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「アイーナ・ルベル! 貴様との婚約を、今この時をもって破棄する!」
きらびやかなシャンデリアが輝く夜会の中心で、私の婚約者であるレオン・フォン・アステリア王太子殿下が、朗々と声を響かせました。
その隣には、彼に守られるようにして震えている、可憐な男爵令嬢のマリエル様。
周囲の貴族たちは、一斉に息を呑んでこちらを注視しています。
普通なら、ここで私は泣き崩れるか、あるいは真っ青になって許しを乞うべき場面なのでしょう。
ですが、私の心に湧き上がったのは、何よりも深い「感謝」と「解放感」でした。
「……アイーナ? ショックで声も出ないか。だが、これまでのマリエルに対する陰湿な嫌がらせの数々、言い逃れはさせんぞ!」
追い打ちをかけるようなレオン殿下の言葉に、私は顔を上げました。
そして、人生で最高に輝かしい「営業用スマイル」を浮かべます。
「はい、喜んで!!」
「…………は?」
レオン殿下が、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まりました。
私の返答が予想外すぎたのか、隣のマリエル様も、涙を拭うのも忘れて目を丸くしています。
「殿下、今、はっきりと『婚約を破棄する』とおっしゃいましたよね? 聞き間違いではございませんよね?」
「あ、ああ。言った。確かに言ったが……」
「ありがとうございます! 素晴らしい決断です、殿下! さすがは次期国王、決断力に溢れていらっしゃる!」
私は一歩前に踏み出し、殿下の手をぎゅっと握りしめました。
あまりの勢いに、殿下はたじろいで後ろに下がろうとしましたが、逃がしません。
「いや、アイーナ、お前……何を言っているんだ? 私はお前を突き放したんだぞ? 糾弾しているんだぞ?」
「ええ、存じております! ですが、私との婚約がなくなれば、殿下は愛するマリエル様と結ばれることができます。そして私は、あの大変に厳しい王妃教育から解放される……! これぞ、ウィンウィンの関係というものではございませんか!」
「うぃん……? なんだそれは」
「双方にとって利益がある、という意味です! ああ、なんて晴れやかな気分かしら。明日の朝は、家庭教師のガミガミ声ではなく、小鳥のさえずりで起きられるのですね!」
私はその場で、くるりと軽やかに一回転して見せました。
ドレスの裾がふわりと舞い、私の心は文字通り宙を踊っています。
周囲の貴族たちは、ヒソヒソと「ショックで気が狂ったのでは?」と囁き始めましたが、気にしません。
正気です。これ以上にないほど、私は正気でございます。
「……アイーナ様。あ、あの。私、あなたにたくさん虐められたって、殿下に訴えたのですよ?」
マリエル様が、おずおずと口を開きました。
彼女は「悪役令嬢」に虐められる「悲劇のヒロイン」を演じ切りたかったのでしょう。
私は彼女に向き直り、これまた満面の笑みで答えました。
「ええ、聞きましたわ。私があなたの教科書を池に投げ捨てたとか、お茶会でドレスに紅茶をかけたとか、そういったお話ですよね?」
「そ、そうです! ひどいことをなさった自覚はあるのですか!?」
「全くございません! 教科書を池に? そんな重いものを運ぶ筋肉、私にはありませんわ。ドレスに紅茶? 最高級のダージリンを、布きれにかけるほど私は裕福ではありません。そもそも、私、あなたとお会いしたの、今日で三回目くらいじゃありませんでしたっけ?」
「そ、それは……」
マリエル様が言葉を詰まらせました。
彼女の虚偽報告など、今の私にはどうでもいいことなのです。
「ですが、そんなことは些細な問題です! 重要なのは、殿下がそれを信じ、私を婚約者の座から引きずり下ろしてくださったという事実です! マリエル様、本当にありがとうございます。あなたのおかげで、私の自由への扉が開きました!」
「えっ、あ、お礼を言われるなんて……」
「殿下! それでは、話が早いうちにこちらにサインをいただけますか?」
私は懐から、あらかじめ用意しておいた羊皮紙を取り出しました。
「な、なんだこれは……」
「『婚約解消合意書』でございます。念のため、殿下のご署名と、夜会にいらしている数名の公爵様方の証人サインをいただければ完璧です。あ、ついでに私の有責ではなく、殿下側の都合による解消であるという一筆もいただけますと、我が家への面目も立ちますわ」
「お前……いつの間にこんなものを……」
「プロですから。公爵令嬢として、不測の事態に備えるのは当然の嗜みです」
実際には、殿下が浮ついているという噂を聞いた瞬間、徹夜で書き上げた力作です。
私はペンを殿下に押し付けました。
「さあ、殿下! 未来の愛のために! サインを! 今ここで!」
「……う、うむ。まあ、破棄するのは私の本意だしな」
レオン殿下は、私の剣幕に押されるようにして、おどおどとサインを書き込みました。
その様子を、会場の端で見守っていた数名の有力貴族たちにも、笑顔で圧をかけてサインをもらいます。
よし、これで法的な拘束力はバッチリです。
「完璧です! 殿下、マリエル様、どうぞお幸せに! あ、婚約指輪はこちらにお返ししておきますね。質屋に入れるわけにもいきませんし」
私は指から外した大粒のダイヤを、殿下の手のひらにぽいっと放り投げました。
「では、私は失礼いたします。荷造りがありますので!」
「あ、おい、アイーナ! まだ話は終わって……!」
「終わりましたわ! サヨナラです!」
私は一度も振り返ることなく、大股で夜会の会場を後にしました。
背後でレオン殿下が何か叫んでいましたが、私の耳にはもう届きません。
馬車に乗り込んだ瞬間、私は背もたれに深く体を預けました。
「ふう…………勝った」
公爵令嬢としての仮面を脱ぎ捨て、私は誰もいない馬車の中でガッツポーズを決めました。
五歳の頃から始まった、監獄のような教育の日々。
食べたいものも食べられず、行きたい場所へも行けず、ただ「完璧な王妃」になるためだけに捧げた私の青春。
それが、たった数分の「婚約破棄」で、全て私の手に戻ってきたのです。
「さて、明日は何をしましょうか。まずはあの重苦しいドレスを全部売って……。それから、城下町で評判の、あのギトギトした串焼きを食べてみたいわ!」
私は窓の外を流れる夜景を見ながら、これからの自由な計画に胸を膨らませました。
そう、これは悲劇の始まりではありません。
私、アイーナ・ルベルの、最高の人生の幕開けなのです!
……まあ、この時の私はまだ知らなかったのです。
あまりにも愛想よく婚約破棄を受け入れすぎたせいで、逆に殿下が「本当は自分を愛しているからこその強がりだ」と勘違いし始めることも。
そして、隣国のちょっと怖い騎士団長様に、一部始終をバッチリ見られていたことも。
「自由、最高ーーー!!」
私は馬車の窓から夜空に向かって、思いっきり叫びました。
きらびやかなシャンデリアが輝く夜会の中心で、私の婚約者であるレオン・フォン・アステリア王太子殿下が、朗々と声を響かせました。
その隣には、彼に守られるようにして震えている、可憐な男爵令嬢のマリエル様。
周囲の貴族たちは、一斉に息を呑んでこちらを注視しています。
普通なら、ここで私は泣き崩れるか、あるいは真っ青になって許しを乞うべき場面なのでしょう。
ですが、私の心に湧き上がったのは、何よりも深い「感謝」と「解放感」でした。
「……アイーナ? ショックで声も出ないか。だが、これまでのマリエルに対する陰湿な嫌がらせの数々、言い逃れはさせんぞ!」
追い打ちをかけるようなレオン殿下の言葉に、私は顔を上げました。
そして、人生で最高に輝かしい「営業用スマイル」を浮かべます。
「はい、喜んで!!」
「…………は?」
レオン殿下が、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まりました。
私の返答が予想外すぎたのか、隣のマリエル様も、涙を拭うのも忘れて目を丸くしています。
「殿下、今、はっきりと『婚約を破棄する』とおっしゃいましたよね? 聞き間違いではございませんよね?」
「あ、ああ。言った。確かに言ったが……」
「ありがとうございます! 素晴らしい決断です、殿下! さすがは次期国王、決断力に溢れていらっしゃる!」
私は一歩前に踏み出し、殿下の手をぎゅっと握りしめました。
あまりの勢いに、殿下はたじろいで後ろに下がろうとしましたが、逃がしません。
「いや、アイーナ、お前……何を言っているんだ? 私はお前を突き放したんだぞ? 糾弾しているんだぞ?」
「ええ、存じております! ですが、私との婚約がなくなれば、殿下は愛するマリエル様と結ばれることができます。そして私は、あの大変に厳しい王妃教育から解放される……! これぞ、ウィンウィンの関係というものではございませんか!」
「うぃん……? なんだそれは」
「双方にとって利益がある、という意味です! ああ、なんて晴れやかな気分かしら。明日の朝は、家庭教師のガミガミ声ではなく、小鳥のさえずりで起きられるのですね!」
私はその場で、くるりと軽やかに一回転して見せました。
ドレスの裾がふわりと舞い、私の心は文字通り宙を踊っています。
周囲の貴族たちは、ヒソヒソと「ショックで気が狂ったのでは?」と囁き始めましたが、気にしません。
正気です。これ以上にないほど、私は正気でございます。
「……アイーナ様。あ、あの。私、あなたにたくさん虐められたって、殿下に訴えたのですよ?」
マリエル様が、おずおずと口を開きました。
彼女は「悪役令嬢」に虐められる「悲劇のヒロイン」を演じ切りたかったのでしょう。
私は彼女に向き直り、これまた満面の笑みで答えました。
「ええ、聞きましたわ。私があなたの教科書を池に投げ捨てたとか、お茶会でドレスに紅茶をかけたとか、そういったお話ですよね?」
「そ、そうです! ひどいことをなさった自覚はあるのですか!?」
「全くございません! 教科書を池に? そんな重いものを運ぶ筋肉、私にはありませんわ。ドレスに紅茶? 最高級のダージリンを、布きれにかけるほど私は裕福ではありません。そもそも、私、あなたとお会いしたの、今日で三回目くらいじゃありませんでしたっけ?」
「そ、それは……」
マリエル様が言葉を詰まらせました。
彼女の虚偽報告など、今の私にはどうでもいいことなのです。
「ですが、そんなことは些細な問題です! 重要なのは、殿下がそれを信じ、私を婚約者の座から引きずり下ろしてくださったという事実です! マリエル様、本当にありがとうございます。あなたのおかげで、私の自由への扉が開きました!」
「えっ、あ、お礼を言われるなんて……」
「殿下! それでは、話が早いうちにこちらにサインをいただけますか?」
私は懐から、あらかじめ用意しておいた羊皮紙を取り出しました。
「な、なんだこれは……」
「『婚約解消合意書』でございます。念のため、殿下のご署名と、夜会にいらしている数名の公爵様方の証人サインをいただければ完璧です。あ、ついでに私の有責ではなく、殿下側の都合による解消であるという一筆もいただけますと、我が家への面目も立ちますわ」
「お前……いつの間にこんなものを……」
「プロですから。公爵令嬢として、不測の事態に備えるのは当然の嗜みです」
実際には、殿下が浮ついているという噂を聞いた瞬間、徹夜で書き上げた力作です。
私はペンを殿下に押し付けました。
「さあ、殿下! 未来の愛のために! サインを! 今ここで!」
「……う、うむ。まあ、破棄するのは私の本意だしな」
レオン殿下は、私の剣幕に押されるようにして、おどおどとサインを書き込みました。
その様子を、会場の端で見守っていた数名の有力貴族たちにも、笑顔で圧をかけてサインをもらいます。
よし、これで法的な拘束力はバッチリです。
「完璧です! 殿下、マリエル様、どうぞお幸せに! あ、婚約指輪はこちらにお返ししておきますね。質屋に入れるわけにもいきませんし」
私は指から外した大粒のダイヤを、殿下の手のひらにぽいっと放り投げました。
「では、私は失礼いたします。荷造りがありますので!」
「あ、おい、アイーナ! まだ話は終わって……!」
「終わりましたわ! サヨナラです!」
私は一度も振り返ることなく、大股で夜会の会場を後にしました。
背後でレオン殿下が何か叫んでいましたが、私の耳にはもう届きません。
馬車に乗り込んだ瞬間、私は背もたれに深く体を預けました。
「ふう…………勝った」
公爵令嬢としての仮面を脱ぎ捨て、私は誰もいない馬車の中でガッツポーズを決めました。
五歳の頃から始まった、監獄のような教育の日々。
食べたいものも食べられず、行きたい場所へも行けず、ただ「完璧な王妃」になるためだけに捧げた私の青春。
それが、たった数分の「婚約破棄」で、全て私の手に戻ってきたのです。
「さて、明日は何をしましょうか。まずはあの重苦しいドレスを全部売って……。それから、城下町で評判の、あのギトギトした串焼きを食べてみたいわ!」
私は窓の外を流れる夜景を見ながら、これからの自由な計画に胸を膨らませました。
そう、これは悲劇の始まりではありません。
私、アイーナ・ルベルの、最高の人生の幕開けなのです!
……まあ、この時の私はまだ知らなかったのです。
あまりにも愛想よく婚約破棄を受け入れすぎたせいで、逆に殿下が「本当は自分を愛しているからこその強がりだ」と勘違いし始めることも。
そして、隣国のちょっと怖い騎士団長様に、一部始終をバッチリ見られていたことも。
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