婚約破棄された悪役令嬢ですが、ノーダメージです!

猫宮かろん

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王城の正門が見事に粉砕されたことで、城内は蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていた。

「て、敵襲だぁぁ!」
「魔物の群れが侵入したぞ!」
「いや、あれは……裸の男たちだぁぁ!」

悲鳴を上げて逃げ惑う侍女や文官たち。
その中を、私たち「マッスル一行」は悠然と進んでいく。

カツ、カツ、カツ。
私のヒールの音が、大理石の床に響く。
その両脇には、ボディーガードとしてガンツたちマッチョ軍団が、威圧感たっぷりに歩いている。
そして隣には、最強の騎士団長クロード様。

「……懐かしいな。この廊下を通るのも数日ぶりか」

「ええ。ですが、相変わらず掃除が行き届いていませんわね。見てください、あの柱の上の埃。使用人の僧帽筋が足りない証拠です」

私は指先で柱をなぞり、ふっと息を吹きかけた。
城の警備兵たちが遠巻きに槍を構えているが、クロード様の殺気とガンツたちの筋肉に気圧されて、誰一人として近づこうとしない。
モーゼの十戒のように、私たちの前には自然と道が開けていく。

「お、おい見ろよ。あの壺、すげぇデケェな」

「筋トレに使えそうだな」

「持ち上げてみてもいいか?」

「やめなさい。それは国宝級の壺よ。割ったら慰謝料が上乗せされるわ」

物珍しそうにキョロキョロする店員たちをたしなめつつ、私たちは王城の心臓部、王族の居住エリアへと足を踏み入れた。

目指すは「朝の間」。
この時間、ジュリアン殿下は優雅に朝食を摂っているはずだ。

「……ここか」

クロード様が、豪華な装飾が施された両開きの扉の前で足を止めた。
中からは、食器の触れ合う音と、話し声が聞こえてくる。

『――それでねジュリアン様ぁ、昨日のドレス、とっても素敵だったでしょ?』
『ああ、最高だったよリリナ。君は何を着ても似合う……』

甘ったるい会話。
外の騒ぎなど露知らず、二人は自分たちの世界に浸っているようだ。
平和ボケもここに極まれり、である。

「……入るぞ」

クロード様がドアノブに手をかけようとしたが、私はそれを手で制した。

「お待ちになって。ノックもなしに入るのはマナー違反ですわ」

「……そうか?」

「ええ。ですから、礼儀正しく(・・・・)ノックしましょう」

私は後ろに控えるガンツに目配せをした。
彼はニカッと笑い、極太の丸太のような脚を高く振り上げた。

「へいっ! 失礼しマッスルゥ!!」

ドォォォォォン!!

轟音と共に、重厚な扉が蝶番ごと吹き飛んだ。
礼儀正しい「マッスル・キック」によるノックだ。

「な、な、なにごとぉぉぉ!?」

部屋の中は大混乱。
優雅に紅茶を飲んでいたジュリアン殿下は椅子から転げ落ち、スコーンを食べていたリリナは喉を詰まらせて白目を剥いている。

土煙が晴れると、そこにはフライパンを担いだ私と、大剣を背負ったクロード様、そして半裸の男たちが仁王立ちしていた。

「おはようございます、殿下。モーニングコールのサービスに参りましたわ」

「マ、マーヤ!? それにクロード公爵!?」

ジュリアン殿下は腰を抜かしたまま、震える指で私たちを指差した。

「き、貴様ら……! ここは王城だぞ! 不法侵入で死刑だ!」

「不法? 人聞きの悪いことを仰らないでくださいな」

私は瓦礫を踏み越えて、部屋の中へと進んだ。
テーブルの上には、食べかけの豪華な朝食。
ふん、国民の税金でいいものを食べていること。

「私は『呼び出し』に応じただけですわ。殿下が『帰ってこい』と熱心にラブレター(命令書)を送ってくるものですから、こうして筋肉(ぶか)を引き連れて参上しましたの」

「よ、呼んだのは一人で来いという意味だ! 誰が軍隊を引き連れてこいと言った!」

「あら、私の店ではこれが『正装』ですもの」

私はテーブルに近づき、フライパンをドンッ! と置いた。
食器が跳ねる。

「ひぃっ!?」

「さあ、殿下。お話がありますの。単刀直入に申し上げます」

私は懐から、分厚い羊皮紙の束を取り出した。
これまでにかかった経費、慰謝料、そして今回の王都までの遠征費、店の修繕費、精神的苦痛代……全てを合算した、とんでもない金額の請求書だ。

「こちら、お支払いいただけますか? 今すぐに」

「な……なんだこの桁は!?」

請求書を見たジュリアン殿下の目が飛び出した。

「ふ、ふざけるな! こんな金、払えるわけがないだろう!」

「払えない? 王太子ともあろうお方が? ……では、支払いの代わりに労働で返していただきます」

私はニッコリと笑った。

「私の店で、皿洗いとして働いていただきますわ。時給は最低賃金。完済するまで、およそ二百年ほどかかりますけど」

「ふ、ふざけるな! 僕は次期国王だぞ!」

「王である前に、借金を踏み倒す男は人間のクズです」

私の冷徹な言葉に、殿下は言葉を詰まらせた。
隣で震えていたリリナが、ここぞとばかりに叫んだ。

「ひ、ひどいですわマーヤ様! こんな暴力的なやり方、野蛮人のすることです!」

「野蛮? 私の店に火を放とうとしたのは、どこのどなたかしら?」

私がギロリと睨むと、リリナは「ひっ」と縮み上がった。

「そ、それは……ボルドーたちが勝手に……!」

「部下の不始末は上司の責任。それとも、責任を取るだけの『器』も『筋肉』もお持ちでない?」

私が詰め寄ると、ジュリアン殿下は顔を真っ赤にして立ち上がった。

「ええい、黙れ黙れ! 近衛兵は何をしている! こやつらを摘み出せ!」

「……近衛兵なら、外で全員寝ているぞ」

それまで沈黙を守っていたクロード様が、静かに告げた。
その低い声の響きに、殿下の顔色が青ざめる。

「く、クロード……! お前、騎士団長の分際で裏切る気か!」

「裏切りではない。私は『正義』の味方だ。……そして今は、この筋肉たちの『師匠』でもある」

「し、師匠……?」

殿下は理解不能といった顔でポカンとしている。
クロード様は呆れたように首を振った。

「ジュリアン様。貴方のその貧相な体と精神では、国は守れない。……マーヤの言う通り、一度ツルハシを持って鍛え直すべきだ」

「なっ……!」

最強の騎士にまで見放され、殿下はわなわなと震え出した。
だが、彼のプライドはまだ折れていないらしい。

「く、くそっ……! 覚えていろ! 今夜だ! 今夜の夜会で、貴様らの悪行を全て公表し、正式に処刑を言い渡してやる!」

「夜会?」

私は眉をひそめた。

「そうだ! 今夜、各国の来賓を招いた大夜会が開かれる! そこで僕とリリナの『真実の愛』と、貴様の『悪逆非道』を世に知らしめるのだ!」

なるほど。
自分たちの婚約を正当化し、私を悪者にするための茶番劇を用意していたというわけか。
わざわざ他国の要人まで呼んで。
墓穴を掘るとはこのことだ。

「……面白い」

私はニヤリと笑った。
ただここで彼を殴って終わらせるよりも、その方がずっと「効果的」だ。
大勢の観客の前で、完膚なきまでに叩き潰す。
それこそが悪役令嬢の華というもの。

「よろしいでしょう。その挑戦、受けて立ちます」

私はフライパンを拾い上げ、くるりと背を向けた。

「今夜の夜会、私たちも出席させていただきますわ。……もちろん、とびきりお洒落をしてね」

「は、はぁ!? 貴様なんて呼んでいないぞ!」

「招待状なんていりません。私がルールですもの」

私は肩越しに流し目を送った。

「精々、首を洗って(筋肉をほぐして)待っていらっしゃい。……私たちの『マッスル・ショータイム』は、夜からが本番よ」

「ひぃぃっ!」

捨て台詞を残し、私たちは部屋を後にした。
背後で腰砕けになっている王子とヒロインの姿が、滑稽で仕方がない。

「……本当に出るのか? 夜会に」

廊下を歩きながら、クロード様が尋ねてきた。

「ええ。最高の舞台を用意してくれたのですもの。利用しない手はありませんわ」

「だが、ドレスはどうする? その作業着で出るわけにはいかんだろう」

「ふふ、ご心配なく。……実家に『最強のドレス』が眠っていますの」

私は不敵に微笑んだ。
かつて社交界で「悪役」として名を馳せた私が着ていた、戦闘用のフル装備ドレス。
あれを着れば、どんな令嬢も霞んで見えるはずだ。

「それに、クロード様。貴方にも『一仕事』お願いしたいのです」

「私に?」

「ええ。夜会の会場で、ある『パフォーマンス』をしていただきたくて」

私が耳打ちすると、クロード様は一瞬驚いた顔をしたが、すぐにニヤリと笑った。

「……なるほど。貴族たちの度肝を抜くわけか」

「ええ。筋肉の素晴らしさを、世界に布教するチャンスですわ」

私たちは顔を見合わせて笑った。
王城の廊下に、悪巧みをする二人の笑い声が響く。

今夜、王国の歴史が変わる。
物理的な意味で。
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