婚約破棄、取り消せませんわよ?

黒猫かの

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「聞け! 北の辺境に生きる、誇り高き生産者たちよ!」

ネリネの声が、澄み渡る青空の下に響き渡った。

広場の中央、即席の演台(木箱を積み重ねたもの)の上に立つ彼女は、扇子を高々と掲げ、集まった領民たちを見渡した。

その足元には、猿轡(さるぐつわ)を噛まされ、芋虫のように縛り上げられたギデオン王子が転がっている。

気絶から目覚めた王子は、モガモガと何かを喚いているが、誰にも聞き取れない。

「あ、あれが王子様か?」

「なんか……しょぼいな」

「俺たちの領主様にワンパンされてたぞ」

集まった数百人の領民たちは、ざわめきながらも、ネリネの言葉を待っていた。

彼らの目は、かつてのような「お上の顔色を伺う」怯えた目ではない。

この数ヶ月、ネリネと共に働き、稼ぎ、そして生活を向上させてきた「自信」に満ちた目だ。

ネリネは満足げに頷くと、演説(プレゼン)を開始した。

「諸君。本日、我々の平和な領地に、招かれざる客が来ました。彼らは『王家の権威』を振りかざし、私とシリウス閣下を連れ去ろうとしました」

ネリネは扇子で王子を指し示す。

「見てください。このきらびやかな衣装を。宝石で飾られたマントを。……これらは全て、国民の税金で購入されたものです」

領民たちが睨むような視線を王子に向ける。

「税金……俺たちが必死に納めた麦か」

「あの宝石一つで、俺たちの村が一年食えるぞ」

ネリネは続ける。

「王族は言います。『民を守るのが王の務めだ』と。ですが、現実はどうでしょう? 彼らは魔獣が出ても来ません。冬の寒さに薪を送ってもくれません。ただ、安全な王都で紅茶を啜り、私たちの成果(税)を搾取するだけです!」

「そうだそうだ!」

「その通りだ!」

「対して、ここにいるシリウス閣下はどうですか?」

ネリネが振り返ると、シリウスが腕組みをして立っている。

泥だらけの鎧、無精髭、そして無数の傷跡。

「閣下は、自ら剣を取り、最前線で魔獣と戦っています。泥にまみれ、血を流し、この地を守り抜いてきました。……どちらが『真の支配者(リーダー)』としてふさわしいか、計算するまでもありませんわね!」

「うおおおおッ!!」

「領主様万歳!!」

「シリウス様が一番だぁッ!!」

歓声が上がる。

シリウスは照れくさそうに鼻をこするが、その目は誇らしげだ。

ネリネは一呼吸置き、声を張り上げた。

「そして、私、ネリネ・フォン・ベルガモットは、今日ここに宣言します!」

会場が静まり返る。

「王子は言いました。『王都へ戻れ』と。『王子の飾り人形に戻れ』と。……ですが!」

ネリネはバサリと扇子を開いた。

「私は断固として拒否(却下)します!!」

「モガッ!?」

王子が目を見開く。

「私は知ってしまいました。王都の虚飾に満ちた生活よりも、この辺境での生活がいかに『合理的』で『生産的』であるかを!」

ネリネは領民たち一人一人の顔を見る。

「王都の貴族たちは、労働を『卑しい』と笑います。ですが、私はそうは思いません。汗を流して畑を耕すこと。危険を冒して狩りをすること。知恵を絞って商売をすること……それら全てが、価値を生み出す尊い行為です!」

彼女の言葉には、嘘偽りのない熱がこもっていた。

ただの悪役令嬢としての演技ではない。

これは、彼女自身がこの地で働き、実感した本音だった。

「私は選びます! 無能な王族の飾りになることよりも、この地で貴方たちと共に働き、共に稼ぎ、共に豊かになる未来を!」

「ネリネ様ぁぁぁッ!!」

ミモザが最前列で号泣しながらペンライト(魔石ランプ)を振っている。

「愛の告白いただきましたぁ! これぞ『国盗り』レベルのプロポーズです!」

領民たちのボルテージは最高潮に達した。

「俺たちもネリネ様についていくぞ!」

「王都なんか知らねぇ! ここは俺たちの国だ!」

「稼ぐぞー! 温泉掘るぞー!」

大歓声。

拍手喝采。

それは、辺境の人々が、王都への従属精神を捨て、自立心に目覚めた瞬間だった。

ネリネは優雅に一礼し、演台を降りた。

そして、シリウスの元へ歩み寄る。

「……どうです、閣下。これで領民の結束(エンゲージメント)は完璧です。王都がいかに圧力をかけてこようと、彼らはもう屈しませんわ」

「ああ……見事だ」

シリウスは感嘆の溜息をつく。

「お前、本当に扇動の才能があるな。革命家になれるぞ」

「革命? いいえ、これは『経営改革』です」

ネリネはすました顔で言う。

そこへ、騎士たちが猿轡を外された王子を引きずってきた。

「ぷはっ! はぁ、はぁ……!」

王子は息を吸い込むと、真っ赤な顔で叫んだ。

「き、貴様ら……! 正気か!? こんな演説、謀反だぞ! 国家反逆罪で全員死刑だ!」

「殿下」

ネリネは冷ややかに見下ろす。

「状況が見えていませんね。貴方は今、敵地のど真ん中で、支持率ゼロ%の政治家以下の存在です」

「なっ……」

「それに、反逆罪? 誰が証言するのですか? ここにいる全員が『王子は魔獣に襲われて行方不明になった』と証言したら、どうなります?」

ネリネの瞳が、ゾッとするほど冷たく光る。

「行方不明……?」

「ええ。この辺りは危険な魔獣が多いですからね。遺体が見つからないこともよくある話です」

シリウスが背後で、わざとらしく大剣をチャキッと鳴らした。

騎士たちも、ニヤニヤしながら拳を鳴らす。

「ひっ、ひぃぃッ!?」

王子は恐怖で縮み上がった。

本当に殺される。

この女は、やる時はやる女だ。

「じょ、冗談だろ……? ネリネ、僕たちは愛し合っていたじゃないか……」

「記憶の捏造はおやめください。愛していたのは貴方の『地位』だけです。それも今や暴落中ですが」

ネリネは容赦なく切り捨てる。

「ですが、殺すのは非効率です。死体処理のコストがかかりますし、王家との全面戦争になれば、我が領の経済活動が停滞します」

「そ、そうだろう!? なら解放しろ!」

「ですので、有効活用させていただきます」

「へ?」

ネリネはニッコリと、悪魔のような微笑みを浮かべた。

「ギデオン殿下。貴方には『人質』兼『労働力』として、しばらく滞在していただきます」

「ろ、労働……?」

「はい。まずはそのふやけた身体を叩き直すため、騎士団の新人研修(ブートキャンプ)に参加していただきます。メニューは『スクワット一万回』からスタートです」

「い、一万ッ!? 死ぬ! 僕は死んでしまう!」

「ご安心を。ポーション(回復薬)の在庫は潤沢です。死ぬ寸前で回復させれば、何度でもトレーニング可能です」

「悪魔だ……ここに悪魔がいる……!」

王子は涙と鼻水を流して絶望した。

「連れてお行きなさい。明日から早朝訓練です」

「イエッサー!」

騎士たちが王子を両脇から抱え上げ、連行していく。

「嫌だぁぁ! 帰してくれぇぇ! ママァァァッ!」

王子の情けない叫び声が遠ざかっていく。

広場の領民たちは、それを見て腹を抱えて笑った。

「あはは! ざまぁみろ!」

「いい気味だ!」

祭りの後のような高揚感が、広場を包んでいた。

シリウスは、肩の荷が下りたように息を吐き、ネリネを見た。

「……本当にお前は、とんでもないことを考えるな」

「最善手です。王子を生かしておけば、王家への交渉カードになります。殺せばただの敵ですが、生かして使えば資源です」

「資源、か……。あいつも可哀想にな」

シリウスは苦笑するが、その目にはネリネへの深い信頼と、そして愛おしさが浮かんでいた。

「だが、ありがとう。おかげで俺たちは守られた」

「お礼には及びません。これは私の居場所を守るための防衛策でもありますから」

ネリネは扇子で顔を仰ぐ。

「ふぅ……少し喋りすぎて喉が渇きました。閣下、お茶を淹れてくださらない?」

「お? 俺がか?」

「ええ。たまには部下(ミモザ)ではなく、パートナーの手で淹れたお茶が飲みたい気分ですの」

珍しく甘えるような口調。

シリウスは一瞬目を丸くした後、優しく微笑んだ。

「……分かった。とびきり美味いのを淹れてやる。茶葉の量は『適当(男の料理)』だがな」

「計量スプーンを使ってくださいね」

二人は並んで屋敷へと戻っていく。

その背中には、夕日が温かく降り注いでいた。

だが、物語はまだ終わらない。

王子を拘束したということは、王家に対する明確な宣戦布告に近い。

そして、あの王子が大人しくスクワットをするはずがない――。

ネリネの計算通りに行くか、それとも王子の「予想外の無能さ(バカ)」が新たな波乱を呼ぶか。

次なるトラブルの種は、すでに蒔かれていたのである。
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