え、追放してくれるんですか?じゃあ退職金代わりにその冷徹宰相をください

黒猫かの

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「……再就職、だと?」

さすがの氷の宰相も、予想外の申し出に目を丸くした。

眼鏡の奥で、アイスブルーの瞳がわずかに揺れる。

無理もない。

婚約破棄された直後の令嬢が、泣き崩れるどころか、その叔父である宰相に「雇ってくれ」と直談判しているのだから。

しかし、私は本気だった。

実家に帰れば「王家に泥を塗った」と父に叱責され、適当な年寄りの後妻に押し込まれるのがオチだ。

それならば、自らの能力を高く評価してくれる(そして給料が良い)場所に身を置くのが合理的判断というもの。

「はい、再就職です。私の事務処理能力はご存知のはず。王子の尻拭いで鍛え上げられたこのスキル、宰相閣下の激務の一助になるかと」

私は畳み掛ける。

ここは就職面接だ。

アピールは迅速かつ的確に行わなければならない。

「給与は相場で構いません。ただし、福利厚生と有給休暇は必須でお願いします。特に睡眠時間の確保については譲れません」

「……ふむ」

アイザック宰相が顎に手を当て、値踏みするように私を見る。

その視線は冷ややかだが、嫌悪感はない。

むしろ、珍しい実験動物を見るような学術的な興味を感じる。

「面白い。確かに、君の処理能力の高さは報告書で見て知って……」

「待ってください、叔父上!」

いいところで邪魔が入った。

クラーク王子が、ミルキー男爵令嬢の手を引いて駆け寄ってきたのだ。

息を切らしながら、私とアイザックの間に割って入る。

「騙されてはいけません! こいつは……ナギーは、とんでもない悪女なんですよ!」

王子が私を指差して叫ぶ。

アイザック宰相が不愉快そうに眉を寄せた。

「クラーク。指を差すな、行儀が悪い。……それで、悪女とはどういうことだ?」

「こいつは、僕の愛するミルキーを何度もいじめてきたんです! 陰湿な嫌がらせの数々……僕はもう我慢できない!」

ミルキー嬢が王子の背中から顔を出し、またもやウルウルとした瞳で訴えかけてくる。

「そうなんですぅ……ナギーお姉様、いつも怖くて……。私、何もしてないのにぃ」

彼女が嘘泣きを始めると、周囲の貴族たちが「ああ、やっぱり」「可哀想に」とヒソヒソ話し始めた。

アイザック宰相がチラリと私を見る。

「……だ、そうだ。弁明はあるか?」

私はため息をつきたくなるのを堪え、姿勢を正した。

「弁明? いいえ、必要ありません」

「認めるのか?」

「いいえ。事実誤認も甚だしいからです。殿下、具体的になにを私がしたと仰るのですか?」

私が問い返すと、王子は勝ち誇ったように鼻を鳴らした。

「ふん、とぼけても無駄だぞ! 先週のことだ。お前はミルキーのドレスを、ハサミで切り裂いたそうじゃないか!」

会場から「なんと非道な」という悲鳴が上がる。

ドレスを切り裂く。

確かに、貴族令嬢に対する嫌がらせとしては古典的かつ最悪の部類だ。

だが、私は表情一つ変えずに答えた。

「ああ、あの件ですか。事実です」

「ほら見ろ! 認めたぞ!」

王子が鬼の首を取ったように叫ぶ。

しかし、私は冷静に続けた。

「ですが殿下、状況説明が抜けております。あの時、ミルキー様は執務室にある新型の魔導シュレッダーに興味を持ち、『わぁ、なにこれぇ~』と覗き込んで、長いスカーフを巻き込まれたのです」

「……は?」

「みるみるうちにスカーフが飲み込まれ、首が締まりかけていました。緊急停止ボタンを押す暇も惜しかったので、私が手近にあったハサミでスカーフと、巻き込まれそうになったドレスの襟元を切り落として救助したのです。あれを『いじめ』と呼ぶなら、次は窒息するまで見守れということですか?」

私の淡々とした説明に、王子が言葉に詰まる。

「そ、それは……でも、スカーフを切るだけでよかったはずだ! ドレスまで切る必要はなかった!」

「彼女が暴れるからです。『きゃあ~、機械が私を食べてるぅ~』とパニックになって動き回るから、手元が狂わないように大きく切るしかなかったのですよ。感謝こそされ、恨まれる筋合いはありません」

私はミルキー嬢に視線を向けた。

「そうですよね、ミルキー様? あの時、お礼の言葉もなく泣いて走り去りましたが、呼吸は苦しくなかったですか?」

「う、うぅ……あの機械、ナギーお姉様がけしかけたんですぅ……」

「シュレッダーは自律駆動しません。貴女がスイッチに肘をぶつけたんです」

即答。

ぐぬぬ、と王子が唸る。

だが、彼はまだ諦めていなかった。

「だ、だが! それだけじゃない! その前日はどうだ! お前、ミルキーに冷水を浴びせただろう! 冬の寒い日に、頭からバケツで!」

再び会場がざわつく。

今度こそ言い逃れできないだろう、という空気が流れる。

アイザック宰相も「ほう」と興味深そうに私を見ている。

私は眼鏡の位置を人差し指で直し、記憶の引き出しを開けた。

「ああ、ありましたね。それも事実です」

「鬼! 悪魔! 冷血女!」

「ですが殿下、それも状況説明が不足しています。あの時、ミルキー様は暖炉のそばで書類整理の手伝い(という名の邪魔)をしていました。そして、あろうことか暖炉の火の粉が彼女のフリルの多いスカートに引火したのです」

「えっ」

「瞬く間に火が燃え広がろうとしていました。近くに手頃な布もなかったので、花瓶の水……では足りないと判断し、掃除用具入れにあったバケツの水をぶっかけ……失礼、消火活動を行いました」

私はミルキー嬢を見た。

「あの時も、『冷たいぃ~』と泣いておられましたが、火傷ひとつ負わずに済んだのは私の迅速な消火活動のおかげです。……ちなみに、そのせいで床が水浸しになり、その拭き掃除をしたのも私ですが」

しん、と会場が静まり返る。

いじめの告発が、ただの「ミルキー嬢のドジっ子エピソード披露会」になっていることに、ようやく周囲も気づき始めたようだ。

「つ、次だ! まだあるぞ! お前、ミルキーを突き飛ばして階段から落とそうとしただろう!」

「それは、彼女が階段でつまずいて私に覆いかぶさってきたので、共倒れを防ぐために受け止め……きれずに、柔道の巴投げの要領で安全な踊り場の方へ転がした件ですか? あれを『突き飛ばした』と解釈されるとは、心外ですね。おかげで私は腰を痛めました」

「ぐ、ぐぬぬぬ……!」

王子は顔を真っ赤にして震えている。

出すカード出すカード、すべて私が論理的に(そして事実に基づいて)ひっくり返すものだから、立つ瀬がないのだ。

ミルキー嬢も、もはや反論できずに王子の袖を握りしめているだけだ。

私は小さくため息をついた。

「殿下。もうよろしいですか? 私はミルキー様をいじめるほど暇ではありませんでした。彼女が巻き起こすトラブルの後処理だけで手一杯だったのです。……ああ、思い出すだけで胃が痛い」

私は無意識に胃のあたりをさすった。

本当に、この数ヶ月は地獄だった。

書類仕事をしている横で、ガシャーン、キャー、という音がするたびに寿命が縮む思いだったのだ。

「う、うるさいうるさいうるさい!」

クラーク王子が駄々っ子のように叫んだ。

論理で勝てないと悟ったのか、彼は権力を振りかざすという暴挙に出た。

「とにかく! お前がミルキーを不快にさせたのは事実だ! 僕の心を傷つけたのも事実だ! だから……だから、婚約破棄だけでは生温い!」

王子はビシッと私を指差した。

「ナギー・ベルシュタイン! 貴様を、この国から追放する! 国外追放だ! 二度と私の目の前に現れるな!」

国外追放。

それは貴族にとって死刑に次ぐ重罰。

名誉も財産も失い、身一つで異国の地へ放り出される極刑だ。

会場の貴族たちが息を呑む。

さすがにやりすぎだ、という空気が流れる。

父などは泡を吹いて倒れそうになっているかもしれない。

だが。

私の反応は、ここでも周囲の予想を裏切るものだった。

「……こ、国外追放、ですか?」

私は声を震わせた。

王子は私が絶望したと思い込み、口元を歪めた。

「そうだ! 怖いか? 今さら謝っても……」

「ありがとうございます!!」

私は満面の笑みで叫んだ。

「え?」

「国外! いいですね、素晴らしい響きです! この国にいる限り、実家や王家からの『戻ってこいコール』に悩まされる懸念がありましたが、国外追放となれば話は別! 正々堂々と縁を切れます!」

私は頭の中で地図を広げた。

「隣の帝国は魔導技術が発展していて、優秀な事務官を高給で募集していましたね。あるいは南の商業国家なら、私の計算能力は引く手あまた……! 夢が広がります!」

「な、なんで喜んでるんだ……?」

王子が後ずさる。

私はウキウキと指を折って数えた。

「退職金が出ないのは残念ですが、手切れ金代わりに自由をいただけるなら安いものです。では、さっそく旅支度を……」

私が踵を返そうとした、その時だった。

「待て」

低く、絶対的な響きを持つ声が私の足を止めた。

それまで黙って事の成り行きを見ていた男。

アイザック・ル・グラン宰相が、一歩前に進み出たのだ。

「叔父上? こいつを早く追い出して……」

「黙っていろ、クラーク」

アイザックが冷たく言い放つと、王子はヒッと喉を鳴らして縮こまった。

氷の宰相は、その鋭い視線を私に固定したまま、ゆっくりと口を開いた。

「国外追放は認めん」

「えっ」

私は思わず声を上げた。

「な、なぜですか閣下! せっかくのチャンスが!」

「君を他国に流出させるなど、国家的損失だからだ」

アイザックは私の目の前まで歩み寄ると、長い指で眼鏡のブリッジを押し上げた。

そのレンズの奥で、狩人が獲物を見つけた時のような鋭い光が走る。

「その弁論術、とっさの判断力、そして何より……あのクラークの尻拭いを完璧にこなしていたという実績。君のような人材を、みすみす逃すほど私は愚かではない」

彼は私の手を取り、強引に引き寄せた。

至近距離で整った顔が迫る。

「ナギー・ベルシュタイン。先ほどの『再就職』の話、採用だ。ただし……」

彼は口元に、妖艶とも言える笑みを浮かべた。

「一度入ったら、そう簡単に抜け出せると思うなよ?」

私はその笑顔を見て、背筋にゾクリとしたものを感じた。

それは恐怖か、それとも予感か。

一つだけ確かなことは。

ブラック職場から脱出したと思ったら、もっと深淵(ディープ)な職場に片足を突っ込んでしまったらしい、ということだった。
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