婚約破棄、取り消せませんわよ?

黒猫かの

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王立学園の大講堂兼、舞踏会場。

そこは、数ヶ月前にネリネがギデオン王子から婚約破棄を突きつけられ、悪役令嬢として断罪された因縁の場所だ。

今宵、ここで国王主催の特別夜会が開かれていた。

「ねえ、聞いた? 今日、あのネリネ様がいらっしゃるそうよ」

「まあ。辺境に追放されたという噂の? きっとボロボロの姿で泣きついてくるのでしょうね」

「野蛮な辺境伯に嫁がされたとか……可哀想に。お恵みでも用意しておきましょうか」

着飾った貴族たちは、扇子で口元を隠しながら嘲笑混じりの噂話をしていた。

彼らにとって、王都から落ちぶれた令嬢を見ることは、最高の娯楽(エンタメ)なのだ。

ザワザワ……。

その時、会場の入り口で衛兵が大声を張り上げた。

「北の辺境伯、シリウス・グラン閣下! ならびに……ネリネ・グラン辺境伯夫人、ご入場!!」

重厚な扉が、ゆっくりと開かれる。

会場中の視線が一点に集中した。

「さあ、どんな惨めな姿を……」

嘲笑を浮かべていた貴族たちの表情が、一瞬にして凍りついた。

そこに現れたのは、誰も見たことがないほど圧倒的な「美」と「覇気」を纏った二人だったからだ。

「……ごきげんよう、皆様」

ネリネの声が、鈴を転がすように響く。

彼女が身に纏っているのは、北の幻獣『スター・シルクワーム』の糸で織られた、夜空のように輝くミッドナイトブルーのドレス。

その首元には、王都の宝石店にも並ばないような大粒のダイヤモンド(実は鉱山から掘り出した原石をネリネが計算カットしたもの)が煌めいている。

そして、その隣。

「……おい、あれが『北の黒狼』か?」

「なんて……なんて男らしいんだ……」

令嬢たちが頬を染めてため息をつく。

シリウスは、仕立ての良い漆黒の燕尾服を着こなし、その鍛え抜かれた肉体美を惜しげもなく披露していた。

野性味あふれる鋭い眼光と、洗練された正装のギャップ。

まさに「美女と野獣」の最高峰がそこにあった。

「し、信じられない……あんな高価なドレス、見たことがないわ」

「あの毛皮のショール、市場価格でいくらになるの?」

貴族たちのヒソヒソ話の内容が、「嘲笑」から「嫉妬」と「驚愕」へと変わっていく。

ネリネはシリウスの腕に手を添え、優雅に会場の中央へと進んだ。

かつて断罪されたその場所へ、今度は主役として。

「シリウス様、背筋を伸ばして。視線は常に水平に。貴方は今、この会場で最も市場価値の高い(ハイスペックな)男性です」

「……緊張する。魔獣の群れに囲まれた方がマシだ」

シリウスが小声でボヤくが、その表情は崩さない。

そこへ、意地悪そうな顔をした伯爵夫人が近づいてきた。

かつてネリネをライバル視していた派閥のボスだ。

「あらあら、ネリネ様。お久しぶりですわね。田舎暮らしで肌が荒れたのではなくて? 北の風は冷たいでしょうに」

夫人は勝ち誇ったようにネリネを見下ろす(つもりだったが、ネリネの肌の輝きに圧倒されて言葉が詰まる)。

ネリネはニッコリと微笑んだ。

「ご心配には及びませんわ、夫人。見ての通り、私の肌は以前より潤っておりますの」

「な、なんですって?」

「北の特産品『乙女クリーム』のおかげですわ。天然の美容成分が、肌のターンオーバーを促進します。……あら、夫人の目尻の小皺(こじわ)、少し深くなりました? 乾燥は大敵ですわよ?」

「き、キーッ! 失礼な!」

夫人が顔を真っ赤にする。

「それに、田舎暮らしと仰いますが……我が領の経済成長率は、王都の三倍です。空気は清浄、食材は新鮮、そしてストレスフリー。……どちらが『豊かな暮らし』か、貸借対照表(バランスシート)を見るまでもありませんわね」

ネリネは扇子で口元を隠し、冷ややかに言い放つ。

「私から見れば、この王都の空気は少し……淀んで感じられますわ」

「ぐぬぬ……!」

夫人は言葉を失い、すごすごと退散した。

周囲の貴族たちも、ネリネの気迫に押され、誰も悪口を言えなくなる。

「……強いな、お前は」

シリウスが感心したように呟く。

「当然です。ここは戦場(マーケット)ですもの。舐められたら商談に響きます」

その時、オーケストラがワルツの調べを奏で始めた。

「さあ、閣下。ダンスのお時間です」

「おい、王都のダンスなんて忘れたぞ。またステップを踏み間違えるかもしれん」

「構いません。私がリード(計算)します。貴方はただ、私を支えてくださればいいのです」

ネリネはシリウスの手を取り、ダンスフロアの中央へ。

二人が組み合うと、スポットライトが自然と集まった。

音楽に合わせて、優雅に、そして力強く舞う。

「イチ、ニ、サン……角度よし、回転速度よし」

ネリネの完璧なステップと、シリウスの驚異的な身体能力が融合する。

王都の軟弱な貴族たちのダンスとは違う、躍動感あふれる舞踏。

シリウスがネリネを軽々とリフトする。

ふわりと宙を舞うネリネのドレスが、花のように開いた。

「おお……!」

会場から感嘆の声が漏れる。

「見て、あのお二人……本当にお似合いだわ」

「愛し合っているのが伝わってくる……」

誰の目にも明らかだった。

かつて「氷の悪役令嬢」と呼ばれたネリネが、今はこんなにも温かく、幸せそうな顔をしていることが。

曲が終わり、シリウスがネリネを抱き止める。

「……悪くなかったな」

「ええ。カロリー消費も適度でした」

二人は見つめ合い、微笑む。

拍手喝采。

かつて罵声を浴びせられたこの場所で、ネリネはついに完全なる勝利(リベンジ)を果たしたのだ。

その時。

人混みをかき分けて、トレイを持った一人のウェイターが近づいてきた。

「……お飲み物はいかがでしょうか、グラン閣下、奥様」

深々と頭を下げる、その姿勢の良さ。

そして、鍛え上げられた大胸筋がウェイター服をパツパツに張り詰めさせている。

「あら」

ネリネが振り返る。

そこにいたのは、ギデオン王子――いや、今は『使用人見習い・ギデオン』だった。

「水をお願いするわ。常温で」

「かしこまりました」

ギデオンは無駄のない動きで水を注ぎ、差し出した。

かつてのように「僕の靴下は?」などと甘えた顔はしていない。

その目には、労働者の誇り(と、ネリネへの絶対服従の精神)が宿っていた。

「……成長しましたね、殿下」

ネリネが小声で囁く。

「以前の貴方より、今の貴方の方が……生産性が高くて素敵ですわよ」

ギデオンは一瞬ビクリとしたが、すぐにフッと自嘲気味に笑った。

「……光栄です、教官(ボス)。チップは弾んでくださいよ」

「検討します」

ネリネは水を受け取り、シリウスと乾杯した。

ざわめく会場の片隅で、国王陛下がその様子を見て、満足げにワインを干していた。

「うむ。これで国も安泰じゃな」

夜会は続く。

だが、もはや誰もネリネを「可哀想な令嬢」とは呼ばなかった。

彼女は、自分の力で運命を切り開き、最高のパートナーと最強の居場所を手に入れた「北の女帝」として、人々の記憶に刻まれたのである。

「さて、閣下。ダンスの次は営業(セールス)です。あちらの公爵夫人にクリームを売り込みに行きますわよ」

「……お前、本当にブレないな」

「時は金なり、ですわ!」

ネリネはシリウスの手を引き、次なる戦場(商談)へと向かっていく。

その背中は、どんな宝石よりも輝いていた。

(こうして、私の王都への『挨拶』は完了しました。……ですが、物語にはまだ『エピローグ』が必要ですわね)

ネリネはチラリとギデオンを見る。

彼にはまだ、最後の大仕事――「廃嫡手続き」と「新しい生き方の選択」が残されているのだから。
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