王太子が泣きついた。笑顔で婚約破棄を受け入れただけなのに。

黒猫かの

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「さあ、今日こそは最高の『モツ』を手に入れますわよ、サーシャ!」


昨日の「ゴミ(元婚約者)」の来訪で少しばかり逆撫でされた神経を癒やすため、私は朝から気合十分で市場へと繰り出しました。


お父様のリクエストである「モツ煮込み」を完成させるには、新鮮な素材の確保が不可欠です。


「お嬢様、その……意気込みは素晴らしいのですが、公爵令嬢が鼻息荒く肉屋の店先でモツを物色するのは、教育係が見たら卒倒する光景かと」


「あら、もう私を叱る教育係はいませんもの。今の私は、食べたいものを食べ、煮込みたいものを煮込む自由があるのですわ!」


私は鼻歌まじりに、精肉店が並ぶエリアへと突き進みました。


すると、ひときわ活気のある店先で、見覚えのある「背中」を見つけました。


黒い衣服に身を包んだ、やたらと体格の良い男。


数日前、路地裏で血を流していたはずのギルバートさんです。


「あら、ギルバート様ではありませんか! もう傷はよろしいのですか? 歩き回って傷口がパッカーンと開いたりしていませんか?」


私はいつもの営業用スマイルを全開にして、彼の背中を叩きました。


ギルバートさんはゆっくりと振り返り、相変わらずの冷徹そうな銀色の瞳で私を見下ろしました。


「……アイーナか。貴様の応急処置が意外にも丁寧だったおかげで、この通りだ」


「それは良かったですわ! それで、ギルバート様もモツをお求めに? 意外と庶民派な胃袋をお持ちなんですのね」


「……いや。貴様が昨日、あのアホ……王太子に対して『モツ煮込みを作る』と宣言しているのが聞こえたものでな。一体どんなものかと思って見に来ただけだ」


「…………はい?」


私は笑顔を貼り付けたまま固まりました。


今、この人、さらっとストーカー紛いの告白をしませんでしたか?


「ギルバート様……。もしかして昨日、我が家の庭の木に登っていらっしゃいました?」


「……風通しが良かったのでな」


「左様でございますか。隣国の騎士様は、ずいぶんと風流な趣味をお持ちですこと」


私は一瞬、手に持っていた買い物カゴで彼の脛を蹴り上げようかと思いましたが、営業スマイルで耐えました。


「まあいいわ。せっかく再会したのですし、これも何かの縁です。ギルバート様、美味しいモツの見分け方をご存知かしら?」


「……いや、専門外だ」


「それなら私が教えて差し上げますわ! 見てください、この弾力。そしてこの色艶! これこそが、お父様のビールを加速させる至高のモツですわ!」


私は店主と丁々発止の交渉を繰り広げ、最高級の部位を格安で手に入れました。


ギルバートさんは、私のその一連の動きを、まるで珍獣でも見るかのような目で見守っていました。


「……アイーナ。貴様、本当に公爵令嬢なのか? 王太子が『愛ゆえの強がり』だと信じるのも無理はない。あまりにも……楽しそうすぎる」


「強がりでモツの値段交渉をする令嬢がいたら、見てみたいものですわ。ギルバート様、私は今、心からの真実(スマイル)で生きていますのよ?」


「……そうか。ならば、その『真実』とやらを私にも分けてもらおうか」


「え?」


ギルバートさんは私の荷物をひょいと取り上げると、そのまま歩き始めました。


「手当の礼だ。屋敷まで運んでやる。その代わり……例の煮込みとやらを、私にも一口食わせろ」


「……。……はい、喜んで!!」


私は本日一番の笑顔で答えました。


いいでしょう、タダで荷物持ちをゲットできるなら、スープの一杯くらい安いものです。


「お嬢様……本当にいいんですか? あの方、絶対にただの騎士じゃありませんよ。漂っている殺気が、そこら辺の野良犬とは格が違います」


サーシャが耳元でヒソヒソと囁きますが、私は気にしません。


「いいのよ、サーシャ。美味しいものを前にすれば、殺気も隠し味のようなものですわ!」


こうして、私は謎の美形騎士を従え、意気揚々と公閣邸への帰路につきました。


その頃、王宮のレオン殿下は。


「くっ……! アイーナの屋敷に、見たこともない屈強な男が入り浸っているという報告があった! アイーナめ、さては私を嫉妬させるために、護衛兼愛人を雇ったな!?」


「……殿下、それは流石にポジティブが過ぎるかと……」


「だまれ! 私の愛の深さに、アイーナが怯えている証拠だ! 追い詰められた彼女を救えるのは、やはりこの私しかいない!」


レオン殿下の妄想列車は、もはやブレーキが完全に壊れて暴走していました。
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