婚約破棄?これで堂々と推し(ヒロイン)を愛でられます!

猫宮かろん

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「リョンシー様、その襟元……」

放課後の図書室。

マリア様が、私が必死で隠していた制服の襟元にそっと触れた。

「あ……」

咄嗟に私は襟を掴み直したが、遅かった。

光の鎖が皮膚を焼いた痕――白く、不規則な形状の傷跡が、彼女の視界に入ってしまった。

「それ……怪我ですか? いつの間に……」

マリア様の瞳が、驚きと心配で大きく見開かれる。

「大したことありません。昨日の学園祭の飾り付け中に、釘で引っ掻いた程度です」

私は無表情のまま、平然を装った。

「嘘ですよね」

マリア様は、私の手を優しく取り、私の襟をそっと押し下げた。

そこには、セオドア会長の光の術によって刻まれた、生々しい傷跡が残っていた。

「こんなの、釘なんかじゃありません。……屋上での、あの時でしょう?」

マリア様の声が、震えている。

「私を守ってくれた時……受けた傷なんですね」

「……違います。これは、タオ家の秘術の失敗による……」

私は最後まで言い訳を続けることができなかった。

マリア様の大きな瞳から、涙が溢れたのを見たからだ。

「どうして、そんな嘘をつくんですか」

マリア様は私の傷跡に触れず、そっと自分の頬を寄せた。

「私のせいで、リョンシー様が痛い思いをしたのに……どうして何も言ってくれないんですか」

「ま、マリア様……泣かないでください」

私が最も恐れる事態だ。

私の推しが、私のせいで涙を流している。

私の心臓が、ガラスのように砕け散った。

「貴女が泣くくらいなら、この傷はすぐに消え去ってほしい」

私は震える手でマリア様の涙を拭った。

「貴女の笑顔が、私の全てです。貴女を守れたのなら、この傷は勲章です。痛みも、もうありません」

「勲章じゃないですよ。……リョンシー様は、いつもそうやって、自分のことを顧みずに私を庇ってくれる」

マリア様は、私を抱きしめた。

「もう、無茶はしないでください。私、リョンシー様が傷つくのが一番怖いです」

「……」

温かい。

柔らかい。

そして、私の心を根底から揺さぶる、無償の愛。

これ以上の幸福があるだろうか。

私は、硬直した体を少しだけ緩め、マリア様の背中にそっと腕を回した。

「……約束はできませんが、善処します」

私はそう答えるのが精一杯だった。

こうして、私の隠していた傷は、マリア様の優しさによって、癒やしという名の新たな絆となった。



その週末。

私は実家であるタオ公爵家を訪れていた。

広大な敷地、庭にはお札が貼り付けられた石像が並ぶ、東洋的な雰囲気を持つ屋敷だ。

当主室。

父であるタオ公爵は、黒い道服を纏い、難しい呪術書を読んでいた。

彼の隣には、私の護衛として屋敷に仕えるジンが控えている。

「……リョンシー、来たか」

父は、顔を上げずに言った。

「その体に負った傷、治すには時間がかかるぞ。禁術を使った代償は重い」

「分かっています、父上。問題ありません」

私は跪き、頭を下げた。

「本日は、ご報告とお願いがございます」

「婚約破棄の件か? アレックス王子の見識のなさは知っている。気にするな。公爵家の格は、血の穢れで決まるものではない」

「違います。婚約破棄は、私にとって望むところでした」

私は顔を上げた。

「私の目的は、マリア様という名の天使の護衛に専念することです。そのため、私は、生涯を通じて独身を貫きます」

父は、読んでいた書物をピタリと閉じた。

ジンが、隣でゴクリと唾を飲み込む音が聞こえる。

「生涯、独身……か」

父の冷たい瞳が、私を見つめる。

「タオ家の血を絶やすつもりか」

「いいえ。弟がおりますので、問題ありません。私の人生は、マリア様という推しに捧げたいのです」

私はマリア様への愛を、論理的かつ情熱的に語った。

マリア様の美しさ。その笑顔の尊さ。彼女の無垢な魂を守ることこそが、タオ家の呪術の真髄である、と。

父は、私の熱弁を、ただ静かに聞いていた。

長き沈黙の後。

父は、クスッと笑った。

「……そうか。分かった」

「え?」

予想外の反応に、私が戸惑う。

「貴様のその、狂おしいほどの愛と執着心は、私によく似ている」

父は私の頭に手を置いた。

「タオ家の術師は、一つのことに魂を捧げることで、初めて真の力を得る。それが呪術であろうと、推し活であろうと、本質は同じだ」

「父上……」

「アレックス王子のような、曖旦な愛で血を残すより、貴様のように、生涯をかけて一つの光を追いかける方が、よほどタオ家らしい生き方だ」

父はニヤリと笑った。

その顔は、私と同じようにどこか無表情で、恐ろしい。

「よろしい。貴様の自由を許す。生涯、マリア・ライトに尽くすがいい。ただし――」

父の目が鋭くなった。

「その愛が途中で冷め、マリアを傷つけるようなことがあれば……その時は、私が貴様を呪い殺す」

「承知いたしました」

私は深く頭を下げた。

ジンが安堵の息を漏らした。

「よかったですね、お嬢様。これで公にストーカーができますね」

「ストーカーではない。護衛だ。ジン、マリア様の新しい衣装の製作を依頼するぞ。採寸は済んでいる」

「……どこで採寸したんですか?」

「脳内で」

こうして、私は実家からもお墨付きを得た。

これで、私の推し活ロードに、何の障害もなくなった。

残るは、穏やかな日々の中での、マリア様との絆を深めることだけだ。

翌日、学園へ戻った私を待っていたのは、最後の意地を見せる殿下の姿だった。

彼の純粋な恋心は、まだ完全に折れてはいなかったのだ。
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