婚約破棄、取り消せませんわよ?

黒猫かの

文字の大きさ
22 / 28

22

しおりを挟む
「目標、王都正門。これより『凱旋パレード(という名の殴り込み)』を開始します」

ネリネの号令とともに、北の辺境からやってきた一行は、王都の巨大な石造りの門をくぐった。

ただし、それは数ヶ月前に彼女が逃げるように去った時の、みすぼらしい辻馬車ではない。

先頭を行くのは、漆黒の毛並みが美しい六頭立ての馬車。

車体には、辺境伯家の紋章である「遠吠えする狼」と、ネリネが勝手にデザインした「算盤(そろばん)と扇子」のエンブレムが金箔で描かれている。

護衛には、ビシッと制服(ネリネ考案のスタイリッシュな軍服)を着こなした辺境騎士団の精鋭二十名。

その威圧感と華やかさに、道行く王都の民衆たちは足を止め、目を丸くして見守っていた。

「おい、あれはなんだ?」

「どこの国の王族だ?」

「見ろよ、あの紋章……『北の黒狼』シリウス辺境伯だぞ! あんな怖い人が王都に来るなんて!」

ざわめきが広がる中、馬車の窓が開いた。

そこから顔を出したのは、洗練されたドレスに身を包み、優雅に扇子を仰ぐネリネだ。

「……ふむ。注目度(インプレッション)は上々ですわね」

ネリネは沿道の人々に、まるで女王のような微笑みを向ける。

「私の失脚を噂していた暇人たちに、現実(データ)を突きつけてあげる良い機会です」

「おいネリネ。あまり身を乗り出すな。狙撃されるぞ」

隣に座るシリウスが、心配そうに彼女の肩を引き戻す。

今日の彼は、いつもの鎧姿ではない。

ネリネが王都の一流テーラー(を辺境に呼びつけて)仕立てさせた、深紅の裏地がついた黒のフロックコート姿だ。

鍛え上げられた肉体がスーツの上からでも分かり、その野性味あふれる色気は、王都のひ弱な貴族男性とは一線を画していた。

「キャーッ! 何あの方、素敵!」

「ワイルドだわ! 抱かれたい!」

沿道の女性たちから黄色い悲鳴が上がる。

「……落ち着きなさい、閣下。貴方は今、この国の『ベスト・オブ・イケメン(未発掘)』として市場価値が急上昇中です。堂々としていてください」

「イケメン……? 俺がか? 熊殺しだぞ?」

「『野獣系』というジャンルには一定の需要があります。ニッチな層を独占できますわ」

ネリネは満足げに頷く。

馬車の後方には、もう一台、荷物用の馬車が続いている。

そこには、大量のお土産(北の乙女クリーム、魔獣の毛皮など)と共に、一人の男が体育座りで乗せられていた。

ギデオン王子である。

「……ドナドナ……ド~ナ~……ド~ナ~……」

彼は虚ろな目で歌を口ずさんでいる。

服装は質素な召使いの服。

だが、その体つきは以前とは別人だった。

スクワット一万回と畑仕事で培われた筋肉が服の下で躍動し、顔つきも精悍(やつれているとも言う)になっている。

「ギデオン様、姿勢が悪いです! 荷物が崩れますよ!」

同じ馬車に乗るミモザが、ビシッと注意する。

「は、はい! すみませんミモザ教官!」

王子は反射的に背筋を伸ばした。

完全に調教済みである。

「……素晴らしい。あのバカ王子が、荷物持ちとして機能しています」

ネリネはバックミラー(魔道具)でその様子を確認し、ニヤリとした。

「さて、まずは『ゴミ掃除』から始めましょうか」

「ゴミ掃除? 王城へ行くんじゃないのか?」

「王城への挨拶は後です。先に、私の『実家』との清算を済ませねばなりません」

ネリネの瞳が、冷徹な光を帯びる。

「私の私室に残してきた私物や、母の形見……そして、まだ回収しきれていない『慰謝料の残り』を徴収しに行きます」

***

ベルガモット公爵邸。

かつてネリネが暮らしていたその屋敷は、主人の放漫財政により、どこか薄汚れていた。

「へ、陛下への言い訳はどうすれば……。いや、それより借金取りが……」

ネリネの父、公爵は応接室で頭を抱えていた。

娘が家出し、王子との婚約が破棄され、彼の立場は危うくなっていたのだ。

そこへ、執事が顔面蒼白で飛び込んできた。

「だ、旦那様! 大変です! お嬢様が……ネリネ様が戻られました!」

「なに!? 帰ってきたか! あの親不孝娘め!」

公爵はガバッと立ち上がった。

「しめしめ、金が尽きて泣きついてきたか。これでまた王家にコネができる!」

彼は意気揚々と玄関へ向かった。

「おいネリネ! よく戻ったな! さあ、土下座して謝れ! そうすれば許して……ひぃっ!?」

公爵の言葉は、悲鳴に変わった。

玄関ホールに立っていたのは、泣きじゃくる娘ではなかった。

最高級のドレスを纏い、背後に「漆黒の魔王」のような大男(シリウス)を従えた、完全無欠の支配者(ネリネ)だった。

「ごきげんよう、お父様。相変わらず血色がよろしいですね。高血圧のリスクが高まっていますので、塩分を控えた方がよろしくてよ?」

「き、貴様……その男はなんだ!?」

公爵がシリウスを指差して震える。

シリウスは無言で公爵を見下ろした。

身長差三十センチ。

さらに「熊を素手で殺すオーラ」が漏れ出ている。

「……チッ」

シリウスが小さく舌打ちしただけで、公爵は腰を抜かして尻餅をついた。

「ひぃぃッ! 殺されるぅ!」

「失礼な。彼は私の婚約者、シリウス・グラン辺境伯です。お父様より三倍は高潔で、十倍は稼ぐ男です」

ネリネは公爵の前に立ち、一枚の書類を突きつけた。

「さて、本日は『絶縁状』の正式手続きに参りました」

「ぜ、絶縁……?」

「ええ。以前、金貨三万枚と引き換えに縁を切りましたが、法的な手続きがまだでしたので。ここに署名捺印をお願いします」

「ば、バカを言うな! お前は公爵家の娘だぞ! 政略結婚の駒としてまだ使える……」

「却下します」

ネリネは扇子で公爵の頭をパシッと叩いた。

「私の価値(バリュエーション)を決めるのは私です。不良債権(お父様)にこれ以上投資するつもりはありません」

「ぐぬぬ……」

「それに、署名を渋るなら……」

ネリネは指を鳴らす。

「ミモザ、例のブツを」

「はいっ!」

後ろからミモザが現れ、分厚いファイルを机に置いた。

「これはお父様が過去五年間にわたり、領地の橋の建設予算を横領して愛人に貢いだ証拠書類一式です。これを監査局に提出しても?」

「ぎゃあぁぁぁッ!! やめろ! それだけは!」

「では、サインを」

「します! しますぅぅ!」

公爵は涙目で絶縁状にサインをした。

ネリネはそれを確認し、満足げに懐にしまう。

「契約成立です。これで私は晴れて自由の身、公爵家とは赤の他人です」

そして、シリウスの方を向いてニッコリと笑った。

「お待たせしました、あなた。これで何の憂いもなく、グラン家に入れますわ」

「……お前、本当に容赦ねぇな」

シリウスは苦笑しながら、ネリネの腰に手を回した。

「だが、清々しい。行くぞ、ネリネ」

「ええ」

二人は公爵をゴミのように放置し、屋敷を出て行く。

公爵は呆然とその後ろ姿を見送るしかなかった。

「……なんなんだ、あいつは。本当に私の娘か……?」

屋敷を出たネリネは、王都の空を見上げた。

「第一段階(フェーズ1)完了。次は王城です」

「ああ。国王陛下への挨拶と……いよいよ、あの『婚約発表』だな」

「ええ。明晩の夜会。そこで私たちが主役として躍り出るのです」

ネリネは不敵に笑う。

「王都の貴族たちに、格の違い(スペック差)を見せつけて差し上げましょう。……さあ、戦闘準備(ドレスアップ)ですわよ!」

彼女の瞳は、社交界という戦場を見据えて爛々と輝いていた。

一方、荷物持ちのギデオン王子は、馬車の陰で呟いていた。

「……ねえ、僕の実家(王城)に行くんだよね? やっと帰れるんだよね? ……え、僕だけ使用人枠で入城? 嘘でしょ?」

彼の受難は、まだまだ続くようである。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

旦那様。私が悪女ならば、愛人の女は何になるのかしら?

白雲八鈴
恋愛
 我が公爵家主催の夜会の最中。夫が愛人を連れてやってきたのです。そして、私を悪女という理由で離縁を突きつけてきました。  離縁して欲しいというのであれば、今まで支援してきた金額を全額返済していただけません?  あら?愛人の貴女が支払ってくれると?お優しいわね。  私が悪女というのであれば、妻のいる夫の愛人に収まっている貴女は何なのかしら?

白い結婚を終えて自由に生きてまいります

なか
恋愛
––アロルド、私は貴方が結婚初日に告げた言葉を今でも覚えている。  忘れもしない、あの時貴方は確かにこう言った。  「初めに言っておく、俺達の婚姻関係は白い結婚として……この関係は三年間のみとする」 「白い結婚ですか?」 「実は俺には……他に愛する女性がいる」   それは「公爵家の令嬢との問題」を理由に、三年間だけの白い結婚を強いるもの。 私の意思を無視して三家が取り決めたものであったが、私は冷静に合意を決めた ――それは自由を得るため、そして『私自身の秘密を隠すため』の計算でもあった。 ところが、三年の終わりが近づいたとき、アロルドは突然告白する。「この三年間で君しか見えなくなった。白い結婚の約束をなかったことにしてくれ」と。 「セシーリア、頼む……どうか、どうか白い結婚の合意を無かった事にしてくれ」 アロルド、貴方は何を言い出すの? なにを言っているか、分かっているの? 「俺には君しかいないと、この三年間で分かったんだ」 私の答えは決まっていた。 受け入れられるはずがない。  自由のため、私の秘密を守るため、貴方の戯言に付き合う気はなかった。    ◇◇◇ 設定はゆるめです。 とても強い主人公が自由に暮らすお話となります。 もしよろしければ、読んでくださると嬉しいです!

ジェリー・ベケットは愛を信じられない

砂臥 環
恋愛
ベケット子爵家の娘ジェリーは、父が再婚してから離れに追いやられた。 母をとても愛し大切にしていた父の裏切りを知り、ジェリーは愛を信じられなくなっていた。 それを察し、まだ子供ながらに『君を守る』と誓い、『信じてほしい』と様々な努力してくれた婚約者モーガンも、学園に入ると段々とジェリーを避けらるようになっていく。 しかも、義妹マドリンが入学すると彼女と仲良くするようになってしまった。 だが、一番辛い時に支え、努力してくれる彼を信じようと決めたジェリーは、なにも言えず、なにも聞けずにいた。 学園でジェリーは優秀だったが『氷の姫君』というふたつ名を付けられる程、他人と一線を引いており、誰にも悩みは吐露できなかった。 そんな時、仕事上のパートナーを探す男子生徒、ウォーレンと親しくなる。 ※世界観はゆるゆる ※ざまぁはちょっぴり ※他サイトにも掲載

逆行した悪女は婚約破棄を待ち望む~他の令嬢に夢中だったはずの婚約者の距離感がおかしいのですか!?

魚谷
恋愛
目が覚めると公爵令嬢オリヴィエは学生時代に逆行していた。 彼女は婚約者である王太子カリストに近づく伯爵令嬢ミリエルを妬み、毒殺を図るも失敗。 国外追放の系に処された。 そこで老商人に拾われ、世界中を見て回り、いかにそれまで自分の世界が狭かったのかを痛感する。 新しい人生がこのまま謳歌しようと思いきや、偶然滞在していた某国の動乱に巻き込まれて命を落としてしまう。 しかし次の瞬間、まるで夢から目覚めるように、オリヴィエは5年前──ミリエルの毒殺を図った学生時代まで時を遡っていた。 夢ではないことを確信したオリヴィエはやり直しを決意する。 ミリエルはもちろん、王太子カリストとも距離を取り、静かに生きる。 そして学校を卒業したら大陸中を巡る! そう胸に誓ったのも束の間、次々と押し寄せる問題に回帰前に習得した知識で対応していたら、 鬼のように恐ろしかったはずの王妃に気に入られ、回帰前はオリヴィエを疎ましく思っていたはずのカリストが少しずつ距離をつめてきて……? 「君を愛している」 一体なにがどうなってるの!?

《完結》悪女と噂されたわたくしのざまぁ

ヴァンドール
恋愛
悪女と噂のわたくしとの結婚なら、どれほど軽んじても問題はないと思っていた旦那様。 ところが……。

愛のゆくえ【完結】

春の小径
恋愛
私、あなたが好きでした ですが、告白した私にあなたは言いました 「妹にしか思えない」 私は幼馴染みと婚約しました それなのに、あなたはなぜ今になって私にプロポーズするのですか? ☆12時30分より1時間更新 (6月1日0時30分 完結) こう言う話はサクッと完結してから読みたいですよね? ……違う? とりあえず13日後ではなく13時間で完結させてみました。 他社でも公開

【完結】不貞された私を責めるこの国はおかしい

春風由実
恋愛
婚約者が不貞をしたあげく、婚約破棄だと言ってきた。 そんな私がどうして議会に呼び出され糾弾される側なのでしょうか? 婚約者が不貞をしたのは私のせいで、 婚約破棄を命じられたのも私のせいですって? うふふ。面白いことを仰いますわね。 ※最終話まで毎日一話更新予定です。→3/27完結しました。 ※カクヨムにも投稿しています。

可愛らしい人

はるきりょう
恋愛
「でも、ライアン様には、エレナ様がいらっしゃるのでは?」 「ああ、エレナね。よく勘違いされるんだけど、エレナとは婚約者でも何でもないんだ。ただの幼馴染み」 「それにあいつはひとりで生きていけるから」 女性ながらに剣術を学ぶエレナは可愛げがないという理由で、ほとんど婚約者同然の幼馴染から捨てられる。 けれど、 「エレナ嬢」 「なんでしょうか?」 「今日の夜会のパートナーはお決まりですか?」  その言葉でパートナー同伴の夜会に招待されていたことを思い出した。いつものとおりライアンと一緒に行くと思っていたので参加の返事を出していたのだ。 「……いいえ」  当日の欠席は著しく評価を下げる。今後、家庭教師として仕事をしていきたいと考えるのであれば、父親か兄に頼んででも行った方がいいだろう。 「よければ僕と一緒に行きませんか?」

処理中です...