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発端
しおりを挟む「くだらない」
抑揚のない声だった。
「護符なんて何の役にも立たん。今月でここは閉店しろ。いいか、これはクルッツ商会からの命令だ。準備しておくように」
その言葉を聞いて、お祖父様に「お前は出てくるな」と言われていたけど、黙っていられなかった。
店の奥にある居住部屋の扉をあけ、中から勢いよく飛び出す。
クルッツ商会のトップ、ユオ・クルッツが私に気付いて、僅かに目蓋の位置を上げた。
彼の顔はお祖父様を向いたままで、横目で視線だけを私に寄越す。
クルッツの後ろには髭の男がおり、何も言わずに、私を見て、にやりと、口を歪ませた。
お祖父様は、何で出てきた! と、目で訴えていたが、このままでは、店がつぶれてしまう。
ユオ・クルッツは、不快そうに眉を潜め、靴を鳴らした。
彼が口を開く前に、私は言い募る。
「閉店なんて! 無理に決まっていますわ、クルッツ様、どうかお考えなおして……!」
なるべくか弱く見えるよう、目に涙も浮かべて見せる。悲壮な声を出して、距離を詰め、両手を組むいかにも乙女なポーズでクルッツを見上げた。
「確かに、売り上げは芳しくございません。ですが、ひとつひとつ、気持ちの籠った手製のお守りです、この世に二つと無い、素晴らしい物で……」
「おい店主、この喧しい娘はなんだ。目障りだ」
私の話を遮り、冷淡に告げたかと思うと、クルッツはお祖父様を睨み付けた。
私は言葉を継げず、呆然としてしまう。
私は近所ではなかなか評判だ。ふわふわの柔らかい髪、優しい笑顔が可愛らしい、気立てがいい、癒される、守ってあげたくなる、等々……大好きなお祖父様に好かれたくて、猫を被るようになったのだが、お陰で私の本性に気付く人は皆無だ。
こんなに冷たくあしらわれたのは、初めてと言っていい。
クルッツに睨まれたお祖父様は、恐縮しながら頭を下げた。
「私の孫娘です……孫は商売のことは何も分からないのです、お気を悪くさせて、申し訳ありません」
お祖父様に謝らせてしまい、私は自分の顔が青褪めるのが分かった。
どうしよう、余計なことをしてお祖父様を煩わせてしまった。
私のお祖父様が営む店は、小さなお守り屋さんだ。
色々な種類があるけど、個人店だし、お守りなんて、何個も必要とされる物でもないから、あまり儲かっていない。
私達が店を構える都市は、商売をしている人しか住めない。
よそから出張してくる人もいるが、基本的には地元の人が団体や個人で店を出す。
毎日大勢の人が、都市を訪れて利益を生み出している。
お祖父様の個人店は広い都市では注目されづらく、立場が弱い。
商業都市は弱肉強食、売り上げこそが全てだ。そして、そのなかでも頂点に君臨するのが、三代続くクルッツ商会。今目の前にいるユオ・クルッツなのだ。
最悪なことに、知名度、資本の大きさは、都市での地位に比例する。つまり、儲かる店は偉くなれる。
具体的に説明すると、クルッツ商会みたいな雲の上の存在は、ヒエラルキー最下層の個人で営むお守り屋さんなど、好きにできるのだ。
まさに今、お祖父様のお店が淘汰されようとしている。
「兎に角、決まったことだ」
クルッツは話は終わったとばかりに、踵を返した。
このまま行かせてはならない。
「クルッツ殿、せめて話を……」
お祖父様が食い下がろうとすると、後ろに控えていたクルッツの部下らしき男が、間に立ち塞がる。
「いらない店は潰される運命なんですよ、爺さん。でも……」
部下はまた、気持ちの悪い笑みを浮かべ、クルッツにちらりと視線を送る。
「どうです、社長? 少しばかり慈悲を与えてみては」
意外な助け船に、お祖父様は少し希望を見たような表情をした。
クルッツの顔を見ると、呆れた様子で、
「お前が善意で言うわけがない。さっさと話せ」
溜息混じりに先を促した。
善意ではないと聞いて、何を言われるのかと、私とお祖父様に緊張が走る。
部下はにやにやとしながら私の方を見た。
「店の代わりに、その娘を差し出すんです。人質でもいれば、少しはましな商売をするでしょう?」
名案とばかりに、「それに社長! この娘、近所では評判らしいですよ?」と、べらべら喋りだす。
一瞬でも期待した私が馬鹿だった。
聞くに耐えない内容に、怒りを通り越して冷静になる。
この馬鹿どもには、何を言っても無駄なのだ。
何か策を考えなければと、男の話を聞き流して、私は小声で、お祖父様に話かけようとした。
お祖父様を見ると、ぶるぶると震えていて、何事かと思う。
険しい真っ赤な顔で、歯を食いしばり、拳を固く握る様子から、すぐに怒っているのだと分かった。
宥めるように、そっと肩を撫でると、お祖父様は自分を落ち着かせようと、深い深い溜息をついた。
弱った顔で私を見たお祖父様に、大丈夫よ、と控えめに口角を上げた。
私がしっかりしなければ。お祖父様のお店は絶対守る。
しかし、部下の言葉が耳に入り、お祖父様は冷静でいられなくなった。
「社長の相手には少し不足ですが、見た目は悪くないですし、退屈凌ぎにはなるでしょう、身売り先がクルッツ商会の社長なんて、破格の条件だと思いませんか? 美女がこぞって狙う愛人の座ですよ?」
あまりの言いように、クルッツが「おい……よせ」と止めるほどだ。
「勝手に話を進めるな。その女は俺の好みじゃない」
ぶん、と、風を切る音がした。
実際には、視覚から入る情報に、聞こえたと錯覚しただけだった。音を拾ったのは私ではなく、クルッツだろう。
お祖父様に思い切り殴り付けられたクルッツは、激しい痛みによろけた。
突然のことで、苦痛に顔を歪めている。
背の高いクルッツの、顔には手が届かなかったらしく、お祖父様は肩を殴った。
「……出ていけ!!! 孫はやらん! 店が潰れようが、誰が貴様のような下衆に、大切な孫を差し出すものか!!!」
空気がビリビリと震えるくらい、お腹の底から怒鳴りつける。
「二度と来るな!!!」
お祖父様は、まだ痛みで動かないクルッツに、追い討ちで脛を蹴った。
「社長に何を!」
部下も言い返すが、クルッツが手で制し、お祖父様の服を掴み上げた。
息がつまって、苦しそうだ。
「お祖父様!! クルッツ様、祖父を離して……!」
クルッツは私の声を無視して、凄みのある低い声で脅す。
「いい度胸だな、爺。気が変わったよ。あんたの大事な孫は愛人にする。店は見逃してやるさ……女が、俺を飽きさせなければな」
乱暴にお祖父様を放り投げ、今度こそ、店の外に向かおうとする。
扉に手をかけたところで立ち止まり、顔だけ振り向いたクルッツは、嘲りを込めて笑った。
「今月の末には貰いにくる。せいぜい、俺を納得させる案があるなら出してみろ」
もっとも、と、歩みを再開させながら続ける。
「気持ちの整理だけで終わるだろうがな」
カラン、と、扉が閉まる音が空しく響き、クルッツ達は出ていった。
「すまない……エステル……」
お祖父様は私に、何度も謝った。
先程の威勢はなく、涙を流して、店のことよりも、私の身を案じていた。
私のために心を痛めるお祖父様が心配で、人を人とも思わぬクルッツと部下の態度に、沸々と怒りが込み上げる。
お祖父様は泣いているが、生憎私は泣き寝入りするような精神を持ち合わせていない。
お祖父様に酷いことをしたあの男……絶対に許さない。
私が目にもの見せてやる。
お祖父様を支える私は、か弱く悲しげな表情のままあれこれ考えた。
「エステル、逃げよう。店を棄てて、この都市を出るんだ」
そんな私に告げた内容は、どこまでも私を優先してくれている。
この都市を出ても、あてなどない。
お祖父様の血縁は誰一人いないし、商業都市はあまりに広すぎて、ここで培った常識は、外界では全く通用しないのだ。
それに、新しい生活を始めるには、お祖父様は年老いている。
私一人なら、都市を出ても何とでもなるだろうが、例えお祖父様が残ったとして、クルッツ達にどんな目に合わされるか、考えたくもない。
私も、お祖父様から離れて暮らすつもりなど、毛頭ない。
お守り屋さんはお祖父様にとって、とても思い入れのある、大切な店だと知っている。
私のために手放してほしくない。
「お祖父様……今月末と仰っていたわ。まだ一月ありますもの。あまり悲観なさらないで……」
励ますが、緩く首を振った。
「もう、手立てはないんだよ、エステル。クルッツ殿の気が変わらない内に、逃げた方がいい」
「もし、期限がきたら、クルッツ様の元へ行きますわ。お店は閉めなくて済みますし」
「エステル! 駄目だ、絶対に!」
「もちろん、何か方法がないか探してみます。でも一応、準備だけはしておきましょう」
お祖父様は恐らく、私一人逃がすつもりだと思ったので、両手をしっかりと握り、お祖父様の目を見て懇願した。
「お祖父様。都市を出ることになっても、二人一緒にですよ。エステルを一人にしないでくださいまし」
図星だったらしく、お祖父様は決まりが悪そうにしたあと、弱々しく頷いた。
私はお祖父様が大好きだ。
お祖父様と出会ってから、汚い仕事から足を洗い、理想の孫を演じてきた。
ボロは一度も出していないはずだ。
裏の仕事はもう二度とやらないつもりでいたが、仕方がない。
下手に依頼して、また繋がりが出来るのも嫌なので、私自ら手を下そう。
年単位でブランクがあるが、やり遂げてみせる。
私はもとよりこういう人間だから、穏便に事を進められるなんて思っていない。手っ取り早い方法を選ぶ。
クルッツ商会のトップ、ユオ・クルッツを始末するのだ。
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