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「……アイーナ、ここが私の屋敷だ。アステリアの王宮に比べれば無骨だが、ゆっくり休むといい」
隣国の英雄、ギルバート・ヴォルフ公爵様の屋敷に到着した私を待っていたのは、見上げるような黒石造りの城塞——ではなく、お屋敷でした。
ですが、一歩足を踏み入れた瞬間、私は眉間にシワが寄るのを止められませんでした。
「……ギルバート様。一つ伺ってもよろしいかしら?」
「なんだ? 部屋が気に入らないか?」
「いいえ。……なぜ、玄関ホールに掃除用具が『整列』して置いてあるのですか? しかも、あちらのメイドさんの挨拶、角度が45度固定でまるで行進中の兵士のようですわ」
私は営業用スマイルを「査定モード」に切り替え、ギルバート様の秘書官らしき男性をジロリと見ました。
「あ、アイーナ様。こちらは当家の執事長、バトラーです。我が家は代々武門の家柄ですので、規律こそが全てでして……」
「規律! 素晴らしい言葉ですわね。ですが、家庭に戦場の緊張感は不要です。……バトラーさん、この屋敷の『年間維持費』と『業務フロー図』を見せていただけますかしら?」
「……ぎょ、業務ふろー? 維持費でしたら、こちらの分厚い帳簿に……」
差し出されたのは、革表紙の、鈍器のような重さの帳簿でした。
私はそれをパラパラと、超高速でめくりました。
「……。……。……はい、分かりましたわ。バトラーさん、あなた、この屋敷の食費、三割は無駄に捨てていますわね?」
「なっ!? バカな、私は厳格に管理して……」
「この『一括購入』の記録を見てください。保存のきかない生野菜を、なぜ一度にこんなに発注しているのですか? 騎士団の炊き出しではありませんのよ。それに、この掃除のルート。二階の東棟から西棟へ行くのに、なぜわざわざ中庭を通る設定になっているのかしら。時間のロスですわ!」
私が立て続けに指摘を繰り出すと、バトラーさんは口をパクパクさせて固まりました。
「……お、お嬢様。到着して五分で、隣国の公爵家の家計を破綻寸前だと断定するのは流石に……」
後ろで荷物を持っていたマリエル様が、震え声でツッコミを入れました。
「マリエル様、これがビジネスです。……ギルバート様。私、決めましたわ」
私はギルバート様に向き直り、今日一番の「営業用(戦闘用)スマイル」を向けました。
「私は今日から、このヴォルフ公爵邸の『特別顧問』に就任いたします。お礼は、この屋敷の空き部屋一つと、私の新事業への独占的なバックアップ……。よろしいかしら?」
ギルバート様は、私のあまりの勢いに一瞬目をしばたかせましたが、すぐに愉快そうに口角を上げました。
「フッ……。私が『休め』と言っても聞かないんだろうな」
「ええ。目の前に改善点という名の『金鉱』があるのに、それを見逃すのはプロとして失格ですもの!」
「いいだろう。アイーナ、この屋敷を好きにしろ。……バトラー、今日からこの女性の言葉は私の命令と同等だと思え」
「か、閣下!? 本気ですか!?」
「ああ。彼女の手にかかれば、我が家の騎士たちも今頃はフリルを巻いて踊っているはずだからな」
「……は?」
バトラーさんの困惑を余所に、私は早速エプロンを……ではなく、筆記用具を取り出しました。
「さあ、マリエル様! ぼーっとしていないで、各部屋の在庫リストを作成してくださいな。それからカイルさんたち! あなた方は、この屋敷の警備網を『おもてなし』の観点から再構築してください!」
「「「「はっ! 喜んで!!」」」」
アステリアから連れてきた元・騎士たちが、一斉に動き出しました。
「アイーナ様! この厨房、調理器具が錆びていますわ! これでは美味しい煮込みが作れません!」
「いい指摘ですわ、マリエル様! すぐに新調しましょう。……ギルバート様、公爵家の予備費、少し使わせていただきますわね?」
「……ああ。好きに使え。ただし、私の寝室の『効率化』だけは、私自身と相談してからにしてくれよ?」
ギルバート様が、私の耳元でわざと低く、艶のある声で囁きました。
「……っ。……そ、それについては、キッチン改革が終わった後に検討いたしますわ!」
私は顔に昇る熱を無視して、足早に厨房へと向かいました。
こうして、隣国の名門・ヴォルフ公爵家は、到着初日にしてアイーナによる「血の入れ替え(大掃除)」が始まったのでした。
一方で、アステリア王国のレオン殿下は。
「……アイーナ、今頃は私のいない寂しさで、隣国の冷たいパンを涙で湿らせて食べているに違いない……。待っていろ、アイーナ。私のポエムを百編録音した『魔導蓄音機』を、今すぐ特急便で送ってやるからな!!」
……その魔導蓄音機が、国境の検問所で「不審物」として爆破処理されるまで、あと数時間のことでした。
隣国の英雄、ギルバート・ヴォルフ公爵様の屋敷に到着した私を待っていたのは、見上げるような黒石造りの城塞——ではなく、お屋敷でした。
ですが、一歩足を踏み入れた瞬間、私は眉間にシワが寄るのを止められませんでした。
「……ギルバート様。一つ伺ってもよろしいかしら?」
「なんだ? 部屋が気に入らないか?」
「いいえ。……なぜ、玄関ホールに掃除用具が『整列』して置いてあるのですか? しかも、あちらのメイドさんの挨拶、角度が45度固定でまるで行進中の兵士のようですわ」
私は営業用スマイルを「査定モード」に切り替え、ギルバート様の秘書官らしき男性をジロリと見ました。
「あ、アイーナ様。こちらは当家の執事長、バトラーです。我が家は代々武門の家柄ですので、規律こそが全てでして……」
「規律! 素晴らしい言葉ですわね。ですが、家庭に戦場の緊張感は不要です。……バトラーさん、この屋敷の『年間維持費』と『業務フロー図』を見せていただけますかしら?」
「……ぎょ、業務ふろー? 維持費でしたら、こちらの分厚い帳簿に……」
差し出されたのは、革表紙の、鈍器のような重さの帳簿でした。
私はそれをパラパラと、超高速でめくりました。
「……。……。……はい、分かりましたわ。バトラーさん、あなた、この屋敷の食費、三割は無駄に捨てていますわね?」
「なっ!? バカな、私は厳格に管理して……」
「この『一括購入』の記録を見てください。保存のきかない生野菜を、なぜ一度にこんなに発注しているのですか? 騎士団の炊き出しではありませんのよ。それに、この掃除のルート。二階の東棟から西棟へ行くのに、なぜわざわざ中庭を通る設定になっているのかしら。時間のロスですわ!」
私が立て続けに指摘を繰り出すと、バトラーさんは口をパクパクさせて固まりました。
「……お、お嬢様。到着して五分で、隣国の公爵家の家計を破綻寸前だと断定するのは流石に……」
後ろで荷物を持っていたマリエル様が、震え声でツッコミを入れました。
「マリエル様、これがビジネスです。……ギルバート様。私、決めましたわ」
私はギルバート様に向き直り、今日一番の「営業用(戦闘用)スマイル」を向けました。
「私は今日から、このヴォルフ公爵邸の『特別顧問』に就任いたします。お礼は、この屋敷の空き部屋一つと、私の新事業への独占的なバックアップ……。よろしいかしら?」
ギルバート様は、私のあまりの勢いに一瞬目をしばたかせましたが、すぐに愉快そうに口角を上げました。
「フッ……。私が『休め』と言っても聞かないんだろうな」
「ええ。目の前に改善点という名の『金鉱』があるのに、それを見逃すのはプロとして失格ですもの!」
「いいだろう。アイーナ、この屋敷を好きにしろ。……バトラー、今日からこの女性の言葉は私の命令と同等だと思え」
「か、閣下!? 本気ですか!?」
「ああ。彼女の手にかかれば、我が家の騎士たちも今頃はフリルを巻いて踊っているはずだからな」
「……は?」
バトラーさんの困惑を余所に、私は早速エプロンを……ではなく、筆記用具を取り出しました。
「さあ、マリエル様! ぼーっとしていないで、各部屋の在庫リストを作成してくださいな。それからカイルさんたち! あなた方は、この屋敷の警備網を『おもてなし』の観点から再構築してください!」
「「「「はっ! 喜んで!!」」」」
アステリアから連れてきた元・騎士たちが、一斉に動き出しました。
「アイーナ様! この厨房、調理器具が錆びていますわ! これでは美味しい煮込みが作れません!」
「いい指摘ですわ、マリエル様! すぐに新調しましょう。……ギルバート様、公爵家の予備費、少し使わせていただきますわね?」
「……ああ。好きに使え。ただし、私の寝室の『効率化』だけは、私自身と相談してからにしてくれよ?」
ギルバート様が、私の耳元でわざと低く、艶のある声で囁きました。
「……っ。……そ、それについては、キッチン改革が終わった後に検討いたしますわ!」
私は顔に昇る熱を無視して、足早に厨房へと向かいました。
こうして、隣国の名門・ヴォルフ公爵家は、到着初日にしてアイーナによる「血の入れ替え(大掃除)」が始まったのでした。
一方で、アステリア王国のレオン殿下は。
「……アイーナ、今頃は私のいない寂しさで、隣国の冷たいパンを涙で湿らせて食べているに違いない……。待っていろ、アイーナ。私のポエムを百編録音した『魔導蓄音機』を、今すぐ特急便で送ってやるからな!!」
……その魔導蓄音機が、国境の検問所で「不審物」として爆破処理されるまで、あと数時間のことでした。
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