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280.待ってて、なんて言わない。

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「シークさん。
 お話があります。‥少しよろしいでしょうか? 」

 二人で話がしたい、と席を立ったコリンにシークが目を小さく見開く。
 コリンを見上げ、瞳が合う。いつもとは違う、真剣なまなざし。
 それを見て、小さく息を吐くとシークも席を立つ。
 他の皆は‥黙ってそれを見守った。
 何故って‥こんなの「悪い予感」しかしない。
 ‥なんでこのタイミング? ってか、何があった? って頭の中が「???」になる。
 シークは‥「???」っていうより、‥真っ白になってる‥感じかな?
 あの二人がどういう関係で「どこまでいってる」とかそういう下世話なことはわかんないけど‥少なくとも「もう私たち‥」っていう話をする程関係は悪くなかった‥って思ってたんだけど‥。

「誰もいないところで‥出来れば話したいのですが」
 ってコリンが言うと、シークは黙って頷き、コリンの前に立って歩き始め、コリンも黙ってその後をついて行く。
 事務所を出て、街を抜け、行きついた先はかって一度だけ行ったことがあるシークの家だった。
 鍵を開けると‥かすかに埃のにおいがした。
 しかしながら、前に比べ埃が払われ、スッキリとした気持のよい空間になっていた。
 シークが
「この前帰った時に掃除したんだ」
 って言った。

 小さなテーブル。一脚しかない椅子。小さなベッド。
 典型的な単身者用の部屋だ。
 長い間留守をすることが多いので、お茶の葉すら置いてない。料理はしないので鍋も食器もない。水を貯めておく水瓶だけはあるが、それには今水は入っていなかった。
 前にも感じたが、寝に帰るだけの、まるで生活感のない部屋だ。
 シークは椅子をコリンに勧め、自分はベッドに腰をかけ‥コリンの話を待った。
「シークさんとこうやって二人で話すのって‥思えば久しぶりですね。ロナウとフタバちゃんの家に滞在させてもらってる時は‥シークさんと会えないのが悲しくって仕方がなかった」
 ふわりと微笑むコリンにシークが頷く。
 だけど、コリンの今の気持ちはそうじゃないんだろ? って‥喉元まで声が出掛けている。
「誓約士協会で‥僕の処分が決まったんです。だから、もう会えないって話を‥シークさんにしたかったんです。
 ザッカさんやナナフルさんに言う‥「休職願いを出させてください」とは‥一緒じゃないですからね」
 処分‥
 コリンの口から出た、無機質な‥冷たく重い言葉に、心臓がドクンとひとつ大きく打ち‥まるで鈍器で殴られたように痛んだ。
「処分? 」
 一気にカラカラになった気がする喉から声を絞り出す。
 コリンが頷く。
「誓約士の違反者に対する罰則は‥厳しいし、合理的なんです。
 僕の罰則は三年間先輩の下働きをすること‥らしいです。
 三年間も‥。ホント、信じられないですよね。それなら、罰金払う方がましですよね」
 だけど、誓約士って結構高給取りで、そうお金に困ることってない。だから、罰金はそう厳しい‥って感じにはならないんだ。
 魔術オタク揃いだから、メンドクサイ研究も、難しい発見も別に苦にならない。
 誓約士が嫌うのは「単純作業」と「人との話し合い」。誓約士もベテランになってくると、同時に二つも三つも仕事を抱えることが出て来る。そうなってくると、そういう面倒くさいのばっかりが溜まってくる。だから、後輩が出来ると、先輩はこぞってそれを後輩に投げる。「練習だ」「修行だ」とか言ってね。
 だけど、後輩も自分で仕事を取ってこれるようになるとそうもいかなくなる。
 面倒くさい仕事もまた自分でしなければならなくなる。
 そうした時に人事課に「違反者が居たらこっちに振って」って依頼しとくんだ。

 ‥それが今回は僕だったってわけ。

 何をするかはまだ聞かされてないけど‥絶対「面倒くさいだけの」仕事が任されるんだろう。
 それを3年も。
 ‥考えただけでうんざりする。
「しかも、その間の給料は半額なんですよ?? ‥信じられないですよね。
 その間は誓約士協会の独身寮から出ることも禁止されます。
 つまり、監禁の上、給料半額カットで強制労働です。‥先輩は便利な下働きを遠慮なくこき使いますしね‥」
 そうホントにウンザリって顔で呟く。
 どっか「浮世離れ」した先輩にとって違反者なんて、後輩以上に「人権なんてない」存在なんだ。
「‥誓約士協会の独身寮って‥ほんと、牢獄っていっても過言じゃないんです。
 昼でもうす暗いし、狭いし、規則が厳しいんです。
 どれ程厳しいかって‥個人の部屋には本人以外の人間の立ち入り禁止なんです。友人だって寮内に入ることすらできないんです。買い物をしに外出することもできません。必要な物があれば寮長ってか‥大家に希望を出して部屋に届けてもらうんです。外に出る時は、仕事をするときだけ‥ですよ? 信じられます? その理由を「寮生の秩序と安全を守るため」だって言ってるんですよ? それも大真面目に! ‥正気じゃないですよ。絶対、あそこの非人道的な扱いを隠すために人に合わせない様にしてるだけですよ。あんな所に人が来たら「これは‥監禁だ‥」って言うに違いないですからね! 
 ‥まあ、そんな地獄みたいなところです‥」
 だから、いくら宿泊費がかからない、職場まで徒歩三秒だて言っても、希望して入寮する人はいない。でも、折角つくったんだから遊ばせとくのはもったいないっていって、「罰則中対象者が逃げ出さないために閉じ込められる場所(通称、罰則監禁部屋)」になったってわけ。
 説明しているうちにどんどんテンションが落ちていく。
 コリンはそんな場所で暮らす三年間を思い、思わず項垂れた。
 今まで考えないでおこうと思ってたのに‥口に出したことで、もう‥たまらない気持ちになった。
 ホントに嫌だ。‥逃げ出したい。そう思った。
 そんなコリンを見て、シークはほっとした。(‥のは、コリンには内緒だ。コリンは目の前で項垂れてるわけだしね)

 ‥別れてくれって言われるんだと思ってた。

 なんで今、って思ったけど‥でも、この頃自分たちはずっとすれ違っていた。冷静になって考えたら‥ってコリンが思ってもおかしくないって‥。
 小さく息を吐くと、
「俺は‥コリンを三年間待ってたらいい? 」
 そう言ったシークに、コリンは俯いたまま首を振った。
 そして、顔を上げると
「待たないで」
 きっぱりと‥
 強い口調で言った。
「僕が縛り付けられるからっていって、シークさんまで僕に縛り付ける気はないです。
 ‥お偉いさんのじじいにはどうか分からないけど、若者にとっての三年は‥あっという間じゃないです。
 魔法の魔の字も知らなかった僕が誓約士になれるだけの技術と知識を身に着けたのも、三年間っていう時間。
 三年間って、全然短くない時間なんです」
 顔を上げ、シークを真剣な表情で見つめる。
 シークはコリンを見つめ返し、
「だけど、三年間変わらないことだって当たり前にある。‥別に俺は三年間コリンを待つことを負担に思うことはない」
 はっきりとした口調で言いきる。
 コリンは首を振る。
「変わらないとダメだって思います。考えて、感じて、人はずっと変わっていかないといけないって思います。
 僕のことを待つって決めて、こころを他の色んなものに開かなければ‥シークさんはきっと三年間ずっと損をします」
 コリンの綺麗なトパーズ色の瞳がゆらりと揺れ‥たちまち涙が溜まっていく。
 不安で、怖くて、‥寂しくって仕方ないって表情。
 そんなコリンを見ていたら、もう抱きしめて「大丈夫だ」って言ってあげたい気持ちでいっぱいになる。
 だけど、コリンはそれをきっと望んでいない。
 コリンは、一生懸命言わなければいけないことを言っているんだ。‥それが分かった。
 何故?
 シークは眉を寄せて、
「なんのことを言っているのか分からない。‥俺は、恋人がいるのに、他の人に目を向ける様な人間じゃない」
 コリンを見た。
 コリンが「隠している」ことをほんの小さなことでも見落とさない様にって‥コリンの瞳を真っすぐ見る。
 コリンが頷く。
「シークさんのことはよくわかってるつもりです。シークさんはそんな人間じゃない。‥だけど、それじゃダメなんです。
 僕だって‥シークさんが大好きだ。シークさんが他の人のことを好きになったら‥絶対悲しいって思う。だけど‥
 僕のせいでシークさんが三年間も‥誰のことも見ずに暮らしていくって考えたら‥その方がずっと嫌だ」
 強い口調で言ったその言葉は‥最後は涙声になっていた。

 でも‥言わないといけない。

 そして、まだ何かを言おうとしているシークの口を押え、一方的に話を続けた。
「シークさんは以前言ってたじゃないですか。今までそう親しい人間はいなかったって。だけど、ザッカさんたちと知り合って「誰かと一緒に暮らす生活」を知った。‥シークさんはもう、以前のシークさんじゃない。
 僕たちとのことを糧にして‥いろんなものにこころを開いて‥もし新しい出会いがあれば思い切って‥新しい暮らしを初めて欲しい。きっとできるって思う。三年って時間はそれほど長い時間なんです」
 とうとう、涙が零れ落ちた。
「‥つまりね‥、何を言っているかって言うと‥
 僕はね、初めっからシークさんに「僕がいるから」って新しい出会いをあきらめて欲しくはないんです。
 ‥僕はシークさんの足かせになんてなりたくないんです! 」

 僕がシークさんにとって一番最良のパートナーだって自信をもって言えればいい‥。
 僕しかいないって言いいきれたならどんなによかったか。
 だったら、「僕を信じて待っててください」って胸張って言える。
 だけど、
 僕はそんな大層な人間じゃない。
 勝手ばっかりして、シークさんを心配させたり不安にさせたり‥我慢させたり‥頼ってばっかりのダメ人間だ。
 ‥一番僕がなりたくなかった人間。今思い返せば‥シークさんの傍に居た僕は、そんな僕だった。

 シークさんはきっと、僕と付き合ってるままだったら、きっと三年間新しい出会いを逃して生きていってしまう。
 僕が好きだからっていうより「それが当たり前だから」。
 シークさんは真面目で誠実だから。
 僕だって、「僕のことは忘れて新しい恋を探して」って推奨してるわけじゃない。「他に好きな人なんて作らないで! ずっと僕だけ好きでいて! 」って頼みたい。
 だけど‥僕が傍に居ないのそういうこと言うのって、ズルくないか? って思うんだ。
 だって、僕はシークさんに何もしてあげられないんだ。
 シークさんが悲しい時、寂しい時、傍に居ることもできない。
 そんな僕に‥シークさんのこころを縛る権利なんてないんじゃないか? 
 ‥今生の別れでもないのに、そう思うのは、他でもない大好きな人の‥「大事な三年間」だからだ。
 コリンは涙を拭ってシークを見た。
「それを決めるのは‥でも、俺だ」
 ぎしり、と重い音を立ててシークがベッドから立ち上がる。
 椅子に座るコリンの前にしゃがみ、コリンを見上げる。
「コリンが俺と別れたいなら、そうきっぱり言ってくれた方がずっといい」 
 責める様な眼差しじゃない。
 ただ、コリンを慰める様な‥優しい眼差し。
 いつもと変わらない、優しい視線だ。

 ‥まずい、また泣きそうだ‥。

「そんなわけ‥」
 そんなわけないじゃないか‥
 コリンは慌てて顔を背けて視線を逸らそうとし、そんなコリンの顔を、シークの大きな手の平が包む。
「ずるいよ‥僕がどれ程勇気を出して‥」
 
 コリンの目からまた涙があふれて、床に染みを拡げていった。
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