婚約破棄された悪役令嬢ですが、ノーダメージです!

猫宮かろん

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その夜。王城の大広間は、かつてない熱気に包まれていた。

シャンデリアの光が降り注ぎ、着飾った貴族たちがグラスを片手に談笑している。
今回の夜会は、隣国の使節団を招いた重要な外交の場でもある。

その中心で、王太子ジュリアンは上機嫌にワインを掲げていた。

「皆のもの! 今宵は楽しんでくれたまえ! そして後ほど、重大な発表がある!」

彼の隣には、ピンク色のドレスを着たリリナが、これ見よがしに腕を組んで張り付いている。

「うふふ、ジュリアン様ぁ。皆様が見てますわ」

「構わないさ。僕たちの愛は、誰に隠す必要もない真実の愛なのだから」

ジュリアンは周囲の視線を集め、声を張り上げた。

「それに引き換え、あの悪女マーヤの浅ましさと言ったら! なんと今日、野蛮な男たちを引き連れて城に押し入ってきたのだ!」

「まあ、なんて恐ろしい……」

「さらに、僕に法外な金を要求し、リリナを脅した! まさに稀代の悪女だ!」

貴族たちがざわめく。
ジュリアンの流暢な嘘(一部事実だがニュアンスが違う)により、会場の空気は完全に「マーヤ=悪」で固まっていた。

「そんな女、二度と社交界には顔を出せまい!」

「そうですわね。きっと今頃、田舎の豚小屋で泣いているに違いありませんわ!」

リリナが高笑いをした、その時だった。

ギギギギ……。

大広間の巨大な扉が、重々しい音を立てて開き始めた。
衛兵が開けたのではない。
外側から、何者かの力によって押し開かれたのだ。

「……豚小屋ですって?」

凛とした、よく通る声が広間に響き渡った。
音楽が止まり、数百人の視線が一点に集中する。

そこに立っていたのは、一組の男女だった。

「……あ、あれは……!」

誰もが息を呑んだ。

先頭に立つのは、マーヤ・ベルンシュタイン。
だが、かつての彼女とは何かが違った。

纏っているのは、深紅のベルベットドレス。
背中が大きく開いた大胆なデザインだが、いやらしさは微塵もない。
むしろ、その背中に浮かび上がる美しい「天使の羽(肩甲骨)」と、引き締まった脊柱起立筋のラインが、神々しいまでの造形美を描き出していた。

肌は健康的で艶やか。
姿勢は一本の槍のように真っ直ぐで、歩くたびにドレスのスリットから覗く脚には、しなやかな筋肉が躍動している。

「ごきげんよう、皆様。……悪口は、本人のいないところで仰るのがマナーではなくて?」

マーヤは扇をパチンと鳴らし、優雅に微笑んだ。
その笑顔には、王太子の婚約者だった頃の「媚び」や「遠慮」は一切ない。
あるのは、自分の足で立ち、自分の力で道を切り開く者の、圧倒的な自信だった。

「マ、マーヤ!? なんだその格好は!」

ジュリアンが裏返った声を出した。
彼が知っているマーヤは、コルセットで無理やり細く見せ、厚化粧で顔色を隠した人形のような女だったはずだ。
今の彼女は、生命力に溢れ、野性の美しさを放っている。

「そして、その隣にいるのは……」

マーヤのエスコート役。
漆黒のタキシードに身を包んだ大男。

クロード・ヴァン・ハイゼン公爵。
「氷の処刑人」と恐れられる彼だが、今夜は違った。

髪をオールバックに撫でつけ、精悍な顔立ちが露わになっている。
特注のタキシードは、彼の規格外の肉体にフィットするように仕立てられており、動くたびに大胸筋や上腕の筋肉が生地を内側から押し上げ、艶めかしい陰影を作っていた。

「く、クロード公爵……なんと凛々しい……」

「あんなに素敵な方だったかしら?」

「あの肩幅! 抱きしめられたい!」

令嬢たちが頬を赤らめてざわめく。
いつもは近寄りがたいオーラを出している彼だが、隣にいるマーヤが楽しそうにしているせいか、その表情はどこか柔らかく、大人の色気が漂っていた。

「……マーヤ。全員が見ているぞ」

「ええ、想定通りですわ。さあ、胸を張って(大胸筋を広げて)歩きましょう。貴方の筋肉が一番美しいと、世界に見せつけるのです」

「……やれやれ」

クロードは苦笑しながらも、マーヤの手をしっかりと取り、レッドカーペットの上を進んだ。
二人が歩くだけで、貴族たちが波が引くように道を開ける。
それはまるで、本当の王と女王の行進のようだった。

「な、なんなのよアレ……!」

リリナが唇を噛み締め、悔しそうに地団駄を踏んだ。
自分のピンク色のドレスが、マーヤの深紅のドレスの前では子供っぽく、安っぽく見えてしまうのが分かったからだ。

「ジュリアン様! なんとか言ってやってくださいまし!」

「あ、ああ! おい、マーヤ! 誰がここに入っていいと言った!」

ジュリアンが二人の前に立ち塞がった。

「ここは選ばれた者だけが集う神聖な夜会だ! 貴様のような筋肉馬鹿と、野蛮なカフェの女将が来ていい場所ではない!」

その言葉に、マーヤは足を止め、哀れむような目つきで王子を見下ろした。

「筋肉馬鹿? ……殿下、それは訂正されたほうがよろしいですわ」

「な、なんだと?」

「筋肉とは、日々の努力の結晶。自己管理の極致。それを馬鹿にするということは、努力することを放棄した敗北者の台詞ですわ」

「は、敗北者だと!?」

「ええ。ご覧なさい、このクロード様を」

マーヤはクロードの腕に手を添えた。

「この厚い胸板は、国民を守る盾。この太い腕は、正義を貫く剣。……それに比べて、殿下のその薄っぺらい体はなんですの? 風船のように中身がないのではなくて?」

「ぶっ……!」

周囲から失笑が漏れた。
誰が見ても、体格差は歴然。
雄としての魅力の差は残酷なほど明らかだった。

「き、貴様ぁぁ! 僕を愚弄する気か! 近衛兵! 近衛兵はどこだ!」

ジュリアンが叫ぶが、誰も来ない。
今朝、クロードに壊滅させられた近衛兵たちは、全員医務室で唸っているからだ。

「無駄ですわ。……それに、今夜の警備は『私たち』が引き受けましたので」

「は?」

マーヤがパチンと指を鳴らした。

「皆さん、出てきて!」

「「「イエスマッスル!!」」」

ドカカカカッ!
会場の四方の扉が開き、正装(蝶ネクタイとベスト着用、ただし袖なし)をしたマッチョたちが乱入してきた。
彼らは手際よく壁際に配置につき、ビシッとポーズを決める。

「な、なんだこの暑苦しい男たちは!?」

「『喫茶・マッスル』の精鋭スタッフですわ。今夜は特別に、警備兼ウェイターとして連れてきました」

ガンツが一歩前に出て、トレイに乗せたドリンクを差し出した。
その上腕二頭筋は、メロンのように盛り上がっている。

「シャンパンはいかがですかな、お嬢さん(サイドチェストのポーズで)」

「あ、あら……素敵……」

意外にも、貴族の女性たちには好評だった。
退屈な夜会に飽きていた彼女たちにとって、この野性味溢れるサービスは刺激的すぎたのだ。

「ま、まさか会場を乗っ取ったというのか!?」

「人聞きが悪いですわね。警備強化(ボランティア)ですわ」

マーヤは扇で口元を隠し、冷たく笑った。

「さあ、殿下。先ほど『重大発表』があるとおっしゃっていましたわね? どうぞ、続けてくださいな。……私たちが特等席で聞いて差し上げますから」

彼女はクロードのエスコートで、会場の中央に置かれた椅子(本来は王族用)に堂々と腰を下ろした。
クロードもその横に立ち、腕を組んでジュリアンを睨み据える。

完全に主役の座を奪われたジュリアンとリリナ。
ステージの上で孤立した二人は、顔を見合わせて脂汗を流した。

(や、やばい……! この空気で「マーヤを処刑する」なんて言ったら、逆に僕たちが笑いものになる……!)

ジュリアンの本能が警鐘を鳴らしていた。
だが、もう引き返せない。
各国の使節団が見ているのだ。

「え、えー……コホン!」

ジュリアンは震える声でスピーチを再開しようとした。

「こ、今宵は……その……」

その時、マーヤがクロードに耳打ちした。

「クロード様。そろそろ『あれ』をお願いします」

「……本当にやるのか? ここで」

「ええ。殿下の言葉をかき消すくらいのインパクトで」

クロードはため息をつき、そして覚悟を決めたようにタキシードの上着を脱ぎ捨てた。
バサッ。

「えっ? きゃあ!」

会場がどよめく中、彼は白いシャツ一枚になり、そのボタンに手をかけた。

「見せてやりましょう。本物の『王者の風格(ボディ)』というものを!」

次の瞬間、夜会は前代未聞の筋肉エンターテインメントへと変貌する。
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