人員不足の所だ。
普段は何日も顔を出さない事が多いヴァレルも、ここ数日はなるべく魔術師塔の執務室に居ついているようだったが、今日はやけに帰りが遅い。
いつもふらりと居なくなっては、またすぐに戻ってきていたのに。
転移魔術でどこへ行っているのか、以前ならば王女の所だとあたりをつけたが、今はどこで何をしているのか分からない。
「まだ急ぎの用じゃないから良いですけど……こういう時、居なくなられると困るんですよね……」
ヴァレル本人がこの場に居ないため、誰に言うわけでもなかったが、マキアスはぶつくさと文句を吐いた。これ見よがしに大きくため息をついて、「まあ、居ないものはどうにもならないし……」と自分の席に戻っていく。
団員達は多忙につき、皆無言で作業についている。いつも茶々を入れてくるミュアも大人しい。人数の割に騒がしいのが常である魔術師塔も、今日ばかりは静かだ。空気は重く淀んでいる。
「ああ~もう疲れた」
じっと耐えるように黙っていたミュアが、とうとう音を上げた。
「もう無理、もう無理ですマキアス副団長~、皆で休憩しましょうよ~」
間延びした声を聞いた他の団員達も、ミュアにつられて手を止める。各々肩を回したり背中を伸ばしたりして、凝り固まった体を労わった。
気が緩んだ団員達は束の間の解放感から軽口を言い合ったが、ヴァレルが居ないと騒ぎがいがないらしく、どことなく元気が無い。
マキアスは自分も普段の調子が出ない事を自覚して、「仕方ないですね」と作業中断の許可を出した。
団員達は疲れた声で細々と雑談している。マキアスは彼らを横目に、気分転換がてら小さな箒を手に取った。
掌程度の、本当に小さな箒だ。それを持って再びヴァレルの机に向かった。
どうせあの団長は、戻ってきても掃除する暇なんてないでしょうから――と、マキアスは書類の隙間をせっせと掃く。
「物語に出てくる魔術師は、箒に乗っているらしいですね」
声に振り向くと、頬が触れ合いそうなほどの距離に顔があった。背後からひょっこりと、ミュアがマキアスの手元を覗き込んでいる。
彼女は見るからに熱そうなカップを二つ持っていた。危ないと思い、マキアスはミュアから少し距離を取った。
中身は淹れたてのお茶か何かだろう。一つを差し出され、マキアスは礼を言ってカップを受け取った。
「ありがとう。――でも箒に乗るのは魔術師じゃなくて、魔法使いの事だと思いますけど」
『魔法使い』は魔術師よりももっと万能だ。ただし彼らが居るのは物語の中だけである。
一方『魔術師』は現実に存在しているマキアス達であり、出来る事は限られている……彼らは頭を悩ませ、小難しい手順をいくつも踏み、杖の補助をもって、魔術を使っている。
ミュアはカップの中身を『ずずっ』と音を立てて啜った。マキアスも一口飲もうとして、あまりの熱さにすぐ唇を離す。マキアスは猫舌だった。
今日は大人しかったミュアが、急に饒舌になる。「思うんですけど、ヴァレル団長って、なんだか魔法使いみたいじゃないですか?」
仕方なくカップで無駄に手を温めつつ、マキアスは律儀に返答した。
「確かに団長は何でも出来るように感じますけど、あの人も魔術師ですよ。大抵の魔術は指一つ、爪先一つで済ませてしまう規格外な人ですけど……大きな魔術を使う時は、杖を使うと言っていましたし」
脈絡の無いように思える空想の話は、マキアスの手に箒があったから出てきたのだろう。
「へえ……。ちなみにマキアス副団長は今、杖を持っているんですか?」
「僕のは……今、ローブの内側に入っていますよ」
マキアスは団長の机にいったんカップを置くと、ローブの上から左胸のあたりに触れ、杖の位置を示した。
歩行を補助する杖とは違い、魔術を行使するために使われる杖は、基本的に小ぶりである。術に必要な魔力量や難易度が高くなるほど、杖も大きくなる傾向にある。
ナイトカリスでは、魔術道具に頼る事が多く、個人で大きな魔術を使う事はあまり無い事から、杖自体は小さいものが主流だ。上着に収まる程度の物が多い。そして魔術師のローブには、内側に杖を入れるための細長い袋が付いているのである。
「きゃっ」
やや俯いて、杖の感触を確かめた時、マキアスの耳元で短い悲鳴が上がった。
手を滑らせたミュアのカップが、数秒宙に浮く。ばしゃん、という水がはねる音とほぼ同時に、マキアスのローブに染みと湯気が広がった。
床に落ちたカップが派手に砕け散る。
「あつっ」
「ごめんなさい副団長っ」
ミュアが慌てて、マキアスのローブを剥ぎ取ろうとした。
「だ、大丈夫ですよ」マキアスまでドギマギとして、ローブを脱がせようとするのを手伝う。反射的に声が出たが、別にそこまで熱いと感じた訳ではなかったのだ。魔術師のローブは丈夫で厚い。
「ごめんなさい」濡れたローブを受け取ったミュアは、弱々しい声で謝罪した。
「火傷もしていませんし、大丈夫ですよ」
「いいえ、私が悪いんです」
あまりに落ち込んだ声を出すので、マキアスは気にする必要は無い、と言おうとして、ミュアと目を合わせる。
そしてぎょっとした。申し訳なさそうに眉を下げているだろうと想像していたが、違った。彼女の顔には何の感情も乗っていない。それなのに、涙だけはらはらと流していた。
涙と表情の差異に驚く。
反応が大げさ過ぎではないだろうか。多少熱湯を被りはしたが、ローブ越しであったし、カップを落としただけだ。
このくらいの事で? とマキアスが狼狽えていると、また擬音が鳴った。「ボキッ」。
『転移』
ミュアの口が、魔力を帯びた声を発した。
彼女は歪に曲がったローブを抱えていた。その中には、高度な魔術が組み込まれた、マキアスの杖が入っている。
鳴ったのは、マキアスの杖だった。ミュアが折り、魔術の発動に使われたのは、ヴァレルが才能を見出したほどの、魔術師団副団長の杖である。
魔術の媒体になるには、十分過ぎる代物だった。
(一体何を……!)
ミュアの足元が、円状に発光する。
眩い光は大きく広がり、一瞬で執務室の部屋の床を埋め尽くした。
「なっ」マキアスを始め、団員達は強い光に目を瞑った。叩きつけるような風が顔に当たる。あまりの強風に立っていられず、マキアスは床に膝をついた。
普段ヴァレルが転移魔術を使う時とは、比べ物にならないほどの規模だ。
そうだ――この現象は、良く知る転移魔術だ。だがこれは、ミュア一人が移動するには大きすぎる。
急に光が消え、一気に音が止んだ。マキアスが目を空けると、椅子や書類が散乱する執務室の真ん中に、ミュアが立っている。彼女はどこにも転移していない。
彼女の背後が、陽炎のように、ゆらりと歪んだ。
景色から溶け出すように、人の輪郭が浮かびあがる。
現れたのは、見慣れない集団だった。老若男女関係なく、執務室の隙間を全て埋めるほどの大人数が、そこに立っている。
彼らに共通するのは、皆一様に“杖”を構えている事だ。
「……まさか」
団員達が忙しかった理由は、ロッドエリアの使者との会談が近いからだ。
魔術師塔に楽観的な考えの者は居ない。ヴァレル直属の魔術師達は、ナイトカリスの騎士がロッドエリアの魔術師に敵わない事を十分理解している。
隣国の使者が来て、会話だけで終わるはずが無いと、分かっているのだ。会談が悪い方へ向かった場合を考えて、最悪の事態だけは避けなければならなかった。
だが、身内と思っていた者が「最悪の事態」を招き入れる事は、予想していなかった。
団員達は、連日の作業で疲弊している。ヴァレルもディアンも居ない時に、杖まで奪われてしまった。
マキアスは今の今まで仲間だと信じて疑わなかった内通者を、茫然として見つめた。
「よくやった、ミュア。――ここにいるのは全員魔術師だ。ここさえ押さえてしまえば、ナイトカリスに反撃の余地は無い」
集団の代表と思しき妙齢の女性が、容貌にそぐわぬ大きな杖を床に打ち付けた。
抵抗する間も無く、マキアスの意識が遠のいていく。何をされたのか分からなかった。
ただ、彼らの目的と正体は考えるまでも無い。
闇にのまれていく意識の中、ミュアがマキアスを見る事は、最後まで無かった。
※
「ゲルトナー! 騎士どもは何をしておる! 王宮まで賊が入り込んでいるなど、あってはならない失態だぞ!」
死体の側で立ち尽くしていると、背後から怒鳴り声が聞こえた。
王の側近が文句を叫びながら、息を切らせて駆けてくる。
魔術師塔陥落と同時刻、王宮は既にロッドエリアの魔術師達に侵攻されていた。
ダグラスはちょうど、王宮へ繋がる空中の渡り廊下に居たため、直接の襲撃には遭わなかったが、王宮に駆け付けた時、現場の状況を見て把握した。
敵は既に、王宮のさらに奥まで進んでいる。そこには敵はおらず、王宮務めの騎士達の死体だけがあった。
来るべき日が来たのだと、ダグラスは確信した。
空中の渡り廊下は、ガラス張りの壁から、王宮の土地を見下ろす事が出来る。そこに、見慣れない服装、装飾の小集団が居たのは、ほんの数秒だけだった。彼らは杖を床に打ち付けると、一瞬でその場から消えたのだ。
魔術師である事はすぐ分かった。だが、他よりは魔術師団と付き合いの多い騎士隊隊長でも、彼らの装いには見覚えが無く、格好も行動も明らかに異質に思えた。
嫌な予感がして急いで来てみれば、この惨状である。
ダグラスが到着するまで、幾らもかからなかったはずだ。だが間に合わなかった。先に見た魔術師達の他に、別の部隊が動いていたのかもしれない。
「随分、手荒な使者だな……」ダグラスは、王の側近がぜいぜいと喚いているのを聞き流し、切り殺された騎士達の死体を無感情に眺めていた。
「魔術師のくせに、剣で殺したのか。皮肉だな」
ダグラスの足元に転がっている死体の傷は、剣で負わされていた。
騎士隊も落ちぶれたものだ。王宮の警護や門番、王族の護衛を務める者は、いくら脆弱な騎士隊の中でも、腕の立つ方ではあったというのに。
ナイトカリスの騎士には、魔術を使うまでも無いという事か。
「おいゲルトナー! 聞いておるのか!」
無視を決め込んでいる間に、側近が顔を真っ赤にして憤慨していた。
「……側近殿は、今までどこに」中身の無いこの男の話を、ダグラスはほとんど聞いていなかったので、務めて冷静に問いかける。
「決まっておる、突然現れた賊どもを、騎士に任せて避難していたのだ。だというのに、騎士隊は何をやっておるのだ! 賊は先へ進んでしまったぞ、何とかしろ!」
魔術師達が現れた時、側近は真っ先に逃げたらしい。柱の陰にでも隠れていたのだろう。敵は目に見える騎士達をあらかた殺した後、すぐに先へ向かったため、側近は殺されずに済んだようだ。
悪運の強い男だ。この男は騎士達を囮にして生き延びたようなものなのに、「騎士隊は何をやっている」とは。
「賊の目的は、奴らは一体何なのだ、ゲルトナー!」
国の政を担っていながら、敵の正体の見当すら付けられない事に心底呆れ、先に現場にいたというのに全て人任せで聞いてくる事にも失望した。
「分からないのですか? ロッドエリアに決まっているでしょう。会談を目前にして、この襲撃ですから、話し合いをしに来た訳では無いでしょうね。目的は……国王の首でしょうか」
ダグラスはロッドエリアに反抗する気は毛頭無かった。
話し合いが拒否されたのだから、どうせ元首を生かしておくつもりも無いのだろう。国王が早く討たれてくれた方が、話も早くまとまるというものだ。
ただ出来れば、国民へ被害が及ぶ前に終わって、なるべく多くの命が無事であれば良いと思っていた。
「……ゲルトナー、何を平然としている」
淡々と説明するダグラスに対して、国王の側近は、心底意味が分からないというような顔をした。
話を聞かない子供が駄々を捏ねるようだった幼稚な要望が、静かな声に変わる。
「分かっているなら、さっさと陛下をお助けしろ」
腹の底から沸々と込み上げてくるように、低く重い声で、ダグラスへ怒りを向けてきた。
それは命令だった。
ダグラスの動きを待たずに、側近が王宮の奥へ向かって駆け出す。
「おい、早くせんか」
決して速くは無い、よたよたとした頼り無い足取りで振り返り、ダグラスを急かした。
「お前なら陛下をお守り出来るだろう、騎士隊の隊長なのだから」
先ほどとは別人のように強い意志で、側近の目がダグラスを射抜く。
(……この状況は、『ロッドエリアが攻めて来る事などありえない』と豪語していた、あなたが招いた事でもあるのですよ)
喉元まで出掛った言葉は、側近の気迫を前に、飲み込むほか無かった。
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