婚約破棄された悪役令嬢ですが、ノーダメージです!

猫宮かろん

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オークの群れが襲来してから数十分後。
廃倉庫の前には、ボコボコにされたオークたちが山積みになっていた。

「ふぅ、いい汗かいたな!」

「上腕二頭筋がパンプアップしてやがるぜ!」

作業着の袖をまくり上げ、互いの筋肉を称え合う店員(予定)たち。
彼らにとって、魔物退治はちょうどいい筋トレだったようだ。
私も鉄パイプを肩に担ぎ、満足げにその光景を見渡した。

「素晴らしいわ。開店前のリハーサルとしては上出来ね。この調子なら、どんな客が来ても対応できるわ」

「へへっ、任せてくだせぇお嬢! ……で、このオークどうします?」

「肉質が硬くて不味いから、森に捨てておきなさい。さあ、掃除よ! 明日はいよいよグランドオープンなのだから!」

こうして、私たちの熱い夜は更けていった。

   ◇

そして迎えた、開店初日。
雲一つない快晴。
リノベーションを終えた廃倉庫は、無骨ながらもスタイリッシュな看板を掲げて生まれ変わっていた。

看板の文字は『Muscle Cafe MASSLE(マッスル)』。
その横には、力こぶのイラストが描かれている。

「開店5分前! 全員、配置につきなさい!」

「「「イエスマッスル!!」」」

私の号令に、野太い声がこだまする。
店内に整列したのは、選りすぐりの筋肉たちだ。
制服は、上半身裸に蝶ネクタイとエプロンのみ(!)。
衛生面を考慮して、体毛は綺麗に処理させてある。
肌にはオイルが塗られ、照明を浴びてテラテラと輝いていた。

(壮観……! ここは桃源郷か、それともヴァルハラか……!)

私は感動に震えながら、レジカウンター(私はここが定位置)に立った。

「いい? 接客の基本は『笑顔』と『ポージング』よ。お客様が入ってきたら、まずは得意なポーズで威嚇……じゃなくて、歓迎しなさい!」

「了解!」

カランコロン♪

入り口のドアベルが鳴った。
記念すべき第一号のお客様だ。

「「「いらっしゃいマッスルゥゥゥ!!!」」」

ドォォォン!!
店員たちが一斉にポーズを決める。
ダブルバイセップス、サイドチェスト、アブドミナル・アンド・サイ。
空気圧が変わるほどの熱気が入り口へ殺到した。

「ひぃっ!?」

入ってきたのは、近所に住むお婆ちゃんだった。
あまりの迫力に腰を抜かしかけている。

「あ、あら……間違えたかしら……」

「いいえ、合ってますわよお婆様! どうぞ、栄養たっぷりのミルクはいかが?」

私は満面の笑みで手招きした。
お婆ちゃんは恐る恐るカウンター席へ座る。
すぐに、マッチョな店員(ガンツ)が近づいた。

「ご注文は何になさいますか!(大胸筋をピクピクさせながら)」

「え、ええと……お水とお肉を……」

「あいよ! 『パワーミート』一丁! あと『ビルダーウォーター』!」

ドンッ!
出されたのは、ジョッキに波々と注がれた水と、1ポンド(約450g)の赤身ステーキ塊肉だった。

「ごゆっくりどうぞ!」

お婆ちゃんは目を白黒させているが、一口食べると「あら、柔らかくて美味しい」と意外にも好評だ。
そう、この肉は私が厳選した最高級の赤身。
低温調理でじっくり火を通しているため、老人でも噛み切れるほど柔らかいのだ。

その後も、噂を聞きつけた物好きや、腹を空かせた鉱夫たちが次々と来店した。
最初は異様な雰囲気に引いていた客も、意外と居心地が良いのか(あるいは店員が怖くて帰れないのか)、店は徐々に賑わいを見せ始めた。

「順調ね……。売上も悪くないわ」

私がレジでほくそ笑んでいた、その時だった。

カラン……コロン……。

重苦しい音がして、ドアが開いた。
同時に、店内の空気が一変した。
賑やかだった喧騒が、水を打ったように静まり返る。

「……?」

入ってきたのは、一人の男だった。
黒い甲冑に身を包み、背中には巨大な長剣を背負っている。
甲冑の至る所にどす黒い染みが付着しており、そこから鉄錆のような血の匂いが漂っていた。

何より恐ろしいのは、その纏っている冷気だ。
彼が歩くたびに、床が凍りつくような錯覚さえ覚える。

「あ……あれは……」

客の一人が震える声で呟いた。

「『氷の処刑人』……クロード公爵だ……!」

クロード・ヴァン・ハイゼン公爵。
王国の騎士団長であり、冷徹無比な仕事ぶりから『処刑人』の異名を持つ男。
どうやら、近くの山で魔獣討伐の任務があったらしい。

店員のマッチョたちも、さすがにビビって直立不動になっている。
無理もない。
相手はこの国の最強戦力であり、機嫌を損ねれば首が飛ぶかもしれない相手だ。

だが。
私の反応は違った。

(な、な……なんて素晴らしいの……!)

私はカウンターの下で、膝をガクガクと震わせていた。
恐怖ではない。
興奮でだ。

ボロボロになった甲冑の隙間から、チラリと見えるインナー。
それが、恐ろしいほどに引き締まった肉体に張り付いているのが見えたのだ。

(あの肩幅! 鎧の上からでもわかる異常な発達! そして歩く時の重心の安定感! あれは間違いなく、体幹モンスターよ!)

父上や鉱夫たちのような「見せるための筋肉」ではない。
生きるため、殺すために極限まで削ぎ落とされた、実戦的な筋肉。

ジュルリ。
危ない、よだれが出そうになった。

クロード公爵は、店内の異様な光景(裸エプロンの男たち)を見ても眉一つ動かさず、無表情のままカウンターへと歩み寄ってきた。
その瞳は、凍てつくように冷たいアイスブルー。

「……店、か?」

低く、地を這うようなバリトンボイス。
鼓膜が痺れるこんないい声、久しぶりに聞いたわ。

私は慌てて表情を取り繕い、扇で口元を隠した。
悪役令嬢モード、オン。

「ええ、そうですわ。いらっしゃいませ、公爵閣下。少々、血生臭いですけれど」

客も店員も凍りついた。
あの処刑人に対して、なんて口を利くんだこの女は、という顔だ。

クロード公爵は私をじろりと見た。
鋭い視線。
射殺されそうだ。

「……すまない。森で魔獣を斬ってきた帰りだ。……営業中か?」

「ええ、バリバリ営業中ですわ。ですが、当店には優雅な紅茶もケーキもございません。あるのは筋肉とタンパク質だけ。それでもよろして?」

私は挑発するように見上げた。
彼はふっと視線をメニュー表(黒板)に向けた。

『メニュー』
・マッチョミルク(特製プロテイン) 銀貨1枚
・パワーミート(赤身ステーキ)   銀貨5枚
・ボルダーエッグ(ゆで卵5個)   銀貨1枚

それを見た瞬間。
公爵の眉が、ほんの数ミリだけピクリと動いたのを、私は見逃さなかった。

「……ミルク」

「はい?」

「ミルクをくれ。一番、栄養のあるやつを」

意外な注文だった。
てっきり「酒を出せ」と言うかと思ったのに。

「かしこまりました。トッピング(プロテイン増量)は?」

「……任せる」

「ふふっ、では当店自慢の『スペシャル・ギガ・マッスル・ミルク』をお作りしますわね」

私はシェイカーを取り出した。
冷たい視線の奥に、ほんの少しだけ疲れの色が見えた気がしたからだ。
そして何より、この極上の素材(筋肉)をもっと近くで観察したかった。

「少々お待ちくださいませ。……ガンツ! お客様の剣をお預かりして! 丁寧にね!」

「へ、へいっ!」

店内がピリピリと緊張する中、私だけがルンルン気分でシェイカーを振り始めた。
シャカシャカシャカシャカ!!
私の高速シェイク音が、静まり返った店内に虚しく響き渡る。

この出会いが、私の、そして彼の運命を大きく変える一杯になるとも知らずに。

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