婚約破棄、取り消せませんわよ?

黒猫かの

文字の大きさ
24 / 28

24

「元第二王子ギデオン。前へ」

翌日、王城の「審判の間」。

重苦しい空気の中、国王の声が響いた。

玉座に座る国王の前に、一人の男が立っている。

かつてのギデオン王子だ。

だが、その姿は王族の装束ではない。

飾り気のない麻の服に、短く刈り込んだ髪(アフロになった焦げた部分を切り落としたため)。

そして何より、猫背でヒョロヒョロだった以前とは違い、背筋が槍のように伸び、太ももはスクワット一万回の成果でパンパンに張り詰めている。

「……はっ」

ギデオンは短く答え、一礼した。

その動作のキレの良さに、並び立つ大臣たちが「おお……」とどよめく。

ネリネとシリウス、そしてミモザは、証人席からその様子を見守っていた。

「ギデオンよ。そなたの罪は重い。国宝『紅蓮の魔石』の無断持ち出し、および破損。さらに、辺境伯領への不当な侵略行為……。これらは国家反逆罪に相当する」

国王は沈痛な面持ちで告げる。

「よって、本日をもってそなたの王位継承権を剥奪し、王籍から除名とする。……異存はあるか?」

通常なら、ここで泣き叫んで命乞いをする場面だ。

「パパ、嘘だろ!?」「僕は悪くない!」と。

だが、新生ギデオンは違った。

彼は真っ直ぐに国王を見据え、ハキハキと答えた。

「異存ありません! 私の犯した愚行(ミス)、弁明の余地もありません。全ての責任は、無能な現場指揮官であった私にあります!」

「現場指揮官……?」

国王が首を傾げるが、ギデオンは続ける。

「辺境での『研修』を経て、私は痛感しました。汗を流さずして得られるパンなどないこと。そして、自分で靴下も探せない人間に、国など守れるはずがないことを!」

ギデオンの目から、一筋の涙が流れる。

それは悔し涙ではなく、自分の弱さを認めた男の清々しい涙だった。

「父上……いえ、陛下。今までご迷惑をおかけしました。この処分、甘んじて受け入れます」

シーン……。

広間に静寂が落ちる。

あのアホ王子が、まともなことを言っている。

ネリネは扇子で口元を隠し、シリウスに耳打ちした。

「……予想以上の成長率(グロース)ですわ。やはり『筋肉』は嘘をつきませんね」

「お前の教育、スパルタすぎたんじゃないか?」

国王は咳払いをして、涙を誤魔化した。

「う、うむ……。殊勝な心がけだ。では、追放後の身の振り方だが……北の修道院へ入るが良い。そこで一生、祈りを捧げて暮らすのだ」

これは国王なりの温情だった。

衣食住は保証され、静かに余生を送れる道だ。

しかし。

「お断りします!!」

ギデオンが大声で却下した。

「な、なんだと? 不満か?」

「不満です! 祈っているだけで飯が食えるなど、生産性が低すぎます! 私は働きたいのです!」

ギデオンは握り拳を作った。

「私の体には今、ネリネ教官に叩き込まれた『労働への渇望』が渦巻いています! じっとしているとスクワットをしたくて体が疼くのです! どうか、私に仕事を! 肉体を酷使するブラックな職場を与えてください!」

「……狂ったか」

大臣たちがヒソヒソと囁く。

ネリネはスッと立ち上がった。

「陛下。彼がそう望むのであれば、適切な再就職先を斡旋いたします」

「ネリネ、当てがあるのか?」

「ええ。王都の下町にある大衆食堂『満腹亭』。あそこの店主が『皿洗いのバイトが逃げて困っている』と言っていました。体力と根性があり、かつ低賃金で働く人材を求めています」

「おお! 素晴らしい!」

ギデオンが目を輝かせる。

「皿洗い! なんて魅力的な響きだ! 汚れを落とし、次なる料理のために皿を再生させる……まさに循環(サイクル)の番人!」

国王は頭を抱えた。

王族が皿洗い。前代未聞だ。

だが、息子の目がこれほど生き生きとしているのを見るのは初めてだった。

「……好きにせよ。ただし、二度と王城の敷居は跨ぐなよ」

「はい! 今までお世話になりました!」

ギデオンは深々と頭を下げ、そしてネリネの方を向いた。

「ネリネ……いや、グラン夫人。君には感謝してもしきれない。君が僕を捨ててくれなかったら、僕は一生、靴下の場所も分からないゴミのままだった」

「ゴミではありません。リサイクル可能な資源です」

ネリネは淡々と訂正する。

「その筋肉を維持し、社会の歯車として貢献なさい。それが貴方に課せられた、終身刑(ライフワーク)です」

「イエッサー! 教官!」

ギデオンはビシッと敬礼し、晴れやかな顔で審判の間を去っていった。

その背中は、王族の豪華なマントを羽織っていた頃よりも、ずっと大きく、頼もしく見えた。

***

数日後。

王都の下町、活気あふれる大衆食堂『満腹亭』。

昼時ともなれば、肉体労働者や商人たちでごった返す戦場のような店だ。

「おい新入り! A定食三つ! あとビール追加!」

「はいよぉぉッ! A定食三丁! ビールは冷え冷えで直ちに提供します!」

厨房の奥から、元気の良い声が響いてくる。

頭に手ぬぐいを巻き、前掛けをしたギデオン――今はただの「ギル」と呼ばれている男だ。

彼は山のような皿を、驚異的なスピードで洗っていた。

「ふんッ! ふんッ! この皿の油汚れ……洗剤の希釈率は一〇倍が最適解!」

ネリネ仕込みの効率化理論が、なぜか皿洗いに応用されている。

そこへ、店の入り口から「カランカラン」とベルが鳴った。

「いらっしゃいませぇぇッ!」

ギルが顔を上げると、そこには見覚えのある栗色の髪の少女が立っていた。

「……よう、働いてる?」

ミモザだ。

彼女は辺境へ帰る前に、少しだけ様子を見に来たのだ。

「ミ、ミモザ……様」

ギルは慌てて泡だらけの手を拭く。

「様なんていらないわよ。アンタ、もう平民なんだから」

ミモザはカウンター席に座り、メニューを広げた。

「一番高いやつ、ちょうだい。特上ステーキ定食」

「……へい。金はあるんだろうな?」

「失礼ね! ネリネ様からボーナスもらったばかりよ!」

ミモザはニッと笑い、厨房の中で汗を流す元婚約者を見た。

「……似合ってるじゃない、その格好」

「そうか? ……まあ、悪くない気分だ」

ギルは照れくさそうに鼻の下を擦る。

「ここでは誰も僕を王子とは呼ばない。皿を割れば殴られるし、注文を間違えれば怒鳴られる。……でも、客が『美味い』って言って笑ってくれると、なんかこう……胸が熱くなるんだ」

「ふーん。ま、人間らしくなったってことね」

ミモザは頬杖をつく。

かつて、この男に人生を狂わされかけた。

恨みがないわけではない。

でも、今の彼を見ていると、毒気が抜けていくのを感じた。

「頑張りなさいよ。ネリネ様も気にしてたわよ。『彼が潰れたら、私の教育プログラムに傷がつく』って」

「ははっ、厳しいなぁあいつは」

ステーキが運ばれてくる。

ギルが運んできたそれは、少し肉汁が皿の縁に飛んでいたが、熱々で美味しそうだった。

「はい、お待たせ」

「……ありがと」

ミモザは一口食べ、呟いた。

「……アンタが運んできたのに、イラっとしないなんて。奇跡ね」

「うるさいな。食ったらとっとと帰れ。回転率が下がる」

「言うようになったじゃない」

二人は笑い合った。

恋人には戻れない。

友人というのも少し違う。

だが、同じ「ネリネ被害者の会」出身の戦友として、不思議な絆が生まれていた。

「じゃあね、ギル。達者で」

「ああ。お前もな。……ネリネによろしく伝えてくれ」

「分かったわ」

ミモザは代金(チップ多め)を置き、店を出た。

ギルはそれをポケットにねじ込み、再び厨房へと叫んだ。

「っしゃあぁ! 洗い物再開だ! スクワットしながら洗うぞ!」

「店が揺れるからやめろ新入り!」

店主の怒鳴り声と、ギルの笑い声が下町に溶けていく。

***

その頃。

王都を出発する豪華な馬車の中で、ネリネは手帳に一本の線を引いていた。

『案件:元婚約者の再就職支援 → 完了(コンプリート)』

「……ふふっ」

「どうした、ネリネ。何かいいことでもあったか?」

隣でシリウスが不思議そうに聞く。

ネリネは窓の外、遠ざかる王都の街並みを眺めながら答えた。

「いいえ。ただ、不良債権だと思っていた株が、意外と優良な『底値株』だったかもしれないと思いまして」

「株? よく分からんが、お前が楽しそうならそれでいい」

シリウスは優しくネリネの肩を抱く。

「さあ、帰ろうか。俺たちの家に」

「ええ。帰りましょう」

ネリネはシリウスの胸に頭を預けた。

王都での騒動はこれにて閉幕。

元悪役令嬢と元王子、それぞれの新しい人生が、ここからまた動き出す。

だが、ネリネにはまだ休む暇はない。

北の辺境には、さらなるビジネスチャンス(とトラブル)が待っているのだから。

「閣下。帰ったら早速、温泉リゾート計画の第二期工事に着手しますわよ」

「……少しは休ませてくれ」

「却下します。幸せになるのに、休み時間はありませんわ!」

馬車は北へ。

二人の愛と野望を乗せて、力強く走り去っていった。

感想 0

あなたにおすすめの小説

刺繍妻

拓海のり
恋愛
男爵令嬢メアリーは魔力も無くて、十五歳で寄り親の侯爵家に侍女見習いとして奉公に上がった。二十歳まで務めた後、同じ寄り子の子爵家に嫁に行ったが。九千字ぐらいのお話です。

すみっこ婚約破棄同盟〜王子様による婚約破棄のすみっこで〜

まりー
恋愛
   ある夜会で王子とその側近達の婚約破棄が行われた。腕に恋人をぶら下げて。所謂、王道断罪劇である。  でもこのお話の主役は麗しのヒロインでも、キラキラ王子でも、学園一の秀才や騎士団期待のホープでもない。これは王道のすみっこで行われた、弱小貴族と商人の子息たちの婚約破棄のお話である。 _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ 「もう俺ら、恋なんてしない!」と言う小学生の息子の話を参考に書きました。登場人物の男子たちの頭は小学生レベルだと思って読んでください。    

真実の愛は水晶の中に

立木
恋愛
学園の卒業を祝うパーティーの最中、レイシア・マレーニ侯爵令嬢は第三王子とピンク髪の女、その取り巻きたちによって断罪されようとしていた。 しかし断罪劇は思わぬ方向へ進んでいく。 ※「なろう」にも重複投稿しています。

あなたが決めたことよ

アーエル
恋愛
その日は私の誕生日パーティーの三日前のことでした。 前触れもなく「婚約の話は無かったことにしよう」と言われたのです。 ‪✰他社でも公開

「退屈な女だ」と婚約破棄されたので去りましたが、翌日から国政が止まったそうです。え、私はもう存じませんけど?

にたまご
恋愛
公爵令嬢クラーラは、ユリウス王太子殿下に婚約を破棄された。 「退屈な女だ」「何の取り柄もない」と。 否定はしない。 けれど殿下が知らないだけで、通商条約も予算案も外交書簡も、この国の政務の大半を六年間匿名で回していたのは──この「退屈な女」だ。 婚約破棄の翌朝、宰相補佐官のレオンが焼き菓子と四十二件の緊急報告を携えて公爵邸を訪れる。 「貴女がいなくなった王宮は、控えめに申し上げて、地獄です」 ──存じません。私はもう、ただの無職ですので。

沈黙の指輪 ―公爵令嬢の恋慕―

柴田はつみ
恋愛
公爵家の令嬢シャルロッテは、政略結婚で財閥御曹司カリウスと結ばれた。 最初は形式だけの結婚だったが、優しく包み込むような夫の愛情に、彼女の心は次第に解けていく。 しかし、蜜月のあと訪れたのは小さな誤解の連鎖だった。 カリウスの秘書との噂、消えた指輪、隠された手紙――そして「君を幸せにできない」という冷たい言葉。 離婚届の上に、涙が落ちる。 それでもシャルロッテは信じたい。 あの日、薔薇の庭で誓った“永遠”を。 すれ違いと沈黙の夜を越えて、二人の愛はもう一度咲くのだろうか。

愛とオルゴール

夜宮
恋愛
 ジェシカは怒っていた。  父親が、同腹の弟ではなく妾の子を跡継ぎにしようとしていることを知ったからだ。  それに、ジェシカの恋人に横恋慕する伯爵令嬢が現れて……。  絡み合った過去と現在。  ジェシカは無事、弟を跡継ぎの座につけ、愛する人との未来を手にすることができるのだろうか。

悪意には悪意で

12時のトキノカネ
恋愛
私の不幸はあの女の所為?今まで穏やかだった日常。それを壊す自称ヒロイン女。そしてそのいかれた女に悪役令嬢に指定されたミリ。ありがちな悪役令嬢ものです。 私を悪意を持って貶めようとするならば、私もあなたに同じ悪意を向けましょう。 ぶち切れ気味の公爵令嬢の一幕です。