婚約破棄、取り消せませんわよ?

黒猫かの

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「……おい、どう思う?」

「どうって、何がだ?」

「あの新人(ミモザ嬢)だよ。元は王子の浮気相手――じゃなくて、新しい婚約者だったんだろ? そんな女が、なんでうちの閣下(ボス)を熱っぽい目で見つめてるんだ?」

屋敷の廊下の隅で、騎士たちがヒソヒソと噂話をしていた。

彼らの視線の先には、大量の書類を抱えて廊下を小走りに移動するミモザの姿があった。

彼女は時折、中庭で素振りをしているシリウスを見かけては、立ち止まり、頬を赤らめて「はぁ……素敵……」と溜息をついているのだ。

「まさか、次は閣下を狙ってるんじゃ……」

「泥沼だぞ。ネリネ様と取り合いになったら、この屋敷は焦土と化す」

「賭けるか? 俺はネリネ様の圧勝に銀貨三枚」

騎士たちが戦々恐々とする中、当のミモザは書類を胸に抱き、熱い視線を送り続けていた。

(ああ……なんて尊いのかしら……!)

彼女の視界に映っているのは、単なるシリウスではない。

シリウスの汗を、ネリネがハンカチで拭ってあげている――その「ツーショット」である。

***

午後三時のティーブレイク。

執務室のソファで、ネリネとシリウス、そしてミモザがテーブルを囲んでいた。

「ミモザ。先ほどの集計作業、予定より二〇分早い完了です。精度も申し分ない。評価します」

ネリネが紅茶を飲みながら褒める。

「ありがとうございます! ネリネ様に褒められるなんて、王族からの勲章より価値があります!」

ミモザは感涙にむせびながら、素早くシリウスの空いたカップに紅茶を注ぎ足した。

その手際の良さに、シリウスが少し居心地悪そうに身じろぎする。

「あー……その、ミモザ嬢」

「はい、閣下! 何でしょう! 肩もみですか? 靴磨きですか?」

「いや、違う。……あのな、そんなに気を遣わなくていい。お前は客――いや、職員だが、俺の世話まで焼く必要はない」

シリウスは、ミモザの過剰な奉仕精神に困惑していた。

そして何より、彼女が時折向けてくる熱烈な視線が気になって仕方がない。

(なんだ? やけに目が合うな。まさか、俺に気があるのか? ……いやいや、相手は王子の相手だぞ。俺みたいな無骨な男、好みじゃないはずだ)

シリウスが自問自答していると、ネリネがスッと目を細めた。

「閣下。自意識過剰は判断を曇らせますわよ」

「なっ! 声に出てたか!?」

「顔に出ていました。『俺、もしかしてモテ期?』という、しまりのない顔をしていましたので」

ネリネは冷ややかに言い放つ。

「ミモザ様。はっきりと言って差し上げなさい。貴女のその熱視線の意味を。閣下が勘違いして、夜も眠れなくなると業務に支障が出ます」

話を振られたミモザは、キリッとした表情で立ち上がった。

そして、シリウスに向かって拳を握りしめ、高らかに宣言した。

「誤解しないでください、閣下! 私が熱く見つめていたのは、貴方単体ではありません!」

「は?」

「私が萌え……いえ、感動していたのは、『ネリネ様と並んでいる時の貴方』です!!」

ミモザの鼻息が荒い。

「見てください、このバランス! 『冷徹な頭脳派悪役令嬢』と『純朴な肉体派最強騎士』! 正反対に見えて、実は互いの欠点を完璧に補い合っている! この尊さ! この奇跡の組み合わせ! ご飯三杯はいけます!」

「……はぁ?」

シリウスはポカーンとした。

ネリネも少しだけ眉を動かす。

「……ミモザ様。貴女、ストレスで脳の回路がショートしましたか?」

「正常です! むしろ覚醒しました!」

ミモザは力説する。

「王都にいた頃、私は地獄を見てきました。ギデオン殿下と私の組み合わせは、例えるなら『爆弾』と『導火線』。破滅しかありませんでした。でも、お二人は違う!」

彼女は指を一本立てる。

「ネリネ様の冷たい合理主義を、閣下の温かい包容力が溶かす。閣下の不器用な生活を、ネリネ様の完璧な管理が支える。……これはもはや芸術です! 世界の真理です!」

「……おい、褒められてるのか、これ?」

シリウスがネリネに小声で聞く。

「分析としては当たらずとも遠からずですが、表現が情緒不安定ですわね」

ネリネは冷静に返す。

ミモザはシリウスの前に身を乗り出した。

「閣下! はっきり言います。私は貴方を狙ってなどいません! むしろ、貴方がネリネ様以外の女性と仲良くしようものなら、私が全力で妨害します!」

「ええっ!?」

「私の使命は、この『最高に効率的で幸せな職場(カップリング)』を守護すること! 二人が結ばれることこそが、私の平穏な生活と、安らかな老後を保証する唯一の道なのですから!」

ミモザの目は本気(マジ)だった。

恋敵?

とんでもない。

彼女は、最強の「応援団長」であり、二人の関係を盤石にするための「守護神(ガーディアン)」となることを宣言したのだ。

シリウスは圧倒され、引きつった笑みを浮かべる。

「そ、そうか……。俺を好きなんじゃないなら、まあ、いいんだが……」

「好きですよ? 『推し』として!」

「オシ……?」

「まあ、よいでしょう」

ネリネがパン、と手を叩いて場を収める。

「ミモザ様のモチベーションの源泉が何であれ、業務に対する熱意があることは確認できました。私の管理下にある以上、そのエネルギーを領地の発展に還元してもらいます」

「はい! ネリネ様の幸せのためなら、残業も厭いません!」

「残業は非効率ですので禁止です。定時で成果を出しなさい」

「かっこいい……! 一生ついていきます!」

ミモザが目をハートにして身悶える。

シリウスは深いため息をついた。

「……なんか、騒がしいのが増えたな」

「賑やかでよろしいではありませんか。人口増加は国力の基本です」

ネリネは口元を緩める。

「それに、彼女の視点は案外、鋭いかもしれませんわよ?」

「ん? どういう意味だ」

「互いに補い合っている、という点です」

ネリネはシリウスの方を向き、悪戯っぽく微笑んだ。

「私の計算には、貴方の『腕力』という変数が不可欠。貴方の生活には、私の『管理』という定数が必要。……数式として、非常に安定した解(答え)が出ているということです」

「……っ」

シリウスが赤面する。

遠回しな告白――いや、ネリネ流の「信頼」の言葉だ。

それを見ていたミモザが、我慢できずに叫んだ。

「ああもう! 早く結婚しちゃってくださいよぉぉ!」

「却下します。時期尚早です」

「俺に決定権はないのか……」

三人の声が重なり、執務室に笑い(とツッコミ)があふれる。

窓の外では、厳しい北風が吹いている。

だが、この部屋の中は、どんな春の日差しよりも暖かかった。

かつて王都で「悪役令嬢」と「ヒロイン」として対立するはずだった二人は、ここ辺境の地で、最強の「上司と部下」、そして「同志」として手を組んだ。

そして、その中心にいる筋肉質な領主は、二人の有能な女性に振り回されながらも、まんざらでもない表情を浮かべていた。

「さて、休憩終了です。ミモザ、次は倉庫の在庫整理です。閣下は騎士団の装備点検へ」

「イエッサー!」

「はいはい、分かったよ」

ネリネの号令で、午後の業務が始まる。

廊下で聞き耳を立てていた騎士たちは、中から聞こえてくる楽しげな声を聞いて、顔を見合わせた。

「……どうやら、修羅場にはならなかったみたいだな」

「むしろ、最強の布陣が完成したんじゃねぇか?」

「北の辺境、これからもっと面白くなりそうだぜ」

彼らの予感は的中する。

この三人体制が確立されたことで、辺境の改革スピードはさらに加速し、やがて王都の経済すら脅かすほどの発展を遂げることになるのだが――それはまた、もう少し先の話である。
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