え、追放してくれるんですか?じゃあ退職金代わりにその冷徹宰相をください

黒猫かの

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「……ちょっと待ってください」

私は、自分の腕を掴んでいる冷たい手を見下ろした。

アイザック・ル・グラン宰相。

この国の行政の頂点に立つ男が、私を「採用」すると言ったのだ。

周囲の貴族たちは、あまりの急展開に口をパクパクさせている。

「国外追放は認めん」という彼の言葉は、実質的に王子の命令を無効化するものだ。

「お、叔父上! 何を言っているんですか! こいつは僕の婚約者で……いや、元婚約者で、罪人で……!」

クラーク王子が顔を真っ赤にして抗議する。

アイザック宰相は、煩わしい羽虫でも払うかのように、冷淡な視線を王子に向けた。

「クラーク。王族令嬢の国外追放には、国王陛下の裁可と、議会の承認が必要だ。貴様の一存で決められることではない」

「で、でも! こいつはミルキーを!」

「その件についても、先ほど彼女が論理的に反証した通りだ。貴様の主張には客観的証拠がない。ただの感情論で重要人物(ナギー)を失うなど、宰相として看過できん」

ピシャリ。

完璧な正論だった。

王子が「うぐっ」と喉を詰まらせる。

私は心の中で拍手喝采を送った。

(素晴らしい……! なんて無駄のない論破! 感情を一切挟まない機能美!)

惚れ惚れするような仕事ぶりだ。

だが、感心してばかりもいられない。

私は掴まれたままの腕を、礼儀正しく、しかし強引にほどいた。

「宰相閣下。助け舟を出していただいたことには感謝いたします。ですが」

私は眼鏡の位置を直し、キリッとした表情で彼を見上げた。

「採用のお話、大変魅力的ですが、まだ承諾したわけではありません」

「……ほう?」

アイザック宰相が片眉を上げる。

「私を拒むか?」

「いいえ。条件交渉です。労働契約を結ぶ前に、待遇面を明確にするのは社会人の常識ですので」

私は懐から手帳を取り出した。

常に持ち歩いている『業務改善および要求リスト』だ。

「まず、現状の整理をしましょう。クラーク殿下による婚約破棄は有効。これは決定事項ですね?」

私は王子を振り返った。

王子はまだ不満そうだが、しぶしぶ頷く。

「あ、ああ。もちろんだ! 誰がお前なんかと!」

「言質を取りました。では次です」

私は電卓(魔道具)を取り出し、凄まじい速度でキーを叩き始めた。

タタタタタッ!

軽快な打鍵音が静まり返った大広間に響く。

「私が殿下の婚約者として費やした期間は十年。その間の公務代行件数は三千四百二十件。休日出勤日数、四百日以上。これに精神的苦痛(慰謝料)と、不当解雇による特別手当を加算しますと……」

チーン。

私は液晶に表示された数字を王子の目の前に突きつけた。

「今回の婚約破棄に伴う『退職金』は、金貨五万枚になります」

「ご……ごごご、五万枚!?」

王子が素っ頓狂な声を上げて飛び上がった。

金貨五万枚。

小国の国家予算並みの金額である。

「バ、バカな! そんな金、あるわけないだろう!」

「おや、ないのですか? 王族の個人的な予算は使い果たしてしまったと? ……ああ、そういえば先月、ミルキー様に『国中の宝石を買い占めてあげる』とか仰ってましたね。その請求書、私が処理せずに送り返しておいたので、まだ未払いのはずですが」

「ぎくっ」

「無い袖は振れませんね。しかし、こちらは労働の対価を求めているだけです。踏み倒すおつもりですか? 王族が?」

私が冷ややかに詰め寄ると、王子は脂汗を流して後ずさった。

ミルキー嬢も「金貨五万枚って、美味しいの?」とトンチンカンなことを言っている。

このままでは泥沼だ。

そこで、私は助け舟……もとい、本命の提案を出した。

「ですが殿下、私も鬼ではありません。金銭での支払いが不可能なら、現物支給での示談に応じましょう」

「げ、現物……?」

「はい。金貨五万枚の代わりに、私の身柄と人事権を、そちらのアイザック宰相閣下に譲渡してください」

「は?」

王子がポカンとする。

私はくるりと踵を返し、アイザック宰相に向き直った。

「閣下。そういうわけです。私の『退職金』を肩代わりしていただけますか?」

アイザック宰相は、呆気にとられた周囲とは対照的に、口元に微かな笑みを浮かべていた。

それは、難解なパズルが解けた時のような、知的な愉悦に満ちた笑みだった。

「なるほど。クラークへの債権を放棄する代わりに、私に君を雇わせる……つまり、君という『人材』を私が金貨五万枚で買うという契約か」

「その通りです。お買い得ですよ? 私の事務処理能力があれば、閣下の残業時間は現在の半分に短縮可能です。コストパフォーマンスは保証します」

私はセールスマンのような営業スマイルを浮かべた。

アイザック宰相は、面白そうに喉を鳴らした。

「いいだろう。商談成立だ」

「ありがとうございます。では、具体的な労働条件のすり合わせを」

私は手帳のページをめくった。

ここからが本番だ。

「勤務地は宰相官邸。業務内容は閣下の補佐全般。ただし、基本勤務時間は朝八時から夕方五時まで」

「却下だ。宰相官邸に定時など存在しない」

即答された。

「では残業代は?」

「満額出そう。青天井だ」

「……っ!」

私の心が揺れた。

王子の元では「奉仕」という名目でタダ働きだったのだ。

それが、青天井。

「ボーナスは?」

「成果に応じて支給する。国庫が潤えば、その分だけ君の懐も潤う仕組みだ」

「福利厚生は?」

「王宮内の食堂、保養所、すべて使い放題。さらに私の執務室にある最高級茶葉と菓子も自由に消費していい」

「最高級茶葉……!」

「さらに」

アイザック宰相は、畳み掛けるように言った。

「君専用の執務机と、最新型の魔導計算機も用意しよう。君が欲しがっていた、あのメーカーの特注品だ」

「契約します!!」

私は即座に叫んでいた。

食い気味だった。

チョロいと言われるかもしれないが、条件が良すぎる。

ブラック企業(王子)からホワイト企業(宰相)への転職。

しかも、上司は話が通じる合理的思考の持ち主。

これを逃す手はない。

「よし。では、これより君は私の直属の補佐官だ」

「はっ! 誠心誠意、働かせていただきます!」

私たちは固い握手を交わした。

ロマンスの欠片もない、ビジネスパートナーとしての契約成立の瞬間だった。

「ちょ、ちょっと待てぇー!」

完全に蚊帳の外に置かれていたクラーク王子が叫んだ。

「勝手に話を進めるな! ナギーは僕が追放するんだ! 叔父上の部下になるなんて聞いてないぞ!」

「聞き届ける義務はない」

アイザック宰相が、私と握手したまま冷たく言い放つ。

「これは正当な商取引だ。貴様が支払えない賠償金を私が肩代わりし、その対価として彼女を得た。文句があるなら、今すぐ金貨五万枚を耳を揃えて用意しろ」

「うぐっ……!」

「できないなら黙っていろ。……行くぞ、ナギー」

「はい、閣下」

アイザック宰相が歩き出す。

私はその斜め後ろに、当然のように従った。

今まで王子の後ろを歩く時は、足取りが鉛のように重かった。

「ああ、また靴紐が解けているんじゃないか」とか「転びませんように」とか、介護のような心配ばかりしていたからだ。

だが、今は違う。

アイザック宰相の歩幅は大きく、迷いがない。

背筋は伸び、その背中からは「俺についてくれば間違いない」という圧倒的な自信が滲み出ている。

(ああ、なんて楽なんでしょう……!)

上司が優秀であるということが、これほどまでに部下の精神衛生に良いとは。

私は感動すら覚えていた。

「ま、待てってば! ナギー! 本当に行っちゃうのか!? 僕のご飯のメニューはどうするんだ!? 明日の服のコーディネートは!?」

背後で王子の悲痛な叫びが聞こえる。

私は足を止めず、振り返りもせずに言い捨てた。

「ご自身でお考えください。もしくは、そちらの可愛らしいミルキー様に頼めばよろしいかと。彼女なら、きっと『愛の力』でなんとかしてくれるはずですよ」

「えぇ~? 私、服の畳み方とかわかんなぁ~い」

「だ、そうだ。……頑張ってくださいね、殿下」

私は心からのエール(棒読み)を送ると、大広間の扉を抜けた。

廊下に出ると、夜の冷気が火照った頬に心地よい。

隣を歩くアイザック宰相が、ふと口を開いた。

「……随分と潔いな」

「未練がないと言えば嘘になりますが」

「ほう?」

「あの大広間のシャンデリア、掃除が行き届いていませんでした。あれだけが心残りです」

私が真顔で答えると、アイザック宰相は一瞬きょとんとして、それからブハッと吹き出した。

「く、くく……っ! シャンデリア、か!」

彼が笑った。

氷の宰相が、声を上げて笑っている。

それは予想外に無邪気で、そして破壊力抜群の笑顔だった。

「面白い。やはり君は最高だ」

「はぁ……恐縮です」

「急ごう。私の執務室には、君に見せたい書類の山がエベレストのように積まれている」

「エベレスト級……! それは燃えますね」

「だろう? 今夜は眠れないぞ」

「望むところです。カフェインの準備は?」

「抜かりはない」

私たちは顔を見合わせ、ニヤリと笑い合った。

こうして。

私の華麗なる婚約破棄劇は幕を閉じ、それ以上にハードで、エキサイティングな「宰相補佐官」としての生活が始まったのである。

さようなら、無能な王子様。

こんにちは、冷徹な上司様(と、残業の山)。

私の新しい戦場へ、いざ出陣!
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