婚約破棄された悪役令嬢ですが、ノーダメージです!

猫宮かろん

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「――総員、注目!!」

鉱山街の休憩所として使われている古びた酒場。
私の声が響き渡ると、ジョッキを傾けていた男たちの動きが一斉に止まった。

ざわめきが消え、静寂が支配する。
数十人の視線が、入り口に仁王立ちする私――作業用つなぎを着たマーヤ・ベルンシュタインに集中した。

「お、お嬢……?」

一番近くにいた髭面の巨漢、現場監督のガンツが目を丸くする。

「まさか、本当にお嬢なのか? なんでそんな格好を……」

「久しぶりね、ガンツ。相変わらず素晴らしい広背筋だわ。制服(シャツ)が悲鳴を上げているのが愛おしいくらい」

「は、はぁ……?」

「挨拶は後よ。全員、私の前に整列なさい! 今すぐに!」

私がパチンと指を鳴らすと、男たちは慌てて椅子を蹴倒し、整列した。
彼らは知っているのだ。
私が幼少期からこの鉱山に出入りし、時に彼らをアゴで使い、時に理不尽な要求(もっと重い岩を持て等)をしてきた「最恐の令嬢」であることを。

私は酒場のカウンターによじ登り、彼らを見下ろした。
漂ってくるのは、男たちの濃厚な汗と油の匂い。
普通の令嬢なら卒倒する悪臭だろうが、私にとっては最高級のアロマだった。

(はぁ……たまらないわ。ここが私のサンクチュアリね)

私はうっとりと息を吐き、そしてキリッと表情を引き締めた。

「単刀直入に言います。私は王都での婚約を破棄され、出戻ってきました」

「えええええっ!?」

男たちの驚愕の声が重なる。
ガンツが恐る恐る手を挙げた。

「そ、それで俺たちに何の用で? まさか、腹いせに王都へ攻め込む兵隊になれとでも……?」

「いいえ。もっと建設的で、文化的な活動よ」

私は懐から一枚の設計図を取り出し、高らかに広げた。

「この鉱山街に、新しい店を作ります。その名も『喫茶・マッスル』!」

「きっ、さ……?」

「そう、カフェよ。ただし、ただのカフェではありません。コンセプトは――『見て、触れて、味わう筋肉』!!」

シーン……。

酒場に冷たい風が吹き抜けた気がした。
男たちはポカンと口を開け、互いに顔を見合わせている。
理解が追いついていないようだ。
仕方ない、丁寧に説明してあげましょう。

「いいこと? あなたたちのその筋肉は、ただ岩を砕くためだけにあるのではありません。それは芸術(アート)なのです! その隆起した上腕二頭筋、鋼のような腹直筋、岩盤のように硬い大臀筋……それらを客に見せつけながら接客をする。それが私の店です!」

「……えっと、お嬢。つまり、俺たちに『給仕』をやれと?」

ガンツが困惑しきった顔で尋ねる。

「俺たちゃ荒くれ者だぜ? 紅茶の淹れ方なんて知らねぇし、カップを持つだけで割っちまう」

「紅茶なんて出しません。メニューは『ミルク』と『肉』、そして『ゆで卵』のみ!」

「はあ!?」

「繊細なマナーも不要。必要なのは、いかに筋肉を美しく見せながらグラスを置くか、それだけよ!」

私はカウンターの上でポーズをとった。

「例えば注文を受ける時! 普通にメモを取るのではなく、こう! サイドチェストのポーズで上腕を強調しながら『ご注文をどうぞ!』と叫ぶの!」

「……」

「配膳する時も、ただ置くのではなく、大胸筋をピクピクと動かして歓迎の意を表すのよ!」

男たちの顔色が青ざめていく。
彼らの目には、私が狂人に見えているのかもしれない。
だが、私は本気だ。

「もちろん、タダでとは言いません。店員として採用された者には、鉱夫としての給金の三倍を支払います」

「さ、三倍!?」

ざわめきが変わった。
金の話になれば、彼らの目の色が変わる。

「さらに! 福利厚生として、最高級のプロテイン飲み放題! 赤身肉のまかない付き! そして何より……」

私はニヤリと笑った。

「あなたたちの筋肉を愛し、称賛してくれるお客様(主に私)からの熱い視線が注がれます。どう? 悪くない話でしょう?」

男たちがゴクリと喉を鳴らす。
金と肉、そして承認欲求。
単純な彼らの心を掴むには十分だった。

「や、やります! 俺、やらせてください!」

若手の一人が手を挙げた。

「俺もだ! 借金があるんだ!」

「プロテイン飲み放題につられた!」

次々と手が挙がる。
ふふふ、チョロいわね。

「よろしい! では、ただちに開店準備に取り掛かります! 場所は北側の廃倉庫。あそこをリノベーションします!」

私はカウンターから飛び降り、ガンツの前に立った。

「ガンツ、あなたは現場監督兼、ホールのリーダーよ。その厚い胸板があれば、どんなクレーマーも黙らせられるわ」

「お、俺がリーダー……? カフェの……?」

「ええ。さあ、まずは店の内装工事よ! 全員、ツルハシとハンマーを持ってついてきなさい!」

「おうっ!!」

野太い返事が返ってくる。
私は先頭に立ち、廃倉庫へと向かった。

現場に到着するや否や、私の指示が飛ぶ。

「壁はぶち抜いて! 開放感を出すのよ! ハンマーを振り下ろす時は、背筋を意識して!」

「オラァッ!!」

ドォォォン!!
壁が一撃で粉砕される。
なんていい音。そして飛び散る破片の中で躍動する三角筋の美しさよ。

「床材は一番硬い樫の木を使いなさい! あなたたちが歩いても軋まないようにね! 木材を運ぶ時はスクワットの姿勢を崩さないこと!」

「フンッ! フンッ!」

重たい木材を担いでスクワットしながら運搬する男たち。
普通の工事現場ならパワハラだが、ここでは「トレーニング」だ。

「お嬢、カウンターの高さはどうしますか?」

「高めにして! あなたたちが立った時、ちょうど腹筋が客の目の高さに来るように!」

「へい!」

私の奇抜な指示に、最初は戸惑っていた男たちも、体を動かすうちにノッてきたようだ。
汗だくになりながら働く彼らの姿は、まさに私が求めていた光景そのもの。

(ああっ、素晴らしいわ……! 右を見ても左を見てもマッチョ! ここは天国!?)

私は電卓を片手に資材の計算をしつつ、視線は彼らの筋肉を舐めるように観察していた。

「そこのあなた! 上腕三頭筋のキレがいいわね! 採用!」

「へっ、ありがとやす!」

「あなたはちょっと僧帽筋が足りないわね。裏方で皿洗いをしながらシュラッグ(肩すくめ運動)をして鍛えなさい!」

「うっす、頑張ります!」

選別と建設が同時に進む。
私の夢の城が、筋肉たちの手によってものすごいスピードで組み上がっていく。

「ふふふ……最高よ。これなら予定より早く開店できそうね」

夕暮れ時。
骨組みが出来上がった店内で、私は満足げに頷いた。

しかし、私は忘れていた。
ここは鉱山街であり、魔物の生息域に近いということを。
そして、私の店には「筋肉」だけでなく、別の「何か」も引き寄せられてくるということを。

「お、お嬢! 大変です!」

見張り役の男が血相を変えて飛び込んできた。

「ど、どうしたの? プロテインの粉でもこぼした?」

「ちげぇ! 魔物だ! 森からオークの群れがこっちに向かってきてる!」

「なんですって?」

私は眉をひそめた。
オーク。
豚の顔をした魔物だが、無駄に筋肉質で狂暴な種族だ。

(せっかくの開店準備を邪魔するなんて……いい度胸ね)

私は近くにあった鉄パイプ(内装用)を拾い上げ、手のひらでパンパンと叩いた。

「総員、作業中断! 筋トレ(戦闘)の時間よ!」

「お、おうっ!?」

「お客様を迎える前の予行演習だと思いなさい。邪魔者は排除するわよ!」

「うおおおおっ!!」

私の号令と共に、工具を武器に持ち替えたマッチョたちが雄叫びを上げる。
カフェの開店準備は、まさかの魔物討伐戦へと突入しようとしていた。

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