婚約破棄を受け入れたら、なぜか翌日から殿下が私の部屋の前に立っています。

黒猫かの

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「……着いたな」


馬車が公爵家の正門をくぐり、砂利を踏む音と共に停止した。
窓の外は、すでに夕闇に包まれている。


長かった「賊討伐(コンサル)の旅」が終わった。
私は深い安堵の息を吐き、凝り固まった肩を回した。


「お疲れ様でした、ロザリー様」


向かいの席で、シルヴィア嬢が静かに頭を下げた。


「私はこれにて失礼いたします。……王宮に戻り、王妃陛下にありのままを報告させていただきますわ」


「ええ。気をつけてね」


「……正直に申しまして、ロザリー様のような『逞しい』女性にお会いしたのは初めてでした。王太子妃という枠に収まる方ではないと思っておりましたが……」


シルヴィア嬢はチラリと、隣で眠るジェラルド殿下(爆睡中)を見た。


「あの方を御せるのは、やはり貴女様しかいないようです。……お幸せに」


彼女は最後に寂しげに、しかし憑き物が落ちたような笑顔を見せ、迎えの馬車へと乗り換えて去っていった。


「……終わったな」


アレクセイ様が、胃薬の瓶を片手に呟いた。


「私の胃も限界だ。今日は泥のように眠らせてもらう。……殿下、起きてください。到着しましたよ」


アレクセイ様が殿下の肩を揺する。
殿下は「ん……ロザリー……もっと金貨を……」という欲望まみれの寝言を言いながら目を覚ました。


「……ハッ! ここは!?」


「私の実家です。さあ、降りてください」


私たちは馬車を降りた。
そこには、いつもの見慣れた──いや、少し異様な庭が広がっていた。


半乾きのコンクリートの壁。
放置されたミキサー車(のような魔法道具)。
そして、私が監禁用に設置した杭と有刺鉄線。


改めて見ると、ここは戦場か産業廃棄物処理場にしか見えない。
美しい公爵家の庭園が台無しだ。


「……明日から、この撤去作業もしなきゃね」


私がため息をつきながら、屋敷へ入ろうとした時だった。


「待ってくれ、ロザリー」


背後から、ジェラルド殿下が声をかけてきた。
その声色が、いつもと違った。
真剣で、重く、そして震えていた。


私は足を止めて振り返った。


「何ですか、殿下。夕食なら、まだ厨房は開いていますよ」


「飯の話じゃない」


殿下は真っ直ぐに私を見つめていた。
夕闇の中で、彼の碧眼だけが静かに光っている。
いつもの「キザなポーズ」も、「暑苦しい筋肉アピール」もない。
ただ、一人の男として、そこに立っていた。


「……話があるんだ。少しだけ時間をくれないか」


「追加料金が発生しますが」


「構わない。……君の人生の時間を、少しだけ僕に売ってくれ」


いつになくシリアスだ。
私はアレクセイ様とミナに目配せをした。
二人は空気を読み(あるいは面白がり)、サッと屋敷の中へと消えていった。


庭には、私と殿下の二人きり。
風が吹き抜け、作りかけのコンクリート壁が冷ややかに佇んでいる。


「……ここでいいですか?」


「ああ。ここがいい」


殿下は瓦礫の山を背にして、ふっと笑った。


「ここは僕たちが初めて『本音』でぶつかり合った場所だ。水をかけられ、監禁され、共に汗を流した……僕たちの原点(グラウンド・ゼロ)だ」


「黒歴史の間違いでは?」


「ロザリー」


殿下は私の軽口を無視し、一歩近づいてきた。


「今回の旅で、よく分かったよ。……僕は君に勝てない」


「今更ですね」


「ああ。君は強い。賢い。そして何より、一人で立って歩ける。……僕が『守ってあげたい』なんて思うのは、君への侮辱だった」


殿下は自嘲気味に言った。


「賊のアジトで、君が生き生きと指揮を執る姿を見た時……僕は自分の無力さを知ったよ。同時に、誇らしくもあった。『ああ、この凄まじい女が、僕の惚れた女なんだ』ってね」


「……褒め言葉として受け取っておきます」


「そこで僕は考えたんだ。君という『傑作』を、僕ごときが独占して枠に嵌めていいのかと」


「……別れ話ですか?」


私が眉をひそめると、殿下は首を横に振った。


「逆だ」


殿下はその場に──瓦礫と泥が散らばる地面に、膝をついた。


「えっ」


「ロザリー・フォン・ウィステリア」


殿下は私の手を取り、跪いたまま見上げた。
その瞳には、狂気にも似た、しかし純粋すぎる光が宿っていた。


「僕は君の『管理者』になりたい」


「……は?」


プロポーズの言葉にしては、あまりにも業務的だった。


「君は優秀なコンサルタントであり、稀代の商売人だ。放っておけば、君はどこまでも高く飛んでいくだろう。……だが、どんな天才にも、足場(ベース)が必要だ」


殿下は私の手を強く握りしめた。


「僕がその足場になる。君が自由に暴れ回り、金を稼ぎ、国を動かすための……最強の『スポンサー』兼『リスク管理者』に、僕がなる」


「……スポンサー?」


「そうだ。君の合理性も、冷たさも、金への執着も、全部好きだ。矯正なんてしない。そのままの君でいてくれ。……その代わり、君の人生という巨大プロジェクトを、僕に管理させてほしい」


殿下の言葉が、私の胸にストンと落ちた。
「愛してる」とか「幸せにする」とか、そんな手垢のついた言葉じゃない。
「管理させてくれ」。
それは、支配欲のようでありながら、私という人間への最大の肯定だった。
私の「本質」を理解していなければ、出てこない言葉だ。


「……私を管理するなんて、大変ですよ?」


私は震える声で返した。


「私はワガママですし、浪費家ですし、あなたの筋肉には興味がありません」


「知っている」


「あなたの顔を見てもときめきませんし、甘い言葉も吐けません」


「知っているとも」


「それでも……いいのですか?」


「それがいいんだ」


殿下はニカっと笑った。
あの泥だらけの笑顔で。


「君が計算高い悪女であればあるほど、僕はゾクゾクする。君に尻に敷かれる未来こそが、僕の理想郷(ユートピア)だ」


「……変態」


「否定はしない。……さあ、ロザリー。契約を結んでくれるか?」


殿下は、懐から何かを取り出した。
指輪……ではない。


それは、ボロボロになった一枚の「金貨」だった。
第18話で、彼が「預けておく」と言って私に投げつけた、あの金貨だ。
いつの間に回収していたのか。


「これが僕の全財産(心)だ。……受け取ってくれ」


差し出された金貨。
泥と手垢で薄汚れているけれど、夕陽を浴びて鈍く光っている。


私はそれを見つめ、脳内計算機を叩いた。
王太子という地位。
国家予算という運用益。
そして、この底なしにポジティブで、私を全肯定してくれる「優良物件(変態)」。


リスクはある。
苦労もするだろう。
でも、リターンは……計測不能(プライスレス)だ。


私はゆっくりと、その金貨を手に取った。


「……高いですよ」


私は眼鏡の位置を直し、精一杯の強がり(悪役顔)で言った。


「私の管理費は、法外に高いですよ? 一生かけても払い切れないくらい」


「望むところだ!!」


殿下は叫び、立ち上がると、私を強く抱きしめた。
泥臭い。汗臭い。
でも、嫌じゃない。


「一生かけて払う! 僕の人生、時間、愛、そして国庫の全てを君に捧げる! だから覚悟しろ、ロザリー!」


「……く、苦しいです! 離しなさい!」


「離さない! 契約成立だ! クーリングオフは不可だぞ!」


殿下は子供のように笑い、私を抱えたままクルクルと回り始めた。


「ちょ、目が回る! 降ろして!」


「アハハハハ! ロザリー! 僕のロザリー!」


庭に響く、バカな王子の笑い声。
私は抵抗するのを諦め、彼の肩に頭を預けた。


「……本当に、バカなんだから」


小さく呟いたその言葉は、もう罵倒ではなかった。
私の胸の中にある計算機が、初めて「エラー(計算不能)」を表示していた。
利益とか損失とか、そんなものがどうでもよくなるくらい、この瞬間が満たされていたからだ。


屋敷の窓から、父とアレクセイ様、そしてミナがその様子を見ていた。


「……やれやれ。ついに陥落しましたか」
「ガハハ! やはりあの男は見どころがある!」
「これでまた、新しい商売(結婚式ビジネス)が始まりますね!」


それぞれの思惑を乗せて、夜は更けていく。


こうして、私とジェラルド殿下の長い長い「婚約破棄騒動」は、まさかの「再契約」という形で幕を閉じた。
だが、これはゴールではない。
ここから、さらにカオスな「契約結婚生活」が始まるのだ。
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